第10話 手続き
旧都に着いたその夜、ぼくはロドリゴさんの屋敷に招かれた。
外周と内側の城壁のあいだ大店の屋敷が並ぶ一角にその屋敷はあった。
門をくぐるなり、使用人がずらりと並んで出迎えてくれた。
年配の家令が若返った主人の顔を見て、しばらく固まっていた。
湯を使わせてもらい、着替えまで用意してもらった。
食卓には見たこともない料理が次から次へと並ぶ。
香草を詰めて焼いた鶏とろりと煮込んだ豆、焼きたての白いパン、果実の甘い酒。
「さあ、イッテツ殿。遠慮なさらず。命の恩人をもてなさずして、何がバルデラマ商会ですか」
遠慮しようにも皿が空くそばから次の料理が出てくる。
助手くんが背中でそわそわしていた。
たぶん、自分も食べたいのだ。
案内された客間の寝台はふかふかすぎて、体が沈んで起き上がれないほどだった。
すっかり、お世話になってしまった。
◆◆◆
「まずは教会へ参りましょう」
旧都に着いた翌朝、ロドリゴさんはそう言った。
「この国で人の病や怪我を治して報酬を受け取るには、治癒師の資格が要ります。そして治癒師の資格は、教会が出すのです」
「教会がですか」
「ええ。天秤の女神アウレサリア様の教会です。商業と癒やしを司る女神様でこの国でいちばん力のある教会ですな」
隣を歩くイネスさんが、小声で補足してくれた。
「治癒の恩寵はアウレサリア様の加護によって授かるものとされています。ですから治癒師を名乗れるのは、教会の鑑定で加護を認められた者だけです」
前の世界でいえば、国家資格のようなものだろう。
ぼくも柔道整復師と、はり師・きゅう師の免許を持っていた。
手続きの大切さは身に染みている。
「わかりました。行きましょう」
背中で助手くんがもぞりと動いた。
◆◆◆
教会は内側の城壁のすぐ外にあった。
白い石造りの、見上げるほど大きな建物だ。
正面の扉の上には巨大な女神像が掲げられていた。
片手に天秤を持ち、その一方の皿には心臓が、もう一方の皿には金貨が載っている。
癒やしと金貨は等価である。
それがこの教会の教えなのだという。
中に入ると、受付の前には長い列ができていた。
皆、高価そうな身なりをしている。
列の脇の看板には治癒の料金表が掲げられていた。
骨折の治癒、金貨五枚。
重傷の治癒、金貨二十枚。
「……金貨一枚って、どのくらいですか」
「庶民の、ひと月分の稼ぎです」
イネスさんが表情を変えずに答えた。
ロドリゴさんの顔が利いたのか、ぼくたちは列に並ばず、奥の小部屋に通された。
白い法衣の、痩せた中年の神官が、机の向こうでこちらを見上げた。
「バルデラマ会頭のご推薦とは。……ふむ。治癒師の資格をご希望で」
神官の目がぼくのくたびれたジャージに留まった。
「はい。治療家をしております、イッテツ・ヌルデと申します」
「ではこちらに手を」
机の上に両手で抱えるほどの水晶玉が置かれていた。
「アウレサリア様の加護をお持ちであれば、この水晶が金色に輝きます」
ぼくは水晶に右手を載せた。
――何も起きなかった。
いや。
一瞬だけ水晶の奥が濁った緑色に曇った気がした。
けれどまばたきをする間にそれは消えていた。
神官が眉をひそめた。
水晶をこつこつと指で叩き、もう一度、ぼくの手を載せさせる。
やはり、何も起きなかった。
「……加護なし、ですな」
神官はぼくの手から水晶を取り上げるように引き寄せた。
「アウレサリア様の加護をお持ちでない方に、治癒師の資格は差し上げられません。加護なき者が人を治すなど、そもそも不可能なのです」
「ですがぼくは現に会頭の――」
「ポーションでも使われたのでしょう。それは治癒ではない。ただの手当てです」
神官は薄く笑った。
「手当ての真似事で報酬を取る。そういうのをこの国では詐欺と呼ぶのですよ」
背中で何かがぶわっと膨らんだ。
シャツの襟元から助手くんの先端がぬっと――。
「ごほっ! ごほんごほん、げふぅっ!!」
ロドリゴさんがとんでもなく大きな咳をした。
同時に分厚い手のひらでぼくの背中をばしんばしんと叩く。
「いやあ、旅の疲れが出ましたかな、イッテツ殿! 背中が凝っておいでだ! はっはっは!」
ばしん。
ばしん。
助手くんがしゅるんと引っ込んだ。
「……お大事に」
神官は気味悪そうにぼくたちを見て扉を指し示した。
◆◆◆
教会を出てしばらく誰も口をきかなかった。
最初に口を開いたのは、イネスさんだった。
「……あの方は会頭の命の恩人を詐欺師と」
右手が剣の柄に添えられていた。
治ったばかりの、その右手が。
「イネスさん、いいんです」
ぼくは笑った。
「あの人の言うことにも、一理あります。ぼくにはこの国の神様の加護はない。それは本当のことですから」
背中で助手くんがまだ不満そうにもぞもぞしていた。
ぼくはシャツの上からそっと撫でてやった。
「助手くんも。怒ってくれて、ありがとう。でもあそこで出てきたら、本当に大変なことになってた」
もぞ。
……もぞ。
しぶしぶという感じで静かになった。
ロドリゴさんが顎に手を当てて唸った。
「治癒師として開業できぬなら、別の道を探すまで。イッテツ殿、商人の流儀でいきましょう」
◆◆◆
商業ギルドは外周の大通りに面した、活気のある建物だった。
教会とは打って変わって、受付の女性はにこやかだった。
ロドリゴさんの顔を見るなり、奥から恰幅のいいギルド長まで飛んできた。
「ば、バルデラマ会頭! 街道でご遭難と伺いましたが……お、お若くなられました?」
「細かいことは気にするな。それより、こちらの方の登録を頼みたい」
ロドリゴさんの考えは、こうだった。
治癒師を名乗れないなら、治療を商いとしては出せない。
けれど、薬草やポーションを作って売るのは、商業ギルドに登録さえすれば、誰でもできる。
まずはポーションの納入業者として登録して、その傍らで怪我人の『手当て』をする。
「手当ては治癒ではないのでしょう? あの神官殿がそうおっしゃった」
ロドリゴさんはにやりと笑った。
試しにと、ぼくは背嚢から助手くん謹製のポーションを一本取り出した。
ギルドの鑑定士が片眼鏡をかけて瓶を覗き込む。
その手が震えはじめた。
「じょ、上級……!? しかもこの純度……! ど、どちらの薬師の作で……!?」
「当商会が独占で扱わせていただきます」
ロドリゴさんが間髪入れずに言った。
商人の顔だった。
◆◆◆
登録の書類を前にぼくは手を止めた。
屋号と、職業の欄がある。
「職業……薬師、でいいんでしょうか」
「ふむ」
ロドリゴさんがぼくの手元を覗き込んだ。
「しかしイッテツ殿は薬師ではない。治療家だ。ただ治療家という言葉はこの国では馴染みがない。治癒師は名乗れぬ。……となれば」
ロドリゴさんはしばらく腕を組んで考え込んでいた。
それからぱん、と手を打った。
「ならば、『癒し手』と名乗りましょう!」
「いやして?」
「左様。治癒師は教会の名です。だがあなたのその手は誰の許しも得ずとも人を癒やす。屋号も名乗りも『癒し手』でよろしい」
イネスさんが隣で小さく頷いた。
癒し手。
口の中で転がしてみる。
手が届くところに命があったら、手を伸ばす。
その手で癒やす。
ぼくがやりたいことは、それだけだった。
「……手が届く範囲でできるならばまぁいいか」
この世界の文字をぼくは習ったことがない。
けれどペンを持つと手は勝手にすらすらと動いた。
読めるだけでなく、書くこともできるらしい。
これも神様の置き土産なのだろう。
ぼくは書類の屋号の欄にゆっくりと書き込んだ。
『癒し手 イッテツ・ヌルデ』
受付の女性が書類を受け取って読み上げた。
「いやしてイッテツ・ヌルデさん。……『癒して』?」
一拍おいてぽっと頬を染めた。
「……あ、いえ、なんでもありません。登録、承りました!」
背中で助手くんがぶんぶんと揺れていた。
気に入ったらしい。
その夜、ロドリゴさんの屋敷の客間でぼくは灯りを落とした。
髪の毛ほどに細くした助手くんの先端を自分の左の前腕にそっと当てる。
皮膚の下へほんの少しだけ。
ちくり。
「……よし。痛覚は残る」
◆◆◆
『白膠木は商業ギルドに登録された』
【今日の「手」】手続き:物事を進めるのに必要な、決まった順序や方法。
【治療家メモ】日本では、柔道整復師、はり師、きゅう師は、それぞれ別の国家資格です。鍼と灸も、別々の免許なんです。
異世界でも、まずはお役所仕事から。そして「癒し手」の名が生まれました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。【ブックマーク】の手続きは、ページ下部からワンタップで済みます。




