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永久保存性理論  作者: 平木明日香
第一章 存在差、及び生と死の区分
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第八節 情報の不変性と、二つ目のサイコロを持たない現在


■ 第八節 情報の不変性と、二つ目のサイコロを持たない現在



 純粋な情報が保存されるとは、何らかの記録媒体に同じ記号が残されることでも、過去の内容を後から完全に読み戻せることでもない。記録媒体は損傷し、記号の配列は変化し、情報を読み取る主体もまた時間の中で変化するため、保存を表現形式の固定と同一視すれば、情報は伝達または変換されるたびに別のものになったと判断せざるを得ない。純粋な情報保存において問われるべきなのは、ある時点において区別されていた二つの内容が、時間の進行後にも区別可能な関係を保っているか、それとも両者が一つの区別不能な内容へ圧縮され、どちらから来たのかを原理的に定められなくなるかという点である。情報の形式が変わっても、異なる入力が異なる全体的な出力へ対応し続けるならば、情報の区別は保存されている。異なる入力が完全に同一の出力へ押し込まれ、その違いを担う関係がどこにも残らないならば、情報は失われている。


 したがって、本節でいう情報とは、文章、数値、映像、記憶などの具体的内容に限定されず、あるものを別のものから区別できる最小の構造を意味する。情報量があるということは、少なくとも二つの区別可能な配置または変化があり、そのどちらであるかによって世界の記述が異なるということである。逆に、どのような違いを与えても結果が完全に同じであり、差を置く場所も読み取る関係もないならば、そこには情報がない。


 この純粋な情報の概念から選択を考えると、選択は、完成した複数の対象の中から一つを取り出す行為としてだけでは捉えられなくなる。選択とは、ある時点に含まれている区別可能な変化の幅が、一つの具体的な変換として決まることである。選択以前には、まだ完成した複数の未来が並んでいるわけではない。そこにあるのは、現在の情報構造が複数の方向へ変換されうるという非同一な関係である。実際の変換が成立したとき、その変換が一つの選択として確定する。


 選択の一意性とは、候補が一つしか存在しないことではない。ある一回の変換が成立したとき、その変換が同一の現在において二つの異なる完了結果として重複しないことを意味する。複数の可能な方向があったとしても、現在進行形において行われる具体的な変換は一回であり、その一回は、その時点に含まれていた情報全体を受け取った一つの出来事として成立する。


 この一意性を単純な決定論と同一視してはならない。未来の結果が事前に一つへ固定されていなくても、実際に成立した選択が一回的であることは可能である。重要なのは、結果を事前に知ることができるかではなく、結果が成立した後に、その結果が同じ現在から独立して二度成立したと見なされないことである。予測不能であっても、一回の選択は一回として確定できる。


 ここから、真に直線的な可能度がどこにあるのかという問いが生じる。可能度を未来の側に完成した候補として置けば、現在と未来の間には、まだ現実化していない複数の対象が並ぶことになる。しかし、完成していないものを完成した対象のように数えるならば、可能度は現在にあるのか、未来にあるのか、あるいは観測者の想定の中にあるのかが曖昧になる。


 真に直線的な可能度は、未来の結果そのものにはない。結果は、成立した時点ではすでに可能ではなく、現実に選択された内容となっている。また、過去の記録だけにあるのでもない。過去に選択できたという情報は、現在の選択能力そのものではない。直線的な可能度は、現在の情報構造が、区別可能性を失わずに次の変換へ接続できる関係の中にある。


 つまり、可能度とは、どの結果が何パーセントで起こるかという割合に先立って、現在の情報が少なくとも一つの変換を形成でき、その変換が現在までに含まれていた区別を無条件に消去しないという性質である。結果の数が多いことは、可能度が強いことを意味しない。多数の候補が想定できても、どれも現在の情報から連続して形成できなければ、それらは直線的な可能度ではない。反対に、接続可能な変換が一つしかなくても、その変換が現在の情報を次へ渡せるならば、最小の直線的可能度は保たれている。


 したがって、可能度の不変性も、同じ選択肢の一覧が永遠に残ることとして定義すべきではない。時間が進めば、選択できる内容は変化し、以前には可能であった行為ができなくなり、以前には不可能であった行為が可能になる。選択肢の内容が変わる以上、その一覧は不変ではない。それでも、情報から変換へ、変換から新たな情報へという対応が途切れず、区別可能性を完全な無区別へ落とさないならば、可能度の基礎形式は不変でありうる。


 可能度の不変性とは、可能な内容が不変であることではなく、情報が次の選択を形成できるという関係が、有限な時間のどこにも完全な空白を持たないことである。現在の情報は変化する。選択される内容も変化する。しかし、情報が変換可能性を持ち、変換が新しい情報を生むという循環しない直線的関係は、変化の内部で保存される。


 ここでいう直線は、同じ内容を繰り返す線ではない。情報の区別が、変換ごとに異なる形式へ移されながら、一つの時間順序を形成する線である。直線上の各点は同じではなく、同じでないからこそ時間的な順序が成立する。それでも、前の点と次の点が完全に無関係ではないため、全体を一つの線として捉えることができる。


 可能度が不変であるためには、各時点の情報構造に、次へ移るための少なくとも一つの許容された変換が含まれていなければならない。ここで重要なのは、物体が空間的に動いているかどうかではない。静止している物体にも内部的な変化や周囲との関係があり、同じ位置を占めている間にも情報の配置は更新されうる。動けないということは、速度がゼロであることではなく、現在の情報から次の区別可能な情報へ移る変換が一つも存在しないことである。


 本節では、このような完全な変換不能領域を、動けない幅と呼ぶ。動けない幅は、一瞬の停止ではない。正の時間幅を持つにもかかわらず、その内部で情報が何も受け渡されず、選択可能性も更新されず、区別の生成も変換も起こらない領域である。もしそのような幅が世界の時間に含まれるならば、幅の前にあった情報と、幅の後に現れる情報を結ぶ関係は存在しない。幅の後に何かが現れたとしても、それは前から運ばれたものではなく、由来を持たずに出現したことになる。


 したがって、情報保存と動けない幅のなさは、一対一に対応しなければならない。情報が保存されているにもかかわらず、正の時間幅にわたって一切の変換が存在しないとすれば、保存された情報がその幅をどのように通過したのかを説明できない。反対に、動けない幅が存在しないとしても、変換のたびに情報が完全に初期化されるならば、単に変化が続いているだけで情報は保存されない。


 必要なのは、変換が途切れないことと、区別が消去されないことの両方である。前者だけならば、由来を持たないランダムな変化の連続になりうる。後者だけならば、変化を持たない固定された記録になる。純粋な情報保存は、区別を保ちながら変換し、変換しながら区別を保つことによって成立する。


 この二条件が一体であるならば、動けない幅の不在は、現在の非可分性へつながる。現在を、変換前の部分と変換後の部分という二つの独立領域へ切り分けた場合、その間に選択が行われる境界を置かなければならない。しかし、選択が純粋な情報変換であるならば、選択だけを現在から取り出し、無幅の境界へ閉じ込めることはできない。変換前の情報が変換に参加し、変換の成立が新しい情報を規定するため、選択は前後の外側にある第三の点ではなく、前から後へ移る関係そのものである。


 現在の非可分性とは、時計で測られる時間を細分できないという意味ではない。時間区間は数学的にはいくらでも分割できる。ここで分割できないのは、一回の情報変換を、互いに独立した二つの現在へ分けることである。選択前だけを完全な現在とし、選択後もまた別の完全な現在とし、その両者を結ぶものを何も置かなければ、情報の受け渡しは説明できない。選択の前後は区別できるが、それらは一つの変換関係から分離して独立には成立しない。


 したがって、非可分な現在とは、時間的な最小粒子ではなく、情報の受け渡しを壊さずに切り分けられない変換単位である。その長さは、すべての事象に共通する一定値である必要はない。単純な変換と複雑な変換では、必要となる時間幅が異なる可能性がある。重要なのは、その幅の内部に、情報が停止した空白を挿入できないことである。


 もし現在の途中に動けない幅があるならば、現在はその幅の前後へ実質的に二分される。前半の情報は後半へ直接届かず、後半は前半の選択を受け取らない。このとき、一つの現在に見えていたものは、実際には二つの独立した情報領域であったことになる。


 反対に、任意の細分において何らかの情報関係が保たれ、前の区別が次の変換条件へ参加しているならば、現在は解析上分割できても、情報論的には一つの変換単位として非可分である。現在の非可分性は、時間の長さではなく、情報関係の切断不能性によって定義される。


 この非可分な現在において、選択の一回性も成立する。一回の選択は、変換前の情報と変換後の情報を一つの関係へ結ぶため、同じ現在の内部に二回目の独立した選択を置くことができない。二回目の選択を行うためには、一回目によって変化した情報を新たな出発条件としなければならない。その時点で、二回目は一回目と同じ現在から始まるのではなく、一回目を含んだ新しい現在から始まっている。


 この構造を説明するために、二つ目のサイコロという比喩を用いることができる。ここでサイコロは、実際の確率装置を意味するのではなく、一つの現在に含まれた選択可能性が、一回の結果として具体化することを示す。一回目のサイコロが振られた後、同じ条件を完全に保ったまま、何の情報も増減させず、同じ一回目をもう一度振ることができるならば、二つ目のサイコロが存在することになる。


 しかし、最初の結果が一度成立した時点で、現在の情報は変化している。どの結果が出たかという区別だけでなく、サイコロが一度振られたという事実、振る前から振った後へ時間が進んだという順序、周囲との相互作用、二回目を行うための条件が新たに加わっている。そのため、次に同じサイコロを振ったとしても、それは一回目と同じ現在における二つ目の結果ではない。一回目を含んだ別の情報条件における、新たな一回である。


 真の意味で二つ目のサイコロが存在するためには、一回目の結果と、一回目が行われたという情報を完全に消去し、一回目以前と区別できない現在を再形成しなければならない。しかし、完全に同じ現在を再形成したと確認するためには、再形成が行われたという情報を保存しなければならず、その情報が残れば最初の現在とは同一ではない。確認情報まで消去すれば、同一性を確かめる方法が失われる。このため、情報保存を前提とする限り、同じ現在に対する純粋な二回目は構造的な矛盾を含む。


 二回目のサイコロがまだ存在していないという命題は、サイコロが一度しか振れないという意味ではない。何度でも試行を繰り返すことはできる。しかし、各試行は、それ以前の試行を含んだ異なる情報条件から始まるため、すべてがそれぞれの現在における一回目である。同じ装置、同じ確率分布、同じ手順を用いても、完全な情報位置は同じではない。


 したがって、一回性は試行回数の少なさによって成立するのではなく、各試行が情報の順序において交換不能であることによって成立する。第一試行と第二試行の結果を入れ替えても統計的な集計は同じになる場合があるが、時間的な情報列としては同じではない。どちらが先に起こり、先の結果が次の条件へどのような影響を与えたかという順序が異なるからである。


 純粋な選択の一意性は、この順序保存にある。選択内容が同じでも、それが置かれる情報順序が異なれば、同じ一回ではない。同じ目が二度続けて出ても、二つの結果は一個の結果が反復されたのではなく、異なる現在に属する二つの一回である。


 ここから、可能度の不変性をさらに厳密に定めることができる。可能度の不変性とは、一回目の選択後にも、同じ未選択状態を再現できることではない。そのような完全な巻き戻しは、情報保存と衝突する。可能度が不変であるとは、各選択によって情報条件が更新された後にも、その新しい現在が次の一回を形成する変換可能性を失わないことである。


 一回目以前の可能度と、一回目以後の可能度は、内容も幅も異なりうる。しかし、両者はともに、現在の情報から選択を形成できるという同じ形式を持つ。選択可能な対象が入れ替わっても、選択を生み出す能力そのものが完全なゼロへならない限り、可能度の形式的不変性は保たれる。


 この不変性は、選択肢の総数が一定であることを意味しない。一つしか選べない時点もあれば、多数の方向が開かれる時点もある。選択の自由度が狭まることもあれば広がることもある。重要なのは、どの有限時間にも、情報から何の区別可能な変換も形成できない動けない幅が出現しないことである。


 ただし、選択可能な方向が一つしかない場合に、それを選択と呼べるかという問題がある。意識的な選択という意味では、候補が一つしかなければ選択ではないように見える。しかし、純粋な情報論における選択は、複数候補の比較に限定されない。現在の情報が、ある一つの変換規則に従って次の情報へ移ることも、無変換と変換との差を確定する一回として扱うことができる。


 この意味での選択量は、候補の個数ではなく、現在の情報が次へ移る際に確定する区別の量である。候補が一つであっても、変換前と変換後が区別されるならば、一回の情報選択が成立している。反対に、候補が多数想定されても、それらが現在の情報と接続されていなければ、純粋な選択量はない。


 したがって、真に直線的な可能度は、候補集合の大きさではなく、現在の情報が区別を保ちながら次の情報へ対応づけられることにある。直線とは、候補を一本へ減らすことではなく、現在の区別を次の区別へ運ぶ対応関係である。


 情報保存をこの対応関係として捉えるならば、可能度の不変性は、異なる情報条件が時間の途中で理由なく同一化されないことを必要とする。二つの区別可能な条件が、ある有限時間後に完全に同じ情報へ変わり、どちらから来たのかを示す関係も失われるならば、一方または双方の選択履歴が消去されている。


 反対に、局所的な表現が同じになっても、全体的な相関や順序に違いが残るならば、情報は保存されている。二つの文章を同じ記号へ圧縮したとしても、復号に必要な鍵や圧縮規則が残っていれば、元の区別を回収できる可能性がある。鍵も規則も失われ、同じ記号だけが残るならば、区別は消えている。


 この原理を選択へ適用すると、選ばれなかった方向が、実行可能な候補として残り続ける必要はないことが分かる。重要なのは、どの選択可能性があり、どの一回が実際に確定したかという情報が、完全な無区別へ圧縮されないことである。選択肢は閉じてもよい。しかし、閉じたことが情報構造から失われ、最初から選択肢がなかった場合と区別できなくなるならば、選択情報は保存されていない。


 可能度の不変性は、閉じた可能性を再開できることではなく、可能性の開閉そのものが情報として次の選択条件へ組み込まれることである。選択可能性は形を変えるが、その変形が無記録の切断にならない。このとき、世界は可能度を同じ内容として保存するのではなく、可能度を更新する規則を保存している。


 この更新規則が有限時間のすべてにおいて働くならば、動けない幅は生じない。情報の各変化は、その直前に含まれていた区別を受け取り、その直後の選択条件を形成する。時間区間のどこにも、情報が前から後へ渡らない空白がないため、現在は一つの変換系列として非可分である。


 ここで、リーマン予想における非自明な零点の分布との関係を検討することができる。ただし、この関係を構築する際、零点を情報が消滅する点と見なしてはならない。解析関数の零点は、値がゼロになるという明確な条件を満たす位置であり、その位置は複素平面上の座標を持ち、他の零点との配置関係を持ち、関数全体の構造によって規定されている。したがって、零点は何の情報もない空白ではなく、関数が特定の仕方でゼロになるという情報を持つ。


 非自明な零点が、もしすべて実部二分の一の直線上にあるならば、多様な零点は異なる高さを持ちながら、一つの実部位置を共有することになる。ここで二分の一を、二つの選択肢が半分ずつ存在する確率と理解してはならない。重要なのは、零点が臨界帯の左右へ無秩序に散らばるのではなく、一つの中心的な直線へ拘束されるという予想上の構造である。


 永久保存性理論における現在進行形の直線との対応も、この拘束構造に限られる。多様な選択がすべて同じ結果になるという意味ではない。異なる一回が異なる位置を持ちながらも、それらを二つの独立した時間側へ分けず、一つの情報軸上の配置として記述できるのではないかという形式的な対応である。


 非自明な零点の虚部方向の分布は、同じ直線上にあっても各零点が同じ位置ではないことを示す模型となる。一つの直線へ属することと、すべてが同じ点へ重なることは異なる。選択の一回性も同様に、一つの時間的情報線へ属しながら、各一回が固有の順序位置を持つ。


 したがって、直線性は個別性を消すものではない。むしろ、異なる一回を、相互に無関係な散乱点へせず、順序を持った一つの構造へ配置する。直線の上で各点は異なるが、すべてが同じ関係規則に属しているため、点同士の位置を比較できる。


 この意味で、リーマン予想型の直線は、情報が一つに均一化される場所ではなく、異なる零点が一つの共通条件のもとで配置される場所である。永久保存性理論が模索する直線も、すべての選択を同じにする線ではなく、異なる一回が情報の受け渡しという一つの条件から離脱しない線である。


 さらに、ゼータ関数の零点が素数分布の揺らぎと結びつくという数学的構造は、個々の不規則な配置が、大域的な解析関係から完全に自由ではないことを示す模型となる。素数の出現位置を単純な周期で予測することはできないが、その分布は任意の乱数列として定義されているわけでもない。同様に、一回ごとの選択が予測不能であっても、その選択が情報保存の直線から外れないならば、完全な無根拠性とは区別できる。


 ここで重要なのは、リーマン予想が選択の一回性を証明するということではない。必要なのは、選択情報を表す独自の関数を構成し、その関数がどのような解析的性質を持つかを示すことである。リーマンゼータ関数そのものへ時間や選択を直接代入しても、数学的な関係は成立しない。


 真に厳密な接続を目指すならば、まず一回の選択に情報重みを与え、選択列全体から一つの生成関数を構成しなければならない。その生成関数は、個々の選択情報を局所的な項として含みながら、選択列全体の規則を大域的に表現する必要がある。


 次に、その関数の零点が何を意味するかを定めなければならない。零点を、選択情報の消滅と定義するのか、複数の選択寄与が均衡する位置と定義するのか、利用可能な変換の境界と定義するのかによって、理論の内容は大きく変わる。本節の立場では、零点を絶対的消失と同一視せず、複数の情報成分が一つの関係のもとで打ち消し合う配置点として扱う方が適切である。


 さらに、生成関数に中心的な対称線が存在し、すべての非自明な零点がその線上へ拘束されることを示さなければならない。その条件が証明されたとき初めて、多様な一回的選択を、一つの非可分な現在線へ配置するという数学的模型が成立する。


 したがって、本節で述べるリーマン予想との関係は、結論ではなく研究計画である。非自明な零点の分布が、選択列の情報構造と同型であると主張するものではない。多様な零点が一つの直線へ制約されるという予想上の形を、二つ目の独立時間を置かず、多数の一回を一つの現在進行形へ配置するための数理的指針として用いる。


 この指針のもとでは、二つ目のサイコロも、一つ目と並ぶ別の試行世界として置かれない。一つ目の結果が情報線上の一位置を形成し、その位置を含んだ条件から次の一回が形成される。各一回は固有であるが、一つの直線から離れていない。


 二つ目のサイコロが存在しないということは、二回目の試行がないことではなく、同じ情報位置から独立して始まる第二試行がないことである。すべての二回目は、一回目の情報を含む別の位置における一回目である。したがって、時間系列には複数の試行があっても、一つの現在に二つの独立した一回目はない。


 この構造を維持するためには、情報保存が完全でなければならない。一回目の情報が完全に消去できるならば、一回目以前と区別不能な条件を作り、真の二回目を置ける可能性が生じる。反対に、一回目の情報が何らかの形で必ず残るならば、次の試行は最初の試行と同じ位置には戻れない。


 したがって、二つ目のサイコロの不在と、情報保存の喪失のなさは、一対一に対応する。一回目が保存されるため二回目は同じ一回目になれず、同じ一回目へ戻れないため、各選択は固有の情報位置を持つ。この固有位置の連続が、直線的な可能度を形成する。


 動けない幅のなさも、この対応へ含まれる。一回目と次の一回のあいだに情報関係のない空白があるならば、次の一回は一回目を含まず、独立した第二試行として現れうる。したがって、二つ目のサイコロを排除するには、一回と一回の間にも情報の受け渡しが必要になる。


 この受け渡しは、常に明示的な記録として保存される必要はない。選択条件、確率分布、利用可能な変換、順序関係などのいずれかが変化していれば、一回目の情報は次の一回へ参加している。情報が極めて拡散し、直接読み出せなくなったとしても、次の選択条件が一回目以前と完全に同じでなければ、純粋な二回目は成立しない。


 ただし、現実の実験では、同じ条件を近似的に再現し、独立同分布の試行として扱うことができる。これは統計的なモデルとして有効である。しかし、独立同分布という扱いは、試行間のすべての物理情報が絶対的に消去されたことを意味しない。分析上無視できる相関を切り捨て、特定の変数だけを同一条件と見なしているのである。


 したがって、統計的な二回目と、存在論的な二回目を区別しなければならない。統計的な二回目は、指定した変数の範囲で一回目と同じ分布を持つ試行である。存在論的な二回目は、全情報において一回目以前と同一の条件へ戻り、同じ一回を再度開始する試行である。前者は可能であるが、後者は情報保存と両立しにくい。


 サイコロの比喩において本論が否定するのは、統計的な反復ではない。全情報的な再開始である。何度サイコロを振ってもよい。しかし、各試行は前の試行を含んだ宇宙的な情報順序の中に置かれており、同じ全位置を二度占めない。


 このため、選択の一意性は、確率分布の一意性とは異なる。異なる時点で同じ分布を用いても、実際の選択はそれぞれ固有である。分布は選択の一般的規則を表すが、一回の選択がどの情報位置に置かれるかまでは同一化しない。


 真に直線的な可能度は、この一般規則と一回的位置の交差にある。規則だけでは、まだ何も選ばれていない。個別結果だけでは、その結果がどの可能性から形成されたかが分からない。現在において規則が一回の変換を形成し、その変換が次の規則条件を更新するとき、可能度は直線的な働きを持つ。


 したがって、可能度は静的な量ではなく、情報の更新能力である。その不変性は、同じ数値の維持ではなく、更新能力が完全に失われないことによって測られる。ある選択によって自由度が減少しても、残された情報から次の選択を形成できるならば、可能度の形式は続いている。


 逆に、選択肢が多数残っているように見えても、それらが現在の情報と関係なく、何の規則もなく出現するだけならば、直線的な可能度ではない。直線性には、由来、変換、順序の三つが必要である。現在の情報に由来し、一回の変換として成立し、その変換が次の順序条件へ含まれることで、可能度は時間の中に位置を持つ。


 現在の非可分性も、この三条件から説明できる。由来だけを過去側へ、結果だけを未来側へ分け、その間の変換を無内容な境界にすると、選択の一回性は失われる。選択は、過去から未来へ移る途中に追加される点ではなく、由来を結果へ対応づける関係そのものである。


 したがって、現在進行形を直線にするとは、時間上の点を定規で一直線に並べることではない。一回ごとの情報変換を、二つの独立した現在へ分裂させず、一つの順序関係に置くことである。


 リーマン予想における臨界線との構造対応も、この意味に限定される。多様な零点が、左右二つの別の実部位置へ分かれず、一つの中心線へ置かれるという予想上の構造は、多様な一回が二つの独立時間へ分裂せず、一つの情報線へ属するという模型を与える。ただし、零点の分布が実際の選択時間を表しているという主張ではない。


 ここで二分の一は、できることとできないことを半分ずつに切る境界ではない。それらを二つの独立領域へ分けず、同じ解析構造の中で対応させる中心位置である。この理解において、二分の一は確率ではなく、非二分化の形式を示す。


 可能度の不変性が保たれるならば、できることとできないことの差も、現在から切り離された二つの世界として置かれない。ある変換が許容され、別の変換が許容されないという違いは、一つの情報構造の内部にある接続条件の違いとして記述される。


 許容されなかった変換は、第二の時間で実現する必要がない。同時に、何の情報も残さず消える必要もない。許容されなかったという事実が、現在の変換規則を限定する情報として含まれていればよい。何ができるかという情報は、何ができないかという境界によっても規定されるため、両者は独立した二つの量ではない。


 このため、選択を二つにしないことと、できることとできないことを区別しないことは同じではない。差は明確に存在する。しかし、その差は一つの選択構造の内部にあり、二つの完成した時間へ分割されていない。


 最終的に、本節における純粋な情報保存、選択の一意性、一回性、可能度の不変性は、次の一つの構造へ統合される。


 現在には、区別可能な情報がある。その情報は、少なくとも一つの変換を形成できる。変換は一回として成立し、同じ現在に独立した二回目を持たない。一回の変換によって情報条件は更新され、次の一回は更新後の位置から始まる。更新の途中に情報関係のない動けない幅はなく、異なる情報が完全な無区別へ押し込まれない。このため、各一回は失われず、同じ一回目も再生されない。


 可能度の不変性とは、この構造が有限時間内で閉じないことである。どの一回の後にも、情報が次の変換を形成する能力を完全には失わず、どの変換も前の情報から無関係に出現しない。


 現在の非可分性とは、この情報変換を、互いに独立した二つの現在へ切り分けられないことである。分析上の前後は区別できても、選択を含まない前半と、由来を持たない後半として分離することはできない。


 二つ目のサイコロがまだ存在していないとは、試行を繰り返せないことではない。全情報において同じ現在へ戻り、同じ一回目を独立に再実行することができないということである。各二回目は、その時点における新しい一回目である。


 そして、リーマン予想における非自明な零点の臨界線は、多数の異なる位置を一つへ潰すのではなく、多様な位置を一つの共通条件へ拘束するという点で、この一回的な情報列を数理化するための形式的な参照モデルとなる。


 真に直線的な可能度は、未来の完成結果にも、過去の固定記録にもない。それは、現在の情報が一回の選択へ変換され、その一回が次の情報条件を形成する、切断されていない関係の中にある。


 世界がまだ二つ目のサイコロを持っていないとすれば、それは世界が選択していないからではない。世界が一回を選択するたびに、その一回を完全には消去せず、次の一回の条件へ含めるためである。一回目が保存されるからこそ、同じ一回目をもう一度置くことはできない。


 この意味において、情報保存と一回性は対立しない。一回性は、情報が失われるために成立するのではなく、情報が失われないために成立する。可能度もまた、同じ選択肢が残るために不変なのではなく、一回の選択が次の選択能力へ変換され続けるために不変なのである。


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