第15話「合法という名の人さらい」
令状は雪の朝に来た。
馬に乗った下役が二人。橋を渡り、館の梯子の下で馬を降りて、上がってもこなかった。梯子の三段目に紙を置いて、それだけで用は済むという顔をしている。
「軍務府輜重方よりの徴発でございます。読み上げは要りますか」
「要る」
俺は板の間に立ったまま聞いた。座って聞く話ではない気がした。
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読み上げは短かった。
北境の国境営倉ならびに軍道の冬季補修のため、シュラム郷および周辺の預かり地より人足30人と馬20頭を徴発する。期は60日。対価は定めのとおり。
「定めのとおりというのは」
「1人1日、麦2合でございます」
「日当は」
「徴発に日当はございません」
下役は紙を巻いた。巻きながら、付け足すのを忘れていたという顔をした。
「なお、石を扱える者、木組みのできる者を優先して出すようにとの但し書きがございます」
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俺はその但し書きを二度読ませた。
読ませても文言は変わらない。技倆ある者を優先せよ、と書いてある。
普請の現場で、技倆のある者から30人抜くというのは、鍋から具だけを掬っていくのに似ている。汁は残る。汁だけでは飯にならない。
「断ればどうなる」
「断れる定めがございません」
「不足なら」
「不足の分は、郷の年貢に上乗せいたします」
紙の末尾には署名があった。輜重方付士官、レナート・フォス。見たことのない名だ。字は細く、癖がなく、線の終わりまで筆圧が変わらない。
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俺はその日のうちに書状を2通書いた。
1通は軍務府輜重方へ。この地は請負中の普請があり、技倆ある者を抜かれれば春の播きつけと年貢の納めに障る。ついては人数を減らすか、時期を渇水期の明けまで延ばしてほしい。そういう中身だ。
もう1通は王都の営繕方へ。石材の届けと合わせて出す。
書いてから、俺は駅使の日を数えた。
月に一度。往復で早くて24日。
徴発の出立は3日後だ。書状が王都に着くころには、うちの30人は北境の営倉で凍った土を掘っている。届く前に済んでしまうことに向かって紙を書くのは、腹を立てないための儀式のようなものだった。
それでも書いた。書いておかないと、あとで「何も言わなかった代官」になる。
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名簿を作ったのはブルーノだ。
老人は寄合の小屋に半日籠もって、30人を選んだ。俺は口を出さなかった。出せば、誰を出さないかを俺が決めたことになる。
夕方に出てきた老人は、紙を1枚だけ持っていた。
「30だ」
「見ていいのか」
「見んでいい。見ると、あんたが覚える」
老人は紙を懐へ戻した。
「わしは、去年の冬に寄合へ出てこんかった家から順に選んだ。恨まれる筋の通し方を、こういうときのために取ってある」
「よく回るな」
「50年やっとる。回らんかった年は、郷が二つに割れた」
「石工は」
「郷の名簿にない。わしの30には入っとらん」
老人は懐の紙を上から押さえた。
「入っとらんが、下役が館の帰りにわしのところへ回ってきよった。石を扱える者がこの郷に何人おるか、と訊く。わしは一人だと答えた」
「答えたのか」
「嘘をつけば、次はわしの30を全部検められる。一人差し出して30を守った。恨むなら恨め」
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石工の名は30の名簿とは別に書き取られた。但し書きの一行が、この郷では一人しか指さない。
オッタは飯場の隅で道具を分けていた。持っていくものと、置いていくものを、麻布の上に並べている。
「木槌は置いていく」
「持っていけばいい」
「あっちで使う道具は向こうが出す。持っていったら、取られる」
男は左の親指の関節を曲げ伸ばしして、その動きを確かめてから、鑿を一本だけ袋に入れた。
「棟梁。東支流の仮橋な」
「やる」
「やるだろうと思った。だから言っとく。脚は俺が場所だけ決めていく。据えるのは、あんたがやれ」
「養生は削らん」
「守れ」
男はそれ以上、何も言わなかった。
*
出立の前日、俺たちは東支流の岸を歩いた。
支流は本流より狭い。渇水期のいまなら幅は12間ほどで水は膝より浅い。だが底が砂で、砂の下がどこまで柔らかいかは掘ってみないと分からない。
オッタは杖の先で川底を突きながら、上流から下流へゆっくり歩いた。三度往復して、それから4本の杭を打った。
「脚はここだ。ここ以外は砂が逃げる」
「4本でいいのか」
「仮橋なら4本。桁の長さを詰めろ。詰めたぶん、床が重くなるが、重いのは砂には効く」
男は真ん中の2本を長靴の先で示した。
「この2本は動かすな。ここだけは、下に硬いのが入っとる。俺の見立てが外れとったら、外れたと分かるように、杭に印をつけといた」
「外れることがあるのか」
「ある。俺の見立ては、俺が見た場所しか当たらん」
オッタは杖を担ぎ直して、岸を上がった。上がりながら、一度だけ振り返る。
「棟梁。あんたの見立ては、たいてい俺より広い。広いぶん、薄い」
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馬20頭のうち、6頭は組合から出た。
イルザは令状の写しを両手で持って、上から下まで読んだ。読み終えて、畳んで俺に返した。
その間、一言も口をきかない。
「あんたの親父の」
言いかけて、遮られた。
「その話は今しない」
彼女は畳んだ紙の角を指で押さえて、押さえたまま俺を見た。
「6頭出す。若いのから順に6頭だ。いちばん下は12番」
「12番は」
「3歳の牝だよ。いちばん若くて、いちばん使える」
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ヤンが厩から出てきたのは、そのすぐあとだった。
少年は12番の首に手を置いていた。置いたまま動かない。
「姐さん。ほかの馬じゃ駄目ですか」
「駄目だよ。若いのを出せと書いてある」
「こいつ、まだ荷を引いて2年ですよ」
「2年引けるから若いって書かれるんだ」
ヤンは唇を噛んだ。それから、馬の鼻面を撫でて、こちらを向いた。
「棟梁。おれ、こいつをノーラって呼んでるんです」
「組合の馬に名前はつけないんじゃなかったか」
「つけません。つけたら、取られたときに困るから。……困るって、こういうことなんですね」
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俺は返す言葉を持っていなかった。
持っていないので、余計なことを言った。
「60日だ。帰ってくる」
「帰ってきますよね」
「帰ってくる」
「おれ、金を貯めてるんです。姐さんの組合から自分の馬を買う金を。買うならこいつがいいと思ってて」
少年は自分の言葉で自分の首を絞めた顔になり、慌てて笑った。
「まあ、まだ全然足りませんけど」
「いくら貯まった」
「4タレルと少しです」
「馬1頭はいくらだ」
「若いので、9タレルって姐さんが言ってました」
「半分は貯まってるな」
「半分です。半分って、遠いですよ」
少年は12番の首から手を離した。離してから、自分の掌を見て、それを膝の布でこすった。
「棟梁。北の営倉って、寒いんですか」
「寒い。だが人は死なない場所だ」
「馬は」
俺は答えなかった。答えられる材料がなかったし、持っていない材料で慰めるのは、いちばん質の悪い嘘になる。
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出立は3日後だった。
30人と20頭が、旧街道を北へ上がっていく。俺の橋を渡り、俺の敷いた煉瓦の上を踏んでいく。渡らせるために作った道が、人を運び出すのに使われている。
その皮肉を口に出す相手が、この場にはいなかった。
ブルーノは見送りに来ていない。老人は寄合の小屋にいて、出ていく者の家を回る算段をしていた。
カスパーは残った。
流民は郷の名簿にない。名簿にない者は30の数に入らない。名指しで書かれれば別だが、この男が石も木も扱えることを、郷の外の誰も知らない。男は列を見送って、それから何も言わずに畚を担ぎ上げた。
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残ったのは素人だ。
飯場の頭数は25から13になった。うち石を扱えるのは誰もいない。木組みができるのはヨナスがどうにか一人前の半分。
俺は数え直して、東支流の仮橋の工程を引き直した。
初市まで18日。
材を寄せるのに4日。仮橋そのものが14日。脚を据えて桁を渡し、床板を張って養生に8日。足せば18日でぴったり合う。
合うのは腕のある人足が25人いる場合の話だった。
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脚の据えは2日遅れた。
石を据える音が分からない人間ばかりで、俺が1つずつ叩いて確かめて回るしかない。俺の耳は10回に3回外す。外したぶんを直させれば、そこでまた時間が要る。
さらに1日、雨で潰れた。
雪でなく雨が降るのは、春が近いという合図だ。合図は嬉しいがこの時季の雨は土を緩める。緩んだ土に脚を据えるわけにはいかない。
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ヨナスはよくやったほうだ。
木組みの継ぎ手を切らせると、3回に1回は寸法を外す。外したことを自分で見つけて、言いに来る。それができるだけで、この現場では上等だ。
「棟梁。おれ、切り直します」
「切り直せ。材は足りる」
「足りるんですか」
「足りるように寄せてある。人が減ったぶん、材だけが余った」
言ってしまってから、その言い方はよくないと思った。
ヨナスは笑わない。笑わずに鋸を引き直し、日が落ちてからも火を焚いて引いていた。
止めなかったのは俺だ。止めれば1日が伸びる。伸ばせない理由を、俺はもう自分の中に置いていた。
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工程表の上で、残りは3日足りなかった。
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俺は東支流の岸に立って、対岸を見ていた。
初市というのはこの土地では一年でいちばん大きな取引の日だ。冬に作った物と、冬に取っておいた物が動く。動かせなければ、動かせなかった分がそのまま冬の借りになる。
東支流の向こうには、郷の3つの村がある。仮橋がなければ、その村の荷は沼を回って半日余計にかかる。半日余計にかかる荷は、初市の朝に間に合わない。
間に合わなければ、値がつかない。
初市の朝の岸が勝手に目に浮かぶ。籠が並び、干した魚が並び、早く来た順に買い手がついていく絵だ。
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養生8日を4日にすれば、4日浮く。
4日浮けば、初市の前日に開通できる。開通できれば、3つの村の荷が朝いちばんに市へ入る。
理屈は立った。
立ったとき、俺は自分の手が工程表の上で止まっているのに気づいた。
止まっている理由を俺は知っている。冬の河原で、石の粉のついた手が桁の端を撫でて、9日だと言った。値切るな、とも言った。
あの男はいまここにいない。
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ここにいない人間の言葉は便利にできている。
都合の悪いときは、その場にいないほうの言い分を、頭の中で小さくできてしまう。仮橋だ。本橋じゃない。荷を1度通したら、春にもう一度組み直す。そういう理屈はいくらでも立つ。
俺は理屈を数え上げて、そのどれもが正しいことを確かめた。
正しいものを並べているあいだ、指の先が冷たくなっていた。火のそばにいるのに冷たい。
雨はまだ降っている。
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俺は工程表を膝に置いた。
養生の欄に8と書いてある。
炭の腹でその上をこすった。木炭は紙に食い込んでいて、こすっても完全には消えない。8の丸みが薄く残った。
その上から、4と書いた。




