第011話:闇へ伸びる縄
すさまじい轟音とともに、坑口を支える頭上の角材が軋み割れた。
坑道の奥から猛烈な風圧が吹き抜け、赤土の粉塵が奔流となって噴き出す。
ラースの体は足元ごと吹き飛ばされ、砂利の敷かれた広場へと転がり落ちた。
「きゃっ!」
「ラース!」
イルゼの短い叫びと、マルタの声が土煙の向こうで重なった。
ラースの胸にしがみつくように、フロッケが小さな爪を立てている。
純白の毛並みは一瞬で赤茶けた埃にまみれたが、腕の中で必死に鼻を鳴らし、ラースの胸元から離れようとしない。
ズズズン、と重い地響きが一度大きく跳ね上がった。
直後に、坑口の天井が一気に崩れ落ちる。
巨石と土砂が滝のように雪崩れ込み、開いていた坑道の入口を完全に塞ぎ止めた。
巻き上がった黄褐色の煙が、坑口前の広場を覆い尽くしていく。
「ぐ、う……っ」
崩れ落ちた土砂の端で、苦しげな呻きが漏れた。
倒壊した横木の梁の下に、立会人の初老の役人が倒れ込んでいる。
折れた角材の先端が右足の脛を押さえつけ、自力で抜け出せなくなっていた。
*
ラースは口の中の砂利を吐き出し、フロッケを抱えたまま立ち上がった。
「マルタさん! イルゼさん!」
「あたしは無事だ! イルゼもいる!」
「う、わたしも……怪我はありません!」
土煙を裂いて、馬車の陰からホルストが駆け出してきた。
なぜか鉄の大鍋の蓋を胸の前に構えている。
「みんな無事ね!? 怪我はないの!?」
「俺たちは大丈夫です! でも、坑口が……!」
土煙の奥から、激しく咳き込みながら人影が2つ飛び出してきた。
ディルクの仲間の2人だった。
鉄の盾を抱えた大柄な男が、肩を押さえながら血相を変えて叫ぶ。
「おい、坑道が……ディルクが奥にいるんだ!」
「ディルクが……?」
「異音を確かめに行くって、奥の分岐へ走ったきり戻ってねえんだ!」
軽装の男も青ざめた顔で瓦礫の山を指さした。
見張り所にいた2人は風圧で外へ弾き出されたが、ディルクだけが坑道の奥へ取り残されていた。
高さ3メートルの開口部は、天井から落ちた岩と赤土で完全に閉ざされている。
その土砂の隙間から、ぴんと張られた1本の麻縄が外へと伸びていた。
検定縄だ。
外側の端は、荷馬車の鉄輪の車軸にしっかりと固定されている。
「隊長と、ヴァルターさんは……」
ラースの脳裏に、ヴァルターの言葉が蘇った。
離れないでください、守れません。
今は、そのヴァルターがいない。
ラースは駆け寄り、土砂の中へと消えていく縄を両手で掴んだ。
張り詰めた麻縄を手前に向けて、ぐっと力強く1回引く。
息を止めて、指先の感触に神経を集中させた。
数秒の後、縄の先から、ぐん、と明瞭な手応えが1回だけ返ってきた。
「……引いた! 返事がありました!」
「生きてるんだな!?」
盾を持った男が詰め寄ってきた。
ラースは縄を両手で握り直した。
「測量の縄の合図があります。1回が無事、2回が危険、3回が移動です。隊長たちなら、分かるはずです」
ラースはもう一度、確認のために縄を1回引いた。
土砂の奥からも、間を置かずに1回だけ引き返してきた。
「通じました。奥の2人は無事です」
「よかった……!」
イルゼが胸に手を当てて小さく息を吐いた。
*
「おい小僧、突っ立ってないで手を貸せ! 役人が挟まってんだ!」
マルタの鋭い怒声が広場に響いた。
倒れた梁の下で、立会人の役人が脂汗を流している。
ラースは足元へ駆け寄り、挟まれた材木の周りの土砂を両手で掻き出そうとした。
「馬鹿野郎、素手で掘るんじゃない!」
マルタがラースの襟首を掴んで強引に引き戻した。
「上を見ろ。支えを失った土砂が、材木の上に乗っかってんだ」
「あ……」
「下手に掘ったら全体の均衡が崩れて、役人の体が丸ごと埋まるぞ」
「じゃあ、どうすれば……」
「支保を入れるんだよ。道具箱から厚手の当て木と、馬車の輪止め棒を持ってこい!」
ラースが木箱へ走ろうと振り返ると、すでにホルストが荷馬車から鉄の太い輪止め棒を肩に担いで駆け寄ってきていた。
「アタシがやるわ! マルタ、どこに噛ませばいいの!」
「材木の右の隙間だ! 下に角材を噛ませて、てこで一気に跳ね上げろ!」
「任せてちょうだい!」
ホルストが太い腕を剥き出しにし、輪止め棒を岩の支点へ力任せに押し込んだ。
頑丈な丸太のような腕に筋が浮き上がり、全体重を棒の端へと預ける。
老人の足を挟んでいた梁が、ギギギと重い音を立てて数センチ浮き上がった。
「今だ、引き抜け!」
マルタの合図とともに、ラースとマルタが老人の両脇を抱えて後方へ引きずり出した。
老人が抜け出た瞬間、ドサリと梁が落ち、周囲の砂利が崩れ落ちた。
老人の右の脛は擦り傷だらけだったが、骨までは折れていない。
「ゲホッ……粉塵が……前が見えねえ……!」
むせ返るディルクの仲間たちを見て、イルゼがローブの袖をまくって両手を広げた。
「ウォーター」
指先から細かな水の霧が円を描いてふわりと噴き出し、広場を包み込んだ。
舞い上がっていた赤土の微粒子が水分を含んで急速に沈み、視界が晴れていく。
「助かった……息ができる」
「魔法使いの姉ちゃん、恩に着るぜ」
男たちが肩で息をしながら礼を言った。
*
「ディルクを助けなきゃならねえ! どけ、掘り起こすぞ!」
盾を持った男と軽装の男が、瓦礫の山へ飛び込もうとした。
ラースは測量棒を横に構え、2人の進路を塞いだ。
「待ってください! 今は近づいちゃ駄目です!」
「仲間が埋まってんだぞ! 退きやがれ!」
「見てください、この岩肌を!」
ラースは測量棒の端を、坑口の横に走る岩の亀裂に当てた。
腰の道具袋から水準器を取り出し、亀裂の傾きに沿えて気泡の位置を確かめる。
「崩れた直後は、指1本分、およそ15ミリメートルでした」
「それがどうした!」
「今は30ミリメートルまで開いています。1分間に数ミリメートルの速さで広がっています」
ラースは測量棒の目盛りを指先で示した。
「亀裂が横へ広がっています。足元の砂利も沈んでいる」
「何を言ってやがる!」
「山全体の重みが、崩れた坑口の周りに集まっています。今掘れば、2回目の崩落に巻き込まれます」
「理屈なんか聞いてられるか! 掘らなきゃ仲間が死ぬんだぞ!」
「死んだら助けられません!」
ラースの強い声に、男たちの足がぴたりと止まった。
測量棒を握るラースの手は、震えていなかった。
イルゼが瓦礫の隙間に指先を向けた。
「サイト」
細い光の輪が土砂の隙間へと差し込まれる。
イルゼは光の反射を見つめ、口を開いた。
「瓦礫の厚みは……およそ8メートル。その先には空洞があります」
「空洞があるのか!?」
「はい。でも、手前の崩落層が不安定で、光の通り道が歪んでいます。ここから掘るのは危険です」
魔法の光が示す距離は、あくまで目安にすぎない。
それでも、土砂が薄くないことだけは確かだった。
「グルルル……ッ」
ラースの足元で、フロッケが坑口の上方を睨みつけて低く唸った。
耳をぴったりと伏せ、後ろ足で砂利を蹴りながら後ずさっている。
「下がって! 全員、10歩後ろへ!」
ラースの叫び声に合わせ、全員が広場の中央へと一斉に飛び退いた。
その直後、ズザザザッと坑口の真上の崖が崩れ落ちた。
大量の土砂と大石が坑口をさらに高く埋め尽くし、轟音とともに赤土が舞い上がる。
男たちが青ざめ、荒い息を吐いて立ち尽くした。
「……本当にお前さんの言う通りになりやがった」
「あそこに突っ込んでたら、全員ペチャンコだったぞ……」
盾を持った男が、震える手で額の汗を拭った。
*
土煙が落ち着いた広場で、地面に伸びる検定縄がピクンと跳ねた。
引かれる。
間を置かずに、3回。
「3回……『移動』の合図だ」
張り詰めていた麻縄が、土砂の隙間へ向かって、ズリ……ズリ……と、ゆっくり奥へ引き込まれ始めた。
ブルーノとヴァルターが、瓦礫の手前で待つことをやめ、坑道の深部へと歩みを進めている。
「奥へ向かってる……。ディルクを探しに行ってくれたんだ」
軽装の男が、土砂の山に向かって深く頭を下げた。
救出された初老の立会人が、痛む足を引きずりながら荷馬車へ歩み寄ってきた。
この男が声を出すのは、これが初めてだった。
「立会人さん、足は大丈夫ですか」
「皮が剥けた程度だ。それより……私が館へ走る。伯爵閣下に事態を伝え、救助の人手と、坑道を補強する支保の材木を調達してくる」
「お願いできますか」
「当たり前だ。この町の坑道で起きた事故だ。責任は我らにある。決して見捨てはせん」
ホルストが、鍋の蓋を放り出して腕をまくった。
「アタシが送るわ! その足じゃ歩けないでしょ。しっかり掴まってなさい!」
「す、すまない……いや、待て、背負うのか」
ホルストは立会人を軽々と背負い、坂道を駆け下りていった。
*
谷底から夕暮れの闇が這い上がり、坑口の広場は急速に夜の色に包まれ始めた。
荷台から下ろした真鍮の魔導灯が、チカチカと光を弱めていく。
昨日の補充が、そろそろ切れかけていた。
「わたしがやります」
イルゼが魔導灯の前に膝をついた。
深呼吸をして肩の力を抜き、親指と人差し指で魔石の両脇に触れる。
「チャージ」
小声で名を唱えた瞬間、指先から淡い琥珀色の光が滲み出た。
今度は火花も散らず、石に傷も入らない。
鉱山町の老職人に教わった通り、石の呼吸に合わせた魔力が、穏やかに内部へ染み込んでいく。
魔導灯の小さなガラス窓から、再び温かな橙色の光が広場を照らし出した。
「……できた」
マルタが魔導灯のガラス窓を覗き込み、短く笑った。
「上等だ。綺麗な光だな」
ラースの足元で、フロッケが灯りを見上げて耳を立てた。
泥で汚れた白い毛が、橙色の光を受けて、ほんのり色づいている。
広場の隅で、ラースは荷馬車に残されていた予備の麻縄を引っ張り出していた。
検定縄の残りは、あと数メートルしかない。
「マルタさん、縄を継ぎます。結び目の間隔を狂わせないように、1メートルの基準尺で合わせます」
「はい。端を結んだら、あたしが引いて強度を確かめます」
2人で正確に結び目を揃え、予備の縄を繋ぎ足した。
新しく繋がれた縄の結び目が、土砂の隙間の闇へと、滑るように吸い込まれていく。
ラースは指先で、消えていく結び目を数えた。
38、39、40。
41、42、43……44。
不意に、縄がぐんと強く3回引かれた。
そして、ぴたりと動きを止めた。
「ラース、どうだ」
マルタの問いかけに、ラースは張り詰めた縄を握りしめ、前を向いた。
「44メートル。そこで、止まりました」




