7話 さようなら、捨て猫
「大丈夫か」
「まぶしいだけよ。人間って本当に光が好きねぇ」
王宮の広間は、あまりに明るすぎる。
天井から吊るされたシャンデリアの光が磨かれた床に反射して、あちこちで宝石が瞬いている。
レオナルドは、顔見知りも多いからかすれ違う人に呼び止められていた。
おめでとうございます、ご立派ですわ、と口々に言われながら、彼はこわばった表情で頭を下げている。
勘当された次男が試験を通ったのだから、その言葉の裏に何が混じっているかくらい、彼にもわかっているのだろう。
それでも、堂々としたレオナルドの姿に貴族たちは圧倒されていたように思う。
「レオナルド様も変わられましたな」
「うちの養子になってもらうのもいいやもしれんですな」
そんな嬉しい呟きが耳に入ってきて、なぜか私が誇らしげな気持ちになる。
どうだ、すごいだろう。うちの飼い猫よ。
挨拶を繰り返して慣れてきた時、一人が、ふと私に目を留めた。恰幅のいい、年配の男だ。
「……そちらのご令嬢は」
「ああ、お世話になった家の娘さんだ」
(嘘は言っていないわ)
レオナルドが用意していた紹介に、私が微笑んで頭を下げると、男の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「ま、まさか、あなたは……南の、魔女では!?」
(――あ、しまった)
じっくりと彼の顔を見てみれば、確かに見覚えがあった。
この男が若い頃、私の店に薬を買いに来ていた。あの頃はまだ痩せていて、髪だってふさふさしていたのに。
けれど、人間の五十年など、魔女には昨日のようなものだけれど、彼は私の顔は、あの頃と何も変わっていないのに、驚いたのだろう。
「ど、どうして、魔女様がここに……!」
あまりに大声をあげるものだから、貴族たちが一斉にこちらを振り返った。
「魔女ですって!」
「レオナルド様が、魔女を連れて?」
ざわめきが広間に広がっていく。レオナルドが私を庇うように半歩前へ出た。
「彼女は俺の恩人だ。何か問題でも?」
「あら、恩人ですって」
人垣が割れて、真っ赤なドレスの令嬢が進み出てきた。金の髪を結い上げ、扇で口元を隠している美しい令嬢だった。
彼女を見たレオナルドの体が、はっきりと強張った。
「……オリヴィア」
(ああ、彼女が婚約者の……)
そう思った瞬間、胸の奥が嫌な感じにざらついた。
彼のことを裏切ったくせに、私の知らない彼の一面を知っているというのが、悔しくて奥歯をぎゅっと噛み締める。
「驚きましたわ、レオナルド様。行き場をなくして魔女に拾われたなんて」
「魔女に拾われて何が悪い」
しかし、レオナルドも毅然とした態度で彼女に言い返す。オリヴィアは虚をつかれたような顔をしたあと、ふっと笑った。
「あら、珍しい。貴方が言い返してくるなんて」
オリヴィアの態度は相変わらず高圧的だ。
レオナルドの反撃も全く効いていないようで、彼女は、余裕たっぷりの笑みを浮かべて、私のほうを見つめた。
「でも、残念だわ」
「何がだ」
「ふふっ、レオナルド様はご存じないの?」
オリヴィアのエメラルドのような瞳がすっと細められた。
「――南の魔女様といえば、人間を殺したことで有名ではないですか」
その言葉に、広間がいっきに静まり返った。レオナルドは凍り付いてしまったのかというほど、固まって動かない。
「遥か昔、病の娘を治すと言って薬を渡して、殺したんでしょう?」
(――ああ、その話は)
レオナルドに知られたくなかったのに。
嘘だと言い返したいけれど、言い返せるだけの材料も証拠もない。ただ俯いて、その場でぎゅっと手を握りしめた。
肩の古傷が、ずきりと痛んだ気がして思わず手で押さえた。胸が締め付けられて、息が上手く吸えなくなってしまう。
そんな私の背中に、ゆっくりと温かい手が添えられた。
「大丈夫だから。俺は分かってるから」
「分かってるって……?」
レオナルドに、過去のことを詳しく話したことなんてない。きっと気になるはずなのに、傷跡のことも何も聞いてこなかった。
もしかして、それはレオナルドの優しさだったのだろうか。
彼は、オリヴィアを睨みつけるように真っすぐと見据えた。
「……彼女がそんなこと、するわけないだろ」
レオナルドの真っすぐな声が広間に響き渡った。
(う、そ。庇ってくれたの……)
だって、その話が本当の話の可能性だってあるだろう。私が悪い魔女だったらどうするのだろう。
「きっと彼女は人を助けようとしたんだ!」
「まあ、レオナルド様は見ていらしたの? 憶測でものを言うのは貴方の悪い癖ね」
こればかりは、オリヴィアの言う通りだ。貴族たるもの、そんなに簡単に人のことを判断しては――
「見てなくてもわかる! ヴィオラはそんな人間じゃない!」
ああ、レオナルド・フォーサイスという人間は、なんて真っすぐで、素直で、眩しい人なんだろう。
浮気した婚約者を裏から陥れるようなこともせずに、真正面から婚約破棄を突きつけて、家を追い出されたかと思えば、人間から嫌われている魔女を「普通の女の子」だなんて言ってのける。
彼が輝いて見えるのは、会場が眩しすぎるわけでも、私の視界が潤んでいるからでもないだろう。
レオナルドは、じめじめした私の土砂降りの心を一瞬にしてからっと晴れさせる、魔法使いなのだ。
「人間ですって。……魔女なのに」
オリヴィアが扇を閉じて笑うと、周りの何人かもそれに続いて笑った。
「レオナルド様。あなた、魔女に肩入れしているの? そんな人間が行政官なんて務まるのかしら」
オリヴィアは怪訝そうに顔をしかめた。
(――まずいわ)
私は広間を見回した。誰も、レオナルドの味方をしていない。
さっきまで祝いの言葉をかけていた貴族たちだったが、今は一歩下がって彼を遠巻きに見ている。
当然だろう。あの日から魔女は恐ろしい者として、迫害をされ続けているのだから。
このままでは彼は、ようやく掴んだ場所を、また失ってしまうことは自明だった。
思い出されるのは、レオナルドが夜遅くまで勉強していた時の真剣なまなざしだ。
王都に帰りたいと切なげに零した声色だ。
そして。
いつか、行政官になったらデートしてやると言ってくれた淡い約束だ。
(本当に、人間ってつまらない)
だったら、つまらない話に乗ってあげよう。人間が信じたいものを、そのまま信じさせてやればいいのだから。
私はレオナルドの前に出た。
「――そう、本当よ」
自分でも驚くくらい、悪女のような声が出た。
「人間を殺したのは、本当。私がやったの」
ざわめきが大きくなり、オリヴィアが勝ち誇ったように扇を広げる。
「おい、何を言って」
「それから、あなたを飼っていたのも遊びよ。もしかして、本気にしてた?」
とん、とレオナルドの肩を突き飛ばすように押した。
我ながら、うまい演技だと思う。目の奥が熱くなっていくのを堪えて、オリヴィアなんかよりも余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「何百年も生きていると退屈なの。だから貴方に目を付けたのよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ」
「嘘だろ! アンタは、そんな奴じゃない……」
痛いくらいの力で腕を掴まれた。私はその手を、ぱしんと閉じた扇子で叩いた。
「言ったでしょう。魔女は人間の恋人になんてならないし、結婚もしないって。人間って騙されやすくて本当に馬鹿ねぇ」
その言葉に、レオナルドの顔が、じわじわと歪んでいく。
ショックを受けているのだろうか。私のことを嫌いになってしまっただろうか。
でも、それならそれでいいやとも思う。
どちらにせよ、別れが早くなっただけなのだから。
(孤独な私に、一瞬でも夢を見せてくれてありがとう)
精一杯のレオナルドへの感謝を込めて。
私は一歩下がって、広間の全員に聞こえるように言った。
「レオナルド・フォーサイスは――良い操り人形だったわ」
貴族たちは、顔を見合わせた。驚いたように各々声を上げる。
「レオナルド様は、優秀だから魔女から目を付けられたのだろうか」
「まさか、オリヴィア様への婚約破棄も魔女に操られて……」
「最初から我々は魔女の手のひらの上だったということか!」
私は心の中でほくそ笑んだ。オリヴィアの婚約破棄も「魔女のせい」に出来るのであれば、レオナルドの名誉回復は上々だろう。
「……貴様! 我が息子になんということを!」
すると突然、私の前に真っ青な顔をした男が飛び出してきた。レオナルドの父であるフォーサイス侯爵である。
(自分の息子を捨てておいて、今更被害者面ねぇ……)
侯爵は私のボレロを掴んでぐっと引き寄せた。まるで、今にも殴りそうな勢いである。
(まあ、でも)
これで、レオナルドは被害者になった。
魔女に騙された哀れな男なら、同情も集まるだろう。
侯爵の肩越しに、レオナルドが固まっているのが見える。唇が震えており、今の状況を信じられないという目で見ている。
「――じゃあね。さようなら、捨て猫」
私は、侯爵を突き飛ばすと、魔力を練り上げた。
北の魔女がやっていたワープの魔法を、見よう見まねで真似してみる。彼女ほど綺麗にできる自信はないけれど。
「待て! ヴィオラ!」
奥から伸ばされた手が、私の指先をかすめた。
私の体はすうっと薄くなって――王宮の広間から、跡形もなく消えた。
本日の18時頃最終話を投稿いたします!
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