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理解の範疇を超えている。陽彩は怜志よりも四歳も年下だ。なのに鳴海の姉が産んだなど、どう計算しても合わない。しかし鳴海は冗談を言っているわけではなく大真面目だ。
「青柳さんが、これからも陽彩の人生を背負ってくださるのなら、全てをお話しします。でもね、こればかりは私だけでは説明がつかないのよ。後日、伊角先生と三人で話す時間を設けても良いかしら」
「是非、お願いします。鳴海さん、これだけは覚えていてください。俺は、自分を犠牲にして陽彩といるのではありません。むしろ陽彩と過ごす時間を最優先したいと思ってます。だから、罪悪感を抱かないでください。俺は頼ってもらえると嬉しいし、俺の方が陽彩と一緒にいたいから」
「陽彩も私も、青柳さんと出会えて本当に幸せ者だわ」
張り詰めていた空気が和らいだ。鳴海も強張らせていた肩を落とし、微笑んでくれた。
改めて並んで座り直すと、鳴海はカバンからパンとペットボトルのお茶を取り出し差し出してくれた。
緊急時に慣れている。怜志はマンションから出る際、陽彩を運ぶことしか考えが及ばなかった。温厚に見えて、しっかりしているのは何も経験値だけではない気がする。鳴海は元から要領の良いタイプなのだろう。
「あの子が心配でしょうけど、付き添う側も体力つけないと保たないから」
「有り難く頂きます」
鳴海が先に袋を開け、大口を開いて齧りつく。怜志もそれに倣い、大口でパンを頬張った。
「あら、大きな口ね」と笑われる。
「よく言われます」
鳴海みたいな人が身内にいて欲しかったと怜志は思った。直接会ったのはまだ二回目だ。けれど、ずっと昔から知り合いだったかのような安心感がある。子供の頃に鳴海と出会っていれば、もっと違う人生になっていた気さえする。
パンを食べ終えると、鳴海は取り乱して悪かったと詫びた。
「謝らないでください。それなら俺だって、出かけられない陽彩を外出させました。その上雨に濡れてしまったから、こんな事態に……」
「陽彩がこうなったのは、雨のせいじゃないから気にしないで。少し前から治療してたの。これで回復しなければ移植になるって。伊角先生もそれを回避できるように頑張ってくれていたのだけど……仕方ないわ。移植手術は何年ぶりかしらね。落ち着いていたから、もしかするとって期待もしてたけど、でも手術できるなら最悪ではない。命が繋がる可能性がある。だから私は伊角先生を信じるの」
「そうだったんですね。陽彩から検診は異常なかったと伺っていたので、てっきり雨が原因なのかと」
「ごめんなさいね。陽彩ったら、困らせないように隠したのかもしれないわ。体調が悪いなんて知られて、青柳さんから誘われなくなるのを避けたかったのね」
「鳴海さん、もう謝るの禁止です」
「ふふ……。貴方って亡くなった私のパートナーに良く似てるわ。正義感が強いところとか、そっくり」
鳴海は若くしてパートナーと死別してから、ずっと独身を貫いているのだと言う。
「姉から陽彩を任された時、独りぼっちじゃないって思えて嬉しかった。唯一の身内だった姉は、自分が病気を患ってからも余命を宣告されるまで連絡してくれなかったの。若い頃に実家を出てから徐々に連絡は途絶えていった。慎重な割に突然思い立って突拍子もない行動をとる姉だったから、海外に行っててもおかしくないと思ってた。なのに何十年も経って久しぶりに連絡が来たと思ったら、病気だからって。酷い話でしょ。それで、遂に私は独りになっちゃうんだって落ち込んでいたんだけど、姉から実は子供がいるって言われて……」
鳴海の話にはやはり矛盾がある。しかし怜志は話を途切れさせないよう、口を挟むのを我慢した。
「びっくりしちゃうでしょ。どうしても言えなかった理由があるって言ってね。両親なんて、孫の存在を知らないままあの世へ行ってしまったわ」
眉を八の字に曲げて苦笑する。困った姉でしょ、と続けた。
「でもその頃から陽彩は体が弱かったんでしょう? 正直、重荷ではなかったんですか?」
怜志の問いに、鳴海は首を振り「いいえ」と呟く。
「私には子供がいなかったし、守る存在ができたのは嬉しかった。姉や伊角先生たちの想いを自分も引き継いでいくんだって、使命を与えられた気がした」
前を向いた鳴海は誇らしく語り、その背中は真っ直ぐ伸ばされている。悪いことなんてしていないと、自信に満ち溢れている。
「でもね」と鳴海は続ける。
「私と伊角先生が出会ったのも陽彩を引き受けた時からなの。だからそれより以前がどうだったのかは、私の口から説明すると語弊を生むかもしれない。だから伊角先生から聞いて欲しいって言ってるのよ」
「分かりました。どんな内容だったとしても、受け入れます」
初めて会った時よりも雄弁だ。それは怜志を信用してくれたのもあるだろうが、人間、誰にも言えない話ほど話したくなるものだ。自分が経験してきた苦労を、苦労とは捉えていない様子ではあるが、それでも誰かに話を聞いて欲しかったのではないかと思った。
随分と話し込んでいて、気がつけば時計の針は午後六時近くを指している。手術は難航しているのか、まだ伊角が戻ってくる気配はない。待っている時間はやけに長く感じたが、鳴海との会話で幾分か気が紛れた。
鳴海には怜志と陽彩は好き合っていると伝えた。友達ではなく、もっと心の奥深いところで繋がっていきたいと。それを聞いて、陽彩を任せられる人ができたと喜んでくれた。
「私は長生きするつもりでいるのよ。でも、陽彩よりは先に逝ってしまうでしょう? そうでなくちゃ困るもの。だから青柳さん、陽彩をお願いね」
怜志は力強く頷いて見せた。
廊下から物音が聞こえてくる。陽彩の手術が終わったのか。二人してドアに注目した。
ほどなくしてノックして伊角が入ってくる。
「先生……」二人同時に立ち上がる。伊角は鳴海の顔を見るなり目を細め、「手術は成功しました」と告げた。
「あぁ……、ありがとうございます」
合掌のポーズをとりながら鳴海は頭を下げた。
「今、ICUに運んでいます。青柳くんにはすまないけれど、ICUは身内の限られた人しか入れないんだ」
「はい、承知しています」
「陽彩くんは快復が他の人よりも遅いのと、繰り返す移植と体力の問題で、麻酔の効果が切れても直ぐには目覚めない可能性も高い。平均的には三日くらいで一般病棟に移動できるのですが、いつになるかは今の時点ではお伝え出来ません」
「必ず会えるのならば、いつまでも待ちます。鳴海さんからも状態を教えてもらいますから」
「陽彩くんとの関係を続けるんですね。彼、意識が朦朧としている間、ずっと青柳さんの名前を呼んでいましたよ。そういう仲なんでしょう?」
「えぇ、つい昨夜ですが、想いを伝え合ったばかりです」
「アルコープに通っていると知った時、つい反応してしまいましたが、青柳さんから陽彩くんの話題にはならなかったので、話を広げるのを避けました。安易に食いついて墓穴を掘るわけにはいきませんから。あの頃から、陽彩くんとは交流があったんでしょう?」
「関係と言っても、やっと喋るようになったばかりって感じでした。俺はもっと強引にでも近付きたかったけれど、陽彩はどうでしょう。まだ警戒心の方が勝っていたと思います」
「そうでしたか」伊角は朗らかに微笑んでも、あまり表情は変わらない。半年以上付き合って、だんだんと機嫌が肌で感じるようになってきた。
鳴海から、姉と陽彩の話を説明する機会を設けて欲しい旨を伝える。
「そうですね」と自分に言い聞かせるように同意する。
「このまま、時間をくださいませんか?」
「俺はかまいませんが、伊角さんは術後で休みたいんじゃないですか?」
「術後は脳の興奮が治るまで時間がかかるんです。横になっても眠れないし、誰かと話している方が落ち着くので。コーヒーを頼んできます」
「じゃあ、俺がアルコープまで行って、軽食をテイクアウトさせてもらいますよ。安心したら、お腹空いてきましたし」
「確かに、私も腹ペコだわ」
スマホを取り出し神津の番号をタップしようとした既のところで鳴海に止められた。神津は陽彩がクローンの臓器を移植しているのは知らないのだと言った。体が弱いとしか伝えてないそうだ。
「分かりました。入院になった旨を伝えておきます」
今度こそ神津に電話をし、研究室を出る。外はすっかり暗くなっていた。肌寒い風が吹き、冬に入る準備が整ったように感じた。
陽彩がICUから出るまでは顔すら見られないのは寂しい。つい今朝まで一緒にいたのに。
運転をしながら、同じ曲をリピートして流す。陽彩が気に入ったインストバンドの楽曲だった。
一旦マンションに戻り、冬用のアウターを持ち出した。
研究室から帰る頃にはもっと冷え込むだろう。そのまま陽彩の側に残れる鳴海が羨ましい。不謹慎だとは分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
アルコープまで戻ったのとほぼ同じタイミングで、神津がテイクアウトの準備を終えた。
「しばらく、寂しくなりますね」
「はい。でも、俺は通いますから」
「青柳さんはすっかりウチの馴染みの顔ですからね。他の常連客が寂しがります」
神津は手際よく大きめの保温バッグにタッパーを詰め込んで手渡してくれた。
研究室に帰ったら、陽彩に関する全ての情報が聞ける。
逸る気持ちを抑え、安全運転に努める。それでも自然と車のスピードは上がってしまう。伊角の話を早く聞きたいのもあるが、何より、少しでも陽彩の側にいたいのだ。
車内には神津の作ってくれた料理の匂いが広がる。鼻から思い切り吸い込むと、腹の虫がそれに反応して鳴り響いた。考えてみれば、お昼頃に鳴海にもらったパンを一つ食べただけだ。
まだまだこれから伊角たちから話を聞く。鳴海が体力勝負だと言っていたのが解った。陽彩が心配なら、先ず自分が倒れてはならない。落ち込んで塞ぎ込んではいられない。
鳴海はもう何度もこの状況を乗り越えてきたのだと思うと、自分はまだまだだと感じる。
研究室へ戻ると、伊角は一度退室していた。陽彩の病室へ行っているとのことだった。
「直ぐに戻ってくるわ。せっかくだから、温かいうちに食べましょう。お腹空いたでしょう」
「運転しながら空腹と戦ってました」
料理を並べながら、再び鳴海に聞こえるほどの音でお腹が鳴った。
「良かったわ。突然、突拍子もない話ばかり聞かせて、食欲をなくしたらどうしようかと心配だったの」
「最初は驚きましたけど、伊角さんがなぜ研究を急いでいるのかとか、思い返してみれば腑に落ちることもあるなって思って、納得したら落ち着いて受け入れられました」
鳴海はオムライス、怜志はローストビーフ丼を手に取る。唐揚げやサラダ、フライドポテトに食後のコーヒーも水筒に淹れてくれていた。鳴海は「こんなに食べられない」と言っているが、これは怜志の食欲を考慮して気遣ってくれたのだ。
空腹を満たすべく勢いよく食べ進めていく。今なら無限に食べられる気がする。
鳴海は怜志の食べっぷりに思わず手を止めて釘付けになっていたが、気にせず食事を続ける。
そのうち、伊角も戻ってきてサンドウィッチとコーヒーを食べ始めた。
「伊角さん、そんな量で体保ちますか?」
「食べすぎると逆に調子が悪くなるので、このくらいで充分ですよ」
怜志とは正反対に、伊角は一口が小さくて女性のように所作が美しい。今度は怜志が伊角に見入ってしまった。
三人がある程度食べ終えたタイミングを見計らい。伊角が口を開く。
「それで、陽彩が鳴海さんのお姉さんの子供だという話でしたね?」
「はい。陽彩は俺よりも若いのに辻褄が合いません。でも鳴海さんが嘘を吐いているとも思えないんです。お姉さんが亡くなった時、陽彩はこの研究室で入院していたんですか?」
伊角は表情を一切崩さないで怜志の話を聞いていた。
そして、メガネのブリッジを指で押し上げ、レンズ越しの眸の奥に光を宿した。
「入院していたというと、正しい表現ではありません。正しくは『眠っていた』のです」
「眠っていた……って、植物人間だったとか? それとも別の症状で?」
どちらも違うと伊角は首を振る。そして鳴海を目を合わせて頷き合い、真実を語る覚悟を決めたように怜志と向き直した。




