8.いよいよ今日から専属
——そして翌朝
私はいつもより少し早く目が覚めた。
正確に言えば、何度も目が覚めた。
眠れなかったわけではない、ただ目を覚ますたびに、
(今日から)
と思ってしまったのだ。
今日から私は、アリシア様付きの侍女になる。
身支度を整え、鏡の前でもう一度制服を確認する。
襟元、問題なし。
髪、問題なし。
エプロン、問題なし。
「……よし」
小さく呟いて、私は部屋を出た。
———
「本日よりアリシア様付きとなりました、メアリと申します」
頭を下げる。
「誠心誠意、お仕えいたします」
「……そう」
アリシア様はいつものように淡々と答えた。
「よろしく」
「はい」
顔を上げる。
銀色の髪、紫色の瞳。
相変わらず今日もお美しい。
そして予想以上に
(…近い!)
これまでもアリシア様のお部屋へ仕事で入ることはあった。紅茶をお持ちしたこともある。
けれど、今日からは違う。
私はアリシア様付きの、専属侍女なのだ。
朝の支度から、一日の予定の確認、お茶の用意、外出時のお供まで。
必要があれば、ずっとお側にいる。
(ずっと)
いけない、仕事中だわ。
私はそっと息を整えた。
「本日のご予定ですが、午前中は家庭教師の先生がお見えになります。その後は昼食を挟みまして——」
いつも通り。
いつも通りに仕事をする。
それでいい。
アリシア様の邪魔をしてはいけない。
推しのお側で働けるからこそ、完璧な侍女でなければ。
そう自分に言い聞かせた。
———
午前中、アリシア様が家庭教師の授業を受けている間、私は少し離れた場所で控えていた。
机の上には何冊もの本とノート。
先生の説明を聞きながら、アリシア様は黙々とペンを走らせている。
一つ質問されれば答え、間違えればすぐに書き直す。
休憩を勧められても、
「この頁まで終わらせます」
と、そのまま続けた。
私は静かにその姿を見守る。
(今日も努力されています)
できることなら今すぐ日記へ書きたい。
朝からもうすでに三つほど書きたいことがある。
しかし今は仕事中だ、我慢!
その時、廊下から足音が聞こえた。
顔を向けると、開いた扉の向こうを伯爵夫人が通りかかるところだった。
目が合ったので、私は静かに頭を下げる。
伯爵夫人は軽く頷いた。
そのまま通り過ぎるのかと思ったけれどなぜか少しだけ足を止めた。
そして視線が、私からアリシア様へ移る。
けれど声を掛けることはなく、そのまま歩いていった。
———
昼食のあとアリシア様は庭へ出た。
私は少し後ろを歩く。
庭では数人の使用人が作業をしていた。
そのうちの一人が、大きな植木鉢を抱えて運んでいる。
アリシア様が足を止めた。
「それ、一人で運んでいるの?」
使用人が慌てて振り返る。
「はい。これくらいでしたら」
「落として怪我でもしたら余計に時間がかかるでしょう」
少しきつい口調だった。
「誰か呼びなさい」
「……はい」
「それから」
アリシア様は植木鉢を見る。
「その花、日陰へ移すのではなかった?」
「え?」
使用人が目を丸くする。
「昨日、庭師がそう話していたでしょう」
「あ……はい!」
「なら早くなさい」
「ありがとうございます、アリシア様」
使用人が頭を下げる。
アリシア様は軽く頷くと、何も答えずそのまま歩き出した。
私は後ろをついていく。
(覚えていらっしゃった)
昨日、庭師がほんの少し話していたことをご自分の仕事でもないのに…。
そして、使用人が一人で重い物を運んでいることにも気付いた。
(やはりアリシア様は——)
素晴らしい。
その時また視線を感じた。
少し離れた場所に伯爵夫人が立っていた。
私たちを見ている。
また目が合ったので、私は頭を下げる。
伯爵夫人は何も言わなかった。
ただ、今度はすぐには立ち去らず、アリシア様の後ろ姿を、しばらく見つめていた。
———
午後、アリシア様のお部屋へ戻ると、私はお茶の準備をした。
「メアリ」
「はい」
「あなた、昨日までここにいなかったわよね」
「はい。本日よりアリシア様付きとなりました」
「そうよね」
アリシア様はカップを手に取る。
一口飲んで。
「……これ」
私は一瞬身構えた。
「はい」
「いつものより好きだわ」
「……!」
顔に出してはいけない。
「ありがとうございます」
平静に。
平静に。
私頑張って、今は仕事中よ。
冷静沈着な侍女よ。
「では、今後はこちらをご用意いたします」
「ええ」
それだけだった。
それだけだったけど
(好き!)
(今、好きとおっしゃった!)
もちろん紅茶の話だ。
そんなことは分かっている。
分かっているけれど。
(私がお淹れした紅茶を)
(好きだと)
胸の奥がじわじわと温かくなる。
これは絶対に日記へ書こう。
二行、いや、三行使ってもいいかもしれない。
「メアリ」
「はい」
「……何かいいことでもあった?」
「え?」
アリシア様がこちらを見ていた。
「なんだか嬉しそうだから」
私は思わず頬へ手を当てる。
昨日も同じことをした気がする。
そんなに顔へ出ているのだろうか。
「……はい」
少し迷ってから答えた。
「紅茶をお褒めいただけて嬉しゅうございました」
「そう」
アリシア様はそれ以上聞かなかった。
ただ、ほんの少しだけ口元が柔らかくなったように見えた。
(……)
日記、四行にしよう。
———
夕方廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「メアリ」
振り返ると伯爵夫人だった。
「奥様」
私は頭を下げる。
伯爵夫人はしばらく私を見つめていた。
どこか考えるような顔をしている。
「今日一日、アリシア付きだったのよね」
「はい」
「どうだった?」
「どう、と申しますと」
「……そうね」
伯爵夫人は少し考えた。
そして、なぜか小さく笑った。
「あなたに聞くまでもなかったわね」
「?」
「今日、何度かあなたたちを見かけたの」
私は目を瞬く。
伯爵夫人は窓の外へ視線を向けた。
「アリシアがあんなに周りを見ているなんて、知らなかった」
ぽつりと呟く。
「昔から、不器用な子ではあったけれど」
そこで言葉を止める。
しばらくして、伯爵夫人はこちらを向いた。
「メアリ」
「はい」
「明日の午後、少し時間をもらえるかしら」
「もちろんでございます」
「聞いてみたいの」
伯爵夫人は微笑んだ。
「あなたには、アリシアがどんなふうに見えているのか」
私は一瞬、言葉を失った。
私に…アリシア様について?
聞きたい…?
(……)
それは…つまり…!!
アリシア様の魅力を、語ってもいいということだろうか!?
「……かしこまりました」
私は静かに頭を下げた。
けれど顔を上げた私を見て、伯爵夫人は少しだけ目を丸くした。
そして、ふっと笑う。
「そんなに嬉しいの?」
「……はい」
今度は迷わなかった。
「嬉しいです」




