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処刑を免れた悪役領主は目立ちたくない ~前世は土木の現場監督。黙って道と橋を直していたら、俺を捨てた王国軍が頭を下げてきた~  作者: 夜凪 蒼


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第12話「いい道は隠せない」

雪が根雪にならない土地では、冬の道がいちばんよく乾く。


水が凍って土が締まり、轍が固まったまま動かない。夏場ならぬかるんで通れない場所を、冬なら車が越えていける。


そのことを、俺は前の冬を知らないまま知っていた。体のほうが知っていた、という言い方のほうが近い。


橋が渡れるようになって20日ほどで、旧街道に知らない顔が並び始めた。


*


最初に来たのは北の村の油売りだ。


次に来たのは東の郷の炭の荷。その次は名前も聞いたことのない町の反物屋で、駄馬を4頭連れていた。


誰も俺に許しを求めに来ない。当たり前だ。道を歩くのに領主の許しが要ると思っている人間は、この国にはあまりいない。


俺は橋詰に立って、板に数を書いた。


初日は荷車が2台。5日目に4台。10日目には6台になり、駄馬のほうは日に30を超えた。


15日目、俺は数え終えて板を見下ろし、自分の指を止めた。


荷車9台。駄馬62頭。


*


渡し時代の平常が、駄馬で7頭から11頭だ。


その数字を、俺は着任の秋に自分で数えている。舟が一艘で、増水と舟の傷みで秋と冬は月に10日動かない。それがこの土地の交通というものの大きさだった。


舟のあったころ、日に渡る馬は片手で足りた。多い日で両手だ。いまは板の端まで正の字が伸びて、書ききれない。


俺は台帳の沈み橋の欄を開いて、後ろの空白に数を書き込んだ。前が7から11。後ろが62。


書きながら、腹の底がすこし冷えた。


冷えた理由をそのときの俺は取り違えていた。数が大きいと工事が追いつかない、と思ったのだ。


目立たずに3年凌ぐ、と俺は決めていた。決めたときは道のほうが勝手に人を連れてくるとは思っていなかった。


*


「日雇いの銭が郷に落ちるな」


俺はブルーノにそう言った。


橋詰の小屋の前で、老人は板の数字を横から覗いていた。荷車が通るたびに、村の若い衆が3人4人と寄っていって、荷の積み替えや車輪の押し出しを手伝っている。手伝えば駄賃が出る。


「落ちる」


「悪くない話だと思うが」


「悪くない」


老人は認めた。認めてから、泥掻きの柄で地面の霜を割った。


「あんた、いま何人来たと数えた」


「若い衆が4人だ」


「わしは、畑から4人減ったと数えとる」


*


俺は口を閉じた。


閉じてから、若い衆の顔ぶれを思い出した。ヨナスがいない。ヨナスの隣にいつもいる男もいない。二人とも今日は水路の泥浚いに出ているはずの手だ。


「泥浚いは」


「今日は6人で足りると言うとった。先週は12人でやっとった仕事だ」


「駄賃のほうが早く手に入るからか」


「早いし、確かだ。畑は春まで銭にならん。荷押しは日が暮れれば銭になる」


老人は霜のかけらを長靴の先で寄せた。


「春の播きつけに手が足りんくなる。麦が要るから水を抜いたのに、水を抜いた道で麦を作る手がおらんようになる」


*


言われて、俺は自分の読み違いの形が見えた。


道が通れば荷が動き、荷が動けば銭が落ちる。落ちた銭は郷を潤す。そこまでは合っている。


合っているが銭の落ちる速さと、麦の実る速さが違う。人はいつでも速いほうへ行く。


「なぜ先に言わなかった」


「言うたら聞いたか」


「聞いた」


「聞いても止められん。止めるのはあんたの仕事じゃなくて、わしの仕事だ」


ブルーノは背を向けて歩き出し、5歩ほどで足を止めた。


「勝ち誇っとるように聞こえたなら、詫びる。わしは当たってほしくなかった」


*


日が落ちるころ、ヨナスが橋詰へ戻ってきた。


掌に銅貨を4枚握っている。握ったまま、俺の前で立ち止まった。


「泥浚い、抜けました」


「聞いた」


「怒りますか」


「怒らない。俺があんたでも荷を押す」


ヨナスは銅貨を握り直した。指の節が白くなっている。


「うちのは、今年も腐り麦の株を抜いてます。抜いても抜いても、次の日には黒いのが増えてる。麦がだめでも銭があれば買えると言ったら、母は返事をしませんでした」


「返事をしないのは、あんたが正しいからだ」


「正しいのに、なんで気分が悪いんですかね」


「畑は来年の話で、銭は今日の話だからだ。来年の話をする側に立つのは、腹の減っていない人間だけだ」


俺は自分の言った言葉が気に入らなかった。気に入らないまま、訂正する材料も持っていない。


ヨナスは銅貨を懐へ落とした。


「明日は泥浚いに出ます」


「無理をするな」


「無理じゃないです。銭は、明後日も稼げるので」


*


翌日の午後、余所の荷車が橋の上で音を変えた。


3台目まではいつもの音だ。4台目が真ん中に差しかかったとき、床板の鳴りが低く伸びる。


伸びる音は撓む音だ。


俺は橋詰から声を出した。


「止めろ。そこで止めろ」


車を曳いていたのは日に焼けた中年の男で、こちらを見て怪訝な顔をした。止まった車の下で床板が一度だけ、ぎ、と鳴った。


「積んだのは麦か」


「麦だ。町の蔵に納める分でな」


「何石だ」


「12」


*


俺は橋の上まで歩いていって、車輪の跡を見た。


床板に、車輪の幅より広く泥が押し出されている。板が沈んで、沈んだ縁から泥が逃げた跡だ。


石という言葉は麦の嵩を数えるのに使う。倉に何石、納めが何石。だが車に載せた途端、それは嵩ではなく目方になる。麦8石といえば、大人が20人まとめて車の上に乗ったのと変わらない。


12石なら、30人だ。


「渡り切ってから話す。ゆっくり出せ」


車は渡り切った。渡り切って、取付道の煉瓦の切れる場所で右の車輪が沈んだ。


沈んだところに前の轍が重なっていた。轍の底が凍っておらず、下は冬でも水を含んでいる。


*


車軸が鳴って、折れた。


荷は横に傾いで、麦の袋が5つ落ちた。人には当たっていない。当たっていたら、袋一つで腰が立たなくなる目方だ。


男は地べたに座り込んで、折れた軸を両手で持った。


「これ、いくらすると思ってんだ」


「する。だから今から言うことを聞いてくれ」


俺はしゃがんで、轍の底の土を指で掬った。冷たいのに柔らかい。掬った土から水が滲む。


「この橋は、車1台につき麦8石までだ。8を超えるなら2台に割ってくれ。それと、前の車が向こうの取付道を上がりきるまで、次の車を橋に乗せない」


「そんな決まり、聞いてねえぞ」


「今作った」


*


男は俺の顔を見て、それから村の連中を見た。


村の連中は誰も俺の味方をしない。しないが反対もしない。


「代官さんかい、あんた」


「そうだ」


「代官が橋の上で車の重さを量ってるのか」


「量らないと、次はあんたの車の下で板が抜ける」


男は舌打ちをして、しかし袋を数え始めた。数え終えると麦8石を車に残し、はみ出したぶんは村の若い衆に駄賃を払って背負わせている。


俺は折れた軸の代わりを飯場の材から出してやり、出したぶんを台帳の損の欄に書いた。


*


イルザが来たのは日暮れだった。


彼女は俺が板に書いた数を見て、指で二つ叩いた。


「9台のうち、うちの車は2台だよ」


「残り7台は余所か」


「余所だ。あんたの道は誰でも通れる。誰でも通れる道は、うちの取り分を薄くする」


「止めろと言うのか」


「言わないよ。止めた道は死ぬからね」


イルザは腕を組んで橋のほうを見た。


「けど、8石までって決めたのは正しい。うちは荷を減らして値を上げられる。余所は減らした分を運べなくて泣く」


「そういう読み方をするのか」


「する。決まりってのは、守れる側が得をするようにできてるんだ。だからあたしは、あんたに決まりを作らせておく」


*


その決まりを紙にしたのはその晩だ。


俺は台帳の後ろに一枚足して、車1台は麦8石までと書いた。そのあとに、前の車が上がりきるまで次を乗せない、と続ける。


書き終えて、俺は紙を長いこと見ていた。


決まりというのは、破る人間が出てはじめて決まりになる。破ったときに誰がどうするかを書かないうちはただの願いだ。


俺はそこまで書かなかった。書かないまま、蝋燭を吹き消した。


*


関の役人が来たのはその3日後だった。


馬に乗った男が一人と徒歩の供が二人。馬の男は毛皮の襟のついた外套を着て、鞍の脇に革の筒を提げていた。中身は紙だ。


男は橋詰で下馬して、橋を端から端まで一度渡り、戻ってきた。


「川関の書役でハイムと申します」


「アルヴィン・ロートバッハだ」


「存じております」


ハイムは丁寧に礼をした。丁寧だが目は俺を見ていない。橋の袂の量水標と、取付道の煉瓦を順に見ている。


*


「この道、誰の許しで通しておいでですか」


「廃道を歩くのに許しは要らないと聞いた」


「歩くのは、要りません」


書役は革の筒から紙を抜いた。抜いた紙は触れの写しで、秋に王都から回ってきたものと同じだ。積荷の28分類が並んでいる。


「荷を通すとなれば別です。定めのある荷が、定めのない道を通れば、関を抜けたことになる」


「関を抜けた者がいるのか」


「おりません。ですから今日は、視察でございます」


丁寧な言葉というのは、こういう使い方をするものらしい。


*


ハイムは橋の上に戻って、供の一人に何か言った。


供が腰の袋から麻の紐を出す。


俺はそれを黙って見ていた。止める理由がない。橋は俺の橋だが誰かが橋を見に来ることを禁じる法は、たぶんこの国にはない。


紐は床板の端から端へ渡された。次に、桁の下へ潜らせて、水面までの高さを取った。


「立派なものですな」


書役は言った。


「低いのが取り柄だ」


「低いのは、たしかに珍しい」


書役は紐の端を自分の指で受け取って、目盛りのついていない麻の上を爪で二度こすった。長さを爪の位置で覚える手つきだ。紙に書けば残るが、爪の跡なら残らない。


「橋というものは、幅と高さで値打ちが決まります」


「誰にとっての値打ちだ」


「関にとっての、でございます」


男は紙に何か書いて、筒に戻し、馬に乗った。乗ってからもこちらの顔は見ない。目は橋の桁のあたりに置いたままだった。


「またお伺いします」


*


一行が去ったあと、俺は橋詰にしゃがんだ。


泥の上に紐の跡が残っている。


一本は床板を横に渡った跡だ。もう一本は橋詰から桁の下へ斜めに落ちている。


道の幅ではない。橋の、幅と高さを測った跡だった。

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