第29話 お手並み拝見
治療院が開いて、ひと月が過ぎた。
初夏の朝の広場に、今日も百人を超える人が並んでいる。
「腕を前から上げて、触手の運動~」
荷役の親方のブルーノさんの号令で、百人が一斉にくねくねと体を揺らす。
ぼくの背中では、助手くんが誰よりも楽しそうに回っていた。
穏やかな朝だった。
少なくとも、侯爵家の使いが広場に駆け込んでくるまでは。
「イッテツ殿! 閣下がお呼びです。王都の審問官殿が着かれました」
近衛のステファノさんが、肩で息をしていた。
体操の列がぴたりと止まる。
百人分のくねくねが、途中で固まった。
「……あー。来ましたか」
ぼくは腕を下ろして首の後ろを掻いた。
◆◆◆
侯爵閣下の館の広間で、見慣れない二人が待っていた。
一人は中年の神官だった。
白髪の混じった短い髪に、四角い顎。
旅の埃をかぶった法衣の腰には、天秤の紋を刻んだ戦槌を提げている。
神官というより歴戦の騎士に見えた。
もう一人は若い娘さんだった。
十八か、そのくらいだろうか。
白い法衣に、肩で切りそろえた淡い金の髪。
背は小さく、年よりずっと幼く見える。
何より目を引いたのは、その瞳だった。
薄い灰色の奥で、細い金の輪がいくつも重なって回っている。
まるでぼくの奥の奥まで覗きこもうとしているように。
「王都大聖堂より参った。異端審問官アンセルモである」
神官が低い声で名乗った。
「こちらは神眼の聖女ルチア様。真偽の目と神託の加護をお持ちだ。そなたの言葉の真偽は、すべてこの方が検める」
「ルチアと申します。よろしくお願いいたします」
ルチアさんがぺこりと頭を下げた。
聖女様というより、行儀のいい女学生のお辞儀だった。
「イッテツ・ヌルデです。治療家をしています」
「……真、です」
ルチアさんが小さく言った。
名乗っただけで判定された。
なるほど、そういう仕組みらしい。
上座の閣下が腕を組んで唸った。
「アンセルモ殿。この者は我が孫の命の恩人だ。下町の民も、旧都の誰もがこの者に救われておる。審問など――」
「閣下。それを検めに参ったのです」
アンセルモさんは閣下の言葉を静かに遮った。
それから、ぼくに向き直った。
首は回さない。
腰から上を、体ごとこちらへ向けた。
……ん?
左の首筋が板のように固まっている。
腰も右にわずかに傾いていた。
長旅のせいだろう。
あれは相当痛いはずだ。
◆◆◆
「では、問う」
アンセルモさんが羊皮紙を広げた。
「そなたは異形の神を祀っているか」
「祀ってます。毎朝お供えしてます」
「……真です」
アンセルモさんの眉がぴくりと動いた。
隠すとでも思っていたのだろう。
「加護なき身で奇跡を為しているか」
「奇跡じゃありません。手当てです」
「……真、です」
ルチアさんが少し困ったように付け足した。
「ご本人は、本気でそう思っておられます」
「本気なのか」
「本気です」
アンセルモさんはこめかみを押さえた。
「……では、その背の異形を見せよ」
広間の空気がぴんと張りつめた。
閣下の後ろで、ステファノさんが剣の柄に手をかけている。
ぼくは上着を脱いだ。
背中から、助手くんがにゅるりと顔を出す。
広間をぐるりと見回して、先端をふりふりと振った。
どうやら挨拶のつもりらしい。
「……っ」
アンセルモさんが戦槌の柄を握りしめた。
ルチアさんは瞬きもせずに助手くんを見つめている。
金の輪がくるくると速く回った。
「……悪しきものには、見えません」
ぽつりとルチアさんが言った。
「この子は、ただ嬉しそうです」
助手くんが照れたようにくねった。
◆◆◆
「言葉だけでは審問は終わらぬ」
アンセルモさんは羊皮紙を巻き戻した。
「真偽の目は言葉を検める。だが行いは検めぬ。よって本日より、我らはそなたの治療院に留まり、その行いのすべてを検分する」
「留まる、とは」
閣下が身を乗り出した。
「朝から晩までです。施術も薬も祈りも。この者の手が何をするのか、この目で見届けます」
広間がしんとなった。
閣下がぼくを見た。
壁際のイネスさんも、ぼくを見ていた。
いつもの無表情の奥に、心配そうな色がのぞいている。
ぼくは上着を羽織り直した。
「どうぞ、ご自由に」
「……よいのか」
「見られて困ることはしてませんから。ただ、うちは患者さんが多いので、待合の隅でお願いします」
ルチアさんの金の輪が、またくるりと回った。
「……真です」
アンセルモさんが深いため息をついた。
◆◆◆
館からの帰り道、イネスさんが隣に並んだ。
「よろしかったのですか」
「何がです?」
「あの方々を治療院に入れることです。異端審問官は、異端と断じる権限を持っています」
「でも、見に来たって言ってましたから」
ぼくは背中の助手くんを撫でた。
「見てもらえば、わかってもらえることもあると思うんです」
イネスさんは少し黙ってから、小さく息をついた。
「……イッテツ様は、そういう方でしたね」
そう言ったイネスさんの口元は、ほんの少しだけゆるんでいた。
◆◆◆
治療院に戻ると、下町の皆が待ち構えていた。
ブルーノさんが腕を組んで門の前に立っている。
その横に、酒場の女将のリリアさん。
娼館の女主人のヴィオレッタさんと、お姉さんたち。
川船の船長のゴンサロさんと、船衆まで。
「……先生。そいつらが王都の審問官かい」
ブルーノさんの声は、地の底から響くようだった。
「はい。今日からしばらく、うちにいらっしゃいます」
「なんだって!?」
リリアさんが、ぼくとアンセルモさんを交互に睨んだ。
「先生に指一本でも触れてごらん。うちの店の敷居は二度と跨がせないよ」
「わたくしどもは、ただ見るだけです」
ルチアさんが真剣な顔で答えた。
それから、リリアさんの顔をじっと見つめた。
「……あなたは本当に、ヌルデ様のことを大事に思っておられるのですね」
「な……っ」
リリアさんが言葉に詰まった。
お姉さんたちがくすくすと笑う。
ブルーノさんの腕組みが、ほんの少しだけゆるんだ。
◆◆◆
その日、アンセルモさんは本当に待合の隅に一日中座っていた。
背筋を伸ばし、帳面を膝に載せて、ぼくの手元から一度も目を離さない。
ぎっくり腰の人足。
手首を痛めた洗濯女。
熱を出した子ども。
ぼくが鍼を打つたびに、アンセルモさんの筆が走った。
魔法陣が浮かぶたびに、その筆が止まった。
「今の魔法陣は何だ」
「いや、ぼくにもわからんです」
「……真です」
「真なのか……」
昼過ぎ、アンセルモさんが帳面から顔を上げた。
「治療料は」
「銅貨三枚です」
「……三枚?」
「ぼくのは、ただの手当てですから」
アンセルモさんは、庭の社の前に据えた賽銭箱を指さした。
「では、あれは何だ。異形の神への貢ぎか」
「払えない患者さんの治療費と、お供えのお代になります。余った分は皆で回してます」
「……真です」
アンセルモさんは黙って賽銭箱を見ていた。
教会の治癒料は金貨五枚からだ。
庶民のひと月分にあたる。
アンセルモさんの筆は、珍しく長いこと止まっていた。
ルチアさんは、ずっときょろきょろしていた。
薬草の棚。
もぐさの小屋。
助手くんがポーションを作る部屋。
にっちゅにっちゅ。
にっちゅにっちゅにっちゅ。
――ポキューン!
「今の音は何ですか!?」
「わかりません」
「……ほ、本当にわからないのですね」
ルチアさんの目が、なぜかきらきらしていた。
◆◆◆
夕方、最後の患者さんを見送った。
アンセルモさんが帳面を閉じて立ち上がる。
その拍子に顔をしかめた。
左の首と右の腰。
やっぱり相当きているらしい。
「アンセルモさん。首と腰、痛みませんか」
「痛まぬ」
即答だった。
ぼくはルチアさんを見た。
真偽の目を持つ聖女様なら、今のを見抜けるはずだ。
けれどルチアさんは何も言わなかった。
金の輪の浮かぶ目を、そっと伏せただけだった。
……ふむ。
「そうですか。気が向いたら、いつでもどうぞ」
「向かぬ」
アンセルモさんは体ごと向きを変えて、ぎこちなく門を出ていった。
◆◆◆
ルチアさんだけが、少しのあいだ庭に残っていた。
小さな社の前に立って、中の分霊をじっと見つめている。
助手くんが彫った、まんまるのひとつ目の神様。
「ルチア様。宿へ戻られないと、アンセルモさんが心配しますよ」
「……はい」
ルチアさんは社から目を離さないまま言った。
「ヌルデ様。この方は、とても遠くを見ておられる目をしています」
「遠く、ですか」
「わたくしにも、よくわかりません。ただ……そう見えました」
ルチアさんはぺこりと頭を下げて、小走りに門を出ていった。
社の中で、分霊のひとつ目が夕日を受けてきらりと光った。
ぼくは首をかしげた。
背中で、助手くんも同じように首をかしげていた。
◆◆◆
『神眼の聖女は白膠木を見た』
【今日の「手」】お手並み拝見:相手の腕前を、まずは見せてもらおう、という言葉です。
【治療家メモ】日本の調査では、自覚症状の第1位は、女性が肩こり、男性が腰痛です。肩と腰は、それだけ頑張っている場所なんです。
第二部、王都へ続く物語の幕開けです。審問官のお二人、お手並み拝見。
第二部からお読みの方も、ここまでお付き合いの方も、ありがとうございます。もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、ページ下部の【ブックマーク追加】や【★★★★★(評価)】をポチッと押していただけると、執筆の大きな励みになります。




