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処刑を免れた悪役領主は目立ちたくない ~前世は土木の現場監督。黙って道と橋を直していたら、俺を捨てた王国軍が頭を下げてきた~  作者: 夜凪 蒼


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第8話「沈む橋のご紹介」

3筋が通ったのは、40日目の午後だった。


最後の一鍬を入れたのはカスパーで、当人は何も言わずに鍬を担いで上がってきた。水は文句も言わずに流れ始めた。


40日で終わる予定が41日かかった。


1日は俺の落ち度で、その1日を、俺は人足の名簿の余白に書いておいた。誰にも見せない。見せないが書いておかないと次の現場で同じ1日を落とす。


その晩、飯場では酒が出た。イルザが樽を1つ運んできたのだ。


「祝いじゃないよ。売り物の残り」


そう言いながら、彼女は自分で栓を抜いていた。


カスパーは酒を飲まずに、隅で麦飯だけ食っていた。誰かが椀を差し出しても首を横に振る。


俺はその横顔を見ながら、この男が最後の一鍬を自分から取りに行ったことを思い出していた。


言葉では何も言わない。言わないが鍬は取る。そういう抗議の仕方もある。


*


翌朝、俺は畦に立って、水が引いた畑を数えていた。


低地の3区画。合わせておよそ80町歩。今年の秋には手が回らないが、来年の春に麦が播ける。播けば穫れる。穫れれば、初年度の220石が見えてくる。


見えてきたところで次の壁に当たった。


運ぶ手段がない。


*


「川関を通すと、いくら取られる」


俺はイルザに訊いた。渡し場の樽の上に、組合の帳面が開いてある。


「麦で王領向けなら、100石につき銀8タレル」


「220石だと」


「17タレルと少し。それと、関で待つ日数が読めない。役人の機嫌次第で3日待つこともある」


「待つと、どうなる」


「馬の飼葉がかかる。人の飯もかかる。実際は倍だと思っておいたほうがいい」


俺は指で数えた。数えた結果は腹の立つ数字だった。


納める麦の1割以上が関の前で消える。


*


「東の道は、まだ切れてるんだな」


「切れてるよ」


「渡れるようにしたら、王都まで何日だ」


イルザは帳面から顔を上げた。


「……本気で言ってるのかい」


「日数だけ教えてくれ」


「うちの馬なら、旧街道が通れば5日か6日。川回りは、関の待ちを入れて8日から10日」


「その道は、誰の許しが要る」


「誰のでもないよ。廃道だもの。廃道を歩くのに許しは要らない」


彼女はそこで言葉を切って、俺の顔をじっと見た。


「けど、橋を架けるのは別だろう」


*


俺はその晩、館の板の間で図面を引いた。


蝋燭を2本立てて、炭で線を引く。河幅は58間。水深は渇水期で2尺から4尺。増水期には河原ごと水が乗る。


普通なら、水面の上を跨ぐ橋を架ける。桁を高く上げて、脚を立てて、流木が当たっても持つように太くする。


その普通が百年前に落ちている。


俺は炭を置いて、河の断面をもう一度見た。


高く架けるから流される。だったら、高く架けなければいい。


*


翌日、俺は郷の連中を渡し場に集めて、図面を広げた。


「橋を架ける」


そこまでは誰も驚かなかった。驚いたのはその次だ。


「増水したら、この橋は水の下に沈む」


沈黙。


それから、誰かが笑った。


「沈む橋?」


「沈む」


「沈んだら渡れんでしょうが」


「渡れない。水が引くまで待つ。引けば、また渡れる」


*


笑い声が広がった。


「棟梁、それは橋とは言わんでしょう」


「言わなくていい。荷が通ればいい」


「流されますよ」


「流されない。欄干をつけないからだ。水と流木は橋の上を素通りする。引っかかるものがなければ、押す力も生まれない」


俺は樽の水に板を1枚沈めて、上から葦の束を流してみせた。


板は水の下にある。葦は板の上を素通りしていく。次に、同じ板に細い枝を立てて、また葦を流した。今度は枝に葦が絡み、絡んだ葦がさらに葦を集めて、板ごと押し流された。


「これが欄干だ」


見ていた連中の何人かが黙った。全員ではない。3人ばかりが口を開けたまま樽を覗き込んでいた。


「棟梁、それ、もう一回やってください」


ヤンだった。俺は同じことをもう一度やった。


年嵩の人足のほうは、まだ首を捻っている。


「みっともない橋ですなあ。低くて、手すりもなくて」


「みっともないほうがいい」


「なぜです」


「立派な橋は、遠くから見える」


言ってから、それが本音の半分だと自分でも思った。もう半分は単に安く早く架かるからだ。銀30タレルで河を渡ろうとすれば、選べる形はそう多くない。


*


イルザは笑わなかった。


彼女は図面を覗き込んで、指で河幅をなぞって、それから低い声で言った。


「増水の日は、うちの荷が止まるってことだね」


「止まる」


「年に何日」


「量水標を立ててからの読みと、渡し守の覚えを突き合わせた。杭のほうは、まだ40日ぶんしかない。足りない分は、あの爺さんが50年見てきた水の高さで埋めてある。渡れなくなるのは年に20日から30日」


「30日か」


「渡しは、増水でなくても年に何日止まる」


イルザは帳面を繰った。繰って、口の中で数えて、それから舌打ちをした。


「……100日は堅いね」


「なら勘定は合う」


「合うけど、気に入らないよ。あたしは荷を止めたくないんだ」


*


ブルーノはまた別の理由で反対した。


「低い橋なら、馬が通れる」


「通れる」


「兵の馬もな」


「通れる」


老人の声が高くなった。低いままで人を黙らせるのが、この爺さんのやり方だったはずだ。


「あんた、堀は残すと言うたな」


「残した。3筋しか抜いていない。量水標は毎朝ピムが書いてる」


「橋は、堀に穴を開けるのと同じだ」


俺は否定しなかった。否定できないからだ。


「開ける。その代わり、荷が動く。麦が関を通らずに王都へ行けば、納める分の1割が浮く。浮いた分は郷に落ちる」


「落ちる保証は」


「ない」


老人は笑わなかった。笑わずに、長いこと図面を見ていた。


「勝手にせえ」


そう言って、背を向けた。背を向けたまま、もう一度だけ言った。


「言うとくが、わしはこれには賛成せん。賛成せんが、止めもせん。止めても、あんたは架けるだろうからな」


*


その晩、俺は図面に一行だけ書き足した。


中央の3径間の脇に小さな字で。


『楔止め。外せる』


書いてから、蝋燭を吹き消した。


*


石工が来たのはその3日後だ。


飯場の前に、荷を背負った男が立っていた。歳は50くらい。背が低く、肩が異様に厚い。手の甲に白い粉が染み込んでいて、爪の形が全部四角かった。


「飯が出ると聞いた」


「出る。仕事はできるか」


「石なら」


「石工か」


「昔はな」


男は名乗らない。俺も訊かなかった。飯場に上げて、麦飯を出した。


食い方を見ていた。椀を持つ手つきに癖がある。左の親指だけを外に出して、椀の縁を支えている。指が動かないのだ。関節が古い怪我で固まっている。


石を扱う人間の手だ。しかも扱い続けて壊した手だった。


その晩、男は飯場の隅で寝て、朝いちばんに起きた。


*


翌朝、その男が図面の前に立っていた。


俺が置いておいた図面を勝手に広げている。上から下へ、指でなぞりながら読んでいる。


読める人間の読み方だった。


「あんた」


俺が声をかけると、男は顔を上げずに言った。


「この橋、沈めるつもりだな」


「そうだ」


「脚は、古いのを使うのか」


「河の中に4つ残ってる。据え直せば使える」


「使えん」


*


男は指で図面の3番目の脚を叩いた。


「ここだけ、頭の形が違う。ほかの3つは平らだが、これは丸い。丸いのは削れたからだ。削れたということは、この脚にだけ水が当たっとる」


俺は図面を覗き込んだ。俺が写した形は確かに3番目だけ丸い。写しておきながら、その意味を考えていなかった。


「河の筋が、百年で変わったってことか」


「変わった。上流の砂が動いたんだろう。あんたの図のままに載せると、真ん中が10年で持っていかれる」


「なら、どうする」


「据える前に、水を当てて確かめる。冬のいちばん痩せた時期に、脚の根元を掘って、洗われとる深さを見る。見てから決める」


*


俺は道具箱から炭を出して、男に渡した。


「書いてくれ」


男は炭を受け取って、図面の余白に線を引いた。引き方が速い。脚の断面と、根元の掘り方と石の据える順番。線が3本目に入ったところで、俺は自分が前のめりになっていることに気づいた。


「石の目は、どっちを上にする」


「河なら、目を寝かせる。立てると水が入って割れる」


「養生は」


「この季節なら9日は要る。7日で乗せる奴がおるが、そういう橋は10年で緩む」


「9日か」


「9日だ。値切るな」


俺は笑った。久しぶりに腹から笑った。


こういう話ができる相手が、この土地には一人もいなかった。水の落ち方も土の締まりも俺の頭の中だけにあって、口に出したところで誰にも届かない。


届く相手がいるというだけで、体の力の入る場所が変わる。


「割石はどこから出す」


「丘の裾でいい。あそこは目が素直だ」


「量は」


「脚の分だけなら足りる。取付の石積みまでやるなら足りん」


「足りない分は」


「河から拾え。百年前の橋の残りが、下流の淵に沈んどるはずだ。落ちた橋の石は、たいてい2町も流れん」


*


男が炭を置いて、こちらを見た。


「あんた、どこの棟梁だ」


「棟梁じゃない。ここの代官だ」


「代官が石の目を訊くか」


「訊く代官もいる」


男は図面の角に親指を置いた。風でめくれかけていた角を押さえ、皺を指の腹で伸ばし、そのまま離さない。他人の紙を扱う手つきではなかった。


「オッタカール・シュタム。オッタでいい」


「アルヴィン・ロートバッハだ」


名乗ると、オッタは眉を動かした。動かしただけで何も言わなかった。この土地で俺の名を聞いても顔色を変えない人間はこれが初めてだ。


「日当はいくらだ」


「6クロイツと飯」


「石工の手間はそれじゃ安い」


「なら、いくら欲しい」


*


オッタは炭のついた指を、図面の上でひらひらと振った。


「銭はそれでいい。明日から河に入る。長靴を用意しとけ」


「あんたも入るのか」


「入る。入らんと石の根が見えん。あんたも入るんだろう」


俺が頷くと、男は図面を丸めて、こちらの手に握らせた。握らせたまま、自分の手は離さない。


「代わりに、条件を一つ飲め」


「言え」


「俺は、落ちると思った橋には名前を出さねえ」


「名前」


「棟梁の名だ。橋の袂に、誰が架けたかを刻むだろう。俺の名は、俺が納得した橋にしか刻ませねえ」


言い方が乾いていた。乾いていて、その下に何かが沈んでいるのが分かった。


「一度、刻ませたことがあるのか」


オッタは答えなかった。答えずに図面から手を離し、飯場のほうへ歩き出す。葦の戸口で足を止めて、振り返らずに付け足した。


「言っとくがな。名を出さねえってのは、途中で降りるって意味じゃねえぞ。降りねえまま、刻ませねえって意味だ」

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