8話 それはきっと罰などではなく
私は、雨の日が嫌いだ。
じめじめしているし、濡れるし、寒い。……それに雨の日は、かつて拾った捨て猫のことを思い出すからだ。
レオナルドとの別れから10年が経った。
私は、レオナルドが暮らしていた王国から、遠く離れた国々を点々として、かつてのように放浪の旅を続けている。
視界いっぱいに広がる流氷を眺め、どこまでも続く満天の星空を眺めて、広大すぎる海を渡った。綺麗なものを沢山、目に焼き付けた。
それにギリギリの貧乏暮らしもなくなった。魔女の薬はそこそこ売れて、お金もそれなりに手に入れたのだ。
それでも、ただ、私の心が埋まらないのは。
心にぽっかり穴が開いているのは。
こんな年月が経っても忘れられないのは。
(何を、今更。この国に戻ってきても、何もないのに)
人間の十年というのは、長い。
きっと、レオナルドは結婚して子どもだっているはずだ。とても、彼の幸せを邪魔する気にはなれない。
空を見上げた。
雨が目に降りかかってくる。ああ、こうしていれば、私が泣いているのも分からないかもしれない。
「あの後ね、色々な国を点々としたわ。けれど、私の部屋は散らかりっぱなしで、ご飯も全然美味しいと思えなかったの」
今までの生活に戻っただけなのに、その上の幸せを知ってしまったら、そこにあるのはただの惰性の暮らしだった。
レオナルドに会いたい。だけど、彼の幸せの邪魔をしたくない。
彼は貴族で、人間で、きっと思い描く未来に私なんていないはずだから。
『自分のためじゃなくてね、他人のために何かしてあげたいと思うことが愛なのよ』
ふと、そんな母の言葉を急に思い出した。
ああ、なんだ。簡単な話じゃないか。
私は、レオナルドのことを確かに、愛していたんだ。
「ねえ、レオナルドは今、幸せ?」
溢れだした思いを、痛いくらいに胸を締め付ける気持ちを、空に向かって投げかけた。
別に、レオナルドと結ばれなくたっていい。
ただ、貴方が幸せで、健やかに生きていてくれれば、それでいいの。
あふれる涙を抑えるように、その場にしゃがみ込んだ。
本当に馬鹿じゃないだろうか。返事なんて返ってくるはずもないのに。
「……ああ、幸せだよ。また会えて」
そんな言葉が聞こえた気がして、私は思わず振り返った。――そこには、傘を差したピンク髪の華のある青年が立っていた。
見間違うはずがあるもんか、でも、どうして。
「……レオナルド、なんでここに」
やっとの思いでそう絞り出せば、彼は数歩歩いてきて、傘をこちらに傾けた。
「なんでって、俺がどれだけ探したと思ってるんだよ!」
不機嫌そうなその顔は、十年前よりよっぽど大人びていて、心臓がおかしなくらいに早鐘を打つ。
「どこほっつき歩いてたんだ。この迷い猫」
「ま、迷い猫……」
「飼い猫が逃げ出したら、迷い猫だろ?」
「飼い主は私の方だったでしょ!」
そう言い返せば、レオナルドはくしゃりと笑った。
「……遅くなったけど、迎えにきた」
差し出された左手の薬指には、指輪が無い。だけど、普通の貴族ならもうとっくに結婚している年齢のはずだ。
「レオナルドは、結婚していないの?」
「なんで、相手がいないのに結婚なんかできるんだよ。アンタが帰ってくるのを待ってたのに」
至極当然のように彼は言ってのけるけれど、それじゃ、まるで、レオナルドは私と結婚するかのような――
「ずっと好きだったのに」
その言葉に、目の前にぱちぱちと光がはじけ飛んだ気がした。
綺麗な流氷も、満天の星空も、広大な海だって。どんな綺麗なものよりも、雨に濡れてそう言った彼の言葉があまりに美しくて、涙が零れ落ちた。
「ちょ、アンタ。なんで泣くんだよ!」
「だって……」
ああ、私は幸せになってもいいんだろうか。
もう、孤独に耐える必要はないのだろうか。
こんな、愛を知ってしまっても、いいのだろうか。
「泣くなよ」
突然、ぎゅっと抱きしめられて、冷えた体に彼の体温が伝わってくる。
「ヴィオラのその孤独も、辛さも、一緒に抱えたい。駄目か?」
「駄目じゃないけれど、私なんかでいいの……?」
恐る恐る顔を上げれば、信じられないというくらいに呆れた顔をしたレオナルドと目があった。
「アンタさ、自分がどれくらい綺麗で、優しくて、健気なのかわかってんのか!?」
突如として、彼の口から紡がれる私への褒め言葉に思わずむせこんでしまう。
自分のことは捻くれ者だとは思っているけれど、綺麗だとか、優しいとか、健気とか誰の話かと思うほどである。
「私のこと、そ、そんな風に思ってたの!?」
「自己評価低すぎるだろ!」
ふうと溜息をついたレオナルドは、雨に濡れた髪をかき上げた。
「俺、めちゃくちゃ偉くなったんだぞ。侯爵家は俺が乗っ取ったし、オリヴィアは今までの悪事が祟って今や檻の中だ」
「待って」
あまりに情報量が多すぎないか。
「それに、行政改革も進めて魔女への偏見も無くした。王都でも堂々と暮らせる」
「ちょ、ちょっと、待って」
「なんだ、良いところなのに」
レオナルドは、むすっと顔を顰めるけれども、それどころじゃない。いくら行政官で出世コースに乗ったからって、なんでも好き放題にできるわけじゃない。
きっと、彼はとてつもない努力をしたはずだ。
「レオナルド、頑張り過ぎじゃない?」
「そりゃ、アンタと暮らすためだからな」
レオナルドは、ひとつ息をついてからゆっくりと告げる。
「なあ、一緒に暮らそう。そして……」
「そして?」
期待を込めて、彼を見つめれば、自信過剰なほどの笑みを返してくれるのだ。
「――俺と結婚して欲しい。南の魔女の、ヴィオラ様」
ああ、やっぱり。
私は雨の日が大好きだ。
◇
「だから言ったじゃろうが。近々、死ぬと」
北の魔女は、とある墓石の前に立っていた。
彼女は、数千年生きている。そのため、人間の寿命など瞬きしている間に終わってしまう気さえする。だけど、どれだけ生きていても別れには慣れないもので。
――魔女は、恋を知ると寿命が縮む。
けれども、それは、人間を愛した罰などではなく、愛する人間と添い遂げるためのものだと、他の魔女たちは知らないだろう。
「げっ、北のばあばじゃん。またパパとママのお墓に来てんの? 暇だね~」
ふと後ろから声をかけられて振り返る。
そこには、南の魔女が立っているではないか。
「誰がばあばじゃ、クソボケ! やっぱ、親には似るんじゃなぁ」
「はあ? パパとママの悪口は許さないからね」
頬を膨らますこの子も、いつか恋を知ってしまうのだろうか。そう思うと、少し寂しい気もするけれども。
北の魔女は、くるりと墓を振り返った。
「じゃあ、またな。ヴィオラ」
本作を見つけていただき、また、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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