第4話「縄の結べる貴族」
渡し場は思っていたより荒れていた。
長雨の増水で岸が抉れ、荷を上げ下ろしする斜面が崩れている。舟は板を剥がして干してあるが、直っても着ける場所がない。着けられなければ、荷は動かない。
俺は朝のうちに岸を端から端まで歩いて、崩れの深さを杖で測った。
「どうだい」
イルザが後ろから来た。今日は頭巾を首に落としている。髪を短く切ってあるのが分かった。
「桟橋を組む。長さ8間、幅1間半。上流側に杭を6本、下流側に4本」
「本数まで決まってるのかい」
「決めた。夕べのうちに」
「あんた、いつ寝てるんだ」
「寝てる。寝ながら数を並べるのが癖なだけだ」
*
イルザは若い衆を5人出した。
年嵩が2人、若いのが3人。若いのの中に、いちばん背の低い男がいた。歳は17くらいで顔がまだ子どもだ。
「ヤン。掛矢を持て」
イルザが名を呼ぶと、その少年が跳ねるように動いた。
「はい、姐さん」
「返事はいいから足元を見な。ここは崩れてる」
ヤンは掛矢を担いだまま俺の前に来て、頭を下げた。
「よろしくお願いします、お代官様」
「様は要らない」
「じゃあ、なんて呼べば」
「好きにしろ」
「じゃあ棟梁で」
年嵩の一人が噴き出した。俺は否定しなかった。呼び名で仕事の速さは変わらない。
*
杭打ちは3人一組でやる。
一人が杭を支え、2人が掛矢を交互に振る。振る間隔を揃えないと杭が斜めに入る。俺は最初の一本だけ自分で支えて、ヤンに振らせた。
「いち。に。いち。に」
声を出して数えると掛矢の間隔が揃う。揃うと杭がまっすぐ入る。
3本目からは俺が数えなくても揃うようになった。
もっとも、4本目で躓いた。
下流側の1本が規定より2尺も深く入ってしまったのだ。手応えが急に軽くなって、そのまま吸い込まれた。下に空洞か、緩い層がある。
「抜けるか」
「抜けます。けど、抜いたら穴が残りますよ」
年嵩の男が言った。もっともな話だ。穴が残れば、そこから水が回って岸が抜ける。
俺は打ち直しを選ばず、その1本を捨て杭にして、半間ずらしたところに新しく打った。捨て杭は切って、頭を土の下に埋める。1日分の材と半日の手間が飛んだ。
「棟梁、なんで数えるんですか」
「揃うからだ」
「揃うと、どうなるんです」
「杭が曲がらない。曲がった杭は抜ける。抜けたら誰かが落ちる」
ヤンは真面目な顔で頷いて、そのあと年嵩の男に「お前が落ちるんだよ」と小突かれていた。
*
昼を挟んで俺は縄を扱った。
杭と杭を繋ぐ結びと荷を締める結び。それに、足場板を杭に固定する結び。3種類あって、使い分けを間違えると外れる。
一つ結ぶたびに指が勝手に動いた。
考えていない。考える前に輪ができて、通って、締まっている。この手つきは俺の手つきではない。俺の中に残っている45年ぶんの誰かの手つきだ。
そのことを、俺は今のところ怖いとは思っていない。
「ちょっと」
イルザの声がした。
「今の、もう一回やってみせて」
「これか」
俺は縄を解いて、もう一度同じ結びをやった。輪を作って、端を通して、引く。締まると、引けば引くほど食い込んで、緩めるときは一箇所つまむだけで解ける。
「うちの親父がやってた結びだ」
「馬借の結びか」
「そう。荷を締めるときのやつ。……あんた、なんで知ってるんだ」
*
俺は返事を用意していなかった。
用意していないときに嘘をつくと、たいてい後で辻褄が合わなくなる。だから半分だけ本当のことを言った。
「昔、荷を運ぶ仕事をしていた男に教わった」
「貴族が」
「貴族になる前だ」
「意味が分からないね」
「俺にも分からない」
イルザは口の端を曲げた。呆れたときの顔だと、この3日で分かってきた。
「まあいいさ。貴族が縄を結べるとはね」
「結べないほうが珍しい」
「珍しいんだよ。あんたが思ってるよりずっと」
*
桟橋は3日目の昼に通った。
板を渡して、荷揚げの取付道を斜めに切り、粗朶を敷いて土を被せる。人が歩いて踏み固めれば、それで道になる。
最初に上がったのは、麻袋を6つ積んだ駄馬だった。
馬が斜面を上がるとき、蹄が滑らない。滑らないのは粗朶が効いているからだが、そんなことは誰も気にしない。気にされないほうがいい。
ヤンが手綱を引きながら、上まで上がって振り返った。
「姐さん! 滑りません!」
「叫ぶんじゃないよ。荷が驚く」
イルザはそう言いながら、自分でも一度、斜面を上ってみていた。踵で土を蹴って、硬さを確かめている。
畦の上にはいつの間にか郷の者が何人か立っていた。手伝いはしない。手伝わないが帰りもしない。
その中にヨナスがいて、目が合うと軽く顎を引いた。畑のほうは自分が見ておく、という意味だと分かった。
ブルーノの姿はなかった。代わりに、老人が朝のうちにここを通ったと若い衆が言っていた。通って、何も言わずに桟橋を一往復して、それから畑のほうへ歩いていったという。
見に来ている。反対しながら、見には来る。そういう爺さんらしい。
*
板を張り終えたあと、ヤンが俺の脇にしゃがみ込んだ。
掛矢を持つ手の皮が、朝より厚く赤くなっている。この歳で振り慣れているということは、去年も一昨年も振っていたということだ。
「棟梁。これ、あと何年もちますか」
「増水が来れば流れる。流れなければ5年でも10年でも」
「流れたら、また組めますか」
「組める」
「じゃあ、覚えます」
少年は真顔だった。
「おれ、いつか自分の馬を持ちたいんです。姐さんの組合の馬じゃなくて、自分の。そのためには荷を運ばなきゃならないし、荷を運ぶには道が要る。道が壊れるたびに人を待ってたら、いつまで経っても自分の馬になりません」
俺は少年の顔を見た。
計算をしている顔だ。17でこの筋道を立てられる人間はそう多くない。
「なら、明日は縄を教える」
「はい」
*
その夕方、俺たちは渡し小屋の軒下で銭の話をした。
俺が座り、イルザが立ち、間に樽が一つ。樽の上に、彼女が組合の帳面を開いた。
「桟橋の材と手間は、うちが出した。使うのもうち。ここまではいいね」
「いい」
「で、あんたは何が欲しいんだ」
「麦を運ぶ約束が欲しい」
イルザの指が止まった。
「800石か」
「初年度は220石だ。刈り取りのあと、王都まで運ぶ。運び賃は相場でいい。ただし、うちの麦を先に積んでほしい」
「先に、ってのは高くつくよ」
「知ってる。だから今のうちに言ってる。刈り取りの季節に頼めば、足元を見られる」
*
イルザは帳面に何か書き付けた。
書きながら、こちらを見ずに言う。
「あんた、あたしに恩を売る気がないんだね」
「売ったら高くつく」
「どういう意味だい」
「恩は帳面に載らない。載らないものは、いつか片方が忘れる。忘れられたほうが腹を立てる。荷運びは何年も続く仕事だ。続く仕事に恨みを混ぜると、どこかで荷が落ちる」
彼女は書く手を止めて、顔を上げた。
しばらく俺の顔を見て、それから帳面を閉じた。
「先積みの分は、1割増しでどうだい」
「1割2分でいい。そのかわり、天気の悪い日に無理をさせない。荷は待てる。馬は待てない」
*
イルザは樽に肘をついた。
そして、初めて商売以外の顔をした。
「親父が生きてたら、あんたのこと殴ってたよ」
「殴られるようなことを言ったか」
「馬は待てない、なんて口だけの貴族が何人言ったと思う。全員、待てないのは荷のほうだって顔をしてた」
彼女は樽の縁を指で叩いた。
「うちの馬は40頭いた。10年前だ。軍務府が国境の砦を直すってんで、使える馬と馬方をまとめて持っていった。冬の60日って触れだったのが、雪でどうのって延びて、返ってきたのは春だよ」
「返ってきたのは12頭だと聞いた」
「歩けたのが12頭。あとは砦の下と、うちの厩の裏に埋まってる。馬ってのはね、ぬかるみで荷を引かせ続けると、蹄が割れる。割れたら終いだ。誰も休ませてくれなかった」
*
俺は口を挟まなかった。
挟むところではない。この人は事実を並べているのであって、慰めを求めてはいない。
「対価は出たのか」
「名目だけね。馬一頭に銀2タレル。買えば10はする馬だよ。しかも払いは翌年」
「御用の株は」
「取り上げられた。うちが荷を運べなくなったんだから、御用は務まらないだろうってさ。よく出来てる」
彼女は笑った。息を一つ落としただけの、短い笑いだった。
「親父はそれから2年で死んだ。病じゃない。冬に厩で寝て、そのまま起きてこなかった」
*
日が落ちて、渡し場に火が入った。
若い衆が飯を炊いている。俺は樽の脇に座ったまま、桟橋のほうを見ていた。板の継ぎ目に一箇所、明日直したいところがある。今日のうちに言っておこうと思って、口を開きかけた。
その前にイルザが言った。
「一つ、忠告しとく」
「なんだ」
「近ごろ、上の関の役人が川を数えてる」
「数える?」
「荷の数だよ。何がいくつ、どこ行きか。1日中、岸に立って数えてる。あんな真似、去年まではしてなかった」
俺は桟橋から目を離して、彼女のほうを見た。
「数えるのは、値を変える前だ」
「そう思うかい」
「数えないと、いくら取れるか分からない。取れるだけ取るつもりなら、まず数を知る」
「役人の考えることは分からないよ」
「役人だからじゃない。誰でもそうする。俺だってそうする」
イルザは眉を寄せた。
「あんた、そういうところが気味悪いんだよ。取り立てる側の頭で考えるのが早すぎる」
「同じ頭で考えないと、先回りできない」
彼女は頷かなかった。頷かずに、火のほうへ歩いていって、若い衆に何か指示を出した。
俺は座ったまま、川下の暗がりを見ていた。
上流に何本、下流に何本。今日この桟橋を渡った荷は、駄馬で11頭、人で20人。多い数ではない。長雨の前なら、これくらいはどこの渡し場でも動いていた数だ。
だが去年まで数えていなかった人間が数え始めたのなら、話は別になる。
誰かが岸に立って、同じ数を書き留めているのだとしたら、その数字はもう王都へ向かって歩き出している。




