第8話 手厚い
庵の結界の前で助手くんが膜にそっと触れた。
膜は大きく波打って、馬車ごとぼくたちを中へ迎え入れた。
どうやら助手くんが一緒なら、客人も通れるらしい。
寝台に剣士を長椅子に商人の男性を寝かせる。
床に毛布を敷いて、残りの面々を座らせた。
暖炉に火を入れ、湯を沸かす。
粘液まみれだった全員の顔を、濡らした布で拭っていく。
ひと息ついたところでようやく名乗り合うことができた。
「改めまして。バルデラマ商会の会頭、ロドリゴ・バルデラマです。こちらは私の秘書のイネス」
長椅子の上でロドリゴさんが頭を下げた。
四十代の半ばくらいだろうか。
日に焼けた顔に人懐っこい目をしている。
その横で脇腹を押さえたイネスさんが硬い表情のまま会釈した。
十代の終わりか、二十歳そこそこ。
鋭い目つきの奥にまだ警戒の色がある。
冒険者たちは、『草原の渡り鳥』という一党だった。
「俺はティオ。斥候だ。で、寝てるでかいのがリーダーのガレス」
ナイフの若者が寝台の剣士を顎で示した。
「弓のミレイユよ。……さっきは、ありがとう」
「ノーラです。魔法使い、です。……頭がまだぐらぐらしますぅ」
「イッテツ・ヌルデです。治療家をしています。ヌルデが呼びにくければ、イッテツで」
イネスさんがちらりとぼくの背中を見た。
助手くんは今、シャツの下で丸くなっている。
「……その、背中の。あれは」
「助手です」
「助手」
「はい」
イネスさんはそれ以上は聞かなかった。
賢明な人だった。
◆◆◆
イネスさんが荷物から一本の巻物を取り出した。
ロドリゴさんがそれに向かって話しかける。
「本部へ。会頭のロドリゴだ。街道で襲われ、負傷者多数。だが全員無事だ。森の外れの庵にいる。迎えを寄越してくれ」
話し終えると、巻物は淡く光って一羽の光の鳥になった。
窓をすり抜けて、西の空へ飛んでいく。
「声を届ける巻物です。迎えが来るまで二日ほどかと」
「二日。……なら、十分ですね」
ぼくは腕まくりをした。
「さてはて。おっぱじめますか」
◆◆◆
まずは軽い人から順に診ていく。
ミレイユさんの腕。
添え木を外し、整復した骨の位置を指で確かめる。
ポーションを薄く塗って、ミスリルの鍼を孔最、手三里に打つ。
鍼の頭に特級もぐさを載せて火を点けた。
ふわん。
ミレイユさんの腕の上に、淡い緑の魔法陣が浮かび上がった。
「――今の魔法陣はなんです!?」
長椅子から身を乗り出したのは、ロドリゴさんだった。
「いや、ぼくにもわからんです」
答えながら内心ではなにこれ怖、と思っていた。
何度見ても慣れない。
魔法陣が消えたあと、ミレイユさんが恐る恐る腕を曲げ伸ばしした。
「……え、痛くない。骨、折れてたのに」
ノーラさんの頭。
百会、風池に鍼。
ふわん。
「今の魔法陣はなんです!?」
「いや、ぼくにもわからんです」
ティオさんの脚。
ふわん。
「今の魔法陣はなんです!?」
「ぼくにもわからんです」
三人とも半刻もしないうちに、すっかり元気になっていた。
ロドリゴさんはぼくの手と、鍼と、空になったポーションの瓶を商人の目で何度も見比べていた。
◆◆◆
問題は残りの三人だった。
ガレスさんの腹の傷は、表面こそ塞がっているものの、中がまだ治っていない。
腸と、肝臓の端が裂けている。
鍼と温灸ではそこまで届かない。
ロドリゴさんの太ももの骨も、まだつながりきっていない。
それに胸の奥の、あの乱れた拍動。
イネスさんの脇腹も、傷が深い。
「ここから先は外からの治療では足りません」
ぼくは正直に言った。
「さっき見ていただいた、助手を使います。助手を傷口から体の中に入れて、内側から直接治す。ただ、正直に言って、見た目はかなり……衝撃的です」
部屋がしんと静まった。
最初に口を開いたのは、ロドリゴさんだった。
「……やってください。私から」
「会頭!」
イネスさんが声を上げた。
ロドリゴさんはそれを手で制した。
「イネス。あの薬と、鍼と、あの手を見ただろう。もし私が、いずれイッテツ殿のお力を世に出す手伝いをするなら、売り物の真の価値を知らねばならん。自分の体で確かめずに商人は名乗れんよ」
この人は根っからの商人なのだと思った。
「わかりました」
ぼくはシャツを脱いだ。
◆◆◆
ずるり、と助手くんが這い出した。
先端をロドリゴさんの太ももの傷口へ。
ぬぷり。
「ひっ」
イネスさんが息を呑む。
ずぶ……ずぶずぶずぶ……。
助手くんが傷口の奥へと沈んでいく。
骨の折れた場所へ。
ずれた骨の断端を内側からそっと抱き寄せる。
ぐちゅ。
ぐちゅぐちゅ。
みち、みちみち……。
「ほ、骨を……中からつないでいる……?」
「はい。ついでに血管を伝って、上へ行きます」
どぅるどぅるどぅるどぅる……。
ロドリゴさんの太ももの内側を、何かが這い上がっていく。
皮膚の下でぼこ、ぼこ、と小さな膨らみが移動していくのが見えた。
腹を過ぎ、胸へ。
「む、胸に何か……!」
「心臓の血管が詰まりかけていました。内側から掃除します」
じゅっぷ。
じゅっぷじゅっぷじゅっぷ。
――キュインキュインキュイン!
「なんの音です!?」
「わかりません!」
ごぽっ。
ごぽごぽごぽ……ずるるるるっ。
――ガコンッ! ゴゴゴゴゴ……。
「今度はなんの音です!?」
「わかりません!」
テレレレッテッテー!
「わかりません!!」
聞かれる前に答えた。
ずるるるるるるるるるる……ちゅぽん。
助手くんが傷口から抜けた。
太ももの傷は跡形もなく塞がっていた。
「……治りました」
ロドリゴさんは自分の胸に手を当てたまま、しばらく動かなかった。
「……軽い。胸が軽い。何年も胃が悪いのだと思っていたのですが」
「それ、胃じゃなくて心臓です」
「……え?」
◆◆◆
ガレスさんはいちばん長かった。
意識は戻りかけていたが、話せる状態ではない。
ティオさんとミレイユさんが、仲間として許可をくれた。
「頼む。ガレスを助けてくれ」
ぬぷり。
ずぶずぶずぶ……。
腹の傷から入って、裂けた腸を一か所ずつ探り当てる。
ぐちゅり。
ぬちゅ、ぬちゅ、ぬちゅ……。
裂け目を寄せて、粘液で接いでいく。
一か所。
二か所。
五か所。
ぐぽっ、ぐぽぐぽ、ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ……。
肝臓の端。
じゅるるるる……ぴちゅ、ぴちゅ、ぴちゅ。
ヴォオオオオオオオッ!
「獣!? 今、獣の声が!?」
「ここには助手くんしかいません」
「その助手が怖いのよ!!」
ミレイユさんの叫びは、もっともだった。
ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ……どぅるん。
ずるるるるる……。
四半刻ののち。
ちゅぽん。
「……治りました」
ガレスさんがゆっくりと目を開けた。
大きく息を吸って、吐いて自分の腹をさすった。
「……なんか、すげえ腹減った」
ティオさんが泣き笑いで仲間に飛びついた。
◆◆◆
最後はイネスさんだった。
脇腹の傷を診るために、彼女の右腕を持ち上げたとき、ぼくは違和感に気づいた。
右手の指がうまく動いていない。
右脚もわずかに引きずっていた。
「イネスさん。右手と右脚、昔、何かありましたか」
彼女の目がわずかに揺れた。
「……子どものころ、馬車にはねられて。それきりです。剣は左で覚えました」
「神経が傷ついたままになっています。脇腹のついでにそちらも診ていいですか」
イネスさんは黙ってロドリゴさんを見た。
ロドリゴさんが静かに頷いた。
「……お願いします」
助手くんの先端が髪の毛ほどに細く、細く分かれた。
鍼のように首の付け根と、腰の脇からそっと入っていく。
つぷ。
つぷつぷ。
……しゅるるるる。
途切れていた神経の道を一本ずつ、つなぎ直していく。
ぴりっ。
「……あ」
イネスさんの右手の指が、ぴくりと動いた。
人差し指。
中指。
薬指。
ゆっくりと、一本ずつ曲がっていく。
やがて、こぶしになった。
ちゅぽん。
「……治りました」
イネスさんは自分の右手をしばらく見つめていた。
握って、開いてまた握る。
「……動く」
鋭かった目からぽろりと涙がこぼれた。
「動きます、会頭……」
ロドリゴさんが黙って彼女の肩を抱いた。
◆◆◆
「あの……イッテツさん」
すっかり元気になったミレイユさんが、遠慮がちに手を挙げた。
「ついでに肩も診てもらえる? 弓のせいでずっと痛くて」
「わ、私も……魔法を使うと、いつも頭が痛くて……」
「俺も膝の古傷が……」
ぬぷり、ぐちゅぐちゅ、ちゅぽん。
「……治りました」
つぷり、じゅるじゅる、ちゅぽん。
「……治りました」
ずぶり、どぅるどぅる、ちゅぽん。
「……治りました」
その夜、庵は六人分の穏やかな寝息に包まれた。
暖炉の前でぼくはひとり、助手くんを撫でていた。
今日はずいぶん働いてもらった。
「……お疲れさま、助手くん」
助手くんはぼくの膝の上で満足そうにくるりと丸くなった。
◆◆◆
『『草原の渡り鳥』は白膠木に感謝した』
【今日の「手」】手厚い:扱いや世話が、心がこもっていて行き届いていること。
【治療家メモ】作中で鍼を打った「孔最」は、肘から手首のあいだにあるツボです。急な痛みや症状によく使われる「郄穴」の一つです。
商会の皆さんへの手厚い治療。そして、イネスさんの右手。
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