第9話 手土産
翌朝、庵の前には妙な光景が広がっていた。
「腕を前から上げて触手の運動~」
ぼくの号令に合わせて、六人と一本がレィディオ体操666をしていた。
皆、両腕を天へ伸ばしてそろって体をくねくねと揺らしている。
言い出したのはガレスさんだった。
昨日まで腹を裂かれて死にかけていた大男が、朝いちばんに「体が軽すぎて落ち着かねえ、何かさせてくれ」と言ってきたのだ。
全員、肌がツヤツヤしていた。
ロドリゴさんは目の下のたるみが消えて五つは若く見える。
ミレイユさんは肩をぐるぐる回しては「痛くない」と何度も呟いている。
ノーラさんは頭痛が消えたせいか、昨日よりずっと声が大きい。
ティオさんは膝の古傷を確かめるように何度もその場で跳ねていた。
イネスさんは隊列のいちばん端で右手を開いたり閉じたりしながら、真剣な顔で腕を回していた。
助手くんは例によって十倍速で回っていた。
「……あれはなんの体操なんだ」
「気にしないでください」
◆◆◆
朝食の席でロドリゴさんが改まった顔で切り出した。
「イッテツ殿。あなたはこれから何をなさりたいのですか」
ぼくは少し考えてから答えた。
「治療家として人の役に立ちたいです。どこかの町の片隅で痛いところのある人を診て穏やかに暮らせたらそれで十分です」
「穏やかに」
「はい。穏やかに」
ロドリゴさんは一瞬、何とも言えない顔をした。
昨日の『穏やかでない』治療を思い出したのかもしれない。
「ならば、ぜひ旧都オーフェンへお越しください。あの街なら、患者には困りません。住まいも商会がご用意いたします」
それから隣に座るイネスさんへ目をやった。
「そしてイネスをお付けします。私の右腕です。街のこと商いのこと面倒な手続きのこと。すべて彼女が手を貸します」
「会頭、それは」
イネスさんが顔を上げた。
ロドリゴさんが静かに続ける。
「お前の右手を治してくださった方だ。その手を今度はこの方のために使いなさい」
イネスさんは自分の右手を見下ろした。
それからぼくに向き直って、深く頭を下げた。
「……会頭の命とあらば。いえ。私自身の意思でお仕えさせてください」
「そんな仕えるだなんて」
ぼくは慌てて手を振った。
それから少し考えて言い直した。
「では、右腕をお借りします」
「この右手でですね」
イネスさんが初めてほんの少しだけ笑った。
◆◆◆
出発の前にぼくは祠へ向かった。
しばらく、ここを離れることになる。
毎日手を合わせると約束したのにそれが守れなくなる。
ひとこと、断っておきたかった。
ロドリゴさんがついてきた。
「イッテツ殿に力を授けた神が祀られていると聞きました。ならば、私にとっても命の恩人です」
蔦を払った洞の奥でデフォルメされた丸い石像を見てロドリゴさんは目を丸くした。
「これは……ずいぶんと、愛らしい」
「似てるんですよ、けっこう」
ぼくは花と木の実を供えて手を合わせた。
「しばらく、街へ行ってきます。なるべく、まめに帰ってきますから」
隣でロドリゴさんも膝をついていた。
商人らしい分厚い手をきちんと合わせて長いこと目を閉じていた。
「……イッテツ殿と出会わせてくださったこと、心より感謝いたします。名も知らぬ神よ」
石像の単眼がほんの少しだけ緑色に光った気がした。
◆◆◆
その日の昼過ぎ、商会の迎えが到着した。
立派な箱馬車が二台に騎乗の護衛が八人。
全員が庵の前でツヤツヤの顔をして待っていた会頭を見て言葉を失っていた。
「か、会頭……? 街道で襲われたと聞いて……ご無事で……? というか、お若くなられました……?」
「細かいことは気にするな」
出発の前にぼくはシャツの下の助手くんにもう一度お願いをした。
「街では人がたくさんいる。しばらく、こうしていてくれるか」
助手くんは渋々という様子でぼくの背中にくるくると巻き取られていった。
ぎゅっと小さく丸まって、肩甲骨の間に収まる。
外から見れば、少し猫背の男にしか見えない。
ひねって短く区切る前の一本の長い腸詰めを、そのまま渦巻きに丸めたような、と言えば伝わるだろうか。
ふと、指先がむずむずした。
誰かに触れたらきっと、その体のどこが悪いのか分かる。
助手くんを丸めている間は、鑑定の力がぼくの手のひらに移ってくるらしい。
◆◆◆
旅は二日かかった。
森を抜けると、景色が一変した。
見渡すかぎりの麦畑。
牛や羊が草を食む、なだらかな牧草地。
荷を積んだ馬車が何台もすれ違っていく。
「このあたり一帯が、オーフェンの胃袋です」
向かいの席でイネスさんが説明してくれた。
「オーフェンは数百年前にこの国の都だった街です。今の王都より小さく古びてはいますが交通の要所で穀物と酪農と交易で栄えています。街の南を流れる大河がギガンテ河、その川港は『巨人の渡し』と呼ばれております。領主はアレクシス・ガリバルディ侯爵。……民と共に豊かにが口癖のお人好しな方です」
「お人好し」
「良い意味で」
二日目の夕暮れ、丘を越えたところで馬車が止まった。
窓の外を見てぼくは息を呑んだ。
平原の真ん中に巨大な街が横たわっていた。
いちばん外側を高い城壁がぐるりと囲んでいる。
その内側にもうひとつ。
さらに内側にもうひとつ。
何重もの壁が年輪のように街を守っている。
いちばん中心には夕陽に赤く染まった古い城がそびえていた。
「外側ほど庶民の街、内側ほど貴族と富裕層の街です。いちばん外の壁の向こうには、ダンジョン化した森がいくつもあります。数十年に一度、溢れ出しが起きるので常設軍と冒険者が日々鍛えています」
旧都オーフェン。
ぼくの、新しい仕事場になる街だった。
◆◆◆
城門の前で『草原の渡り鳥』の四人と別れることになった。
冒険者ギルドへ依頼の完了を報告しに行くのだという。
「イッテツさん、本当にありがとうな」
ガレスさんがぼくの手を両手で握った。
「もちろん、あのことは誰にも言わねえ。約束する」
「言わないわよ。絶対」
「言いません、ぜったい」
「死んでも言わねえ」
四人は、口々に誓って、手を振りながら去っていった。
その夜。
冒険者ギルドの酒場で、ティオさんが三杯目の麦酒を空けたあたりのことを、ぼくはのちに人づてに聞くことになる。
「いやさあ、聞いてくれよ。俺たち、街道でダイアウルフの群れにやられてさ。ガレスなんか、腹が裂けてもう駄目だって思ったんだよ。そしたらさ、すげえ治療家が通りかかって――あ」
「ティオ」
「……今のなし」
「なしにはならないわよ」
一方、バルデラマ家の屋敷の奥では、客人を寝かせたロドリゴさんが駆けつけた番頭たちを前に満面の笑みを浮かべていた。
「いやあ、聞いてくれ。とんでもないお方に出会ってしまったのだ。もちろん詳しくは言えん。言えんのだがな――」
言えんのだがな、から先がたっぷり一刻続いたらしい。
その頃、ぼくはロドリゴさんの屋敷の、ふかふかすぎる客間の寝台でくしゃみをひとつしていた。
「……誰か、噂でもしてるのかな」
背中で助手くんがもぞりと動いた。
眠る前にいつものように少しだけ助手くんと『実験』をした。
先端をひとさし指の太さから縫い針ほどの細さまで。
ゆっくりと、細く、細く。
「……まだ、髪の毛には届かないな」
◆◆◆
『商会主は白膠木の信者になった』
『信者が1人になった』
【今日の「手」】手土産:人を訪ねるときに持っていく、ちょっとした贈り物。
【治療家メモ】施術のあとに急にお腹が空くのは、よくあることです。体がほっと緩むと、胃腸を動かす神経が働き出すためと言われます。ティオさんの「すげえ腹減った」は、正しい反応です。
一徹が旧都へ持っていく手土産は、助手くんと、腕前と、信者がひとり。
旧都編スタートです。【★★★★★(評価)】で旅立ちを祝っていただけると、作者が腸詰めを一本多く食べます。




