書いたのはあなたです
一月四日、大伯母様の家の広間に、二十九家の当主が集まった。
三十二家のうち三家は雪で来られない。来られない三家からは前もって書面が届いていて、そのうち二通に、来年は必ず伺うと書き添えてあった。
大伯母様からの便りが北へ届いたのは、十一月の末である。今年の年始はうちで立てる、並びを頼む、と二行あった。三行目に、来られるなら来なさい、と書いてあった。
あの方の書き方だと、それは来い、という意味になる。
私は前の日に着いて、その晩のうちに札を並べた。
ハウレル家とベルリエ家のあいだには、セール家とレンヴィル家を入れた。ドラン家は順が上がっているので、上座から数えて三つ目に置いた。オルディス家は去年、返礼で気を悪くしている。宗家の隣にしない。
札は大伯母様の家の紙で、少し厚みが違う。指で弾くと、北で使っている紙より低い音がした。
二十九枚を書くのに、夜の半分がかかった。名の下の敬称は二十九とも違う。ケイル家の当主が変わったのと同じことが、こちらの一族でも三家で起きている。
一枚だけ、書いてから捨てた。オルディス家の敬称を、去年のままにしていた。あの家は去年、宗家に軽く扱われている。同じ形の字を続けて出すのは、二度目の非礼になる。
紙を替えて、書き直した。
並べ終えたのは夜半を過ぎてからで、広間の火はもう落ちていた。大伯母様が湯を持って入ってきて、卓の端に置いて、札の列を端から見た。
「三家足りないね」
「雪でございます」
「二通に、来年は必ずと書いてあった」
読んでいたらしい。
「並びは、明日の朝でよろしいですか」
「もう並んでいるじゃないか」
そう言って、大伯母様は出ていった。湯は飲まずに置いていった。
朝の八時から人が来た。
馬を預ける順、外套を受け取る順、湯を出す順。どれも札の並びに合わせてある。合わせておくと、玄関で誰も鉢合わせしない。
ハウレル家の当主が入ってきて、自分の札を見て、それから広間を見渡した。
見渡して、そのまま座った。
ベルリエ家の当主は反対側の端にいる。二人のあいだには四人分の背中があって、どちらからも相手の顔は見えない。
昼までに、水路の話も相続の話も出なかった。出たのは道の話と、麦の値の話と、ドゥニ家の子の話である。
途中で、オルディス家の当主が席を立って、上座の大伯母様のところまで挨拶に行った。行って、戻るときに、末の席の前を通った。
通るとき、歩調が半分になる。それだけで、何も言わずに戻っていった。
何も起きていない。起きていない日は、あとで誰も覚えていない。
大伯母様は上座に座って、ほとんど喋らなかった。
喋らないほうが場が回ることを、この方は知っている。宗家の広間では、当主が話し続けていた。
私は末の席にいる。名は書かれていない。札の代わりに、大伯母様が茶器を一つ置いた。
隣にカレル様がいる。
昼の食事が下げられた頃、玄関のほうで音がした。
馬の脚の音が、二頭。それから、案内の者の声。
広間の話し声が、後ろの列から順に小さくなった。
扉が開いた。
案内の者が先に入り、名を告げようとして、告げる前に本人が入ってくる。
ルーヴェン侯爵様が入ってきた。
外套を脱いでいない。脱がずに入るのは、長居しないという意味になる。目の下に影があって、髭を当たっていない。
後ろにハンナが立っている。両手に何も持っていない。
侯爵家の供の者は、普通は玄関で待つ。
「大伯母上」
大伯母様が顔を上げる。上げただけで、立たなかった。
「三日は、うちで支度をしておりました」
「そうかい」
「知らせが来ておりません」
「出さなかった」
大伯母様はそれだけ言って、茶器に手を伸ばした。
出さなかった。それで終わりである。あの方は理由を先に言わない。
「なぜ出さない」
「うちで立てるからだよ」
「宗家に断りもなくですか」
「断ると、うちで立てられなくなる」
上座の隣で、レンヴィル家の当主が茶をすすった。すすってから、杯を静かに置いた。
侯爵様は広間を見た。二十九の顔がある。誰も立たない。誰も椅子を引かない。
年始の集いで宗家の当主が入ってきたとき、下座の三家は立って迎えるのが順である。
今日は、下座の三家も座ったままだった。
上座から三つ目、ドラン家の当主が、目を伏せる。
「これは、宗家の集いです」
侯爵様が言った。声は広間の端まで届いた。届いて、返ってこなかった。
「三十二家の年始は、ルーヴェンの広間で立てるものです。先代から、その前から、そうしてきた」
誰も応じない。
ハウレル家の当主が茶を飲んだ。飲む音がした。それだけである。
「席次も、贈答も、うちが決めてきた」
そこで、一人だけ動いた。
セール家の当主が、こちらを見た。私のほうを、一度だけ。
見てから、すぐに目を戻した。
その一度で足りる。広間の視線が、私の座っている末の席へ、順に移った。
侯爵様も、そちらを見る。
見て、止まった。
「アドリーナ」
大伯母様が茶器を置いた。置く音が短い。
「その呼び方はもう違うだろう」
侯爵様は答えなかった。答えずに、二歩こちらへ来る。
来た分だけ、広間が静かになった。
「札を並べたのは、お前か」
「はい」
「昨日か」
「昨日の晩でございます」
侯爵様は札の列を見た。上座から順に、目が動く。三つ目で止まり、それから中ほどで止まった。
三つ目はドラン家である。去年、宗家が上げた家で、上げたぶん下がずれた家でもある。
ここでは、ずれていない。
ハウレル家とベルリエ家のあいだに、二家が入っている。
止まった目が、しばらく動かなかった。
「あの条項は無効にする。書いたのは私だ。私が取り消せばいい」
広間で、扇の閉じる音がした。
閉じたのは、上座から二番目の夫人である。閉じてから、その夫人は隣の当主に何も言わなかった。
二十九人のうち、何人がこちらを向いたかは数えなかった。数えなくても、空気の向きで分かる。
私は膝の上の手を組み直した。それから、初めて侯爵様のほうへ体を向ける。
五年のあいだ、この人と正面から向き合ったのは、期日の朝の一度きりだった。
「ルーヴェン侯爵様」
呼ぶと、侯爵様は顔を上げた。
上げた顔に、届いたという色が出る。
出たのが分かる。分かってから、私は続けた。
「書いたのはあなたです。私は履行しただけです」
広間で最初に動いたのは、卓の上の杯だった。ハウレル家の当主が持ち上げたまま、戻す場所を探して止まっている。上座では、大伯母様の指が茶器の縁にかかったきり動かない。
背中で、椅子の脚が床を擦る音がした。誰かが半分だけ身を引いた音である。
私はそれらを見ていない。見なくても、どこで誰が止まったかは分かる。五年、そういう音の中で仕事をしてきた。
侯爵様の口が開いて、閉じた。
「話をすればいい。あのときは、私も」
「五年のあいだ、あの扉は一度も開きませんでした」
「開けるおつもりだった夜が、一晩でもございましたか」
広間の誰かが息を吸った。吸ったきり、吐く音が来ない。
答えは返ってこなかった。二十九人が、返ってこないほうを聞いている。
侯爵様は何か言おうとして、言葉を探した。探す顔を、私は五年見ている。書斎の前を通るときに閉まっていた扉と、同じ顔である。
「無効にすると言っている。取り消せば、元に戻る」
「取り消せるのは、まだ始まっていない約束だけです」
そこで、大伯母様が茶器を持ち上げた。持ち上げただけで、何も言わなかった。
侯爵様は広間を見回した。
二十九の顔は、どれもこちらを見ていない。侯爵様も見ていないし、私も見ていない。手元を見ているか、卓を見ているか、外の雪を見ている。
見ないという動作を、全員がしていた。
侯爵様の手が、外套の前を探した。内側から紙の端が少し出て、そこで止まる。
角の封蝋が見えた。右下だけ薄い、あの印である。封は切られていない。
切られないまま王都から北へ行き、また戻ってきた紙を、この人は今日ここまで持ってきている。
侯爵様はそれを出さずに、手を下ろした。
ハンナが一歩前に出た。出て、止まった。
止まったのは、私と目が合ったからだと思う。ハンナは口を開きかけて、閉じて、頭を下げた。深く下げて、それきり上げない。
侯爵様が扉のほうへ体を向けた。
向けてから、一度だけ札の列を見た。二十九枚の札は、朝からひとつも動いていない。
朝から動いていないというのは、誰も席を替えていないということである。
侯爵様がそこまで読んだかどうかは分からない。読めるなら、去年の夏に読めていた。
出ていく足音が、玄関のほうへ遠ざかった。
扉が閉まる音がして、それから、馬の脚の音が二頭分。
音が消えても、広間はしばらくそのままだった。
給仕の少年が、下げ損ねた杯を持って立っている。
大伯母様が指を一度だけ動かした。それで少年が動く。
私はその手つきを見ていた。
やがてハウレル家の当主が湯を頼み、給仕の者が動き、話し声が後ろの列から戻ってきた。麦の値の話の続きである。
私は膝の上の手をほどいた。
肩が下りているのが分かった。いつから上がっていたのかは、自分でも分からない。
隣で、カレル様が茶器を持ち上げた。この人は最初から最後まで、一言も口を挟まなかった。挟まずに、隣に座っていた。
口を挟まないでいるのは、黙っているのとは違う。この人は言えることを持っていて、言わずに座っていた。
言われていたら、あの場は私のものではなくなっていた。
「並びは、明日も同じでよろしいですか」
「同じで結構です」
「では、そう伝えます」
その人は立ち上がり、大伯母様のほうへ歩いていった。歩き方に急ぐところがない。
上座で、大伯母様が私を見た。見て、小さくうなずいた。
うなずいてから、隣の当主に何か言った。言われた当主が笑い、広間の空気が一段ゆるんだ。
窓の外で雪が降り始めた。細かい雪で、積もる降り方ではない。
札の列は、明日もこのままでいい。
広間の誰も、席を立たなかった。




