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地図にない場所へ、のんびり馬車で行きます ~はみ出し者部隊の旅~  作者: 草むしり50年


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第010話:坑口の線

 石畳を踏む乾いた革靴の音が、幌馬車の外で止まった。

 荷台の陰で測量棒の汚れを拭っていたラースが顔を上げると、銀の鎖を首に掛けた老執事が深く一礼した。

 その後ろには、領主の紋章が刻まれた小型の馬車が控えている。


「王立測量隊の皆様。アルブレヒト伯爵より、館へのお招きに上がりました」

「伯爵から?」


 御者台から飛び降りたブルーノが、外套の埃を払いながら眉を寄せた。


「先日の話では、領地の測量には応じられんということだったはずだがな」

「昨晩、冒険者ギルドの支部長より野帳の報告が届きましてございます。閣下が、もう一度皆様と言葉を交わしたいと仰せです」


 ブルーノは短く息を吐き、ラースの背中を叩いた。


「おいラース、ヴァルター。行くぞ。……ラース、今日は頼まれるまで口を開くなよ」

「はい、心得てます」


 木箱の中から顔を出したフロッケが、クンと短く鼻を鳴らした。

 御者台の脇で朝の片付けをしていたホルストが、両手を広げて歩み寄ってくる。


「フロッケちゃんはアタシが見ててあげるわ。お偉い貴族様の屋敷なんて、退屈なだけよ。ほら、大人しく待ってなさい」


 首に掛けた革紐の真鍮札を揺らし、フロッケはホルストの太い腕の中へ身を任せた。


   *


 坂道を登り、重厚な花崗岩の館へ通された。

 磨き抜かれた執務室には、パイプ煙草の苦い香りと蜜蝋の匂いが漂っている。

 机の奥で羊皮紙の束をめくっていたアルブレヒト伯爵が、眼鏡を外して顔を上げた。


「来たか、リンデンタール家の暴れん坊次男坊」

「……お招きに預かり、恐縮に存じます。アルブレヒト伯爵閣下」


 ブルーノはぎこちなく背筋を伸ばし、硬い声で頭を下げた。

 ヴァルターが半歩下がり、貴族への正式な礼を取る。

 伯爵が、それに小さく頷き返した。


 伯爵は机の上に置かれた野帳の写しに指先を添え、低く唸った。


「支部長から報告書を読ませてもらった。山で見立て違いの魔物を叩き、尾根と谷の起伏もわずか一日で測り上げたと聞く。……道具で測るというのは、そういうことか」

「はい。目測や勘ではなく、規格通りの基準尺と検定縄による実測です」

「ふむ。先日は無礼な物言いをしたな。だが、あれは追い払うための方便だ」


 伯爵が椅子から立ち上がり、窓の外の北の山並みを見上げた。


「それにな、警備に出した冒険者どもが、毎日、坑道から青い顔で戻ってくる。……もう、隠し通せる時期でもない」

「閣下……」

「リンデンタール家の者は、嘘がつけん。お前の親父殿が、そうだった。だから話す。……測量を断った本当の理由を話そう。この町の魔石は、領民の血肉そのものだ」

「血肉、ですか」

「そうだ。先月、北の奥の坑道で、これまで見たこともない高純度の魔石脈が掘り当てられた」


 伯爵は机に手をつき、ブルーノを真っ直ぐに見据えた。


「質も量も、町の存亡を一変させる規模だ。……だが、正確な位置が公図に載ってみろ。王都の財務省の官僚どもが、直轄領に指定して巻き上げるに決まっている」


 ブルーノが息を詰めた。


「直轄領……」

「そうだ。直轄になれば税は跳ね上がり、坑夫たちは雇われ人夫に成り下がる。だから奥の坑道を封鎖し、魔物と落盤を理由に立ち入りを禁じたのだ。危険自体は事実だがな」


 執務室の壁には、領地の全図を描いた大きな布張りの地図が掲げられていた。

 ラースが見つめたその図の北端は、鉱山町の先で線が途切れ、白い余白になっている。

 領主ですら、その先を知らないのだ。


「……閣下のお立場は、よく分かりました」


 ブルーノが前へ出た。


「ならば、交渉をさせてください。我々が測るのは、地上の地形と、坑道の入口……坑口の位置までです」

「入口までだと?」

「坑道の中へは、入口の内側10メートルまでしか入りません。新鉱脈の位置など、野帳の1行にも、現場図の1点にも残しません。控えは、王都へ送る前に必ず閣下に検分していただきます」


 ブルーノの口調が、思わず熱を帯びて地に戻りかけた。


「俺たちが欲しいのは……失礼、地図局が求めているのは、地上の起伏です。奥を暴いて王都へ売り渡すことではありません」

「口ではそう言えても、測量隊の書いた線は王都へ渡るのだぞ。白紙の約束をどう信じろというのだ」


 伯爵が眼鏡を外し、布でレンズを拭った。

 その手が止まり、ラースへ向く。


「そこの小僧。先日、頼まれもせず口を挟んだ若いのだな」

「……はい」

「今日は頼む。お前なら、この約束をどう信じさせる」


 ブルーノの肩が、ほんのわずかに動いた。

 ラースは一歩、前へ出た。


「私は、地図の白い場所を歩きたくて測量隊に入りました」


 ラースは壁の略図の北端を指で示し、言葉を継いだ。


「私たちは、坑口の位置までを正確に線で引きます。そして、その奥の坑道は、白いまま残します」

「……白いまま残す、だと?」

「そこが町の人たちの場所であるなら、外の人間が勝手に線を引くべきじゃありません。約束の証として、坑口の先は白い余白にします」


 ブルーノが短く頷いた。

 伯爵はしばらくラースを見て、眼鏡を掛け直し、短く息を吐いた。


「……図太い新人を拾ったものだな、ブルーノ」

「ええ。頭は硬いですが、嘘はつきません」

「よかろう。坑口の測定と、入口の内側10メートルまでを許可する。ただし、我が館の者を立会人として付ける。それより奥へ足を踏み入れたら、即座に全員を谷底へ叩き出すぞ」

「寛大なご配慮、痛み入ります」


   *


 正午過ぎ、鉱山町の中腹に開いた第3坑道の広場へと向かった。

 立会人として付いてきたのは、背の低い初老の役人だった。

 革張りの帳簿を抱え、一言も喋らずに後ろをついてくる。


 坑口の脇には粗末な木造の食堂が軒を連ね、坑夫たちの喧騒と油の匂いが漂っていた。


「おーい、こっちよ!」


 食堂の長机から、ホルストが手を振った。

 荷馬車を広場に停め、マルタとイルゼ、そして膝にフロッケを抱えたホルストが待っていた。

 机の上には、こんがりと濃い茶色に焼き上がった大きな塊が並んでいる。


「何だこれは、パンか?」

「『坑夫のパイ』よ! この鉱山町の名物なんですって」


 ホルストが興奮した様子で木皿を押し出してきた。

 厚い麦のパイ皮を舟形に焼き、中には細かく刻んだ塩漬け肉、干し豆、刻んだ根菜がぎっしりと詰まっている。


 驚いたのは、その縁の厚さだった。

 縄のように硬くねじられた小麦の縁が、ぐるりと盛り上がっている。


「周りの硬い部分は取っ手なのよ。泥で汚れた手で持って、中身だけを食べて縁は捨てるの。合理的じゃない!」

「へえ、なるほどな。炭粉を口に入れない知恵か」


 ブルーノがパイの腹に齧りつくと、中から熱い肉汁が溢れ出た。

 ラースも縁を持って口を寄せる。

 香草と黒胡椒が効いた具材の味が、口いっぱいに広がった。


「うまいです。肉の味が濃い」

「生地にラードを練り込んであるのよ。冷めても湿気ない工夫ね。次の野営で作ってみるわ」


 ホルストが布巾で指を拭きながら、食堂の給仕に身を乗り出して配合を聞き出そうとしている。


 その時、広場の警備交代に歩いてきた冒険者の一団とすれ違った。

 先頭を歩いていた茶髪の青年が、ラースを見て足を止めた。

 ディルクだった。


「お前……領主様の立会人を連れて、坑道に入るのか」

「入るのは入口だけだ。そのあたりを測るだけだよ」

「そうか。……地図は進んでるのか」

「まだ線1本引いたところだ」

「線1本かよ。……まあ、飽きずにやれよ」


 ディルクは短く片手を挙げ、坑道の奥の見張り所へと消えていった。


   *


 昼食を終え、坑口前の測量が始まった。


 第3坑道の口は、高さおよそ3メートル。

 角材の太い支柱で頑丈に組まれ、赤黒い岩肌を四角く刳り貫いている。

 坑口に向かって、地面はおよそ12度の登り勾配になっていた。


「ラース、坑口の左右の柱芯で幅を取れ。イルゼ、水準器の気泡を合わせろ」

「了解です!」


 ラースは測量棒の石突を地面に突き立て、木枠の傾斜を測った。

 坑口の幅はおよそ4メートル。

 地面には荷車用の木製レールが2本、奥の暗闇へと敷かれていた。


「坑口の外枠、記録しました。標高と傾斜、野帳に入れます」

「よし。俺とヴァルターで、入口の内側10メートルまで入って通り芯を見る。マルタ、立会人殿とここで縄の端を押さえろ」


 ブルーノとヴァルターが、検定縄の先端を持って坑道の中へと足を踏み入れた。

 外からの光が届くのは、わずか数メートル先までだ。

 坑道の奥からは、冷やりとした湿った空気とともに、微かな硫黄の匂いが吹き出してくる。


「8メートル、9メートル……よし、10メートルだ。通り芯、外の基点と真っ直ぐ合ってるぞ」


 縄がぴんと張られる気配が、坑口まで伝わってくる。

 その時だった。


 ラースの足元で丸まっていたフロッケが、唐突に全身の毛を逆立てた。


「……フロッケ?」


 白い三角の耳が、真っ直ぐに坑道の奥へ向けられている。

 小さな喉を震わせ、低く、唸るような声を漏らし始めた。

 首元の真鍮札が、カタカタと細かく音を立てて震えている。


「どうした、フロッケ」


 ラースが屈み込んだ瞬間、坑道の奥から、ヴァルターの鋭い声が飛んだ。


「隊長。下がってください」

「あ? どうした」

「砂が動いています。……足元の砕石が沈んでいる」


 坑口のすぐ内側、レールを支える敷石の間から、乾いた砂利がサワサワと音を立てて隙間へ吸い込まれていた。

 地下の深みで、何かが口を開けている。


「……地鳴りだ」


 ヴァルターの短い呟きと同時に、足の裏から、重く低い振動が突き上げてきた。

 ゴゴゴゴ……と、岩肌を伝って、低い音が響き渡る。


「ウゥー……ワンッ! ワンッ!」


 フロッケが甲高い警戒の声を張り上げ、坑口に向かって激しく吠え立てた。

 坑口を支える太い角材の継ぎ目から、パラパラと赤土の粉塵が降り注ぐ。


「隊長! ヴァルターさん!」


 ラースの叫び声が、暗い坑口の奥へと吸い込まれていった。

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