4話 引きこもり魔女が引きこもるのは
以前は目が覚めたら適当に棚を漁って、何かあれば食べるし、何もなければ適当に薬草をかじっていた。
それが今や、台所からする音で目が覚める。
たまに「塩はどこだ」とか「フライパンはないのか」とか文句の声が聞こえてくるのも、最初は煩わしかったけれど。
レオナルドがやってきて数か月が経って、そんな日常がいつの間にか当たり前になってしまっていた。
「おはよう」
「……遅い」
テーブルには、ポタージュスープと、きつね色に焼けたパン、半熟の目玉焼きが並んでいた。いつも近くの村まで買い出しに行ってもらっているおかげで、食材が切れることもなくなった。
私がぼんやりと椅子に座ると、レオナルドが向かいで腕を組んだ。
「アンタ、俺が居ない時はどういう生活を送ってきたんだ」
「魔女は昔のことは振り返らない主義なの」
スープをひとくち飲んだ。かぼちゃを丁寧に潰して作ったポタージュスープだというレオナルドの説明を聞き流す。
私が何も言わずに飲み続けていると、レオナルドはふんと鼻を鳴らした。
食事を終えると、彼は分厚い本をいくつか取り出して勉強を始めた。
王都に戻ると宣言してからすぐ、彼は「俺は、行政官の試験を受けるんだ」とさっそく次の目標を見つけていたのだ。
行政官というのは、国王に仕えて政治を動かすエリートである。
貴族も平民も関係なく受けられる試験で、出世すれば、宰相や大臣への道も開かれている。だが、試験内容はかなり難しく、幼い頃から教育を受けてきた貴族の子女でも試験に落ちるのは日常茶飯事だった。
「ふうん、難しそう」
「魔法の方がよっぽど難しいと思うけどな」
法律とか、政治とか、魔女にはさっぱりわからない。
彼が小難しい勉強に取り組んでいる間、私は魔法薬を作ることにした。魔女の収入源は専らこの薬作りだ。
昔は私だって「魔女様」と持ち上げられており、人間とも積極的に交流していた。
薬の材料を用意しながら思い出したのは、昔、婚姻届を持ってきた男のことだ。
当初は薬を目当てにやってきた彼だったが、一緒にお茶を飲んでいるうちに、少しずつ仲良くなっていった。妙に私に懐くその男に、だんだんと私も絆されていってしまったのだ。
『魔女様、結婚しよう!』
そう言って婚姻届を差し出してきた彼のことを、本気で好きになりかけていたのだと思う。
そんなある日、彼の幼馴染の少女が不治の病にかかった。彼に縋りつかれて、せめてもと痛みを和らげる薬を作った。
結局、彼女はその3日後に亡くなってしまったのだが、彼を含めた村人たちは私への態度ががらりと変わった。
『魔女の薬は万能ではないの、人の死には抗えないのよ』
『嘘つけ、お前が殺したんだ!』
やはり自分と違う生き物のことは恐ろしいと感じるのが動物の本能なのだろうか。所詮、魔女と人間は分かり合えないのだろうか。
『……その魔力で、いつか俺も殺すつもりなのだろう! この悪魔め!』
あれだけ好きと言ってきた彼のことを、本気で信じたかったのに。
大きくナイフを振り上げられ、私は切り付けられた。肩から胸にかけて、今も痛々しい傷が残っている。
それから、魔女の悪い噂が流れるようになって、私は追われるように各地を点々とするようになった。
今ではすっかり魔女は人間から差別されているけれど、やはりその力にすがりたい人間がいるのも事実である。日々、人目を忍んで私の元には依頼が舞い込んでくる。
今日の依頼は熱病の予防薬を作ることである。
私はグツグツと煮えたぎった鍋の中に材料を入れていく。しかし、考えごとをしていたせいなのか、勢いよく混ぜてしまったせいで紫色の液体がばしゃりと跳ねてしまった。
「わっ……」
じゅっと音を立てて、魔法薬が腕にかかった。その部分から、だんだんと紫色に変色していき、私は思わず溜息をついた。
(やってしまったわ)
熱病の予防薬を作るには、まず一度だけ「発病薬」を作る必要がある。
そして、今し方浴びたのがその発病薬だ。残念ながら、服用すると熱病そのものとまったく同じ症状が現れる。
口から飲んだわけではないので、多少はマシだろうけれど。
(これは、しばらく寝込むことになりそうね)
自分のガサツさを恨みながら、私は火を止めた。さすがに、この状態で魔法薬づくりはできないだろう。
だんだんと頭がぼうっとしてきて、体温がじわじわと上がってきているのがわかる。
よろめきながら、なんとか自室まで向かおうとしていたら、不意にぐっと腕を掴まれた。
「どうしたんだ!?」
顔を上げると、そこにはひどく心配そうな顔をしたレオナルドがいた。
「大丈夫、間違って薬をこぼしちゃっただけよ」
「薬って?」
「熱病の、くすり……同じ症状になっちゃう、発病のくすり……」
一週間かそこら熱を出すだけだ。幸いにも、薬の完成期限まではまだまだ時間はある。
だから、ここで倒れたところで問題ない。まあ、よくあることだ。
「おい、それって結構まずいんじゃ――」
そんなレオナルドの声を遠くで聞きながら、私は、その場で意識を手放した。
◇
私が目を覚ますと、視界の端に鮮やかなピンク色が映った。
「良かった。目を覚ました」
ベッドの傍に椅子を引いて、レオナルドが座っていた。腕を組んで、難しい顔をしたままだ。
「何、ベッドまで運んでくれたの?」
「倒れたんだから当たり前だろ」
突き放したような言い方だったけれど、枕元には水の入ったコップと濡らしたタオルが几帳面に並んでいた。
レオナルドは、横になった私の頭の下にクッションを入れて頭を起こしたあと、スプーンを差し出してきた。
「なに、これ?」
「オニオンスープだ」
「……自分で飲めるわ」
器を受け取ろうとしたら、レオナルドが引っ込めた。
「熱があるだろ。アンタはじっとしてろ」
スプーンを口元に持ってこられて、私は仕方なく口を開いた。
(……全く。子どもでもないのに)
そう思いながら、スープを飲みこむ。玉ねぎをじっくり炒めた甘みが、じんわりと喉に伝った。甘くて、美味しくて、なんだか泣いてしまいそうな気持ちになった。
人間というのは、裏切る。
どんなに、私が人間に好意的でも、いくら優しくしても。結局は、自分と違うものを排除したがる。
そんなことは生きてきて、何度も経験してきたはずなのに。痛いくらい、身に染みているはずなのに。
「……おい、それ」
レオナルドが驚いたように私の肩を凝視しているから、思わず視線を落とす。
寝ていて、服が着崩れたのだろう。胸元が少しだけはだけて肩の古傷が露わになっていた。
「それ、切られた跡だろ。大丈夫かよ」
私は反射的に彼の手を払ってしまう。別に、彼は私に触れようとしたわけじゃなくて、もう一口スープを差し出してくれただけなのに。
「さわらないで……!」
からん、とスプーンの落ちる音がした。
怖い。これ以上、レオナルドに近づかれると、また信じてしまいそうになる。熱で浮かされた頭では、なおのことだ。
「もう、嫌なの。誰かに裏切られたくもない! 信じたくもない!」
きっとレオナルドからしてみれば、何を言っているのか分からないと思う。
それでも、彼を拒絶しないとおかしくなってしまいそうだった。
せっかくの彼の親切を、無下にしたのだから、きっと私のことを嫌いになったはずだ。
そう思って、彼の不機嫌な顔を拝むために恐る恐る顔を上げてみれば――なぜか、眉を下げて笑っているレオナルドと目が合った。
「――じゃあ、裏切られた者同士だな、俺ら」
なんだ、それ。
一気に肩の力が抜けて、先ほどまでの恐怖や緊張感がほどけていった。
(ああ、駄目ね。この男に絆されてしまう)
ふっと顔を上げると、レオナルドはこちらをじっと見つめていた。
「アンタって、思ってた感じと違うよな」
「どんな感じだと思ってたの」
「もっと、怖い感じ。近づいたら呪われそうな」
レオナルドは窓の外に目をやった。
「なんか……普通の女の子だなって」
「ふつうの、おんなのこ」
何百年も生きている魔女に向かって、女の子とは何事だ。
そう言い返そうとしたけれど、思えば今までの人生で、私は嫌われるか無駄に崇められるばかりで対等に接してこようとした人間なんて誰もいなかった気がする。
私を殺そうとした男だって、結局は、私の物珍しさに酔っていただけだ。
「……魔女って、もっと謎めいてるとか、近寄りがたいとか、そういうもんだと思ってた。でも、アンタは家事能力皆無だし、うっかり薬こぼして熱出すし、見ていて危なっかしいというか……」
「それ、馬鹿にしてる?」
「してないけどさ」
レオナルドは少し黙ってから、また口を開いた。
「アンタ、俺がいなかったら、どうするつもりだったんだ」
「別に床で気絶したまま寝たらいいじゃない」
「本当に、俺が居なかったら生活能力皆無だよな」
レオナルドはそう言って、くしゃりと破顔した。
その笑顔が、妙に眩しくて。
なんだかこの時間が永遠に続けばいいのになと思ってしまう自分は、なんて単純で馬鹿で学びがないのだろう。
人間なんて、すぐに裏切るし、すぐに死んでしまうのに。
「貴方は、王都に戻って何がしたいの?」
「家名を汚したままにはできない。誤解を解いて、父に認めてもらう」
「そう、殊勝なことね」
私はそう言って目を閉じた。
(帰って欲しくない……)
ほんの数年でも良いから、ここに居て欲しいと、そう思ったのは掃除人と料理人と有事の際の看病係を同時に失ってしまうからなのかもしれない。
きっとそうだ。寂しいなんて思う訳がない。
だって、私は孤独な魔女なんだから。
◇
すうすうと目の前で寝息を立てている彼女の髪を、そっと撫でた。気まぐれで俺のことを拾ってくれた飼い主さま。
「俺が行政官になったら。アンタも堂々と王都で暮らせるだろう。本当は人間が好きなくせに」
絶対に、孤独になんてさせない。そう固く誓うのだった。




