第11話「割れた煉瓦も窯の内」
窯を開けるのは朝いちばんと決めてある。
夜のうちに冷ますと表が縮みすぎる。日が出てから、口の泥を少しずつ崩して、中の熱を逃がしながら開ける。
その手順を、俺は前の晩に3度、ヨナスに言って聞かせた。
「分かってます」
「分かってると言った人間が、いちばん早く口を全部落とす」
「落としませんて」
そう言った男は翌朝、口の泥を上から一気に崩した。
*
熱気が顔を殴った。
俺は袖で顔を庇いながら、崩れた泥を足で押さえにかかる。中の空気が一息に外へ出れば、焼けたものは外側から縮む。縮みたい速さと、熱の逃げる速さが合わない。
合わなければ割れる。
「棟梁、これ」
ヨナスが火掻き棒の先で引き出したものを、俺は素手で掴みかけて、やめた。
赤黒い塊がまだ湯気を上げている。表に細い筋が3本走っていた。
「割れてますね」
「割れてる」
「俺のせいですか」
「半分はな。あとの半分は、乾かす日数が足りないと俺が言わなかったせいだ」
*
窯の中はまだ人が入れる熱ではない。
俺たちは口の前に葦の簾を垂らして、熱を上へ逃がしながら待った。待っているあいだ、焼けた土の匂いが河原まで下りていく。粘りのある土を焼くと、雨上がりの石畳めいた匂いがする。この土地には石畳などないので、匂いだけがどこか他所の町から来たようだった。
「いい匂いだ」
オッタが顎を上げて、深く息を吸った。
「食い物の匂いじゃねえのに、腹が減る」
「石工は焼き物もやるのか」
「やらん。だが窯を持っとる奴は、たいてい石屋の隣に住んどる。火と石は仲がいい」
*
数え終えたのは昼過ぎだ。
焼いたのが400。使えるのが260。割れが140。
俺は河原の平たい石の上に、使える分と使えない分を分けて並べた。並べてから、割れたほうを一つずつ手に取って、割れ口を見ていった。
割れ方が2通りある。
一つは薄い筋が走っているだけで、こっちは口を早く開けたせいだ。もう一つは割れ口の真ん中が白く粉を吹いている。
「白いのは何だ」
オッタが横から覗いた。
「乾かしが足りない。中に水が残ってて、焼いたときにその水が逃げようとして割った」
「何日干した」
「4日」
「足りんな」
「足りない。10日は要ると分かった」
「分かってよかったな」
男は割れた煉瓦を一つ拾い上げて、掌の上で回した。
「棟梁。これ、割れてるほうを積んだら壁になるぞ」
「壁にはなる」
「なら失敗じゃねえ。値が下がっただけだ」
*
俺は割れの数と原因を台帳に書いた。
窯の欄を新しく作って、日付と焼いた数を書き、そのあとに使えた数と割れの内訳を並べる。最後に、乾かしが4日だったことと、口を一息に開けたことを書き足した。
「そこまで書くんですか」
ヨナスが後ろから覗き込んで、居心地の悪そうな声を出した。自分のしくじりが炭で残るのが嫌なのだろう。
「書く」
「名前は」
「名前は書かない。何をしたかだけ書く」
「そりゃ……助かりますけど」
「助けてない。次の窯を焼く人間が、同じ日に同じ穴へ落ちないためだ。あんたが誰かは、10年後には要らない」
ヨナスは黙って、それから小さく笑った。
「棟梁の言い方は、たまに人を安心させないですね」
*
割れた140の行き先を決めたのはカスパーだ。
流民の男は分けて並べた山のうち、白い粉を吹いているほうへ歩いていって、上から3枚を持ち上げた。持ち上げて、口を横にして積んでまた崩した。
「積み方を知ってるのか」
「村で焼いたことがある」
「どこの村だ」
答えはなかった。男は割れ口を下に向けて置き直し、指で並びを整えている。俺はそれ以上訊かないことにした。
原主が沈めた村の名を俺は知っている。知っていて訊けば、それは訊いたことにならない。
「これは飯場の風除けにする」
カスパーは自分の手元を見たまま言った。
「割れとるのは、外に使う。中に使うと、湿気を吸って笑う」
「笑う」
「そういう言い方をする。指ではじくと、高い音が出る」
*
2度目の窯は乾かしを10日取った。
その10日で、俺たちは1度目の使える260枚の行き先を決めていった。
飯場の竈を組み直すのに60。蔵の床を上げるのに120。残りの80は旧街道の取付道の、いちばん水の溜まる区間に試しに敷いてみることにした。
敷いた翌朝、俺は自分の長靴で踏んでみた。
沈まない。
土の道なら、この時季は踏むたびに靴の縁まで泥が上がってくる。煉瓦の上は靴の底に何も貼りつかず、踏んだ足がそのまま次の一歩に出る。
「歩ける」
言ったのはピムだった。少年は敷いた区間を端から端まで走って、戻ってきて、もう一度走る。
「これ、全部これにしたら」
「土地の端から端までやったら、窯が何十回いる」
「何十回でも焼けばいいのに」
「焼く薪がない」
ピムは口をへの字にした。この子はできない理由を大人が並べるのをいちばん嫌う。
*
ピムの母が窯に来たのはその日の夕方だ。
女は火の番小屋の前で足を止めて、中を覗いた。ピムは葦の束を抱えて口へ運んでいる最中で、母を見ると手が止まる。
俺は立ち上がった。
「水路には入れていない」
「見ました」
女はそれだけ言うと、窯の口へ目を移した。
「ここは、崩れますか」
「崩れない。掘った横穴に石を回してある。上に人は乗せない」
「熱いのは」
「熱い。だから口には近づけない。この子には葦と薪を運ばせてる。火に触るのは俺かヨナスだ」
女は少し考えて、それから息子のほうを見た。
「もう一つ、杭の字を読ませてます」
俺は言い足した。
「毎朝、量水標の数字を書く仕事だ。杭は水際にある。増水の日は近づけない決まりにする」
*
女は返事をしなかった。
小屋の柱に手をかけて、外の量水標のほうを見ている。ここから村口の杭までは30歩ほどで、目盛りは日暮れの光でもかろうじて読めた。
「うちが読みます」
「あんたが」
「増水の日だけ。この子は、水が上がると近づきたがるから」
俺は驚いた。驚いたことを顔に出すのは失礼だと思って、代わりに炭と紙を取りに行った。
「読み方を教える。目盛りは一つが一尺だ。水の面がどの刻みに触ってるかを見て、その数を書く」
「はい」
「書いた紙は、毎朝ブルーノに渡してくれ」
「郷長にですか」
「あの人が読まないと、この数字は郷のものにならない」
*
女は帰り際に、初めて息子の頭へ手を置いた。
置いて、すぐ離す。
ピムは何も言わずに葦を抱え直した。抱え直しながら、耳が赤くなっているのが火の明かりで分かる。
「棟梁」
「なんだ」
「おいら、水路のほうが好きだけど」
「知ってる」
「けど、字を書くのも、まあ悪くない」
「まあ悪くない、で結構だ」
*
2度目の窯を開けたのは、それから10日後だ。
焼いた数は1度目と同じ400にした。今度はヨナスが口の泥を上から順に崩す。崩しながら、崩した泥を横へ寄せて、熱の抜ける道を細く保つ。誰にも言われずにそうしている。
割れは40に減っていた。
「10枚に1枚ですね」
ヨナスが自分で数えて、自分で言った。
「乾かしを6日足して、そこまで来た」
「まだ割れますけど」
「割れる。乾かしの日数で消せるのはここまでで、あとは土の中の砂の粒の話になる。その先は今の道具では追えない」
「追えないのに、なんで分かるんです」
「分からないと分かってるだけだ。分からないところに線を引いておかないと、次のしくじりを乾かしのせいにする」
俺は台帳に2度目の欄を書いた。焼き400、乾かし10日、割れ40。書いた下に、砂の粒のことも一行だけ添えておく。
読む人間が10年後にこの一行を消してくれるなら、それでいい。
*
麦が蔵に入ったのはその翌日だった。
イルザの馬が北から運んでくる。橋を渡り、取付道の煉瓦を踏んで、そのまま村の蔵の前まで来た。渡し場で荷を下ろして担ぎ上げる手間が丸ごと消えている。
袋の数は56。着任の秋にこの蔵で数えたのが11だから、5倍を少し出た。
「買値は」
「先に言っとくけど、あんたの借りに足しといたよ」
「いくら足した」
「18タレル。相場は上がってる。川関が塩と一緒に麦も止め始めたからね」
イルザは袋の口を一つずつ確かめながら言った。
「けど、あんたのおかげで運び賃が浮いた。浮いた分は引いてある。差し引き18」
「なら、締めて236か」
「236。よく即答できるね、その額を」
「額を覚えていない借り手が、いちばん早く潰れる」
「あんた、たまにうちの親父みたいなことを言うよ」
言ってしまってから、彼女は自分の口を軽く叩いた。それきりその話を続けなかった。
*
イルザは蔵の床を長靴の先で叩いた。
煉瓦の床だ。
「これ、いくらでできるんだい」
「土は只だ。薪の分だけかかる」
「売れるよ、それ」
「売り物にするのは、まだ早い」
「早いうちに値を決めとくのが商売なんだよ。物ができてから値をつけると、買うほうが決めた値になる」
「覚えておく」
「覚えるだけじゃ困るんだけどね」
彼女は空になった袋を丸めて小脇に抱え、それから蔵の梁を見上げた。
「床が上がったなら、袋はあと20は積める。積めるなら、うちは運ぶよ」
*
その晩、俺は橋詰で火を焚いた。
窯の残り火から種を貰い、河原の石を囲って組んだ。オッタは飯場で寝ている。ヨナスも帰った。
一人で座っているところへ、泥掻きの音が近づいてくる。
ブルーノだ。
老人は火の向かい側に立って、長いこと火を見ていた。それから、何も言わずに腰を下ろす。
俺の焚いた火に、この爺さんが座っている。
「麦が入ったな」
「入った」
「秋の蔵の5倍か」
「5倍と少しだ」
「少しは言うな。5倍と言うと、村の連中が来年もそうなると思う」
*
老人は泥掻きを地面に寝かせた。
「あんた、今日、あの女に何と言うた」
「杭の読みを、あんたに渡してくれと言った」
「なぜわしだ」
「郷の水位を郷の人間が読まないと、俺が持って行った日に読む者がいなくなる」
ブルーノは火に枝を足した。足し方が下手で火が一度沈む。
「わしは、あんたの普請には賛成せんぞ」
「知ってる」
「知っとるならいい」
老人は膝を抱えた。
「賛成せんが、紙は受け取る」
*
初雪はその夜に降った。
朝、戸を開けると野が白い。畑も畦も葦の原も境目が消えて、どこまでが陸かが分からなくなっている。
その白い面の上に、窯の煙だけがまっすぐ立っていた。




