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グラスの中で透明の液体が揺れている。伊角の手が震えているのだ。まさか、ここにきて城ヶ崎に関連する人間と出会うなど、考えてもいなかっただろう。
「とはいえ、もちろん俺と城ヶ崎は無縁です。祖母は離婚後、再婚し、娘が生まれました。俺はその人の子です。祖母たちは世間では二人とも仕事熱心で、それ故の円満離婚だと言われていますが、祖母は城ヶ崎を本気で愛していました。でも当時の城ヶ崎は一にも二にも芝居のことしか頭にない人で、どうにか自分の気持ちに気付いて欲しくて、誰よりもそばにいるために自ら結婚をしたいと申し出たと聞いています。城ヶ崎にとってはただの契約上の夫婦だったかもしれない。けれど、祖母は城ヶ崎がいつか振り向いてくれると信じでいました」
話し始めた怜志は止まることなく喋り続けた。
結婚生活は僅か二年。突然、城ヶ崎から別れを告げられたが、その理由もやはり仕事のためだったらしい。二年の間に結城からの好意は伝わっていたが、結果的にそれが事態を暗転させる原因になってしまったのだ。『君の気持ちには応えられない。結婚生活を続けても特に状況は変わらないし、それならば芝居に専念したい』城ヶ崎から押し切られる形で、結城には発言権すら与えられず受け入れるしかなかった。なのに、離婚から五年……ほとんど急死に近かった城ヶ崎の訃報の後、流れてきたニュースは、恋人がいたということだった。
「祖母との離婚前から、陽彩の母親と恋愛していたそうです。受遺者もその人で、城ヶ崎からは最後まで見向きもされませんでした。祖母は城ヶ崎との離婚後、再婚したものの、夫からのDVに苦しんでいました。精神的に限界を感じていた時、トドメを刺すように城ヶ崎のその事実を知り、自害しました。俺の母はその後、施設に保護され、十八まで施設で育ちました」
伊角は怜志の話を黙って頷きながら聞いてくれた。酒の手を止めてしまっているのに多少の罪悪感を抱えながらも、自分と城ヶ崎の、そして、クロノス総合病院との関係を明らかにしておきたい。このタイミングを逃せば、怜志は一人でそれらを抱えて生きていくことになる。
伊角と鳴海が真実を話してくれた以上、自分の全ても受け入れて欲しいと思うのは、いけないことだとは思えない。
怜志の母は高校卒業後、施設を出て夜の仕事をしながら一人暮らしをしていた。その内、徐々に堕落していき、ついには体を売るようになる。一般人相手ではない。著名人を相手にそういうネットワークのようなものがあるらしい。普通の仕事よりも遥かに効率良く稼げる。自分の体を売るなど、母にとっては造作もないことだ。そこで出会ったのが、怜志の父となる青柳恒一郎というタレントだった。
「父から後に聞いた話では、父は知人に誘われ断りきれずに一度だけという約束で付き合ったようです。けれど母と出会い、一目惚れをしたと。母は結城璃子にそっくりでしたから、一般人では浮くほどの美貌だったと父は言ってました。けれども、母は自分の生い立ちにトラウマがあり、男性に対して恋愛感情は持てなかったそうです。ただの金の道具。そう言われたと。母が俺を妊娠したと判明した時、父は結婚したいと何度も言ったんだそうです。でも自分の母親が暴力を受ける姿しか思い浮かばなかった。母は頑なに結婚を拒み、一人で俺を育てました。いや……『育てた』とは言い難いですが。でも子子供を産んで欲しいという父の願いは聞き入れてくれたと言っていました。だから、父はいつかは頼ってくれると期待していたって。完全に裏切られましたけどね」
「お父さんとは、会っていなかったんですか?」
「ずっとお金を振り込んでくれていました。母は何も教えてくれませんでしたが、通帳に毎月それなりの額が振り込まれているのを偶然見つけたことがあったんです。母が蒸発する前に」
「蒸発……」
「えぇ、恋愛感情なんてないと豪語していた母でしたが、結局は男と出て行きました。いずれそうなるだろうとは思っていました。俺が小学生くらいの時からアパートに出入りしていた人で、顔くらいは知ってました」
「一緒に住もうとはならなかったんですか?」
「そりゃ、なりませんよ。その男がアパートに来た時は俺は帰るのも許されませんでしたから。近くの公園で、警察や補導員に見つからないよう息を潜めて時間を潰していました。母はその男といる時、母親業から離れられるのが嬉しかったようです。俺はずっと邪魔者扱いで、何日も帰らなくても探してももらえませんでした」
「その間はどこへ?」
「友達の家を転々としたり。でも親に見つかると厄介だからこっそり夜中に忍び込ませてもらったり。俺もアパートにいるより友達といる方が楽しかったから、今ではいい思い出ですけどね」
「じゃあ、お父さんとはどうやって会ったんですか?」
「俺が高校へ上がってすぐ、母が男と一緒に消えました。連絡が取れないように、自分のスマホも何もかも置いて、通帳だけは失くなっていましたけど。掃除も碌にされていないアパートから、母の面影だけが綺麗さっぱり失くなっていました。しばらく呆然と突っ立っていましたが、ダイニングチェアに腰を下ろし、意味もなくそのスマホを弄っていると、ふと見覚えのある名前を見つけました。それが青柳恒一郎です。通帳にずっと送金してくれていた人の名前でした。幸い、母のスマホは契約を切ったわけでもなく使用できたので、思い切って電話をしたのが転機でした」
父である青柳恒一郎は、母から電話がかかってきたことに驚いて直様出てくれた。互いの声を聞くのは初めてで、怜志は訳も分からず戸惑っていたが、青柳はと言うと、感極まって電話越しに涙を堪えている様子だった。今の状況を説明すると『会いないか』と言われ、行く当てもないので了承した。
「俺はその時、初めて父が著名人だと知りました。正直、現実味がないというか……騙されているんじゃないかと思いました。けれど、あまりにも真剣に父親として俺を引き取りたいと説得されて、父の住む今のマンションに引っ越したんです。アパートで一人にされたと知った瞬間は、絶望のあまり生きた心地がしなかった。何故、俺がこんな思いをしなければならないのか。父と一緒に住むようになって、父は知っていることを全て教えてくれました。それがさっき話した内容です」
「その中で城ヶ崎と繋がっていると……」
「そうです。全ての発端が城ヶ崎だと知った俺は、城ヶ崎が最期を迎えたのがクロノス総合病院だと知り、そこに出入りするようになれば、奴の情報を何かしら得られるかもしれないと考えるようになりました。でも医者になれる器はない。だから、クロノス総合病院と契約している最も大手である今の製薬会社に入社しようと決めたんです」
「城ヶ崎の情報を得て、どうするつもりだったんですか?」
「もしも奴の血縁関係者でも知れれば、復讐してやりたかったんです。俺たちを地獄に追いやり、のうのうと生きたあいつの代わりに、せめて失意のどん底に落としてやっても許されと思い込んでいましたし、むしろそれが俺の生きる糧でした」
伊角はようやく酒を一口飲み、喉を潤した。怜志も結構な量を付き合ったが、酔ってはいなかった。正確にいえば、気が張り詰めていて酔えなかった。つられて怜志も一口煽り、グラスをそっとテーブルに戻す。グラスから落ちた水滴がテーブルに雫の粒を残した。
「それで、陽彩くんを探し当てたと?」
「いえ、それは俺にとっては本当に偶然です。テレビで騒がれて、俺は初めて陽彩の存在を知りましたが、アルコープで働いているらしいと情報を仕入れていたのは要さんです。ちょうど俺が研究チームに抜擢された初日で、クロノス総合病院へ挨拶に行った帰り、興味本位で行ってみようということになりました。騒動は知らないふりをしました」
「実際に陽彩くんを見て、驚いたでしょう。あの子は、本当に城ヶ崎さんの生き写しのようだから」
「はい。でも城ヶ崎ほどの華はないというか……どこか憂いてる彼から目が離せませんでした」
「それで計画通り、陽彩に近付き、あの子を騙していたという訳ですね?」
伊角は言葉の中に怒りを含ませていた。
少なからず怜志は誰よりも陽彩を支えていたはずだ。それが最初から裏切り傷付けるのが目的だったと知り、憤りを覚えるのも当然である。
「陽彩が本当に城ヶ崎の身内なら……と、最初は思っていました。その真実を聞き出そうとしていた時もありました。それと同時に、俺は強く陽彩に惹かれていました」
「ならば、どうするつもりだったんです?」
「陽彩には隠された何かがあるとは思っていたんです。しかし彼自身が何も知らない。子供の頃の記憶はないし、自分が何らかの病を患っているとは気付いていても、病名を聞くことすら出来ないでいる。でも俺から鳴海さんに聞くのも失礼にあたる。何より、俺に心を開いてくれるのが嬉しくて、最終的に城ヶ崎と陽彩は関係ないと自分の都合の良いように解釈したんです。陽彩が今後も病気で苦しむなら、支えるのは俺がいい。陽彩を独占したいがために、それ以来真実を見ようとはしませんでした」
「じゃあ、今は……」
怜志の決意を確かめる。
伊角は怜志の真偽を確認しなければいられない。こちらは誠意を見せた。怜志も全てを打ち明けたということは、覚悟を決めたのだろうと。眼鏡の奥に光る切長の眸は、多くを語らなくともしっかりと怜志へ訴えてくる。
逃げるなと。
「俺は……」
伊角の圧を感じながらも、怜志は口を開いた。




