第28話「音で知らせる正しさ」
下役を座らせて、水を飲ませてから、俺は台帳を開いた。
まず、うちの杭の読みを書く。11。
次に、冬に書いた頁を出した。上流三尺、下流一尺。続きの書けなかった頁だ。
3枚目に、下役の言ったことを書いた。手前の道に車が2里。
*
3つの数を並べても答えは出ない。
出ないので順に潰していく。
大橋はここから上流へ半日。あの河は山を出たところで狭まっていて、狭いところは水の上がりが速い。うちの杭が11なら、向こうは同じ時刻でそれより上にいる。
根が三尺食われた脚は、水の当たりが強くなるほど早く洗われる。洗われて動く先は下流だ。動いた脚の上に、春に足した欄干と舗装が載っている。
そこへ、渡り切れずに止まった車が並ぶ。
*
橋の上で止まった車は橋の一部になる。
歩いている荷は通り過ぎる。止まった荷は乗り続ける。
「詰まっているのは、橋の上もか」
「上もです。渡りかけて、向こうで止まっとる車が20台ばかり」
俺は台帳を閉じた。
*
「オッタ」
「聞いとった」
親方は戸口に立っていた。いつからいたかは知らない。
「縄と杭を出す。縄は太いほうを2巻、杭は12本。それと、赤い布を裂いて縄に結べ。夜でも見えるように」
「人は」
「4人だ。カスパー、ピム、それと馬借の若い衆を2人」
「あんたは」
「あとから行く」
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「棟梁。うちの現場から4人抜くと、堤の見回りが止まる」
「止まる」
「水は上がっとるぞ」
「上がってる」
俺は縄を担いだ。
「向こうの橋の下には、いま人がいる。うちの堤の下には、まだいない」
オッタは何も言わずに杭を数え始めた。
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カスパーは半刻で発った。
ピムを先に立てて、沼の抜け道から上流へ抜ける。道を回るより2刻早いという。
「母親には」
「11。昼から動いてない。それから、言ってきた」
順が逆になっている。訊かれる前に杭の数が先に出てくるようになったのは、こちらが教えたことではない。
少年は縄を肩に掛けて、俺を見上げた。
「棟梁。おいら、水には入らないよ」
「入るな。入ったら、縄より先に流れる」
*
俺が上流へ着いたのは日の落ちる前だ。
丘の上から見下ろすと道が黒い。車の列が谷筋に沿って伸びて、どこで切れているのか見えない。
橋は上から見ても立派だった。石の脚が4つ、白く濁った水の中に立っている。水は脚の腹を叩いて、両側へ跳ねていた。
跳ねる高さが冬に見たときの倍ある。
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橋の袂に、赤い布の結んである縄が張ってあった。
張ってあって、その縄が切れている。
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俺は坂を下りた。
縄の端が地面に落ちている。切り口は真新しい。杭は12本のうち7本が抜かれて、脇へ積んであった。
カスパーは橋の袂に立っていた。
「切られたか」
「切られた。3度張って、3度切られた」
「4度目は」
「張っとる。あそこだ」
男が顎で指した先にピムがいた。少年は縄を持ったまま、地面に座り込んでいる。座り込んで動かない。
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「どけと言われました」
ピムが言った。
「どかなかったのか」
「座ってれば、どかせるのに人がいるでしょ。人がいると、車が進まないでしょ」
俺はその頭を1度だけ叩いた。
叩いてから、橋の袂に立っている軍務府の男のほうへ歩いた。
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「代官どのですな」
「アルヴィン・ロートバッハだ」
「ここは軍務府の橋です。私道の代官が縄を張る場所ではない」
「知ってる」
「知っていて張ったなら、妨害になります」
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「総監はどこだ」
「なぜ」
「紙を渡す」
俺は懐から2枚を出した。冬に書いて、封を切られずに戻ってきた紙だ。裏に『所管に非ず』の貼り紙の跡が残っている。
「受け取れないと言われた紙だ。今日はここで渡す」
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本営は橋から半里ほど下がった、道の分かれ目にあった。
総監は幕の外に立っていた。立って、詰まった列を見ている。従卒が地図を広げようとして、断られていた。
俺が近づいたとき、男は振り向かずに言った。
「そなたの道は、いま何をしておる」
「北へ4日の途中です」
「詰まっておらんのか」
「詰まっていません。1台ずつしか乗せませんので」
*
総監は俺のほうを向いた。
俺は紙を差し出す。男は受け取って、封を見た。封は切られていない。
「これか」
「これです」
「余のところには来ておらん、と言うた」
「言われました」
男は封を切った。
*
読むのに、時間はかからなかった。
1枚目は数しか書いていない。日付と脚の番号。上流三尺、下流一尺。測った道具とその手順。
2枚目にやることが3つ。
読み終えて、総監は3行目のところを指で押さえた。上物をこれ以上重くしないこと。
「欄干は、余が下命した」
「知っています」
「舗装も余だ」
「知っています」
*
「三尺というのは、どう測った」
「杖です。刻みが1尺で入っています」
俺は杖を差し出した。総監は受け取って、柄の刻みを親指でなぞった。
なぞりながら、橋のほうを見ている。
「1人で測ったのか」
「石工が1人、水に手を入れました。数は俺が読みました」
「その石工の名は」
「言いません」
総監は杖を返した。
*
「代官。これを余に見せて、そなたは何を得る」
「何も得ません」
「損はする。橋の下の人間を助ければ、そなたの道の勝ちは薄くなる」
「薄くなりますか」
「なる。詰まった列が捌ければ、余の荷は動く」
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俺は橋のほうを見た。
「閣下。俺は勝ち負けの話をしに来たんじゃない」
「では何をしに来た」
「あの橋には、いま人が乗っています」
総監は紙を折り直した。折り目を親指で押さえて、そこで手を止めた。
「そなたは、余の兵站が人を生かすと言うた男を預かっておるそうだな」
「預かりました」
「あれは、こういう場では役に立たん男だ。命を待つからな」
*
「橋を空けよ」
男は従卒に言った。
「閣下」
「渡り切っておる車は前へ出せ。橋の上のものは、後ろへ下げよ。手前の列は道の脇へ寄せて止めよ」
「荷は」
「荷は動かん。動かんでよい」
従卒は動かなかった。動かない理由を、俺は分かる気がした。この命令はこの男が半生かけて作ったものを、その日のうちに止める命令だ。
「聞こえぬか」
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聞こえたらしい。
伝令が3方向へ走って、それから列が動き始めた。動くといっても進むのではない。橋の上の20台を後ろへ下げる作業だ。
下げるほうが難しい。4頭立ては後ろへ下がれない。馬を外し、人が押す。輪の下に板を噛ませて、1台ずつ橋詰まで戻す。
3台目で、人手が足りなくなった。
*
馬が来たのはそのときだ。
坂の上から、鞍のない馬が20頭ばかり下りてきた。曳いているのは組合の若い衆で、その先頭にイルザがいる。
「なぜ来た」
「あんたが縄を持って出てったって聞いたからだよ」
彼女は馬を降りずに答えた。
「うちの12頭は北の列にいる。ここにいるのは、近郷から借りて余った馬と、余った人だ」
「余ってないだろう」
「余らせた。堤の見回りを1晩止めた」
査閲に出した200頭に、この馬は1頭も入っていない。沿道の村から出た畑馬で、明日には畝の間に戻っている。
*
「戻れ。うちの杭が上がってる」
「戻るよ。この20台を下げたら戻る」
イルザは馬の首を叩いて、若い衆へ手で指図を出した。
「棟梁。あたしは、あんたのために来たんじゃないよ」
「知ってる」
「知らないだろ。あそこに詰まってる車の3割は、うちが荷を請けてる先の車だ。潰れたら、来年うちの荷が減る」
彼女は列のほうを見た。
「商売だよ。全部」
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馬が入ると、下げる速さが変わった。
後ろから曳けば、人が押さなくていい。1台に4人ついていたのが2人で済み、余った人手が次の車へ回る。
俺は縄のところへ戻って、その作業を見ていた。
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途中で、荷主が2人、勝手に自分の車を進めようとした。
止めたのはカスパーではない。列の中にいた別の荷主が2人がかりで馬の首を押さえた。
「うちは、シュラムの札で市へ行っとる」
押さえた男が言った。
「札のない橋は渡らんと決めた。あそこには、いま札を出す人間がおらん」
*
夜になって、最後の1台が橋詰へ下がった。
橋の上には誰もいなくなった。
俺は縄の前に立って、水の音を聞いていた。橋の下の音が昼より低い。低い音は水の量が増えたときの音だ。
総監は本営へ戻っていった。列を軍道へ戻すために、道の分かれ目まで下がる必要がある。
男が幕のほうへ歩いていく背中を俺は見送った。
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音は下から来た。
橋が落ちる音を、俺は前に1度聞いている。あれは板の音だった。板は折れる前に軋む。
石は軋まない。
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上流側の2番目の脚が下流へ倒れた。
倒れる前に沈んだのだと思う。沈んでから傾き、その上のものが全部いっぺんに水へ落ちた。桁と床板。春に足された欄干と舗装。
音は1つではない。1つ目が河床を叩き、2つ目が水を押し、3つ目が谷の壁に当たって戻ってきた。
戻ってきた音がいちばん長く続いた。
*
水柱が上がる。白い煙のように広がって、それから消えた。
風がこちらへ回って、匂いが変わった。河底の泥だ。何十年も日に当たっていない土が、いっぺんに空へ出された匂いがする。
橋のあった場所に、脚が2つだけ残っている。
俺は数えていた。橋の上にいた人間の数だ。
いない。0だ。
数え直して、もう1度0になった。
*
縄を切った男はまだ橋詰にいた。
短刀を手に持ったままで、それを鞘に戻すことを忘れている。
俺はその男の前を通った。通るときに、何か言われるかと思う。言われはしなかった。
かわりに、うしろから声が来た。
「代官どの」
俺は足を止めない。
「その縄は、いつまで張っておかれますか」
止めずに答えた。
「あんたが張り直すまでだ」
*
道の分かれ目のほうを見た。
半里下がったところに幕の灯りがある。その手前の道に、人影が1つ立っていた。
こちらへは歩いてこない。戻りもしない。
音のした方角を向いたまま、動かなかった。
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夜のうちに、俺はシュラムへ引き返す。
カスパーとピムは残した。橋がなくなった場所には何日か縄が要る。落ちた橋を見に来る人間が、いちばん先に落ちる。
坂を下りきったところで、向こうから走ってくる灯りが見えた。
ヨナスだ。
*
「棟梁」
「堤か」
「量水標です」
若い男は膝に手をついて、息を継いだ。
「12です」




