第22話「株と引き換えの踏み絵」
検分から戻った翌日に、俺は紙を2枚書いた。
1枚目は数だ。日付と脚の番号。その下に上流三尺、下流一尺。測った道具と手順も添えた。誰が読んでも同じ手順で同じ数が出るように書いておかないと、数は数のままで終わる。
2枚目にはやることを3つ並べた。
上流側に根固めの石を沈め直すこと。増水の期は通行を止めるか、車の目方を落とすこと。上物をこれ以上重くしないこと。
3つ目を書くかどうかは迷った。足場のことは俺が遠目に見ただけで、誰にも訊いていない。
書いた。
*
宛先は軍務府の営繕方だ。
オッタは俺が封をするのを見ていた。見ていて、何も言わない。
「言いたいことがあるなら言え」
「ねえ」
「あるだろう」
「あるが、言うと止めることになる」
男は道具袋の紐をいじった。
「止めはせん。俺も昔、書いて出した」
「返事はなかったんだったな」
「なかった。だが、あんたのは俺のと違う。俺のは見立てだ。あんたのは数がある」
「数があると、違うのか」
「違うと思いたい」
*
駅使は月に1度しか来ない。
往復で24日かかる。俺の紙が向こうの机に載るのは12日後で、返事がここへ戻るのはさらに12日先になる。
その24日のあいだに、季節のほうが先へ動く。
山の雪が緩み始め、量水標の朝の読みは5から6になった。橋の下の水音が夜のうちに変わるので、起きてまず見に行く癖がつく。
*
最後の霜が下りた朝に、レナート・フォス士官が来た。
供は2人。冬と同じで、外套に泥がついていない。
「軍務府輜重方付、レナート・フォス」
「名乗り直す必要はない」
「必要はありませんが、公務ですので」
男は懐から2枚の紙を出した。1枚を俺に渡し、もう1枚は懐へ戻す。
「本日、馬借組合の帳場へ、これと同じものを届けました」
*
紙は短かった。
『馬借モーア組合に対し、王都御用の株を回復する。あわせて向こう3年、当組合の人馬を戦時徴発の対象より除く。ただし有事において、当組合はその荷を軍務府の指定する路ならびに関を経由せしむべきものとする』
読み終えて、俺はもう一度、最後の一文だけを目で追った。
*
「指定する路、とは」
「川運と、軍道です」
「うちの道は」
「入っておりません」
「有事とは、いつからいつまでだ」
「軍務府が有事と定めた期間です」
「誰が定める」
「軍務府です」
レナートは目を逸らさない。
「私が読んでも、そう読めます」
*
「あんた、これを持ってきて何とも思わんのか」
「思います」
「思って、持ってきたのか」
「命令ですので」
男はそこで一度、言葉を切った。
「思ったことは日誌に書きます。書いても、どうにもなりません。前にも申し上げました」
俺は手の中の紙に目を落とした。
株の回復。徴発の除外。3年。
あの組合が取り上げられたものが、そのまま順番に並んでいる。
*
「これを作った人間は、あの組合のことをよく知っているな」
「調べたのだと思います」
「調べたのは誰だ」
「存じません」
「知っていても言わんだろう」
「言いません」
「1つだけ訊く。この紙は、いつ書かれた」
「私が受け取ったのは4日前です」
「その前は」
「存じません。申し上げられるのは、徴発の名簿を作ったのが私だということです。組合の馬の頭数と番号、斃れた馬の日付を書いて出したのは私になります」
男の声は変わらない。変わらないところが、いちばん厄介だった。
「その名簿を、誰かが使ったのだと思います」
*
俺は紙を畳んだ。
「あんたを責める気はない」
「責めていただいて構いません」
「責めても直らんものは責めない。工程と同じだ」
レナートは頭を下げた。下げてから、付け足す。
「写しをお渡しする義務はありません。ただ、私は隠すのが下手なものですから」
*
同じ日の昼に、川関から触れが回った。
読み上げに来たのは関の下役だ。村の広場に人を集めて、紙を開いた。
『アルヴス大橋の改修、成る。本日をもって通行を再開す。当橋は軍の積載規定に適う唯一の渡りにして、王都と北境を結ぶ路の要なり』
村の者はほとんど反応しなかった。うちの郷にとって、あの橋は縁のない橋だ。
*
後ろにいた東の村の年嵩の男がそこで口を開いた。
「唯一の、と言いなさったか」
「言った」
「うちの橋は、渡りではないので」
下役は紙を巻きながら答えた。
「規定に合う渡り、と書いてある。合わん渡りのことは書いておらん」
「合わん渡りでも、市には行けますが」
「わしに言うな。わしは読んだだけだ」
男は札を懐から出して、下役に見せた。裏に刻みの入った、通し番号の入った楢の札だ。
下役は札を見て、それから村の者の懐を順に見た。同じものが何十枚も出てくるのに気づいた顔をしていた。
*
ブルーノが俺の隣に来たのは、下役が帰ったあとだ。
「あれは、数えに来たな」
「触れを読みに来た体だがな」
「体はどうでもよい。あの男は、うちの札が何枚出とるかを見て帰った」
老人は広場の泥を長靴の先でならした。
「わしは前に言うた。人が来れば、後から上が来ると」
「言われた」
「もう来とる。次は数えるだけでは済まん」
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俺とオッタはそのあとで顔を見合わせた。
*
「改修だとよ」
「聞こえた」
「どこを直した」
「欄干と、舗装だ」
オッタは下役の持つ紙のほうを見ている。
「棟梁。橋にとっての荷は、渡る車だけじゃねえ」
「知ってる」
「なら言え。あんたの口から聞きたい」
「橋は、自分の重さも背負ってる。欄干を足して、舗装を厚く敷けば、その分だけ脚に乗る」
「乗った先はどこだ」
「根だ」
*
三尺食われた根の上に、新しい重さが載った。
俺は自分の書いた3行目を思い出す。上物をこれ以上重くしないこと。
紙が向こうの机に着くより先に、向こうは上物を重くし終えていた。
*
その日の夕方の見回りに、俺はカスパーについて歩いた。
検査方の道筋は決まっている。橋詰から向こうの取付道まで歩いて、床板の楔を木槌で叩く。脚の根元の水当たりを見る。量水標を読む。そこから堤に上がって、南まで歩く。
堤を歩けというのは郷長の出した条件だ。条件を出した本人は、この道筋を1度も検めに来ない。任せた仕事を見に来ない人間のほうが、たいていは信用している。
「6だ」
カスパーが杭の数を言った。
「朝と同じだな」
「朝と同じだ。だが、水の色が違う」
*
俺たちは堤の上を南へ歩いた。
土は緩んでいる。踏むと踵が2寸ばかり沈み、抜くときに音がした。冬のあいだ凍っていたものが、上から順に戻ってきている。
南の端で、カスパーが足を止めた。
そこは築堤が低い。幅6間ぶんだけ天端を下げて、粗朶で仮に閉めてある。設計したときからそうしてあって、堤の帳面には別の行で書いてある。
「ここは、いつまでこのままだ」
「このままだ。塞がない」
「塞がんのか」
「塞ぐと、逃げる先がなくなる」
*
男はしゃがんで、粗朶の束の縄を指で確かめた。
「縄が緩んどる。締め直しておく」
「頼む」
「切るときは、誰が切る」
俺はその問いに、すぐに答えなかった。答えの用意はある。用意はあるがいま口にすると約束になる。
「そのときの棟梁が切る」
「なら、あんただ」
カスパーは縄を締め直して、立ち上がった。
「おれは南の堤に立つのが2度目だ。1度目は、切れたあとに立った」
*
出してから24日目に駅使が戻った。
俺の出した2枚が、そのまま戻ってきた。
封は切られていない。表に細い紙が一枚、糊で貼ってある。
『所管に非ず。受領を得ず』
*
「開けてもねえ」
オッタが言った。
「開けてない」
「あんたのは数があると、俺は言うたな」
「言った」
「取り消す」
男は封を指で弾いた。
「読まれん数は、見立てと同じだ」
俺は言い返さなかった。この件でこの男に言い返せる材料を、俺は1つも持っていない。
*
貼り紙を剥がして、台帳の後ろに挟んだ。
剥がすときに紙の裏が見えた。清書する前の下書きを、そのまま裏返して使ったらしい。裏には別の手で、走り書きが一行ある。
『損耗待ちの件、営繕は関知せず』
俺はその一行を、声に出さずに口だけで読んだ。
読んでから、そこにあるはずの言葉を探す。橋の名も脚の番号もない。三尺という数はどこにも出てこない。
*
「元帥府へ出せ」
オッタが言った。
「先だって書状が来たろう。あそこは道を見て歩く役所だ」
「出さない」
「なぜだ」
「他人の橋の話を、その橋を持っている役所の頭越しに別の役所へ出す。それをやると、話の中身が橋から役所へ移る」
俺は封の戻ってきた2枚を、台帳の後ろへ入れた。
「移った先で、俺は勝てない。俺は宮廷の作法を1つも知らん」
*
「じゃあ、どうする」
「返書は書く。訊かれたことにだけ答える」
「訊かれたのは、誰の普請かの一点だったな」
「そこにだけ答える」
オッタは黙って、火のほうを向いた。
「棟梁。あんた、賢いのか臆病なのか、どっちだ」
「両方だ」
「なら、まだ持つ」
*
イルザが館へ来たのは、その日の夕方だった。
梯子を上がってきて、板の間に膝をつく。囲炉裏の火は熾りかけで、煙が板の目に沿って流れていた。
彼女は懐から紙を出して、板の上へ置いた。俺の持っているのと同じ紙だ。
「読んだかい」
「読んだ」
「あんた、何て言うつもりで待ってた」
「何も言うつもりはない」
「嘘つきな」
*
火が一度跳ねた。
「うちの親父は、この株を取られて死んだ」
彼女は火から目を離さない。
「40頭いた馬が12頭になって、株も取られて、それでも親父は組合を潰さなかった。潰さなかったぶんを、あたしは12頭で背負ってる」
「知ってる」
「知ってる顔をするなって、前に言ったね」
「言われた」
「今日は、してもいいよ」
*
彼女は紙を裏返した。
「株が戻る。徴発が3年こない。うちの若い衆の馬が、また潰されずに済む。これを断る若頭は、どこの組合にもいない」
「そうだろうな」
「そうだろうなって顔で言うんじゃないよ」
イルザは立ち上がった。
「明日、うちで寄合をやる。若い衆が18人と、年寄りが4人だ」
*
「あんたは来るな」
「行かない」
「言われる前から行かない顔をしてる。それが気に食わない」
彼女は梯子に足をかけて、そこで振り返った。
「どっちに決めても、あんたのせいにはしない。だからあんたも、あたしのせいにするんじゃないよ」




