21回目
赤黒い月の下、潤の悲鳴が鋭くあがる。
ギリギリと、王妃の鋭く尖った爪が腹に食い込む。
生理的な涙が、こみ上げる。
いらない。
そう思いはした。
確かに。
けれど、こんな苦痛を味わわなければならないのか。
痛い。
痛い。
痛い。
殺される。
そう恐怖に震えたときだった。
「王妃さまおやめください」
甲高い声だった。
涙でかすむ視界に、厳しい顔をしたマルカの姿があった。
「お約束が違います」
一気に大人びた、威厳とも言えるようなものをたたえて、王妃の手首に手を重ねる。
「こどもは王妃さまのお好きになさってかまいません。けれど、ジュンにいちゃんは殺さないとお約束くださいました」
「マ………ルカ?」
潤の双眸が見開かれた。
決然と言い放ったマルカのことばが信じられなかったのだ。
「ジュンにいちゃん大丈夫だから」
王妃の金の目が、マルカに向けられた。
「そうであったかの。つい高ぶってしもうたわ」
潤の腹に食い込んでいた王妃の赤い爪から力が抜ける。
とろりと、傷口ににじむ血が白い肌に線を描く。
「潤を殺さぬように、こどもだけを貰い受ける約束であったかの」
独り語ち頷くように首を何度も上下に振る。
「ジュンにいちゃん行こう」
「どこに?」
「少し休める所に。そうして、王妃さまにこどもをさしあげよう」
にっこりと笑うマルカに、潤は、ことばを無くす。
「そうしたら、にいちゃんにいじわるしないって王妃さまがお約束くださったんだ」
マルカと王妃とを順繰りにみやって、潤は途方にくれた。
「大丈夫だよ。もう。にいちゃんを苦しめるものは、ひとつだけだけど、なくなるんだ」
「潤にいちゃんと約束したから、こどもは殺さなきゃって思ってた。色々考えたんだよ僕」
「けど、にいちゃんのこどもなんだって気がついたんだ。王さまのこどもだけど、にいちゃんのこどもでもあるって。だから、殺したりしたら、にいちゃんが後で悔やむかなって思い直したんだ。だって、にいちゃん、ひとが死ぬのだいっ嫌いでしょ」
「だからね、僕、王妃さまに差し上げるってお約束したんだ。王妃さまがずっとこどもをほしがってるの知ってたから」
「知ってた?」
声が震える。
「知ってたんだ。僕。王妃さまがなにをしてるか。なにを望んでるか」
だから、大丈夫。
マルカの笑顔に血が下がってゆくのを、潤は感じていた。
それを見たのは、当然ながら偶然のことだった。
かいがいしく潤の世話を焼くメガンとは違い、マルカは出入りが許されているところで見聞きした物を潤に離して聞かせていた。
いつしかそう言う役割分担ができていたのだ。
それがよかったのか、どうなのか。
可愛らしい花を見つけた。
それは、三人で暮らしていた町に咲いていた明るい色の花で、よく治療所の窓辺などに飾った物と同じ花だった。
きっと、ジュンにいちゃんもよろこぶ。
泣きそうになるほどその花が懐かしく思えて、マルカは夢中になってそれを摘んでいた。
なのに突然、鼻先をかすめた生臭いにおい。
この世界を、この城を覆う血の臭い。死の臭い。それらを忘れることなどない。
しかし、本来この場には届くはずのない死の臭いがただよう、その原因を突き止めたいと思った。
そうして、マルカは、それを見つけたのだ。
山と積み上げられた胎児の骸には既におびただしいまでの虫が涌いていた。
こみ上げる吐き気を押さえる術もなく、マルカはその場で吐瀉していた。
どうやってふたりのところに戻ったのか、マルカには記憶がない。ただ、気がつけば、メガンとジュンとがマルカの顔を覗き込んでいた。
あの悪夢以上の光景がマルカの脳裏を離れなかった。
それでも、不思議とそれを誰にも喋ろうと言う気にはならなかった。
いったいなぜ。
いったい誰が。
その頃は既にジュンがこどもを宿していることが知れていたこともあり、マルカは、それが気にかかってしかたがなかったのだ。
気がつけば、血なまぐさいその場所を眺めていた。
腐り融けてゆく胎児の亡骸を、ぼんやりと眺めていた。
そうして、見たのだ。
王妃が行うその禍々しい儀式を。
王妃はマルカに気づいたが、気にするでもなく儀式を続けた。
そうして、ならぬとわかるや、胎児を投げ、あふれる涙を隠すことなく慟哭した。
マルカは幾度となくその場を見ることになった。
『王妃さま……』
恐ろしいはずの王妃に、マルカは近づいた。
凶行をくりかえす王妃の苦しみが、痛いくらいに伝わってきたためだったろうか。
それが、嘆くジュンと重なったためだったろうか。
『うるさいこねずみよの。何が望みぞ』
酸鼻きわまりない、かつては生きていただろう胎児が山と積み上げられた庭の片隅で、王妃の黄金の瞳は涙で潤んで見えた。
王妃が手に持つ胎児はまだわずかに動いていたが、その命の灯しももはや風前の物と見受けられた。
『たしか、あれの侍従だったかの』
くちびるが鎌のように弧を描く。
『マルカともうします』
片膝をつき、マルカが礼をとる。
顔を上げた時、マルカの両眼は決意を秘めて、冷たく凝りついていた。
『これを見て、怖じけぬとは、見た目と違うて肝の座った童よな』
近う。
差し招く手に、マルカが一歩を踏み出した。
胎児を肉の山に置いたのと同じ手が、マルカの顎から頬を下から掬い上げた。
すでに生臭い臭いに麻痺した鼻は、王妃の手を汚す諸々の液体の臭いすら感じることはない。
『王妃さまに、差し上げたい物があります』
『私にとか?』
幼いがゆえの決意を両眼にこめて、マルカが王妃を見返した。
王さま! メガン! 存在が薄いです。
どうしましょう。