誰も礼を言わなかった
夏の茶会は、宗家が毎年開く。年始の集いより人数は少なく、来るのは十四家ほどである。
回状は五月に出した。宛名は執事に書かせる。敬称を一通ずつ変えるという話が出て、面倒だから揃えろと言った。
返事は十二家から来て、二家は返事のないまま来ると言ってきた。返事をよこさない家が二つあるのは去年もそうなので、それでいいのだと考えた。
去年は十六家が来ている。二家減った理由を、セドリックは暑さのせいだと思った。
席の割りは、三日前まで手をつけなかった。
家政室に去年の茶会の見取り図が残っていた。給仕頭が下書きに使った紙で、卓の形と、家の名の頭文字が書いてある。
裏に炭の粉がついていて、指で触ると黒くなった。厨房で使われていた紙である。
これがあれば足りる。セドリックはそう判断した。
帳面が無いことは、ひと月かけて確かめた。家政室、書斎、卓の下の箱、婚礼の祝儀帳。どこにも並びの理由を書いたものはない。
書き写しながら、一箇所だけ気になった。
ドラン家の位置である。ドラン家は今年から一族の順が一段上がっている。伯爵家に娘を嫁がせた縁で、序列の話が去年の暮れに動いた。去年の図のままでは、ドラン家が下座に近すぎる。
上げた。
上げたぶん、下の名がひとつずつずれる。ずれた先で、ハウレルの頭文字とベルリエの頭文字が並んだ。
セドリックは二つの文字を見た。並んでいることに、意味を見出さなかった。
札は自分で書いた。字は悪くない。ただ、名の下の敬称をどうするかで手が止まり、全部同じにした。
書き損じが三枚出る。削って直そうとして紙が毛羽立ち、結局その三枚は捨てた。紙は箱に十分ある。
十四枚を書き終えるのに、夜の半分がかかった。
当日は暑かった。
窓を開け放ち、庭に日除けを張って、卓を二列に並べた。氷を運ばせ、菓子は三種にする。
ハンナはよく働いた。朝から三度、卓の間を歩いて幅を測っている。椅子の間が狭いと、年配の当主が通れない。
働いたが、席の割りには何も言わなかった。札を並べるとき、一度だけ手が止まって、それから並べる。
客は昼過ぎに集まった。
はじめの半刻は、いつもの茶会だった。天気の話、道の話、馬の話。誰かが笑い、誰かが席を立って窓のほうへ行く。
セドリックは上座で茶を受け、二人の当主と順に短く話した。話しながら、悪くない、と思った。屋敷は回っている。人は来ている。氷はまだ溶けていない。
ベルリエ家の当主が来たのは、少し遅れてである。
案内の者が札を示した。当主はその札を見て、隣の札を見る。
そこで止まった。
止まったまま、当主は動かなかった。
案内の者が二度、席のほうへ手を向ける。二度目は声を出した。当主はそれにも動かない。
庭の日除けの布が風で鳴った。鳴った音が、その一角だけやけに大きい。
ハウレル家の当主はすでに着いていて、こちらを見なかった。見ないという動作を、はっきりとしていた。
庭の話をしていた声が、順に小さくなる。小さくなるのに、誰も何も言わない。
ベルリエ家の当主は座った。座って、茶に手をつけなかった。
菓子も取らない。手は膝の上にある。膝の上に手を置いたまま、正面の日除けの柱を見ている。
隣のハウレル家の当主は、反対側を向いたまま、誰とも話さなくなった。
十年前の相続で、この二家は割れている。割れてから一度も口をきいていない。どちらも先に口を開かないので、同じ場に呼ぶこと自体はできる。できるが、間に二家を挟むという条件がつく。
そのことをセドリックは知らない。
知らないまま、茶会は進んだ。
進んだというより、止まったところで固まったまま、時間だけが過ぎた。話題は道と馬から先へ行かない。誰かが新しい話を出そうとして、途中でやめる。
セール家の当主が席を立ち、卓を回って、下座のほうへ座り直した。元の席には、札だけが残った。
給仕の少年が茶を注ぎに行き、ベルリエ家の当主の前で杯に手をかけられず、そのまま次へ行った。行ってから、こちらを見る。どうすればいいのかを、この屋敷の誰かに聞きたい顔をしている。
ベルリエ家の当主は半刻で立った。
「体の具合が」
そう言って、庭を回って帰る。
そのあと、四家が続けて帰った。理由はそれぞれ違い、どれも短い。
日除けの下の卓が半分空いた。空いた席の札が、風で少しずつ動く。
氷が溶けて、桶の水が卓の脚のところまで垂れていた。誰も拭かない。拭く者が今日はいない。
大伯母上が立ち上がったのは、最後から二番目である。
「セドリック。廊下へ」
廊下は北向きで、日が入らない。石の床が夏でも冷たい。
大伯母上は杖を突いていない。突かないと決めた年から突いていない。壁に手をつくこともしない。
七十一になる。声は昔から低く、廊下ではよく通る。
「今年の並びは誰が作った」
「私だ」
「そうだろうね」
その言い方に、セドリックは眉を寄せた。
「何が言いたい」
「ハウレルとベルリエを隣にした。十年、口をきいていない二家だ」
「知らなかった」
「知らなかったのは今年からだ」
大伯母上は廊下の先を見た。広間のほうから、椅子を戻す音がしている。
「去年もその二家は来ていた。一昨年もだ。五年、この家の集いで一度も並ばなかった」
「並ばなかったのなら、問題はない」
「並ばなかったのではない。並ばないようにしてあったんだ」
セドリックは背を伸ばした。
「私は当主だ。誰かに直してもらった覚えはない」
大伯母上はそこで、初めてこちらを正面から見た。
「あの子が黙って直していたものを、お前は一度も見なかった」
廊下の奥で扉が閉まった。閉めた者の足音が遠ざかる。
大伯母上はその音が消えるまで待った。待ってから、もう一度口を開く。
「五年、この家で何も起きなかったろう」
「起きなかった」
「起きなかった年のことを、お前は一度も数えたことがないね」
セドリックは言い返す言葉を探した。探したが、探している場所に何もなかった。
五年分の茶会と集いと弔いが頭を通り過ぎる。そのどれにも、自分が並びを決めた記憶がない。
「あの子は札を二度書き直したことがある」
大伯母上は歩き出した。歩きながら言った。
「私の札だ。紙の縁が波打っていたから、書き直した。私は何も言っていない」
「そんな話は聞いていない」
「聞いていないだろうね。私も礼を言わなかった」
歩みが止まった。止まったのは、廊下の窓のところである。
「あの子が出ていってから、私はそれを思い出した」
それだけ言って、大伯母上は広間へ戻っていった。
戻る背中は、来たときより速い。
その日の客は、日が落ちる前に全部帰った。
見送りに出たのは執事で、セドリックは書斎にいた。当主が見送らない茶会は、この家では前例がない。
夜、ハンナが札を集めてきて、束にして卓に置いた。十四枚あるはずが、十三枚しかない。
「一枚、見当たりません」
「探さなくていい」
ハンナは束をそのままにして下がった。下がる前に、卓の縁を布で拭いていく。
三日後、レンヴィル家から手紙が来た。
後添えの話は、春から進めていた。相手はレンヴィル家の縁続きの娘で、年は二十二、家柄に不足はない。話は先方から持ちかけられたもので、断られる筋合いのものではなかった。
封を切った。封蝋はレンヴィル家の鷲で、縁が欠けていない。よそはこういうところを新しくする。
文面は丁寧だった。丁寧すぎて、要点が三枚目にある。
娘の母が気にしていること。婚姻の契りに年限を付ける取り決めを、その家では聞いたことがないこと。五年という数字が、どこからか出回っていること。
出回っている。
セドリックは三枚目を二度読んだ。
誰が話したのかは書いていない。公証の席には人が三人いた。神殿の受付には列があった。額を決めかねている話が昼までに厩へ届く家で、条項の話が外へ出ないと考えるほうがおかしい。
断られる筋合いのものではなかった、と考えていた自分を、セドリックは思い返した。持ちかけてきたのは先方である。先方が引くのなら、こちらに引かれる理由があるということになる。
理由は三枚目に書いてある。書いてあるが、それは条項の話であって、条項を書かせたのが自分だという話ではない。誰もそこまでは書かない。
手紙を封筒に戻し、卓に置いた。
置いてから、その封筒をもう一度取り、三枚目だけを抜く。抜いて、何をするつもりだったのかは自分でも分からず、そのまま戻した。
書斎を出た。
広間はもう片づいている。卓は元の位置に戻り、日除けは外され、氷の桶は洗って伏せてある。
北の廊下へ入った。石の床は夕方でも冷たい。
大伯母上が立っていた場所まで歩いた。そこから窓までは十歩ほどあって、十歩のあいだに何を言えばよかったのかを考えたが、考えても順番が出てこない。
窓の下で、白いものが目に入った。
しゃがんで拾った。
十四枚のうちの一枚である。裏返すと、去年の見取り図の頭文字が薄く透けていた。
廊下には、去年の並びを写しただけの札が落ちていた。




