第6話 手持ち無沙汰
「……ひまだ」
庵で暮らしはじめて、十日が過ぎた。
縁側代わりの石段に腰掛けて、ぼくは空を見上げていた。
雲が流れていく。
鳥が鳴く。
風が乾かしているヨモギの束を揺らす。
やることがない。
いや正確に言えば、やることはある。
ただ、ぜんぶ午前中に終わってしまうのだ。
夜明けとともに起きて、レィディオ体操666。
祠へ行って掃除をして、花と木の実を供えて手を合わせる。
森で食料を集めて川で魚を獲って、燻製小屋に吊るす。
薪を割る。
ヨモギを摘む。
これを助手くんが手伝ってくれる。
いや、手伝うどころではない。
ぼくがひとつやる間に、助手くんは十くらい終わらせている。
結果、太陽がまだ真上にも来ないうちに一日の仕事が片付いてしまう。
前の世界では朝八時から夜の九時まで患者さんを診て昼は往診に走り、夜は施術録を書いていた。
休みの日も勉強会だ、研修だと出歩いていた。
猫の手も借りたいと、毎日ぼやいていた。
それが今は猫の手どころか世界最高の手がある。
そして暇だった。
「……ゆとりのある暮らし、って、こういうことじゃないと思うんですよ、神様」
助手くんが慰めるようにぼくの肩をぽんぽんと叩いた。
◆◆◆
暇だからといって、だらけていたわけではない。
身体の手入れは治療家の基本だ。
筋トレ、柔軟、型稽古。
御留流の組み討ちの型をひとりでなぞり、庵にあった古い木刀で居合の真似事もした。
助手くんも一緒に鍛えた。
ぼくは勝手に「触トレ」と呼んでいる。
重い石を持ち上げる。
木の枝から枝へ巻きついて渡る。
細い隙間に先端を通す。
日に日に助手くんは器用に力強くなっていった。
ついでにいろいろと『実験』もした。
どこまで伸びるのか。
どこまで細くなれるのか。
どこまで重いものを持てるのか。
結果はだいたいぜんぶ「まだ余裕がある」だった。
どうやら、底が見えない。
午後は賢者の蔵書を読んで過ごした。
知らない文字のはずなのに不思議と読めた。
これも神様の置き土産なのかもしれない。
この世界の地理、薬草、魔獣。
神々のこと。
少しずつ、この世界のことが分かってきた。
◆◆◆
森の魔獣とも何度か出会った。
いちばんよく見かけるのは、ダイアウルフという大きな狼だった。
肩の高さがぼくの腰ほどもあって、灰色の毛並みに黄色い目。
群れで狩りをする、この森の危険な魔獣らしい。
らしいというのはぼくたちを襲ってこないからだ。
木立の向こうから群れがじっとこちらを窺っている。
ところが助手くんがひょいと鎌首をもたげた途端、尻尾を巻いて逃げていく。
毎回そうだった。
森の生き物は本能で分かるのかもしれない。
これが何に由来するものなのか。
一度だけ、空腹で気が立っていたのか、一頭が飛びかかってきたことがある。
ぼくが身構えるより早く、助手くんが動いた。
しゅるん。
ごきっ。
それで終わりだった。
助手くんはそのまま狼を木の枝に吊るし、手際よく血を抜いて、皮を剥いで骨から肉を外して、きれいな枝肉にしてしまった。
ぼくがやったことといえば、ぽかんと口を開けて見ていたことだけだ。
――ピローン。
【鑑定】 ダイアウルフの肉:食用可。赤身で歯応えあり。香草と合う。
言われたとおり、ハッカと野草で臭みを抜いて焚火でじっくり焼いてみた。
「……あ、うまい」
狼の肉は意外と美味しかった。
◆◆◆
転機はある雨の日にやってきた。
外に出られず、庵で薬草の束を整理していると、助手くんがヨモギの葉を一枚、ひょいとつまんだ。
先端の吸盤のあたりが、もごもごと動いて葉を取り込んでいく。
にっちゅ。
にっちゅ。
にっちゅにっちゅにっちゅ。
「……助手くん? それ、食べるもんじゃ」
にっちゅにっちゅにっちゅにっちゅにっちゅ。
助手くんは次々と薬草を取り込んでいく。
ヨモギ、ハッカ、乾かしておいた根っこ、川辺で摘んだ黄色い花。
ぐにゅ、ぐにゅる、ごりごり、じゅわ……。
やがて、助手くんの動きがぴたりと止まった。
小刻みに震えはじめる。
ぷる、ぷるぷる、ぷるぷるぷる……。
――ポキューン!
「なんの音!?」
助手くんは得意げに先端をもたげると、机の上の空き瓶の口に先を差し込んだ。
どぅるるるるる……とぷん。
瓶の中をとろりとした緑色の液体が満たしていた。
ほんのりと光っている。
――ピローン。
【鑑定】 上級ポーション:外傷・内傷・疲労に効果大。
「上級……?」
賢者の蔵書によれば、この世界のポーションは、治癒の恩寵を持つ薬師が何日もかけて作るものだという。
上級ともなれば、城下の家一軒分の値がつくこともあるらしい。
それを助手くんはヨモギを噛んで十秒で作った。
助手くんが褒めてとばかりにこちらに先端を差し出してくる。
「……すごいなあ、助手くんは」
撫でてやると、ぶんぶんと揺れた。
◆◆◆
ポーションを作ったあとには、緑がかった搾りかすが残った。
捨てるのはもったいない。
手に取ってほぐしてみると、ふわふわとした繊維になる。
ぼくはその手触りに覚えがあった。
「これ、もぐさになるな」
干して揉んでふるいにかける。
何度か繰り返すと、きめの細かい、金色がかった最上級のもぐさができあがった。
鑑定すると『特級もぐさ』と出た。
ついでに庵の道具箱の底で細い銀色の棒の束を見つけていた。
鑑定によればミスリルという、この世界で最も優れた金属のひとつらしい。
助手くんに頼むと、先端で一本ずつ丁寧に研ぎ上げて、髪の毛ほどの細さの鍼にしてくれた。
特級もぐさにミスリルの鍼。
それに上級ポーション。
治療家の道具が揃ってしまった。
となれば、試したくなるのが人情だ。
ぼくは自分の左膝を見下ろした。
高校の県大会で痛めた、内側の靭帯の古傷。
十年若返っても、この傷だけはそのままだった。
雨の日はまだ少しうずく。
「自分で実験台になるのは、治療家の基本ですからね」
膝のまわりにポーションを薄く塗る。
血海、足三里、膝眼。
いつものツボにミスリルの鍼をすっと打つ。
抵抗がまるでない。
鍼の頭に特級もぐさをひとつまみ載せて火をつける。
じわ、と温かさが膝の奥へ沈んでいった。
その瞬間だった。
膝の上に淡い緑の光の線が走った。
円と直線と、見たことのない文字。
それらが幾重にも重なって、ぼくの膝を中心にくるくると回りはじめる。
――魔法陣、だった。
ふわん、ふわん、ふわん……。
膝の奥の十年来の鈍い痛みが、すうっと溶けていく。
光が消えたあと、そっと膝を曲げ伸ばししてみた。
何の引っかかりもない。
痛みも違和感もきれいさっぱり消えていた。
――ピローン。
【カルテ】 左膝内側側副靭帯の古傷:完治
「……」
ぼくは自分の膝と、ミスリルの鍼と、燃え尽きたもぐさを順番に見た。
ぼくに魔法は使えない。
そのはずだ。
「……なにこれ、怖」
助手くんが隣で首をかしげるようにくにゃりと曲がった。
◆◆◆
その夜、寝台に横になって、天井の梁を眺めた。
世界最高の手がある。
最高の薬がある。
最高の道具がある。
前の世界のぼくが見たら、泣いて喜ぶような環境だ。
ただ、ひとつだけ足りないものがあった。
患者さんがいない。
「……ひまだ」
助手くんがぽんとぼくの胸を叩いた。
明日は少し足をのばして、森の外れの街道のほうまでヨモギを摘みに行ってみようか。
◆◆◆
『名も無き異形の神の祠に、供物が絶えなくなった』
『白膠木は暇を持て余している』
【今日の「手」】手持ち無沙汰:することがなくて、手が空いて退屈なこと。
【治療家メモ】もぐさは、ヨモギの葉の裏にある白い綿毛を集めて精製したものです。精製するほど淡い黄金色になり、火のあたりが柔らかくなります。作中の「金色がかった最上級」はそこから来ています。
手持ち無沙汰の一徹は、自分の膝の古傷を治しました。治療家のさがです。
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