第11話 手当て
「当面はこちらをお使いください」
ロドリゴさんが案内してくれたのは、外周の荷揚げ場に面した商会の倉庫だった。
荷揚げ場の端には三階建ての家ほどもある大岩が、どっかりと腰を据えている。
『巨人の置き石』というのだと、ロドリゴさんが教えてくれた。
昔、ギガンテ河を堰き止めていたこの岩を心優しい巨人がひと晩のうちに片手で持ち上げて、岸へどかしてくれた、というおとぎ話が残っているのだそうだ。
石造りの頑丈な建物で奥には麦の袋や木箱が天井まで積まれている。
その手前、通りに面した一角ががらんと空いていた。
「荷揚げ場は朝から晩まで人足や冒険者が行き来します。腰を痛める者、手足を挫く者には事欠きません。患者を探すにはうってつけかと」
さすが商人だ、と思った。
立地の選び方が開業コンサルタントのそれだった。
仕切りはイネスさんが手配してくれた。
木箱を並べて板を渡し、施術台にする。
布を張って、待合と施術の場所を分ける。
壁際には棚を作って、ポーションの瓶と鍼ともぐさを並べた。
看板はぼくが自分で書いた。
板きれに墨で。
『癒し手』
それだけだ。
料金はイネスさんと相談して銅貨数枚にした。
教会の治癒が金貨五枚からと聞いたあとでは、ずいぶん安く見えるだろう。
「儲けはポーションの卸で十分に出ます。治療のほうは人を集めるための看板と思っていただければ」
イネスさんはそう言って帳面をぱたんと閉じた。
ロドリゴさんの右腕は、やはり商人の目をしていた。
表情ひとつ変えずに数字だけを淡々と並べる。
この人は無表情で仕事をする人なのだとそのときのぼくは思っていた。
◆◆◆
施術所の奥の壁にぼくは小さな棚を吊った。
神棚のつもりだった。
本当は祠の神像をここへ移してしまおうかとも考えた。
そうすれば、毎日手を合わせられる。
けれど蔦をかき分けて石像と対面したときのあの洞の静けさを思い出してやめた。
あの神様の居場所は、やっぱりあの岩壁なのだと思う。
賢者があの場所を選んで彫ったのだから。
代わりに前の世界の神社のやり方に倣うことにした。
分霊、というやつだ。
本社の神様から分かれた御霊をいただいてよその土地にもお祀りする。
倉庫に転がっていた、木箱の端材をもらう。
小刀でまんまるの球体と大きなひとつ目とちょこちょこした短い触手を彫っていく。
……難しい。
ぼくの手先ではどうにも目の形がいびつになる。
見かねたのか、助手くんがシャツの裾からにゅっと出てきて、ぼくの手から小刀を取り上げた。
しゃっ。
しゃしゃしゃっ。
しゅるるるっ、こりこりこり。
ものの数分で祠の石像そっくりの、可愛らしい木彫りの神像ができあがった。
目元にはほんのり緑の顔料まで差してある。
どこから出したんだ、その顔料。
「……ぼくより上手いな」
助手くんは誇らしげに揺れた。
神像を棚に祀って、ヨモギの小枝と水を一杯供える。
手を合わせる。
「ここで、また治療家をやらせてもらいます。見守っていてください」
◆◆◆
開業初日。
誰も来なかった。
看板の前を人足たちが不審そうな目で通り過ぎていく。
いやして、ってなんだ。
治癒師じゃねえのか。
教会の印がねえぞ。
そんなひそひそ声が、布越しに聞こえてくる。
「……まあ、最初はこんなものですよ」
前の世界でも開業したての一か月は暇だった。
ぼくは待合の椅子でもぐさを揉みながら、気長に待つことにした。
昼過ぎ。
「おい、そこの! いやしての兄ちゃん! ちょっと診てくれ!」
外から怒鳴り声がした。
人足が三人がかりで、ひとりの大男を担いで入ってきた。
大男は海老のように腰を曲げたまま、脂汗を流して呻いている。
「麦の袋を持ち上げた拍子にこうなっちまってよ。動けねえんだ。教会に連れてく金なんかねえし」
ぎっくり腰だった。
前の世界でいちばん多く診てきた怪我のひとつだ。
「はい、そこにうつぶせで。ゆっくりでいいですからね」
施術台に寝かせて腰に手を当てる。
助手くんを背中に丸めている今は、手のひらに、ぼんやりと体の中の様子が伝わってくる。
腰の筋肉が、ぎゅっと固まって痙攣している。
骨は無事。
ポーションを薄く塗って、腰の腎兪、大腸兪、それに手の甲の腰腿点にミスリルの鍼を打つ。
鍼の頭に特級もぐさ。
火を点ける。
ふわん。
大男の腰の上に緑の魔法陣が浮かび上がった。
「――な、なんだぁ!? 今の魔法陣はなんだ!?」
付き添いの人足が目を剥いた。
「いや、ぼくにもわからんです」
嘘ではない。
魔法陣が消えたところで大男の腰に手を添えてゆっくりと骨盤を整える。
ぽきり、と小さな音がした。
「はい、ゆっくり起き上がってみてください」
大男は恐る恐る体を起こした。
腰を伸ばす。
ひねる。
屈伸する。
「……痛くねえ」
それからぴょんと跳ねた。
「痛くねえぞ!? さっきまで死ぬかと思ったのに!」
◆◆◆
その日の夕方には待合に人が溢れていた。
腰痛の人足。
肩が上がらない荷運び。
足首を挫いた若い冒険者。
重い鍋を振りすぎて手首を痛めた、酒場の女将さん。
転んで膝をすりむいた子どもを連れた、母親。
ふわん。
「今の魔法陣はなんだい!?」
「ぼくにもわからんです」
ふわん。
「今の魔法陣は!?」
「わからんです」
ふわん。
「今の――」
「わからんです」
帰り際、患者さんたちは口々に言った。
「ありがとうよ、いやしての先生」
「助かったよ、癒し手さま」
さま、がついていた。
開業してまだ半日しか経っていなかった。
最後の患者さんを送り出したころ、昼間のぎっくり腰の大男が、また顔を出した。
仕事を終えてわざわざ戻ってきたのだという。
「なあ、兄ちゃん。昼間の代金、銅貨三枚って言ったよな。……安すぎやしねえか。教会なら、金貨が飛んでくとこだぞ」
待合に残っていた何人かも、うんうんと頷いていた。
ぼくは少し考えてから奥の神棚を指さした。
木彫りの神像の手前には木箱の端材で作った、小さな箱を置いてある。
「ぼくのは治癒じゃありません。ただの『手当て』ですからね。手当てなら、銅貨数枚がちょうどいいんです」
それからこう続けた。
「もし、安いと感じてくださったなら、あそこの神棚に手を合わせてくれませんか。手前にあるのはお賽銭箱です」
「おさいせん、ばこ?」
「神様への、お気持ちを入れる箱です。もし、この先、銅貨さえも払えない患者さんが運び込まれてきたら、ぼくはそこから『皆さんのお気持ち』を使わせてもらいます。余ったぶんは、神様へのお供えを買うお金になりますね」
大男はしばらく賽銭箱を見つめていた。
「……つまり、俺が入れた銭でどっかの文無しが治してもらえるってことか」
「そうなります。いつかあなたが銭のないときに怪我をしたら今度は誰かのお気持ちがあなたを治すんです」
大男はふん、と鼻を鳴らした。
それからどすどすと神棚の前まで歩いていって、懐を探った。
ちゃりん。
ちゃりん、ちゃりん。
銅貨を三枚、箱に落として、ぎこちなく、大きな手を合わせた。
「……神様よ。腰、ありがとな」
待合に残っていた何人かが顔を見合わせてそれに続いた。
ちゃりん。
ちゃりん。
背中で助手くんがそわそわと揺れていた。
◆◆◆
そうなると、困るのは材料だった。
十日もしないうちに旅の背嚢に詰めてきたヨモギも薬草も、底をつきかけた。
ポーションは助手くんが薬草を噛まないと作れない。
商会への卸しもある。
「庵まで取りに行かないと」
ロドリゴさんに相談すると二つ返事で小さな荷馬車を一台、貸してくれることになった。
「ついでに御者の仕方もお教えしましょう。ベニート、頼む」
呼ばれて出てきたのは白髪まじりの、日に焼けた小柄な老人だった。
商会で四十年、馬車を走らせてきたという。
思えば庵へ皆を運んだあの日も、ぼくは馬の轡を取って歩いただけだった。
「手綱はこう持つ。強く引きすぎるな。馬は人の手の迷いを読むでな」
「はい」
ぼくは言われたとおりに手綱を握った。
馬がぴくりとも動かない。
「……はい、進んで」
動かない。
「お願いします、進んでください」
動かない。
どころかぶるる、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
背中で助手くんがもぞりと動いた。
シャツの襟元からほんの先っぽだけを出して馬の首筋をちょん、とつつく。
馬がびしっと背筋を伸ばした。
それからきびきびと歩き出した。
「……」
「……兄さん、手の迷いはねえがなんか別のもんを読まれとるな」
ベニートさんが首をひねっていた。
◆◆◆
それからはひと月に一度、庵へ通うことにした。
イネスさんを隣に乗せて二日かけて森の外れへ。
ヨモギと薬草を荷台いっぱいに摘み、庵で助手くんにポーションをまとめて作ってもらう。
搾りかすでもぐさを仕込む。
そして祠を掃除して手を合わせる。
「街のほうにも分霊をお祀りしました。助手くんが彫ってくれたんです。……けっこう、似てますよ」
苔を払った石像の単眼が陽を受けてちらりと光った。
◆◆◆
仮の施術所に戻ると、待合の神棚の前で酒場の女将さんが手を合わせていた。
「先生がいつも拝んでるからさ。なんだか、ありがたい神様なんだろうと思って」
女将さんは木彫りの神像を見上げて首をかしげた。
「……しっかし、変わったお姿だねえ。目がひとつで手がいっぱいで」
「手がいっぱいある神様はたいてい、優しいんですよ」
ぼくがそう言うと、女将さんは「そういうもんかい」と笑って、銅貨を一枚、賽銭箱にちゃりんと落とした。
それからもう一度、丁寧に手を合わせた。
看板を下ろした夜の施術所でぼくは自分の太ももの小さな擦り傷を見下ろした。
助手くんの先端を縫い針と糸の形に変えてみる。
ひと針、ふた針。
「……縫い目がまだ粗いな」
◆◆◆
『外周の住民が白膠木に感謝した』
【今日の「手」】手当て:病気やけがの処置をすること。もう一つ、給料に上乗せされるお金の意味もあります。
【治療家メモ】ぎっくり腰は、ドイツ語で「魔女の一撃」と呼ばれます。急に来るので、昔の人には魔女の仕業に思えたのでしょう。
開業初日、最初の患者さんはぎっくり腰のブルーノさんでした。お賽銭箱も、ここから始まります。
「癒し手」の治療院、開業です。【★評価】というお賽銭をいただけると、神様が喜びます。




