第二十六話:宵月に宴・弍
〝ルナード・デイブレイク〟は一度の『死』と『拝謁』を経て、『月読唱える冥墓神』が司る『引力・斥力』を神通力によって操ることができるようになった。
ただし、彼自身の神通力制御の未熟さと戦闘経験の浅さから、実践的な運用が可能となるのは自分自身に対する『引力・斥力』と『重力』のみ。
これまでの戦いではそれで十分だった。
彼の追っ手として遣わされる木端の魔族は元より、積極的に狩ってきた高位魔族であっても彼の拳には耐えられなかったからだ。
拳に引力を働かせて勢いをつけ、インパクトの瞬間は斥力を働かせて空間が歪むような内に響く打撃。
さらには彼自身に働く重力を加算し、重さの籠った追撃を放てばどんな敵もひとたまりも無い。
しかし、今日の敵は――、
「(こいつ……ッ、神通力の強度も制御も半端じゃねェ……!!でかい口叩くだけのことはありやがる!俺の攻撃がここまで効かねェなんて初めてだ……!!)」
神通力の出力による強度は、神徒の攻撃力と防御力に直結する。
楓眞のそれは、ルナードのそれを裕に上回っていた。
神通力の制御に関しても評価を付けるなら、まさに神懸かっているの一言だろう。
元より運用の難しい空間系の能力によって鍛えられた彼の神通力の制御技術だ。そこから神通力の流動を読んで次の攻撃を察することは至難といえる。
加えて、受けるダメージを最小限に抑える完璧な神通力の采配。
――神通力の運用に関しては、かの伊織圭に「文句のつけどころがない」と言わしめるほど。
ルナードも類稀な戦闘センスと莫大な魔力量を武器に対抗するが、徐々に追い詰められていく。
「ク、ソッ……がァ!!」
「面白い!!キミの能力、色々応用できそうだ!!」
重力や自身に働く物質間の引力・斥力を巧みに操って空を駆ける、翔ける。
三次元の移動を駆使して楓眞の視界の外からの攻撃を試みるが、背中に目がついてるかのような完璧な対処をされる。
空間把握能力に関しても楓眞に軍配が上がるようだ。
さらに、部が悪いことを悟って距離を取っても『不可視』の転移でルナードの頭上へと現れ、楓眞の間合いの内となる。
「ッ、どこに……?!」
「ほら、もっと……!」
「――!!ぐ、ッ……!(この転移もそうだが、むしろ厄介なのは……ッ)」
彼の掌には不気味な神通力が纏われており、通る軌跡は虚無へと転送される。
ルナードは急所を狙うものを瞬時にジャッジして、楓眞の手首を払い、『不可逆』の猛攻を凌ぐ。
「(魔力で再生ができるといっても、それは死ななければの話。――この掌の神通力だけは、当たりどころが悪ければ、俺でも一撃で致命傷になりうるッ!!)」
「もっと、キミの『人』を感じさせて……!!」
「ッ、見下ろしてんじゃ……ねェッ!!」
滞空手段があり、空での機動力を持つルナードに対して、楓眞はあくまで『門』を介して現れるだけだ。
自由落下が始まってしまえば、手足での格闘はできても浮上や接近の手段はない。
ルナード側は機動力を活かしてヒットアンドアウェイに徹するのが定石だろう。
だが、彼はここで敢えてリスクを抱えて、自ら楓眞へとぶつかり合いにいく。
「……うん?(遠距離の攻撃手段は無さそうだったけど、だからといってここで僕の間合いに入る理由は……まぁ、いいか)」
当然、迎え撃つ楓眞の掌がルナードへ迫り肉体を掠める。
腕、脇腹、首筋……と、肉が抉れ鮮血が舞う。
卓越した精神力を持つ者であっても絶叫し手を止めてしまうような痛み。
数多の傷を負ってもなお、人類の秩序のため立ち上がってきた歴戦の退魔師であっても顔を歪ませはするだろう。
しかし体質がそうさせるのか、はたまたそこに至った過程や過去がそうさせるのか、それらは定かではないがたった一つだけ言えることはある。
――彼、〝ルナード・デイブレイク〟は痛み程度で止まらない。
「なに……ッ」
「クハッ、これで俺が上だぜェッ?!」
密着するほどに接近したルナードは、身を削りながらもさらに楓眞を引力で引き寄せて足で固める。
それからぐるりと宙で上下の立場を反転させた。
「おら、次は俺の番だァ!!」
「ははッ、いいね!!キミ、イカれてるよ!!」
楓眞は身動きができず、『門』を潜ることができない。仮に背後に『門』を生み出しても、ルナードも共に転移してしまい意味がない。
二人とも、この僅かな自由落下の時間の中でできる事は何か……?
――それは、超至近距離で行われる純粋な殴り合い、削り合い。
「ハッハハァッ!!【奈落の星屑】ッッ!!!!」
「ッ゛、ッ……はっ、効くねぇッ!!」
虚津神の司る能力を概念として纏った拳が、楓眞のガード上を連続で撃つ。
厚い神通力で覆われていても、じわじわと内側に響く鈍痛がダメージを蓄積していく。
ルナードは分厚いフードに覆われ、闇に包まれた中でも伝わるほどに凶悪な笑みを浮かべていた。
しかし、対する楓眞は焦らず、ラッシュの嵐の中の僅かな隙間を見逃さずにその絶死の掌を突き出す。
「フッ!!」
「チッ……ッ、クソッ!!」
向かう先は一撃で仕留めることができる首。
殺気を感じ取ったルナードは大きく首を横に逸らすことでギリギリ回避する。
外れた攻撃はルナードの首筋を僅かに掠め、そのまま頭部を覆っているフードを剥いだ。
これにより、顕になった彼の顔を隅々と観察するように楓眞はズイッと顔を近づけ、それからニヤリと笑う。
「あはッ……ほら、次はもっと顔をよく見せて?」
「あァ……?」
楓眞の視界にまず映ったのは、ネオンの喧しい夜街にあって、それよりなお存在を主張するような黄金色。光を一点に集めたような眩いその金糸は、獅子の毛並みを想起させる。
さらにそれを助長するのは、ネコ科の動物を思わせるキリッとした目つきと、あどけなさの中に野生みが混じった鋭い雰囲気。
紅玉と蒼玉、二対の玉石の輝きが月下で交わり落ちていく。
そして――、
「へぇ、中々イケてる顔してるんだねキミ」
「ハッ、初対面で殺そうとしてくる奴に言われても嬉しかねェよ」
そんな他愛のない僅かなやり取りの後、二人はすぐそばまで迫っていたアスファルトの大地へと堕落した。
稲妻が走ったような衝撃が地表を裂き、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
周囲には欠けたアスファルトの砂利や砂が舞った。
楓眞は子供らしい華奢な体格で、ルナードもそれより大きいとはいえ成人男性の平均程度。
その二人による、およそ上空二十メートルからの落下だ。
体重と落下距離から、この規模の破壊が起きるはずはなかった。
すなわち、ルナードが自身に加重した結果である。
「いたたた……あぁ、酷い目に遭った」
「ハッ、良いクッションだったぜェ」
白い土煙が立ちこめる中、直前に落下した二人が軽口を叩きながら姿を表す。
楓眞は背中を強く打ったようで、腰に手を当てながら。
ルナードは落下のダメージこそないようだが、直前の負傷であちこちから血を流しながら。
「(今のでほぼノーダメージかよ……空中だと転移が厄介になるし、どちらにせよ接近しなきゃなんねェ以上、あまり旨みが無い……か?)」
「(必要とはいえ神通力使いすぎなぁ……やっぱ空中戦になると、神通力の削り合いになって部が悪いね)」
内心を隠しながら、互いの様子を見やる。
強み弱み、先までの展開や現在の己の状況、フィールドやブラフまで分析していく。
そのような読み合いになればやはり、戦闘経験値が豊富な者に軍配が上がることが多い。
「(それに、魔力運用に関しちゃそれほど……なら、突くのはそこだな)」
「(これだけ神通力ふんだんに使ってアピールしたんだ。……だから、地上で戦おうね?やりにくかったでしょ?)」
ルナードは身を低くして、その場で構えを取った。……楓眞の思惑通りに、地上で接近戦に持ち込むつもりで。
楓眞は不敵な笑みを浮かべ、こちらも構えを取った。
力を適度に抜いた自然体の綺麗なフォームだが、本来拳を構える位置で手だけは開いた状態。
「さぁ、第二ラウンドだ」
「……」
しゅうぅぅぅ……と、音を立ててルナードの身体が修復されていく。
魔素のように他部位から無理やり持ってきてくっつけるような乱暴なものではなく、蠢く魔力が肉と骨と血を一から作りあげていくような冒頭的な絵面。
少なくとも、魔縁の匪徒でも魔力適正者でも見受けられない、楓眞は初めて見る光景だった。
「……」
「……」
構えながら、二人ともジリジリと距離を接近させていく。
ルナードの修復が間もなく終わりを迎える。首筋をはじめとした裂けた傷口は塞がり、新しく流れる血液もない。
現時点で、ほとんど完全に出会った当初の姿に戻っている。
時が迫り、気が張り詰めていく長いようで短い瞬間の後……パソコンの熱処理の稼働音に似た、どこか言い表せないような不快感を擽ぐる音が完全に止んだ。
ルナードの再生が終わったとき――それが、戦闘再開のゴングとなった。
体格に優位があるルナードの間合いの方が広い。
その間合いに入った瞬間に、目にも止まらぬ左拳のジャブが乱れ撃たれる。
彼の一撃には全て神通力と能力によるバフが乗算される。
だから、牽制のジャブとはいえ、決して無視できない一撃へと昇華される。
――『月読唱える冥墓神』【奈落の星屑】!!――
「シッッ……!!」
「ッ、フッ――!!」
楓眞はそれらを手の甲で捌き、四撃目には掌で掴むフェイントを入れた。
対してルナードは、いち早く動きを察知して手を引き、長い脚を活かした前蹴りへと切り替える。
が、既にそこに相手は居らず、背後に気配を感じる。
「……ほら、こっち」
「――!!」
――『岩戸坐す御門神』【禁足-不可視の廻廊-】――
前蹴りを後退して避けると同時に『門』を開いて転移していた。転移した先で両手を突き出してルナードへと迫る。
それに対して回避が間に合わないと判断したルナードは、左腕を前方に押し出して掴ませる。
グシャ、ブシュッ……!!
そんな異音と鉄の匂いが両者の間を突き抜け、ルナードの左腕は完全に千切れ落ちる。
しかし彼は千切れた左腕を楓眞に押し付けるように投げ捨て、構わず引き絞った右拳を放つ。
「ハッ、いらねェ!!」
「……ッ!!(この痛みに対するニブさ……調子が狂うな)」
力の入った拳が炸裂する。
僅かに引き寄せられ、その後内側まで衝撃が響くような反発力を持ったガードを突き抜ける一撃に、楓眞も思わずタタラを踏む。
その隙に、ルナードは左腕が再生しきるのを待つことなく、右半身を前にして攻勢を維持する。
ギラギラとした捕食者の目――猛獣の姿が背後に浮かぶような気迫を前に、楓眞は熱と冷静さを見事に同居させて戦況分析と考察を続ける。
「(ここまで拳を交えて、少しは理解が及んできた。彼の肉体は魔素なんかではなく、肉と骨でできている。だけど肉体が限りなく『魔』に依存してる。――おそらく、肉体が魔力と『同化』してるんだ)」
そこに至る過程や理論はまるで見当がつかないけれど、と内心で続ける。
『魔素』は魔縁の匪徒の肉体の組成であり、ニンゲンに置き換えるなら骨や肉、血などの全てに該当するといって過言ではない。
だから、己の肉体を自覚する程度の知能があれば、魔縁の匪徒は魔素を他の部位から持ってきて補填するという形で再生することができるという原理。
そして、『魔力適正者』の肉体はあくまで魔力を体内で許容し同居させているというだけの話で、同化はしておらずそれぞれ独立している。
適正のない一般人でも微量の魔力を抱え込んでおり、『魔力適正者』はその許容量が比較にならないほどに多く、さらに同居させた魔力にある程度指向性を持たせられるだけ。
つまり、魔力に肉体を修復する作用などあるわけがない。あくまで魔力とは、エネルギーでしかないのだから。
そんな原理原則の中にあって、ルナードの肉体は魔力と一体化することで、エネルギーから血肉という物質への変換を行なっている。
言葉だけで伝えられれば何を訳の分からないことを……と、楓眞もまともに受け取れなかっただろうが、目の前で現実に見せられれば納得せざるを得ない。
「(それでも、現象としては意味不明だから詳しい情報を知りたいところだけど、魔素じゃないから無理やり記憶を引き出すこともできないし、そもそも魔族ですらないみたいだし……)」
「――おい、どうしたァ!!スタミナ切れか?!腑抜けてきてるぜェ!!」
「ッ、おっと……ごめんごめん」
楓眞が思考を戦闘から傍へ逸らしていると、散漫となった意識を引き締め直さざるを得ないような暴力の気配が襲いかかる。
武の素養を欠片も感じない喧嘩殺法……しかし、彼の魔力と野生がそれを逆に最適へと導くような矛盾が成立している。
既に幾十の応酬が繰り返されてきた。
互いに致命となりうる一撃を持つ者同士、一手のミスが死へと繋がる。
「ぜ、ァッ!!」
「――!!」
楓眞の頬を右拳が掠める……が、外払いでルナードの身体の内側に拳を流すことで次の拳が出ないように妨害する。
それに対してルナードは、流れに逆らわずその場で一回転。遠心力を利用した後ろ回し蹴りを放つ。
死の鎌が如きその蹴りが、予期して地に身を屈めていた楓眞の頭上数センチを通り過ぎる。
数瞬、片足立ちで隙だらけな体勢を晒してしまう。
その隙を逃す楓眞ではなく、足払いを放ち体勢を崩させる。
「しま……っ」
「使わせない、よ……ッ!!」
倒れる中、咄嗟に重力を操って復帰しようとするが、その前に下降する側頭部へ強烈な膝蹴りを見舞う。
「〜〜ッ゛、ァ゛ァ!!」
「お、これは効いたね?」
欠損の痛みすら無視してきたルナードが、脳が揺れたことではじめてダメージに悶絶する。
グラリとバランスを崩して地面に手をつき、残心を取る楓眞に背を向けてしまう。
ここにきてかつてない隙とチャンスが訪れる。
楓眞はそこを畳み掛けるため、今度は能力を纏った掌は閉ざして代わりに拳を強く握る。
「(やっぱり構成はニンゲン……どれだけ痛みに強かろうと再生できようと、脳への負担は同じ。なら、このまま意識を刈り取って、情報は後でじっくり引き出せばいい……!!)」
ここまで彼は他のどの部位を犠牲にしても、首や頭を能力で掴まれることだけは必ず避けてきた。脳で考え、魔力を運用する意識がなければ再生できないからだ。
もし彼をこのまま殺害してしまうことが目的ならば、この絶好期に能力を使ってトドメを差すべきだ。
しかし、既に楓眞は討伐から捕縛・聴取へと意識を切り替えているため、ルナードの意識を奪う必要がある。
さらにその手段として、脳への負荷は有効であることが先ほどのやり取りから判明した。
これらを瞬時に判断して、殴打による昏倒をこの場における解として導き出した。
――ここで一つ、門浦楓眞は『月読唱える冥墓神』について勘違いをしてしまっている。
ルナードが行う神通力の運用が自分自身に対する『引力・斥力』に限定されていたのは、予備動作無しで放てる技がそれだけだったから。
楓眞との激しい攻防の中で成立させられる技の限界がそこまでだったから。
しかし、かの虚津神の真価は『惑星』にまで及ぶ。
「もっとだ……もっと、深く……」
彼は大地へと手を着いて離さない。ただし、ダメージで動けないのではない。
神通力が地脈を駆け巡り、奥へ奥へと迸る。
神通力の発生を感じても、背中に覆い隠されて楓眞の目にはルナードが何を行なっているかは映っていない。
いつもなら、警戒して様子見の選択を取っていたかもしれない。
だが、どこからどう見ても隙だらけなその背中に欲が出てしまう。
握った拳に神通力を集中させ、既に敵が足元に接近するまで駆け出していた。
……狩りは、獲物を仕留めたと思った瞬間こそ最も危険とされる。
「――!!」
そのことを、金色の獣はよく理解していた。
「 『月読唱える冥墓神』【アトラスの慟哭】!!」
「なッ……ぐ、ぁがッッ?!!」
頭上から叩き潰すような、あるいは身体を無理やり引き摺り落とされるような力を感じ取る。
次の瞬間には、ルナードを見下ろしていたはずの目線は大地と近接し、神通力を拳に集中させていたせいで薄くなっていた防御を貫いて伝わる地面との激突による衝撃に目が眩んだ。
「ぐ……ゥ、ッ゛……こ、れは……『重力』……ッ!!(ここで……ッ、このタイミングで初見の技を……!!)」
「ようやく、その薄ら笑いが消えたなァッッ!!」
現在、楓眞の周囲には並の人間なら瞬時に気絶してしまうほどの超重力が発生している。
ルナードが地球の大地へと送り込んだの深さ……それに比例した出力の引力が襲いかかる。
この重力場に対象を選択する機能などはなく、自身の神通力でその身に掛かる引力・斥力を自由に操作できるルナードだけが、『超重力場』の中でも普段のパフォーマンスを発揮できる。
ただし、神通力の制御に劣るルナードはこの技の発動中、常に手を接地して神通力を送り込み続ける必要がある。
手を離せば急速に能力による重力場は力を失う。
「この、程……度ォォ……ッ!!【禁忌-不可視の――!!」
「ぅ、ぐ……ッ、逃すかよッ!!」
楓眞はこの瞬間にも神通力で身を覆うことで『重力』の影響を中和して負荷を軽減、それから『門』で能力の圏外へ脱出することを試みる。
生み出した『門』へ、なりふり舞わず転がって飛び込む。
能力を解除しても身に降り注ぐ負荷の体感にはラグにより、数瞬押さえ込むことはできる。
ルナードはその間に一撃入れることを優先するべきだった。
だが、先ほどこめかみに受けたダメージが尾を引いて、若干の立くらみを覚えて攻撃が遅れた。
かかとへ神通力を集約して振り下ろした時には、既に対象はそこには無かった。
「ハッ、ハッ……ハァ……あ、ぶなぁ……ッ」
「……ちっ」
間一髪、久しく存在しなかった危機的状況を脱したことで、楓眞の心臓が早鐘を打つ。
加えて、完全な読み負けを自覚して恥じる気持ち、ここまでの優位をひっくり返されかねない一手に感心する気持ち、様々な感情が彼の胸中で入り乱れる。
ルナードも割れた地面を見下ろして、大きく顔を歪める。
一瞬の判断の鈍さ、先の技で大きく神通力を消耗してさらに不利な局面に戻ったこと、それらを吐き出すように。
「ハァ……だがまァ、問題ねェ」
そう呟いて、彼は遠く距離を取った場所にいる敵へと向き直る。
ネオンにあちこちから照らされ、蜃気楼のように人影が揺れている。
――その時、ぴしりと空に小さく亀裂が走った。
「ッ、結界が……」
「こっからだ……こっから俺はまた一つ、テメェという壁を越える……!!」
『結界』はありとあらゆる魔に由来するものを寄せ付けないため、その中にいればどれだけ神通力を使おうとも、魔力によって稼動するエネルギー検知システムの監視からは逃れられる。
「そうすりゃァ、世界に俺という存在を新たに刻むこととなる……!!阻む全てを打ち壊すための『力』――それだけが唯一、信用できる存在証明だッ!!」
一度壊れ始めると段々とその機能は失われていき、完全に天が崩れ落ちた時、彼らは世界に異物として観測される。
「さぁ、広く戦おうぜェ!!これが、最終ラウン――」
今まさに、虚津神の干渉による超重力によって、彼らを覆う『結界』が崩れ去ろうとしていた。
「……いや、残念だけどここまでみたいだ」
「……はァ……?」
「『重力』だとして、もし結界に質量の概念があるとしたら驚きだね。でもそれを差し引いても、能力の余波で崩れるなんて……買い替え時かな」
当然、空の異常とそれによるリスクの発生を承知している楓眞は、小さく溜息を吐いて呟く。
その場で外へと繋がる長距離転移の『門』を生み出して、軽快な足取りで潜っていく。
出鼻を挫かれたルナードは唖然として、その後ブチッと音が鳴りそうなほど青筋を立てて叫ぶ。
「ふざ……ッ、テメェ待て……!!」
「キミも早くこの場を離れた方がいいよ」
「あァ゛……?!」
「あれ、気づいてないの?……退魔師が結界の外壁のそばまで来てる。すぐにでも駆けつけてくるよ」
楓眞はルナードとのここまでの戦いで直情的な性格の割には、頭の片隅でクレバーな判断ができるタイプだと感じていた。
そして出会い頭、襲撃の前に魔縁の気配を探知していた様子だったことから結界の外にヒトが集まっている事や、状況的にそれが退魔師だと見抜けない訳がないとある意味彼を認めていた。
だからこそ、自分の口から告げて漸く事態を理解した様子とのギャップに眉根を寄せる……が、自分の評価が常に正しいなんて思ってもいない彼は、そんなこともあるだろうと、僅かな違和感程度の認識に留めた。
「ま、キミほどの実力なら今ここで駆けつけてくる退魔師程度、どうにかできるだろうけどね」
「……それはテメェもだろ」
「ボクはちょっと理由があってね、神通力をなるべく観測されたくないんだ」
黒い渦を挟んで対岸のルナードへ向かって、別れの意味を込めて小さく手を振る。
「自己顕示、絶望、後悔……キミの拳には色んな感情が篭っていて楽しかったよ。――それじゃあ、またね」
黒い渦とその向こうから聞こえる声はどんどんと縮小していき、やがて完全に楓眞の姿が見えなくなる。
それに伴って、『結界』のヒビも空を覆い尽くすほどとなっていて、恐らくあと十秒と待たずに崩れ去るだろう。
「……」
ギリィ‥‥と歯を噛み締める音だけが、ギリギリ形を成しているだけの結界内に響く。
「……チッ」
だが、しばらくして心が凪いだのか、彼は深く息を吐き出して欠けた月を見上げた。
燃え上がった途端に蓋をされ、不完全燃焼な矜持だけが虚しく残されたようだった。
「どこまでも、癪に触る奴だ……」
やがて、ガラスが割れたような音ともに結界が崩落し、キラキラと夜光を反射する水晶の欠けらが舞い散るサマは、まるで舞台の幕引きを彩るようだった。
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