16.もしかしたら可愛いのでは?
——翌日の午後
レオンは一冊の本を抱え、廊下を歩いていた。
手にしているのは、以前アリシアが探してくれていた歴史の入門書だった。
何度か読み返したが、分かりやすくて、面白かった。
そして何より、これを姉が自分のために選んでくれたのだと思うと、少しだけ特別に思えた。
お礼を言いたい…けれどいざ本人へ言おうと思うと、なかなか足が進まない。
(何て言えばいいんだろう)
ありがとうございます、たったそれだけのはずなのに。
アリシアの部屋の前まで来て、レオンは一度立ち止まった。少し迷ってから扉を叩く。
「姉様」
中から声がした。
「どうぞ」
扉を開けると、アリシアは窓辺の机で何かを書いていた。
顔を上げる。
「どうしたの?」
「少し……いいですか?」
「ええ」
レオンは部屋へ入り、本を抱え直した。
アリシアの視線がその本へ向く。
「それ」
「あ」
気付かれた。
レオンは小さく息を吸った。
「この本」
「……ええ」
「姉様が探してくれたんですよね」
アリシアの手が一瞬止まる。
けれどすぐに、
「別に」
と、いつものように答えた。
「あなたが探していると聞いたから、たまたま見つけただけよ」
以前のレオンならきっとそこで、
(やっぱりどうでもいいんだ)
と思っていたかもしれない。けれど今は少し違って見えた。
アリシアは、こちらを見ていない。
机の上へ視線を落としている。
でも耳がほんの少し赤い。
レオンは目を瞬いた。
「……姉様」
「なに?」
「ありがとうございました」
アリシアの指先が、また止まる。
「とても読みやすかったです」
「そう」
「面白かったし」
「……そう」
返事は短いし相変わらず、そっけない。
でもほんの少しだけ口元が緩んだように見えた。
レオンは思わず、じっと姉を見る。
「何?」
「いえ」
「さっきから何なの」
「姉様」
「なに?」
「今、ちょっと嬉しかったですよね?」
アリシアが顔を上げた。
「……は?」
「いや、その」
レオンは慌てて首を振る。
「何でもないです」
「そう」
アリシアは少し不機嫌そうに見えた。
けれど今のレオンには分かる。
本当に不機嫌なのではない。
たぶん照れているだけだ、そう思った瞬間
(……あれ)
胸の奥が、少しくすぐったくなる。
今までずっと姉は怖い人だと思っていた。
何を考えているのか分からなくて近寄りがたくて、自分のことなんてどうでもいいのだと。
でもちゃんと見れば、耳が赤くなったり、口元が少し緩んだりと意外に分かりやすい。
(姉様って)
そこでレオンは、ふと思った。
(もしかして、ちょっと可愛い…?)
本人に言えば、絶対怒る。
それは分かる。
けれど一度そう思ってしまうと、もう前のようには見えなかった。
「何を笑っているの?」
「笑ってません」
「笑ってるでしょう」
「姉様の気のせいです」
「……生意気ね」
「すみません」
謝りながらも、レオンの口元は緩んだままだった。
それからもう一つ、言おうと思っていたことを思い出す。
「この前、僕が熱を出した時」
アリシアの表情が少し変わった。
「何度も様子を聞いてくれてたんですよね」
「誰に聞いたの」
「メアリです」
一瞬アリシアが目を細める。
「……余計なことを」
「あと、リンゴのコンポートも」
「……」
「ありがとうございました」
アリシアは黙った。
長い沈黙にレオンは少しだけ不安になる。
けれどやがて、アリシアが小さく息を吐いた。
「別に」
また、それだった。
「あなたが熱を出していたから、頼んだだけよ」
レオンは思わず笑った。
「はい」
「何?」
「何でもないです」
「さっきから本当に何なの」
「姉様って、分かりにくいですね」
「レオン」
少し低い声で威圧的だったが、もう怖くない。
いや、むしろ
(こんなに分かりにくかったらそりゃ誤解されるよ)
と、少し心配になる。
「でも」
レオンは本を抱え直す。
「前より、分かるようになった気がします」
アリシアが目を瞬く。
「……何が?」
「姉様のこと」
「……」
また黙った。
今度は耳だけではなく、頬まで少し赤くなったように見え、レオンは確信した。
(やっぱり)
(姉様は可愛い)
なんだか急に、今まで距離を取っていた時間がもったいなく思えてくる。
「姉様」
「今度は何?」
「また、おすすめの本があったら教えてください」
アリシアは少し驚いたような顔をした。
「……考えておくわ」
「はい!」
思わず声が弾んだ。
アリシアが少し眉を寄せる。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわ」
「すみません」
でも嬉しい。
「それと」
「まだあるの?」
「今度、姉様が庭へ行く時、僕も一緒に行っていいですか?」
「……なぜ?」
「一緒に行きたいからです」
アリシアが黙った。
レオンは待つ。
「……好きにしなさい」
「はい!」
また声が大きくなった。
アリシアが額へ手を当てる。
「本当に返事だけはいいのね」
「ありがとうございます、姉様」
「まだ許可しただけでしょう」
「はい!」
「……もういいわ」
呆れたような声だったけれど、ほんの少し笑っているようにも見えた。
レオンはその顔を見て、ますます嬉しくなる。
(姉様)
(ちゃんと見れば、こんなに分かるんだ)
そして
(これからは、もっと見よう)
そう思った。
今まで知らなかった姉のことをもっと知りたい。
もっと話したいしそれに、こんなに分かりにくい人なのだからまた誰かに誤解されることもあるかもしれない。
(その時は僕が姉様の良さを教えてあげるんだ!)
レオンはそんなことを考えながら部屋を出た。
数歩歩いてまた少しだけ笑う。
明日姉が庭へ行くなら今度は自分から、ついて行こうと思った。




