↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑を免れた悪役領主は目立ちたくない ~前世は土木の現場監督。黙って道と橋を直していたら、俺を捨てた王国軍が頭を下げてきた~  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/32

第23話「札のない橋は渡らない」

寄合の日、俺は東支流にいた。


二代目の橋の脚を、朝から1本ずつ叩いて回っている。叩く必要はない。カスパーが朝の見回りで叩いて、量水標も読んで、紙に書いて置いていった。


その紙は俺の手元にある。同じことを2度やっているだけだ。


やることがあるふりをするのに、いちばん手近な仕事だった。


*


オッタが橋の下から顔を出した。


「棟梁。それ、朝に済んどるぞ」


「知ってる」


「知っとって叩くのは、耳を疑っとるからか、手を持て余しとるからか、どっちだ」


「手のほうだ」


「なら、こっちを持て」


親方は水切りの石を1つ、俺の足元へ転がした。据え直す位置を炭で描いてある。


「持て余した手は、重いものに使え。軽いものに使うと、余計に余る」


*


昼過ぎにヨナスが来た。


「棟梁。組合の小屋、まだやってます」


「見に行ったのか」


「通りがかっただけです」


「通りがかるような道じゃないだろう」


「……見に行きました」


若い男は自分の靴の先へ目を落とした。


「中は聞こえないです。声が高くなったり低くなったりするだけで」


「戻れ」


「はい」


「ヨナス」


「はい」


「もう通りがかるな」


*


ブルーノが堤の上に立っていたのはその少しあとだ。


老人は寄合の小屋のある方角を見ていた。距離があって、屋根しか見えない。


「郷長は呼ばれとらん」


「呼ばれる筋じゃないだろう」


「筋ではない。だが、あそこで決まることは、うちの村4つにかかってくる」


老人は堤の土を長靴の底でならした。


「断れば、次に来るのは郷のほうだ。組合の荷を止められんなら、荷の出るところを止めればよい」


「畑か」


「畑と、人足だ。あんたの現場から人を抜けば、それで足りる」


*


「止めるか」


「止めん」


老人はこちらを見ずに答えた。


「わしが止めても、あの娘は聞かん。聞かん相手に言うのは、言うたという証文を自分に立てるだけじゃ」


「郷長らしくないな」


「郷長らしいわい。わしは、断ったあとの支度を考えとる」


*


日が傾いてから、俺は馬借宿へ行った。


行く理由はある。初年度の納付に使う麦の運びの日取りを決めなければならない。220石を組合が請ける約束になっていて、それは俺の借りの担保でもある。


理由はあるがこの日に行く理由ではない。


*


帳場には誰もいなかった。


土間の火は落ちていて、灰の上に鉄瓶が置いたままになっている。奥の厩を覗くと、馬が12頭全部いた。1頭も出ていない。


半日ぶんの荷が動いていない。組合が半日、商売を止めたということだ。


卓の上に、組合の帳面が開いてあった。


*


最後の頁だ。


父の代からの短い文が9つ並んでいて、その下に炭で書いた10個目がある。


『札のない橋は渡らない』


その下に、新しい字が増えていた。


*


日付が1行。


その下に名前が並んでいる。かぞえると22。


若い衆が18人と年寄りが4人。昨日、彼女の言った頭数と同じだ。


22のうち、1つだけ、上から線が引いてある。


*


線は太い。1本ではなく2本引いてあって、下の字が読めないように潰してある。潰し方に迷いがない。


俺はその名前を読もうとして、やめた。


読んでも俺にできることがない。できることのない事情を知ると、次に顔を合わせたときに態度が変わる。


*


卓の端にもう1枚あった。


軍務府の紙だ。俺の持っているのと同じもので、こちらは折り直して封がしてある。表に宛名が書いてあった。


『軍務府輜重方 レナート・フォス殿』


封の上に、細く一行が足してある。


『返上いたし候』


*


俺はその紙を裏返さなかった。


裏返さなくても書いてあることは知っている。前の日に、自分の手元の写しで読んだ。


一度返上したる株は、再び請うことを得ず。


その一行がどこに置いてあったかまで覚えている。文の終わり、いちばん目に入りにくいところだ。


*


外で足音がした。


入ってきたのは組合の若い衆が3人。俺を見て、3人とも足を止めた。


「棟梁」


「勝手に入って悪い。荷の日取りの話で来た」


「姐さんは、まだ小屋です」


いちばん年上の男が言った。20代の半ばくらいで顔に見覚えがある。冬に橇を曳いていた男だ。


*


「決まったのか」


「決まりました」


「そうか」


「棟梁。ミヒェルが抜けました」


俺はその名前を知らない。知らないが卓の上の潰れた字のことだと分かる。


「あいつは馬を2頭持ってます。親父さんの代からの馬で、去年の徴発で1頭やられて、残りが2頭です」


男は帳面のほうを見ないようにして話した。


「株が戻れば、3年は取られない。3年あれば、2頭が4頭になります」


*


「そうだな」


「あいつは、姐さんに何も言わずに出ていきました。言えば、姐さんが自分の名前を消すからです」


俺は何も言わなかった。


言うことがあるとすれば、その男に向かって言うべきで、その男はもうここにいない。


「あんたはどう思う」


「おれは残りました」


「訊いたのはそこじゃない」


*


男は少し黙った。


「……あいつが正しいと思います。うちは商売です。商売で3年の徴発を免れるってのは、大きい」


「なのに残ったのか」


「ヤンの車を曳いてたのが、おれです」


男は自分の手のひらへ目を落とした。


「初市の朝、3台目にいました。おれは前の車の背中しか見てなかった」


*


後ろの2人のうち、若いほうが口を挟んだ。


「おれは違います」


「違うとは」


「おれは、あの日は沼にいました。何も見てません。恩も借りもないです」


まだ十代に見える。声だけが大人の音をしていた。


「けど、姐さんが名前を書くのを見ました。書くとき、手が止まらなかった」


「それで決めたのか」


「決めました。理屈は、あとから足せばいいと思って」


年上の男が舌打ちをした。


「そういうのが、いちばん先に音を上げるんだ」


「上げませんよ」


「上げたら、おれが厩の掃除を代わってやる」


3人はそこで少し笑った。笑ってから、笑ったことを気まずそうにやめた。


*


イルザが戻ってきたのは、それから半刻ほど後だ。


土間に入ってきて、俺を見て、驚かなかった。


「来ると思ってた」


「来るなと言われた」


「言ったのは寄合の話だよ。荷の日取りなら、いつ来たっていい」


彼女は火の落ちた囲炉裏に薪を足した。足してから、帳面のほうを見る。


「読んだね」


「読んだ」


「感想は」


「ない」


*


「そこは嘘でもいいから、何か言うところだよ」


「言うと、あんたの決めたことが俺のせいになる」


イルザは薪を1本、火に落とした。


「ありがとうって言われるより、そっちのほうが腹が立たない」


彼女は卓の封をした紙を取り上げて、懐に入れた。


「明日、駅使に持たせる」


「代償は分かってるのか」


「株は永久に戻らない。徴発も来る。次の冬に馬を取られたら、うちは10頭を切る」


*


「それでも渡らないのか」


「渡らないよ」


彼女は俺のほうを見ずに答えた。


「うちの掟の10番目には、あたしの字が入ってる。書いた本人が最初に破ったら、上の9つも全部ただの紙だ」


「9つは父親のだったな」


「そうだよ」


*


俺は卓の上の帳面を閉じた。


閉じてから、こちらの用件を出す。


「220石の運びだ。日取りを決めたい」


「そこは変わらないよ。うちが請ける」


「馬が減ったら請けられん」


「減る前に運ぶ。あんたの納めは秋だろ。徴発が来るのは冬だ」


彼女は指を折らずに答えた。この女は数の話になると考える前に口が動く。


*


「借りのほうはどうする」


「254だ。今年の秋に220石を納めたら、半分返してもらう約束だよ」


「株を蹴った組合が、その半分を待てるのか」


「待てないよ」


イルザは薪の位置を直した。


「待てないから、あんたには稼いでもらう。うちの荷が通る道が生きてないと、あたしの貸しは石ころになる」


「そういう理屈で残ったのか」


「そういう理屈も混ぜたよ。混ぜないと、若い衆に説明がつかない」


*


日が落ちてから宿を出た。


彼女は途中まで送ると言った。断る理由がない。


沼の道は暗い。足元は見えないが、歩き慣れた道は靴の裏のほうが覚えている。


「あんた、うちの親父の馬の話を聞きたいって顔を、前からしてたね」


「してない」


「してたよ。冬に一度、訊きかけて自分でやめた」


*


「10年前だ」


イルザは前を向いたまま話した。


「戦じゃなかった。北の国境の砦を直すのに荷が要るってんで、うちの馬が40頭のうち32頭持っていかれた」


「32」


「うん。冬の60日って触れだった。返ってきたのは5ヶ月後で、17頭」


「15頭は」


「砦の下だとさ。どこに埋めたかも聞いてない」


イルザは帳面の縁を親指で押さえたまま、声の高さを変えずに続けた。


「死んだのは向こうだけじゃないよ。帰ってきた17頭のうち、自分の脚で歩けたのが12頭。あとの5頭は、返ってきてから死んだ」


「取られなかった8頭は、株がなくなった年に売った。うちの数は、そこから増えてない」


*


彼女は歩きながら手を上げて、自分の腰のあたりで止めた。


「馬ってのはね、無理をさせられても、そのときは動くんだ。動いて、荷を下ろす。厩に入って、飼葉を食う。それから死ぬ。3日か、10日か、ひと月してから」


「親父は17頭を厩に入れて、毎晩、順番に見て回った。どれが死ぬかを見て回ってたんだよ。あたしは12だったから、ついて回った」


「毎晩か」


「毎晩。5頭目が死んだ晩にね、親父が厩で座り込んでた」


*


イルザはそこで足を止めた。


「泣いてはいなかった。番号を言ってたんだ。7番、11番、23番って。全部の番号を、順番に」


「対価は」


「馬1頭につき銀2タレル。翌年払い。翌年、半分しか来なかった」


彼女はまた歩き出した。


「あの紙にね、徴発の除外って書いてあった。3年だけ」


「3年だ」


「3年経ったら、また同じことができる紙だよ。あれは」


「そう読んだのか」


「読んだんじゃない。うちは一度それをやられてる。同じ書き方の紙を、親父が畳んで持って帰ってきた」


彼女の足が泥を踏む音が、少しのあいだ続いた。


「あたしはね、あの紙の文句が正しいかどうかは分からない。分からないけど、紙の折り方は覚えてる」


*


村の灯りが見えるところで彼女は足を止めた。


「あんた、あたしに礼を言うんじゃないよ」


「言わない」


「言わないって顔で、もう言ってる」


イルザは帳場のほうへ向き直った。


「あの子が死んで生まれた掟のせいで、うちが飯を食えなくなる日が来たら、あたしはたぶん、あんたを恨む」


「恨め」


「恨むよ。恨んでも、掟は変えない。そこだけは間違えないでおくれ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。