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処刑を免れた悪役領主は目立ちたくない ~前世は土木の現場監督。黙って道と橋を直していたら、俺を捨てた王国軍が頭を下げてきた~  作者: 夜凪 蒼


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第26話「一本道と迷い道」

宣誓の朝に、橋の真ん中を戻した。


外すのに3日かかったものを、戻すのは半日で済む。番号を振った楔がピムの籠に揃っていて、どの桁がどこに載っていたかを迷わずに置ける。


まだ暗いうちから轆轤を回して、3本を順に下ろした。楔を打ち込むと、床板の鳴りが元に戻る。


水は9まで来ている。桁の天端は8だ。戻した真ん中は置いたそばから水の下へ入っていった。


*


「棟梁。沈んだぞ」


ヨナスが言った。


「沈む橋だ」


「知ってます。知ってるのに、毎回びっくりします」


「びっくりしなくなったら、見張りを外せ」


*


オッタは戻すことに反対した。


「水が9で入れるのは早い。10まで待て」


「10まで待つと、宣誓に間に合わん」


「間に合わせるために早めるのは、あんたが1度やって、人を1人殺しとる」


俺は手を止めた。


止めて、この男の顔を見た。言ったほうも目を逸らさない。


*


「違いはあるか」


親方が訊いた。


「ある」


「言え」


「養生じゃない。据える手順を縮めてはいない。桁は3日前まで載っていたものだ。載っていた場所へ、同じ楔で戻す」


「水は」


「水があると、下から見て確かめられない。そこは減る」


*


「なら、確かめる手を増やせ」


オッタは轆轤の縄を握った。


「1本下ろすたびに、俺が潜る。あんたは上で見とれ」


「冷えるぞ」


「冷えるのは俺の都合だ。落ちるのはあんたの都合だ」


オッタは1本ごとに指を立てて数を言った。3本目を潜り終えて上がってきたときには、その立てた指が戻らなくなっている。


*


日の出とともに最後の楔が入った。


読みは9のまま動いていない。それを台帳へ移してから、俺たちは川関へ発った。


*


書院に着いたのは昼だ。シュラムから半日。関の建物は石造りで、うちの村のどの家より頑丈にできている。荷を止める場所がいちばん立派なのは、どこの国でも同じらしい。


俺は正装を持っていない。着ていったのは冬の外套と、目盛りの入った杖だ。


戸を抜けると匂いが変わった。石が抱えている冷えた匂いと、火を落とした炭の匂い。そこへ俺の外套から、乾きかけの泥が匂う。場違いなのは服装ではない。匂いのほうだ。


イルザは組合の差配として呼ばれていた。オッタは呼ばれていないが、俺の随行として入れた。


*


書院の卓の向こうに、軍務府の人間が5人。


いちばん奥に座っている男が、立たずにこちらを見た。


痩せてはいない。背は俺より低い。髪が白く、顔の皮が厚く、目の下に深い皺が2本ある。軍装の襟が首に食い込んでいて、それを直そうとしない。


「兵站総監、メルヒオル・グラン」


名乗ったのは隣の役人だ。本人は名乗らなかった。


*


俺は5人の顔を順に見た。


見ながら、朝に聞いた話を思い出している。頬に古い引き攣れ。左の眉の外側が薄い。網に立った男がそう言って自分の顔を指で示した。


卓の左から3番目にその顔がある。


俺は目を止めなかった。止めれば向こうが気づく。気づかれると、この席が終わったあとに、あの男は顔を隠すようになる。


イルザが俺の袖を引いた。引いて、何も言わずに離した。彼女も同じ顔を見ている。


*


元帥府から来た立会いの役人が、裁定の文を読み上げた。


条件は4つ。俺の家の板の間に並べたのと同じものだ。読み上げが4つ目に来たとき、卓の向こうで誰かが紙を捲る音がした。


『判定は規定への適合をもって行わず。期の内に営倉へ着きたる石高をもって行う』


読み上げが終わって、役人が顔を上げた。


「雪解けの起点は、王都の川杭にて定む。本日の読みをもって、本日を第1日とする」


*


署名は3つだ。


軍務府の差配として総監。旧街道の差配として俺。荷を運ぶ組合の差配としてイルザ。


彼女は筆を持って、一度手を止めた。


「あたしの名前でいいのかい。うちは組合で、あたしは若頭だ」


「差配の名でよい」


「なら書くよ。あとで、女の名だから無効だなんて言わないでおくれ」


役人は答えなかった。イルザは自分の名を、卓の紙に大きく書いた。


*


席が解けたのは日が傾いてからだ。


俺が外套を取りに立ったとき、卓の向こうから声がかかった。


「代官」


総監だった。


「少し残れ」


*


人が出ていくのを男は待った。


待って、全部出ていったところで、レナートだけを呼び戻した。


「フォス。書け」


「はい」


「余の言うことは全部書け。削るな」


士官は帳面を開いた。


*


「そなたをあの地へ置くよう具申したのは、余だ」


俺は返事をしなかった。


「驚かんな」


「冬に、そうだろうと思いました」


「なぜ分かった」


「あの土地に3年で800石を課すのは、届かせるための数字ではない。届かない数字を課すのは、人を入れ替え続けるためです」


*


総監は椅子の背に体を預けた。


「そのとおりだ。あの旧街道は、口を塞いでおきたかった。塞ぐには何もせぬ男が要る。手抜きの堤で村を沈めた男なら、何もせぬだろうと余は読んだ」


「読み違えましたね」


「読み違えた」


男はあっさりと認める。


「余は、罪人は自分の罪の形で動くと思っておった。そなたは違った。そこは余の落度だ」


*


「1つ、訊いていいですか」


「申せ」


「20年で7つ、橋が落ちています。自然に落ちた橋、と呼ばれているものです」


「聞いておる」


「閣下の名で落ちたのですか」


*


総監は答えなかった。


答えないかわりに、卓の上で指を1度動かす。


「余は、統制されぬ路を減らすよう命じた。減らせと命じられた者が、何をどう減らしたかを、余はいちいち聞かぬ」


「聞かないのですか」


「聞けば、止めねばならん」


男は言った。


「止めれば、路は減らん」


*


俺はその答えを正直だと思った。


思ったことは口に出さない。この場で正直さを褒めるのは、褒める側が優位に立つ言い方になる。


「なぜ、そこまでして一本にするのですか」


*


「32年前だ」


総監はそこで、初めて椅子から背を離した。


「東方戦役。余は22で、中隊を1つ預かっておった。冬の峠で、糧が止まった」


「囲まれたのですか」


「囲まれてはおらん。道は3本、開いておった」


男は指を3本立てた。


「3本あったのだ。糧はそのどれかを来る。どれを来るかを、誰も知らぬ」


*


「北の道で待った隊がある。東で待った隊がある。余の隊は西で待った」


指が1本ずつ折れていった。


「糧は南から来た。南は、その年に開いたばかりの間道でな。誰も知らせを受けておらん」


「行き違ったのですか」


「行き違うた。糧を積んだ車は、空の陣地に3日置かれて、また引き返した」


*


「そのあとは」


「草を食った。木の皮も食った。馬は先に食い終えておったからな」


総監は自分の指の付け根を見ていた。


「連隊は2200。峠を下りたのが1100だ。半分は、敵に殺されておらん。誰にも殺されておらん。ただ、道が多かった」


*


「17年経って、南征で余は兵站を一本にした」


男は続けた。


「どこに何がいくつあり、いつどこへ届くかを、余ひとりが決めた。1人が決めれば、行き違いは起きぬ。あの戦で、余は1人も餓えさせておらん」


「知っています」


「知っておるか」


「あなたの兵站に村を救われたという男を、うちで預かりました」


総監はレナートのほうを見なかった。見ずに、俺のほうを見続けている。


「迷い道が、兵を殺すのだ。代官。余の道が1本なのは、意地ではない」


*


俺はその話を否定する材料を持っていない。


冬に若い士官へそう言った。いまも同じだ。閣下の言うことは正しい。3本の道が2200を1100にした。


正しさを認めてから返さないと、返した言葉は届かない。


「閣下の言われることは、正しいと思います」


「意外だな」


「否定する材料がありません」


*


「では、なぜ道を増やす」


俺は口を開こうとして、そこで止まった。


止まったのは頭が別のことを始めようとしたからだ。


冬に一度、同じことが起きている。あのときは頭のほうへ行かせた。行かせた先で、雨の音を聞いていた。


今日は行かせない。


*


「1つ、申し上げます」


「申せ」


「俺は、工期に負けたことがあります」


総監の眉が動く。


「秋の出水の前に、応急の補修を1か所、見送りました。理由は立派でした。銭と、日数と、その年の雨の少なさです」


俺は自分の声が平らに出ているのを聞いていた。


「その年の秋に、堤が切れました。人が死にました」


*


「それは、そなたの罪状に書いてある」


「書いてあるのとは、別の川です」


「別の川」


「別の川で、別の名前でした」


総監は口の端を動かした。


「なるほど。罪人はいくつも川を持つ」


「持ちます」


「そなたの川で死んだのは何人だ」


「6人です」


「余の峠では1100だ」


「数の話をしているのではありません」


「余もだ」


*


俺はそれ以上、訂正しなかった。


訂正できる言葉を俺は持っていない。持っていないので、いま口に出せる形で出した。


出すと決めたのは俺だ。


*


「材料なら、こちらにも別のがあります」


「申せ」


「一本道は、切れた日に全員を殺します」


書院が静かになった。レナートの筆の音だけが動いている。


「3本あって行き違えば、半分が死ぬ。1本しかなくて、その1本が落ちれば、全部が止まる。閣下は22年前から、その1本の下に何があるかをご存じのはずだ」


*


「あんたは、壊れたことを隠す」


俺は言った。


「俺は、壊れ方を先に決めておく」


*


総監は動かなかった。


動かずに、卓の上の裁定の紙を1枚だけ手前へ引いた。引いて、4行目のところに指を置く。


「余は、この4行目を書かせておらん」


「知っています」


「書かせておらんものに、余は従う。従わねば、余の軍令が紙になるからだ」


男は立ち上がった。


*


「10日だ、代官」


総監は襟に指をかけて、そこでようやく直した。


「10日のうちに、そなたの道は、そなたの手には余るものになる。勝ってもだ。負けてもだ」


「余ったら、どうなります」


「誰かが持つ。持つ者を、そなたは選べぬ」


男は書院を出ていきかけて、戸口で足を止めた。


「1本の下に何があるかを余が知っておる、とそなたは言うた」


「言いました」


「知っておるなら、なぜ余に何も送らん」


「送りました。冬に測った数と、やるべきことを3つ。営繕方宛てに出しています」


*


総監は戸の把手に手を掛けたまま、動かなかった。


背中は広くない。軍装の肩の線が思っていたより下がっている。


「余のところには、来ておらん」

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