第009話:魔導灯の光
荷台の幌の隙間から、朝の光が細い筋になって差し込んでいた。
荷台の陰で、ラースは木箱の毛布をめくった。
丸まった白い毛の塊が身じろぎをし、小さな鼻を鳴らす。
「おはよう、フロッケ」
白い三角の耳がぴくりと跳ね上がった。
右足の麻包帯を確かめる。
添え木はずれておらず、滲みもない。
木椀の底には、ホルストが温めてくれた薄い肉汁が入っている。
ふやかした干し肉を掌にのせる。
「ほら、朝飯だぞ」
フロッケは黒い鼻をひくつかせ、鼻先を寄せてきた。
小さな桃色の舌で、夢中で舐め取っていく。
温かな息に、ラースの肩から力が抜けた。
「痛むところはないか」
器を舐め終えると、フロッケは小さく欠伸をした。
膝へ頭を預けてくる姿に、昨日の怯えはない。
「ラース、行くぞ」
御者台の脇から、外套の襟を立てたブルーノが声をかけてきた。
「はい、すぐ行きます」
木箱の脇に立ったヴァルターに、ラースは頭を下げた。
「ヴァルターさん、少しの間、お願いします」
「見ています。行ってらしてください」
2人は坂道を下り、冒険者ギルドの支部へと向かった。
広間の受付の奥から、丸顔の職員が顔を出した。
「測量隊の方ですね。先日の野帳の件は、支部長も正式に受理しましたよ」
「そいつはどうも。だが今朝の用件は別だ」
ブルーノがカウンターへ身を乗り出した。
「山で怪我をした魔獣の子供を保護した。フォレストウルフの幼体だ。同行の許可を取りたい」
「魔獣の幼体……? 連れ歩くには、本来はテイマーの登録証が必要ですが」
「王都へ戻ったら、この新人に正式な資格を取らせる。それまでは測量隊の責任で預かる」
職員は書類とブルーノの顔を見比べた。
「……王立測量隊の隊長殿が連帯で責任を負うなら、仮の許可証を出せます。ただし、事故があれば即座に没収ですよ」
「承知の上だ」
職員が羊皮紙の書面に青い印章を押し、引き出しから革紐の通った小さな真鍮の札を取り出した。
「首にかけておいてください。町の中での目印になります」
「助かる」
ブルーノが札を受け取り、ラースの肩を叩いた。
「聞いたな、ラース。俺の首がかかってるんだ。しっかり面倒を見ろよ」
「はい。絶対に粗相はさせません」
*
荷馬車へ戻ると、荷台の奥から金属音が響いた。
「おい隊長、ちょっとこっちに来てみろ」
「なんだ、朝から騒々しい」
幌の中へ潜り込むと、マルタが真鍮製の角形魔導灯を掲げていた。
夜間の墨入れや日誌に使う、大切な明かりだ。
枠を開けると、台座の魔石が濁った灰色に沈んでいた。
「昨夜の墨入れで使い切ったらしい。魔力が空っぽだぞ」
「買い足す金はねえぞ。路銀は食料と馬の飼料で手一杯だ。加工済みの魔石は高い。……おい、イルゼ」
荷台の隅で手帳をめくっていたイルゼが、だぶだぶの袖から顔を上げた。
「あ、はい。なんですか」
「お前の出番だ。魔導灯の魔石に、魔力を補充しろ」
「補充ですか。……やってみます」
イルゼは膝を揃えて魔導灯の前へ座った。
だぶだぶの袖を肘までたくし上げる。
木箱から顔を出したフロッケが、鼻先を伸ばす。
「フロッケ、ちょっと離れててね」
イルゼが濁った魔石の上へ両手の人差し指を向けた。
息を吸い、魔法の名を小声で口にする。
「チャージ」
指先から淡い光が立ち上り、魔石を包み込んだ。
だが、光は滑らかに吸い込まれない。
石の表面で青白い火花が不規則に弾け、バチバチと耳障りな音を立てた。
「くっ……入れ……!」
イルゼが指先に力を込めた瞬間、ピシッと乾いた音が幌の中に響いた。
「わっ!」
光が霧散し、台座の魔石が露わになった。
灰色の石肌の中央に、細い白い亀裂が斜めに走っている。
表面全体が白く曇り、艶が失われていた。
「あ……」
固まるイルゼへ、マルタの怒声が飛んだ。
「何やってんだ! 魔石を割る奴があるか!」
「で、でも、理論通りに魔力を流し込めば、満ちるはずで……」
「御託を並べるな! 器具の規格に合わせた削り出しの魔石なんだぞ! 道具をなんだと思ってんだ!」
驚いたフロッケが、ラースの足元へ逃げ込んできた。
ラースは白い毛玉を抱き上げ、背中を撫でながら口を開いた。
「あの、マルタさん、イルゼさん」
「なんだよ、ラース」
「この町に来た日、イルゼさんが街灯を見上げていましたよね。あの街灯の魔石は、誰かが定期的に補充しているはずです」
ブルーノが腕を組んで頷いた。
「そうだな。魔石の鉱山町だ、補充を専門にする職人が必ずいる。イルゼ、マルタと一緒に教わってこい」
「えっ、わたしがですか……?」
「当たり前だろ。夜に明かりがつかなきゃ、現場図の点検もできねえ。マルタ、連れて行け」
「あたしが連れて行くのか。……まあいい、この石頭に基礎を叩き込んでもらわないと、道具がいくつあっても足りないからな」
マルタは道具袋を肩にかけると、イルゼの手首を取って歩き出した。
ラースはフロッケを抱いたまま、2人の後を追った。
「俺も行きます。市場の裏手で看板を見ました」
*
東の斜面、長屋が密集する裏通りに工房はあった。
軒先には欠けた原石の棚と、煤けた看板が掛かる。
入口をくぐると、鉱物の粉末と油の混ざった匂いが立ち込めていた。
奥の作業台に、小柄な老職人が座っていた。
真鍮の拡大鏡を覗き込み、手元の板を削っている。
戸口の軋み音に、老人は顔を上げた。
「……客か。うちは加工と補充の工房だ。飾り石は置いてないぞ」
マルタが卓の上へ、ひびの入った魔導灯の魔石をコトリと置いた。
「買いに来たんじゃない。こいつを見てくれ」
老職人は拡大鏡越しに魔石を覗き込み、指先でつまみ上げた。
短く鼻を鳴らす。
「ひどいな。力任せに魔力をねじ込んで、石の結晶の通り道を焼き切ってる。……誰の仕業だ」
「わたしです」
イルゼが進み出た。
拡大鏡を跳ね上げ、刻まれた皺の奥からイルゼを見上げる。
「誰に教わった」
「独学です。王都の学術書を読みました」
「学術書か。理屈倒れの机上の空論だな」
老職人は引き出しから、濁った灰色の屑石を1つ取り出した。
「魔石は樽じゃない。水を桶で流し込むみたいに押し込んだら、破裂するのは当たり前だ」
「押し込むのが間違いなら、どうやって……」
「石は生きてるわけじゃないが、鉱脈の熱と圧力を吸って固まったものだ。呼吸がある。注ぐんじゃない、石に吸わせるんだ」
老職人は屑石を親指と人差し指の腹で軽く挟んだ。
余計な力のない、滑らかな手つきだった。
老人が息を吐き出すと、指先から淡い琥珀色の光が、じわりと石の表面へ滲み出た。
火花も軋みもなく、光がゆっくりと石の奥へ沈んでいく。
中心から橙色の輝きが灯り、石肌に滑らかな艶が戻った。
半分ほど満ちたところで、老職人は指を離した。
「……きれい」
ラースの腕の中で、フロッケが身を乗り出して鼻を鳴らした。
隣で見ていたイルゼの身体が、ぐっと前のめりになった。
「あ、あの! 今のは魔力を石の目に合わせて通したんですか それとも流す量を極端に絞って石の許容に合わせて少しずつ染ませたんですか 術者の魔力の出し方に決まった型があって 手首の力の抜き方というのは具体的にどの……」
早口で一気に畳み掛けるイルゼに、老職人は拡大鏡を額へ押し上げ、小さく肩を揺らした。
「小難しい言葉は知らん。手首の力を抜き、石が欲しがる分だけ指から渡す。満腹になったら押し込まない。それだけだ」
「石が、欲しがる分だけ……」
「やってみな。その魔導灯の石、まだ半分は息がある」
イルゼは深呼吸をし、ひびの入った魔石の前に座り直した。
袖をまくり、親指と人差し指で石の両脇に触れる。
「肩の力を抜け。握るんじゃない、触れるだけだ」
老職人の声に、イルゼはゆっくりと呼吸を整えた。
さっきのような青い火花は散らない。
指先から漏れた薄い橙色の光が、石のひび割れを避けるように内部へ染み込んでいった。
石の半分が淡い橙色に照らされたところで、イルゼはそっと指を離した。
ひびは残っているが、亀裂は広がっておらず、石の曇りは半分消えていた。
「……入りました」
「筋は悪くない。独学の変な癖がついていただけだ。道具を粗末にしなけりゃ、石は応えてくれる」
脇で腕を組んでいたマルタが、作業台に並ぶ手入れ道具を指差した。
「いい油をお使いですね。布もきめが細かい」
「手入れを怠る奴の補充はすぐに抜ける。あんた、職人だな」
「道具屋の生まれです。器具を壊されては、仕事になりません」
2人の職人が、短く頷き合った。
「道具屋なら分かるだろう。近頃は、いい石が減った」
「減った? ここは魔石の町だろ」
「北の坑道から上がる石が、ぱたりと来なくなった。領主様の命令で、奥の坑道が閉じられたとかでな」
ラースは、執務室で止まった伯爵の手を思い出した。
老職人は作業台の隅にあった、小豆粒ほどの小さな魔石の欠片を指先で弾き、イルゼの掌へ落とした。
「持って行きな。補充の練習石だ。割っても構わん」
「ありがとうございます……!」
イルゼは小さな石を両手で包み込み、宝物のように胸元へ抱えた。
それから、マルタへ向き直った。
「……マルタさん。石、割ってしまって、ごめんなさい」
「次は割るなよ。割るなら、その屑石で割れ」
戸口で、フロッケがラースの腕から身を乗り出し、老職人の手元の屑石へ鼻を伸ばしていた。
「その仔、石の光に寄っていくな。魔力に敏感なのかもしれん」
「そうなんですか」
「さあな。魔獣の子のことは、わしは知らん」
*
夕暮れ、荷馬車へ戻った。
マルタが金具を締め直し、台座を魔導灯の枠の中へ収める。
枠を閉じると、柔らかな橙色の光が幌の内側を照らした。
「ついたぞ。半分ほどの魔力だが、明日の夜までは保つだろう」
御者台で夕食の根菜汁を配っていたホルストが、湯気の向こうから顔を覗かせた。
「あら、いい色じゃないの。やっぱり明かりがないと、お化粧もできないものね」
「化粧なんざする暇があったら、鍋の焦げ付きを落とせ」
マルタの小言を受け流しながら、ホルストは木椀をラースへ手渡した。
「はい、ラースの分よ。山菜の塩漬けを少し入れたから、しっかり温まりなさい」
「ありがとうございます」
毛布の上で、フロッケはラースの膝に鼻先を乗せ、温かな光を見上げていた。
首元には、ギルドで受け取った真鍮の小さな札が、革紐で揺れている。
荷台の片隅で、イルゼが木箱に腰掛けていた。
老職人にもらった小豆大の魔石を、左手の人差し指の腹に載せている。
袖の奥から右手の人差し指を伸ばし、そっと石肌に触れた。
灯りの影の中で、小さな淡い光が、呼吸に合わせてかすかに明滅を繰り返している。
ラースの膝の上で、フロッケが白い耳を前へ倒し、その小さな光の粒をじっと見つめていた。




