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「俺は、陽彩と同じ時間を生きていたいです。二人で……」
「憎い人間の子供だと知ったのにですか?」
「城ヶ崎は俺にとって憎むべき相手です。鳴海さんのお姉さんは幸せだったでしょうが、その陰で地獄に突き落とされた家族がいるだなんて、知らないまま旅立たれたのでしょう? 城ヶ崎だって、離婚した後の結城璃子の結末など知る由もない。愛情を知らずに育った母が、子供への愛情の注ぎ方など知らなくて当然です。俺も母を愛してなんていませんでしたし、家族の温もりなど父が助けてくれるまで知りませんでした。俺が人を愛せるのは少なからず救われた経験をしたからだと思っています」
「それが陽彩くんでなきゃいけない理由にはならない」
「陽彩じゃなきゃ嫌なんです。俺は決して自分が陽彩を守ってあげているなんて烏滸がましい考えは持っていません。勿論、守れる男になりたいですけど。でも……今は俺の方が陽彩に救われているんです。陽彩と一緒にいると、これまで満たされなかった心が色を取り戻していくように暖かい気持ちになるんです。それは陽彩とじゃなければ感じられません。誰かに頼られたい。好かれたい。唯一無二になりたい。それが誰でもいい訳じゃないと気付かせてくれたのも陽彩です。俺は誰かにじゃなくて、陽彩からそうされたいんです。要さんでも誰でもない。ただ一人、陽彩だけに」
「では、ずっと目標にしていた復讐はどうするんです?」
「復讐するのが正解だと思っていました。未来への希望も期待も全て失う苦しみを味わえばいいと。でも、それを実現したところで満足はしません。本当に俺がするべきことは、俺自身が幸せになることなんだって、やっと気付いたんです」
真っ直ぐに伊角を見詰め、満面の笑みを見せた。言葉にしたことで、自分自身で決意できた。
陽彩と、この先も一緒にいたい。
ずっと腹の奥に抱えていた蟠りは、この瞬間に消えた。
怜志の清々しい表情を見て、伊角も肩の力を抜き、一つ息を吐いた。
「乾杯しましょう」
怜志に向けてグラスを軽く持ち上げる。
伊角も酔っていなかった。怜志と同じように、酔えなかったのかもしれない。
グラスの半分まで減ったお酒で乾杯をし、一気に飲み込んだ。
「青柳さんから電話がかかってきた時、内心焦りました。アルコープへ通っているとは言っていたものの、まさか二人で遊ぶ仲だとは思いたくありませんでした。この人は一体どこまで知っているんだろうと、聞きたくても聞けないですし。その後、鳴海さんとの電話で何か話しましたか? と訊ねましたが、真実は何も話してないと。鳴海さんも、青柳さんが僕と繋がっているから伊角先生が話したのかもしれないと思ったと」
「お互いに、自分の知らない所で俺が陽彩の秘密を知ってしまったと勘違いしたんですね」
「どちらにせよ隠し通すには無理もありましたし、鳴海さんは今は健康ですけど、将来、陽彩くんを一人にさせてしまう心配を常にしています。もしも、青柳さんが陽彩を守ってくれれば安心できると。だから青柳さんに全てを話しますと言ったのも、鳴海さんからです。それだけ、貴方を信頼しているんですね」
以前、鳴海が怜志に話してくれたのが本心だったと知り、怜志は目頭が熱くなった。
陽彩と出会ってから、何度かこんなふうに感極まったことがある。くすぐったくて、温かい。照れくさくて笑って誤魔化してきたけれど、今なら素直に受け入れられる。怜志は静かに頬を伝う涙を我慢しなかった。
「陽彩を、助けてください」と頭を下げる。
伊角は慌てて怜志に顔を上げさせ「約束します」と力強く言ってくれた。
「城ヶ崎さんとの約束があるんです。我が子は自分よりも長生きしてほしいって。彼は三十二歳で亡くなりましたが、我々は陽彩くんには人並みに、せめて平均寿命くらいは人生を全うしてほしいと願っています。だから不安に押し潰されそうになった時も、研究者の道を逸れているかもしれないと迷い、葛藤しながらもここまでやって来れました。でもこれからは、堂々と胸を張って陽彩くんと向き合えます」
伊角は鳴海が怜志を頼っている理由が分かった気がすると顔を綻ばせる。そんな大した人間じゃないと返したが「俺もこれからは、しっかりと陽彩を支えていきます」と盃を交わした。
伊角とは店の前で別れた。
陽彩との面会が可能になれば直ぐに連絡をしてくれるとのことだった。
今の事態が落ち着いてから、要にもコールドスリープの研究について話そうと思うと伊角は言う。きっと、彼なら力になってくれるからと。陽彩のことは今後も秘密を貫く意向を固め、怜志もそれに従うと決めた。
清々しい気持ちで帰宅すると、珍しく父が帰ってきていた。
「食事、してきたんだな。乾杯しようと思ってたのに」
「父さんはいつも突然だから。早く言っておいてくれれば予定空けておくのに」
「怜志……急に雰囲気が変わった気がするんだが」
「何が?」
「なんかこう……柔らかくなったというか……。恋人でもできた?」
「は? 何、突然」
「嬉しそうに口許が緩んでる君を初めて見たからさ」
「仕事でいいことがあったんだよ。でも……まあ、いい人は……いる」
青柳は目を瞠り、みるみる笑顔になっていく。雌雄眼は、この人譲りだ。
「やはり乾杯をしよう。話を聞かせてもらわないと寝られない」
「もう無理、飲めない。俺は水でいい」
青柳は残念そうにするが、終始嬉しそうだ。怜志が人を好きになったのがそんなにも喜ばしいことなのかと訊くと、勿論だと即答された。
「昔から、愛想はいいのに誰にも心を開いてないって感じていたんだ。恋愛も真剣じゃないし、心配していた。でも、そうか……。良かった、心から愛せる人がいるとのは人生の糧になる」
「それをようやく実感してる」
水とワインで乾杯をした。
復讐を目的にこれまで過ごしてきたが、青柳の言う通り、愛おしい人の存在こそ生き甲斐であるべきだ。それを知るには遅かったのかもしれない。けれど、今知れて良かった気もする。相手が陽彩だから気付けたのは確実だ。
陽彩を紹介してくれるのを楽しみにしていると言われたが、今は入院していると正直に話しておいた。クローンのことや、コールドスリープで長年眠っていた話は避けた。ただ体が弱いのと、記憶障害があり、子供の頃を思い出せないのだとは話した。青柳は頷くだけだったが、それで良かった。余計なアドバイスも何も欲しくはない。そのうち紹介すると言うと、そこは大袈裟なくらい喜んだ。オーバーなリアクションは職業病かと呆れて言ったが、プライベートで芝居なんてやってられない。と返されてしまった。
結局、青柳と朝まで語りあってしまい、寝不足のまま出社しなければならなくなった。
「おっはよう、怜志。なんだよ、長期休暇もらっといてその顔は」
「長期って……たったの四日じゃないですか」
「充分だろう。俺は早く仕事に来たくて仕方なかったよ」
「本当に仕事人間ですね。まさか、仕事を持ち帰ってたりします?」
「流石にそれはしてない。山奥の温泉旅館に篭ってた」
はい、お土産と、紙袋を手渡された。
「誰と行ったんですか?」
「一人だよ。誰かいると気が休まらないだろう」
「要さん、そういうところはまだまだですね」
「どういうところだよ。意味分かんない」
二人並んで研究チームの部署へと向かう。何気ない日常がやけに平和に思えて怜志は嬉しくなった。
「今日は一緒にクロノス総合病院ですね」
「あぁ、その前に会議な」
うんと伸びをして、デスクに向かう。休んでいる間に山積みにされていたファイルを上から順番に目を通していく。
鳴海から、陽彩の写真が送られてきた。眠っている表情が穏やかで安心した。
通常の臓器移植では三〜四日もすれば面会できるようになるのだそうだ。けれど陽彩は一週間眠り続けた。眠ることで体力を温存しているようだと伊角は言う。目が覚めてから、あらゆる検査を受け、ようやく、ICUから出てきたのは二週間を過ぎてからだった。
「青柳さん、明日には面会できますよ」
仕事で研究室を訪ねた際に伊角が声をかけてくれた。
「ありがとうございます。仕事で寄らせてもらった時に、会っても良いですか?」
「勿論、構わないですよ。陽彩くんも会いたがっています」
「明日は要さんも一緒に来ます」
「そうですか」
翌日、伊角は要に話したいことがあると言って、二人きりで会議室に篭った。その間に怜志は陽彩の病室へと急ぐ。鳴海は先に到着していると連絡が届いていた。
離れていたのは二週間なのに、何年振りかに会うような懐かしさが募る。ドアをノックし、鳴海の声が中から聞こえてきた。
「こんにちは」
そっと横開きのドアを開け、入室すると、明るい日差しが差し込む部屋に、鳴海と陽彩の姿があった。
「陽彩……」
眸を細めて話しかける。陽彩は申し訳なさそうに眸を泳がせ、鳴海に助けを求める。どうやら伊角も鳴海も、今日怜志が面会に来るとは言っていないらしい。サプライズにでもするつもりだったか。それならドッキリ成功だと言えるくらい、陽彩は驚いていた。
「大丈夫よ。青柳さんはずっと陽彩を心配してくれていたんだから。元気になったと見せてあげなさい」
鳴海が陽彩の手を取り、励ます。
怜志も陽彩のベッドサイドに移動し、目線の高さまで屈んだ。
「早く、会いたかった」
柔らかく微笑む。鳴海は少し外に出ているわと言って二人きりにしてくれた。
「怒ってないんですか」
「怒ってるよ。陽彩が本当は無理をしていると知ったから」
「ずっと苦しいわけではなかったんです。でも一緒にいたくて、話し出せませんでした」
「……心不全」
「え?」
「陽彩の病名。ずっと知りたいって言ってただろ? 心不全を起こしていたんだ。もしも処置が遅ければ、もう一緒にいられなくなってたかもしれない」
「そんな……ごめ……」
「謝らななくていいよ。頑張って乗り越えてくれて、ありがとう。俺はずっと陽彩と一緒にいたいから、これからは絶対に無理しないって約束して?」
「はい……」
何度も頷き謝ろうとする。怜志は陽彩を抱きしめ、「好きだよ」と伝える。
「陽彩がいないマンションは寂しかった。だから、退院したら一緒に帰ろう。同じ部屋に」
「それって、怜志さんのマンションに?」
「そう。実は鳴海さんからはもう承諾を得てるんだ。朝は俺がアルコープまで送っていくし、帰りもなるべく迎えにいく。仕事が遅くなる時は鳴海家に帰る。どう?」
「じゃあ、ずっと怜志さんと一緒にいられるんですね」
「陽彩が嫌じゃなければ」
「すごく楽しみです。早く退院したくなりました」
「そっか。じゃあ、元気になれるように祈っておくよ」
時間の許す限り陽彩の病室にいたが、仕事中でそれほど長くはいられなかった。
研究室へ戻ると、その数分後に要と伊角も戻ってきた。要の表情を見て、怜志は全てを悟った。これはまた、仕事人間のレベルが上がりそうだ。
会社への帰りの車内は、コールドスリープの話題で持ちきりだった。要の眸は爛々として瞬きを忘れている。
「怜志くん、大事な話は逐一報告してくれないと困るんだよね。報連相って言うでしょ?」
「俺もつい先日知ったばかりですし、だいたい要さんはその頃、山奥の温泉にいましたよ。それに、俺から聞くより伊角さんからの方が良いでしょう?」
「そりゃまぁ、そうだけど。でもやっぱり凄いよな。そんな研究まで進めていたなんてな。俺が被験体になりたいけど、それだと経過を追えないし……もどかしい!!」
「悔しがってるのか、喜んでるのか、どっちなんですか?」
「どっちも!! でも、伊角さんたちなら、成功させてくれる。その瞬間を、一番の特等席で見られるなんて、俺ら贅沢だな!」
「そうですね」
これは伊角たちの研究チームと怜志と要だけの秘密の案件だ。そういえば、要はそういうのが大好きだった。例え拷問にかけられても秘密を貫くだろう。そうでなければ、研究が途絶えてしまうから。
怜志の仕事はなんとなく以前よりも忙しくなっていった。それは任せてもらえる仕事が増えたからというのもある。やりがいを感じる。悪くない疲労感だ。知識が増えるほどに、陽彩を守れる男に近付いている気持ちになれた。
それから退院までの間、怜志は足繁く陽彩の許を訪ね、鳴海家から陽彩の荷物をマンションに運んだりした。鳴海の家に行った際、伊角に話した内容を鳴海にも打ち明けた。その上で、どうか陽彩を守らせて欲しいと。鳴海は驚きを隠せないでいたが、怜志の熱意と誠意は伝わった。
「青柳さんも、いつでも私を頼ってね。だって、もう家族も同然でしょう? 私。貴方を怜志さんって呼んでもいいかしら?」
「勿論です。ありがとうございます」
鳴海は自分を『葵衣』とでも『おばあちゃん』とでも呼んでくれて構わないと言ったが、気外しくて直ぐには呼べそうにない。
しかしまた怜志の心は鮮やかさを増した。
陽彩は順調に快復し、リハビリをしながら度重なる検査もクリアしていった。
クリスマスには間に合わなかったものの、その二日後に、無事、退院の日を迎えた。
「退院おめでとう。年末年始は二人きりでいられるね」
「早く怜志さんのマンションに帰りたいです」
顔色は良く、頬は春に咲き誇る桜のようだ。
ようやく動けるようになり、陽彩ははしゃいでいた。
伊角たちに挨拶をし、車に乗り込む。
陽彩が長期入院をして良かったのは、世間が『城ヶ崎にそっくりな一般人』だと騒がなくなったことだろう。大物俳優が突然、結婚発表をしたり、スポーツ界で偉業を成し遂げた選手が現れたりした。世間の関心は常に新しいものに流されていく。そのうち伊角たちの研究が世間を震撼させる時が来るかもしれない。
これから、三十年間止まってしまっていた陽彩の時間を取り戻してあげたい。失ってしまった記憶を、別の思い出で埋めていきたい。そのおおよそが怜志との記憶になればいい。
進む先には、明るい未来が待ち受けているはずだ。根拠のない自信がある。怜志も暗い過去を払拭し、自分を大切にしてあげたい。幼い頃の自分に『もう、大丈夫だよ』と心の中で投げかけた。
マンションのドアを開け、陽彩を招き入れる。
「おかえり、陽彩」
「ただいま、怜志さん」
二人の時計の針は、まだ動き始めたばかりだ。




