第27話 手を尽くす
戦いが終わっても、ぼくの仕事は終わらなかった。
むしろ、ここからが本番だった。
城壁の外から、地上の戦いを終えた兵士たちが、戸板に乗せられて運び込まれてくる。
魔獣の牙に裂かれた腕。
角に貫かれた腹。
踏み潰された脚。
燃えた街からは火傷を負った人たち。
崩れた家の下から掘り出された人たち。
救護所はあっという間に溢れ返った。
ぼくは背中から触手を伸ばした。
ぶわっ。
百本。
今のぼくにはそれができた。
体の、どこからでも。
腕からも。
脚からも。
指の先からも。
「……よし。おっぱじめますか」
◆◆◆
救護所の床を埋め尽くした怪我人ひとりひとりに、触手が一本ずつ、伸びていく。
ぬるぅ、ぺたぺた、じゅわわ、ぷちぷち、ぺりぺりぃ。
ずぶ、ぐちゅぐちゅ、みちみち、ごきんっ、きゅっ。
ちくちく、しゅしゅしゅ、ちょきん、ぴたっ。
つるる、くぷくぷ、ぬりぬり、しゅぽんっ。
ちゅぽん。
すぽーん。
きゅぽっ。
ぽんっ。
「……治りました。治りました! 治りました!! 治りました!!!」
入り口でガレスさんが右腕を吊った格好で壁にもたれていた。
大盾ごと、大猪の突進を受け止めたのだという。
腕の骨が三か所で折れていた。
「……俺も頼めるか」
「もちろん」
しゅるり。
ぎゅううう。
みしみしっ。
ごきんっ。
ぽきゅっ。
「……なんか、いつもより可愛い音がしたな?」
「気のせいです」
ミレイユさんは弓を引きすぎて、指の皮がずる剥けになっていた。
ノーラさんは魔力を使い果たして、真っ青な顔で座り込んでいた。
ティオさんは全身、擦り傷だらけだった。
「ついでに全員まとめて」
しゅるしゅるしゅるっ。
ぬりぬりぬり。
ふわん。
「……治りました」
ヴァレンティ老は槍を杖にして、救護所に入ってきた。
「若い者を先に診てやれ。わしは腰がちいとな」
三十年ぶりに槍を振るったのだ。
腰が悲鳴を上げていた。
ふわん。
「……おお。おお、これは。また明日も槍が振れそうだ」
「明日は休んでくださいよ?」
◆◆◆
救護所の中だけでは、足りなかった。
街中に怪我人がいた。
動けずに瓦礫のそばで家の軒下で助けを待っている人たちが。
ぼくは分体を切り離した。
ぷつん。
ぷつん。
ぷつん。
ぷつん。
ひとつ。
十。
百。
拳ほどの大きさの分体が、救護所の窓から、扉から、屋根の隙間から、ぴょこぴょこと跳ねて、街へ散っていく。
それぞれが助手くん謹製の、ぬるぬるのドロドロをたっぷりと抱えて。
旧都オーフェンの外周の、あちこちで。
瓦礫のそばにうずくまっていた老人の足元に分体がぴょこんと現れる。
「ひいっ!? な、なんじゃ、こいつは!?」
分体は老人の擦りむいた膝にぬるぬるのドロドロをぺたりと塗りつけた。
ぬりぬり。
ふわん。
それからぺこりとお辞儀をして、次の怪我人を探して、ぴょこぴょこと去っていった。
「……今のはなんだったんじゃ」
膝の傷はきれいに消えていた。
家の軒下で火傷した腕を抱えて泣いていた娘のもとにも。
崩れた塀の陰で、脚を挫いて動けなかった人足のもとにも。
燃えた船の上で、銛を握ったまま座り込んでいたゴンサロさんのもとにも。
ぴょこん。
ぬりぬり。
ふわん。
ぺこり。
ぴょこん。
ぬりぬり。
ふわん。
ぺこり。
「……おう、先生の使いか。ご苦労さん」
ゴンサロさんが分体の頭をごつい指で撫でた。
分体は嬉しそうにぷるぷると震えた。
中には怪我をしていない人にまでぬるぬるのドロドロを塗っていく分体もいた。
「ちょ、ちょっと! あたしは怪我してないってば!」
「……でもなんか、肌がつやつやになったわ」
「腰の痛みが消えたぞ」
「長年の痔が……」
妙手回春、という言葉がある。
腕のいい医者は病を治し、春を取り戻させる。
その日、旧都オーフェンの外周にひと足早い春が来た。
◆◆◆
三日目の朝。
ようやく、救護所が静かになった。
ぼくは施術台の上にぐったりと座り込んでいた。
三日三晩、一睡もしていなかった。
それでも体はちっとも疲れていなかった。
疲れていないことに少しだけ、疲れた。
「イッテツ様。お茶を」
イネスさんが湯気の立つ茶碗をそっと差し出してくれた。
「ありがとうございます」
受け取ろうとして、手が触れた。
イネスさんの右手が、ほんのりと、温かかった。
「……イネスさん。あの光、まだ、出ますか」
イネスさんは少し考えてから自分の右手をぼくの肩に当てた。
ふわん。
小さな、緑の魔法陣が浮かんで消えた。
「……出ますね」
「出ますね」
肩が少しだけ、軽くなった。
イネスさんは何も言わずに手を引っ込めた。
耳がまた、少しだけ赤かった。
◆◆◆
その日の昼、知らせが来た。
司教グレゴリオが捕らえられた、と。
侯爵閣下の手の者が、教会の司教館へ踏み込んだのだ。
机の引き出しの奥の呪具。
帳面。
刺客三人の証言。
それに溢れ出しのさなかに外周の民を見捨てよと命じたという神殿騎士たちの証言が、加わった。
騎士たちの多くが自分から証言を申し出たのだという。
司教は王都の大聖堂から裁きの使いが来るまで教会の地下の一室に閉じ込められることになった。
かつて、押収した呪具を封じていた、第三蔵の隣の部屋だった。
◆◆◆
夕方、救護所に痩せた神官が訪ねてきた。
司祭ヴァレリオだった。
法衣は煤と血で汚れていた。
外周で三日間、怪我人の手当てを続けていたのだという。
ヴァレリオさんはぼくの前で深々と頭を下げた。
「……あなたを、詐欺師と呼んだ」
声がかすれていた。
「あなたが祀る神を邪神と呼び、あなたの施術所を閉ざそうとした。あなたを慕う下町の人々を、異端と呼んだ。……申し訳、ございませんでした」
「顔を上げてください」
ぼくは言った。
「ヴァレリオさんも、三日間、手当てをしてくれていたんでしょう」
「……わたくしには、加護がございます。けれど、加護があっても、何もできなかった。あなたの、小さな癒し手たちのほうが、よほど多くの命を救った」
ヴァレリオさんは顔を上げた。
「司教がいなくなった今、王都から新しい方が来られるまで、わたくしが旧都の教会をお預かりすることになりました」
それからほんの少しだけ、口の端を上げた。
初めて見る、この人の笑顔だった。
「明日から教会の門をすべての人に開きます。お代は銅貨数枚で。……払えない方の分は、お賽銭から」
「……それ、ぼくの真似じゃないですか」
「はい。真似をさせていただきます」
ヴァレリオさんはもう一度、深々と頭を下げた。
◆◆◆
サイラスさんは救護所には来なかった。
ただ、その夜、施術所の神棚の前に小さな包みが置かれていた。
中には銀貨が三枚と、一枚の紙きれ。
『膝の礼だ。侯爵閣下の下で裏の仕事を続けることになった。今度は天秤の釣り合いをちゃんと守る』
端に小さな天秤の印が押してあった。
ぼくは銀貨を賽銭箱に入れた。
ちゃりん。
ちゃりん。
ちゃりん。
銅貨とは少しだけ違う音がした。
◆◆◆
五日目。
侯爵城の、執務室。
閣下は机の上に図面を広げていた。
「ヌルデ殿。そなたに、屋敷を贈りたい」
内側の城壁の、侯爵城のすぐ近く。
広い庭のある、立派な屋敷の図面だった。
「治療院もそこに建てよう。腕のいい職人を集めて、旧都いちばんの治療院を。患者は内側の貴族も外周の民も誰でも通えるように門を開いておく。どうだ」
ありがたい話だった。
けれど。
「……閣下。お気持ちは本当に嬉しいです」
ぼくは頭を下げた。
「でもぼくの患者さんは下町にいますから」
閣下はしばらく、ぽかんとしていた。
それから腹を抱えて、大笑いした。
「わっはっはっは! 断られた! わしの屋敷が下町に負けた! わっはっはっはっは!」
笑いながら閣下はまた、泣いていた。
この人は本当によく泣く。
「ならば、下町に建てよう。それなら、断れまい?」
◆◆◆
治療院は焼け跡に建てることになった。
あの大火事の夜に、焼け落ちた長屋の跡地だった。
ハンスさんが子どもを助けるために火の中に飛び込んだ場所だ。
侯爵家が土地と、後ろ盾を出してくれた。
それから下町の皆が手を出してくれた。
ブルーノさんたち人足が、川港から木材を担いでくる。
ゴンサロさんが船で遠くの山の良い木を運んでくる。
ロドリゴさんが商会の倉庫から釘も瓦も漆喰もありったけ出してくる。
「代金は肩こりの定期枠で払っていただければ」
「会頭、それは一生分の定期枠になりますよ」
「望むところですな」
ヴィオレッタさんのお姉さんたちが、治療院の窓に掛ける布を縫ってくれる。
リリアさんが、職人たちに毎晩、酒を振る舞ってくれる。
そして棟上げの日。
翡翠亭のゲンジさんが、黙って、大きな桶いっぱいの握り飯を運んできてくれた。
「……棟上げには握り飯だ。東の国の、決まりでな」
ひとつ、手に取った。
塩の効いた米。
真ん中に、漬けた青菜。
前の世界の、味だった。
◆◆◆
『旧都オーフェンの住民が白膠木に感謝した』
【今日の「手」】手を尽くす:できるかぎりの方法を、すべて試すこと。
【治療家メモ】弓や道具の使いすぎでできた水ぶくれは、むやみに潰さないほうが、ばい菌が入りにくく治りがきれいです。
戦いのあとこそ、治療家の本番です。そして、天秤の印の押された一通の書状。
第一部も残りわずか。【ブックマーク】で、最終話をお待ちいただけると嬉しいです。




