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①④
伊角はこれまでの悩みが晴れ、スッキリとした表情になった気がした。
きっと、陽彩に余計な延命をさせているのではないかと気にしてきたのだろう。それでも研究者生命を懸け、全力で陽彩を守ってきた。人の良さが伺える。
「じゃあ、俺はそろそろ帰ります。また明日からも仕事で来ますし」
「長時間、拘束してしまいましたね。話を聞いてくださってありがとうございます」
「……要さんにも言わないんですか?」
「そう……ですね。クローンの心臓が陽彩くんの体内に入ってしまいましたし、研究室からなくなった理由を迫られるでしょうね」
「俺の口から言えませんので」
「コールドリープのことはタイミングを測って言うとして、クローンのことは説明しないと納得してくれないでしょう。でも、陽彩くんだとは言わないので」
「俺も陽彩との関係をまだ言えてないので、陽彩が退院したら報告しようと思います」
それと……と怜志は続けた。
怜志からも伊角に聞いてほしい話がある。
「青柳さんの秘密ですか? それは興味深いです」
「決して明るい話ではないんですけどね。俺も、実は城ヶ崎に繋がりのある人間なんです」
「青柳さんが? 見当も付かないな。早々に時間を作りましょう」
一先ず、有給と休日は今日で終わり、明日から通常業務に戻る。
気が抜けるとどっと疲労が押し寄せそうなので、急いで帰った。
マンションに戻ると、自分一人しかいないことに妙な寂しさを覚える。今朝までここには陽彩がいた。今日も二人きりで過ごしている予定だった。陽彩は決して騒がしい人ではないが、彼の存在がないだけで、こんなにも静かに感じるものなのか。
テレビも音楽も流す気になれず、ソファーに腰を下ろす。陽彩を抱きしめた温もりを探してしまう。またこの腕の中に陽彩を感じられる日が来るのだろうか。一人になった途端、不安に押し潰されそうになってしまった。
「……陽彩……」
大人気ないが涙を止めることは出来なかった。陽彩に会いたい。クローンだろうがなんだろうが、なんだろうが陽彩は陽彩だ。他の誰にも代わりなんて出来ない。
今日聞いた話は、想像を絶する内容であったが、今は疑いなく信じている。
そうでなければ、陽彩が今、この世に存在していることさえ嘘になってしまうではないか。陽彩は確かに生きている。当たり前に過ごしている人間と、何も違いはないのだ。
立ち上がり、ゆっくりと風呂に入った。
今夜は考え込んで眠れないだろうが、少しでもリラックスさせる必要がある。怜志がここでどんなに悩んでも、陽彩に何か影響が出るわけではない。今、自分にできることは待つことだけしかないのだ。
陽彩が目覚めた時に怜志がやつれていたら、逆に心配されてしまう。陽彩が自分の全てを預けたくなるような男でなくてはならない。
そのために自分の健康を気遣うのは最低限必要だ。
アロマキャンドルに火を灯し、柔らかな光と香りに包まれる。繰り返し深呼吸をしては脱力していく。
気持ちを切り替え、明日からの仕事のスケジュールを頭の中で確認した。
クロノス総合病院には午後から伺うことになっている。
風呂から出てスマホの通知を確認すると、鳴海から写真が添付されたメッセージが届いていた。
『陽彩、落ち着いて寝ています』
何本もの管を通し、眠っている陽彩が写されていた。
鳴海は眠れないのか、しばらくメッセージでやり取りをする。
昔、手術の後直ぐから高熱に魘されたこともあり、術後は不安定な状態がしばらく続く。けれども今回に至っては心地よさそうな寝息も聞こえるようだ。
『もしかすると、ICUをこれまでより早く出られるかもしれないわ。期待ましょうね』と綴られ『おやすみ』のスタンプが届いた。
鳴海が送信してくれた陽彩の写真を見ながら眠りについた。おかげでよく寝られた。
寝る間際考え始めると、前向きな考えにならないパターンが多い。なので陽彩を想いながら眠れたのはラッキーだった。
要は相変わらず元気そのものだった。思わず「悩んだり迷ったりしたことありますか」と訊いてしまった。一言、「ない」と返ってきて嬉しくなった。「見習います!!」と答えると「なんだよ、それ」と笑っていた。笑ってくれたので救われた。要の底抜けに明るい笑顔に、つられて笑ってしまう。
もう、陽彩のことで悩むのはやめようと心に誓った。それよりも、陽彩の支えになりたい。迷わず「好きだ」と言える自分でいたい。
「要さんの存在って、有り難いですよね」
「何!? 今頃気付いたの? もっと前から知ってるのかと思ってた」
「再確認しただけです。さぁ、仕事頑張りましょう!!」
「いいね、やる気のある人が好きだよ、俺は」
背中にバシッと喝が入る。気合いを注入してもらった気持ちになった。
午後から、クロノス総合病院を訪れ、そのまま退社すると要に伝えておいた。今日は伊角に自分の話を聞いてもらう約束を交わしている。
自分の話をするのは苦手だ。でも、伊角と鳴海が真実を教えてくれたからこそ、自分の話も知ってほしいと思えた。
そうすることで、過去の自分を救えるとは思っていないし、城ヶ崎の立派な話を聞いたところで、許そうとも思えない。でも、陽彩を産み、全力で守ってくれたからこそ出会えたのだけは感謝できる。
本来、出会えない人だったと知った時の衝撃は相当なものだった。奇跡的に出会えたとして、とても恋愛できる対象ではなかったのだ。お互いに。
コールドスリープから目覚め、生き延びてくれた陽彩を誰よりも大切にしたい。
彼の命の尊さを誰よりも感じている。
そして、伊角たちと最前線で陽彩を守りたいと、今、迷いなく思っている。
伊角たちの研究室へ行くと、鶴見が駆け寄ってきて「伊角さんって、何かあったんですか?」と訊いてきた。
「どうして? 何か、変化でもあったんですか?」
「変化どころじゃないですよ。鼻歌歌ってる伊角さんなんて、初めて見ました。他の研究員も怖がってます」
「あははっ! 怖がらなくてもいいじゃないですか」
「だって、あの伊角さんですよ!?」
「心臓の移植手術が成功して嬉しいんじゃない?」
「それだけとは思えません。これは何年も伊角さんを一番近くで見てきた俺の勘です」
「じゃあ、鶴見さんから聞けばいいじゃないですか。俺、伊角さんって実は誰よりも人間臭い人なんだなって思いました」
「そ、それは俺だって知っています」
要が以前、「鶴見くんは伊角さんを慕っている」とかなんとか言っていたような気がした。あれは冗談かと思っていたが、案外、本当なのかもしれない。
鶴見が言っていたことは怜志の口からは伊角に何も言わないでおいた。きっと彼は自分から伊角に全て伝えるだろうと思ったからだ。鶴見もまた、迷いなく伊角を信じているのだ。
「青柳さん、食事でもどうですか?」
「いいんですか? ここでも良かったのですが」
「ここは研究員が耳を澄ましていて落ち着きません」
「わざわざ食事の席を設けて貰うのは気が引けますが、是非」
背後からの鶴見の視線が気になったが、気付かないふりをして研究室を後にした。
鶴見から店のマップが送られてきたので、そこに向かう。伊角らしい、和食の小料理屋だった。
「個室があるんだ」
「素敵な店ですね。要さんが好きそう」
「それは意外ですね。もっと賑やかな場所が好きそうです」
「意外ですよね。要さん、純和風の空間に弱いんですよ。マンションの一室を和室に改装したくらいですから」
「うちと同じですね。休日に畳の上に寝転ぶと、い草の香りがして何よりリラックスできます」
「要さんと同じこと仰ってます。気が合いそうですね」
「今度、彼も誘ってみます」
伊角と日本酒で乾杯をした。酒豪なのも意外だった。
普段は研究のために控えているのだそうだが、本当は食事よりもお酒の方が好きなのだと言った。
ひと時、食事を堪能した後、伊角の方から話を振ってくれた。
「そろそろ、青柳さんの話を聞かせてくれますか」
「はい。俺の生い立ちになりますが、伊角さんに聞いてほしくて」
「とことん付き合いますよ」
「実は、城ヶ崎が離婚した俳優の結城璃子は、俺の祖母なんです」
伊角は目を丸くして、怜志を見た。




