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地図にない場所へ、のんびり馬車で行きます ~はみ出し者部隊の旅~  作者: 草むしり50年


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第021話:北門の銘

 草の生えた緩やかな斜面を、車輪が軋みを立てて下っていく。

 下り坂の傾きで、積み荷が前へ少しずつ寄った。


 坂を下りきる手前で、左右の麦畑が途切れ、前方にそびえる灰色の壁が視界を埋め始めた。

 城壁の高さはおよそ10メートル。

 基部の切石は隙間なく積まれ、継ぎ目には薄く苔が張り付いている。


 中央の北門は、荷馬車が3台並んで通れる幅で、重厚な石柱がアーチを支えていた。

 荷台の縁に腕をかけたマルタが呟いた。


「やっと壁が見えてきやがったな」

「長かったわねぇ。アタシの肌も砂埃でカサカサよ」


 イルゼが前方を指さした。


「北門の手前、列が伸びています」


 御者台からブルーノが声を張り上げた。


「夕方の荷車が集中する時間だからな。おい、ラース、革筒は膝から離すなよ」

「はい、しっかり抱えてます」


 門の手前には、夕方の検問を待つ人と荷車の列が20メートルほど伸びていた。

 旅の砂埃を被った幌馬車は、その最後尾についた。


 門のアーチの頂点、角の丸くなった石材に、深く刻まれた文字が夕日を受けて影を落としている。

 『ハルデンブルク』。

 王都の古い銘だった。


 門脇の机に、衛兵が2人立っていた。

 古参の衛兵が帳面を広げ、通行者の人数と所属を羽ペンで書き留めている。

 御者台からブルーノが顔を出すと、ペンを止めて顔を上げた。


「隊長、今回は連れが多いな。全員、生きて戻ったか」

「見ての通りだ。馬車も馬も無事だ」

「で、どこまで行った」

「湖までだ。その先は次だ」

「次、な。あんたの『次』は、いつも長いんだ」


 机の脇にいた若い衛兵が荷台を覗き込み、毛布の隙間の白い毛並みに気付いて片手を上げた。


「待ってください。そこの毛布の中、魔獣の子じゃないですか」


 若い衛兵の指先が、フロッケの首に下がった小さな真鍮の札を指した。

 ラースは腰の鞄から、鉱山町で受け取った折りたたみの書面を取り出し、両手で差し出した。


「エルツハイムの冒険者ギルド支部で発行された、仮の保護許可証です」

「許可証?」

「首の真鍮札の番号と照合してください。王都で正式なテイマーの資格を取る予定です」


 古参の衛兵が書面を受け取り、刻印を指の腹で確かめてから、若い衛兵の肩を小突いた。


「支部印だ。問題ない。通せ」

「は、はい」


 帳面に『王立測量隊、6名。同乗1名。荷馬車1台。魔獣の子1頭』と書き込まれた。


   *


 門をくぐると、人の声と生活の匂いが一気に濃くなった。

 門のすぐ内側の広場の東の隅、石段の脇に、泥のはねた車輪の当て木が転がっている。


 33日前の朝、修了証の筒を握りしめて、馬車を探して立っていた場所だ。

 ラースは長靴の金具に触れた。

 縁に、北部の乾いた赤土がこびりついている。


 馬車は大通りへ進んだ。

 街道の倍近い道幅で、中央には軍用馬車用の舗装が敷かれ、両脇は一段高い歩道だった。

 荷台から首を出したマルタが、渋滞した馬車の列を見て言った。


「相変わらず、王都の道は馬車が多すぎて進まねえな」

「人が多いのはいいことよ。活気があって安心するじゃない」


 ホルストが微笑んだ。

 その横で、鉱山町にはなかった喧騒に、フロッケの耳がぺたりと伏せられた。

 毛布の奥へ後ずさり、やがてラースの膝に這い上がって、腕の中に鼻先を押し込んでくる。


「フロッケ、怖がらなくて大丈夫だぞ」

「耳が倒れたままだな」


 マルタが足元の毛布を手繰り寄せ、ラースの腕ごと包んだ。

 歩道の子どもが立ち止まり、荷台の白い毛並みを指さした。


「あ、白い犬だ!」


 母親が慌ててその手を引き、馬車から距離を取った。

 ラースは首の真鍮札が見えるように、フロッケを抱え直した。


「ギルドの仮の許可があります。王都で資格を取ります」


 母親は軽く頭を下げた。

 御者台の後ろから、ホルストが身を乗り出して子どもに手を振った。


「大丈夫よ、この子はとってもいい子だからね」


 子どもは何度も振り返って、白い耳を眺めていた。

 ラースは腕の中の毛並みに顔を寄せ、小さく言った。


「資格、ちゃんと取るからな」


 フロッケは鼻先を、ラースの袖に押し付けた。

 大通りが官庁街へ分かれる広い十字路で、馬車が速度を落とすと、ユリアンが荷台の縁に手をかけた。


 ヴァルターが立ち上がり、足元に置かれていた黒い書類鞄を取り上げて手渡した。


「鞄です、ユリアン殿」

「ありがとうございます、ヴァルター殿」


 ユリアンは石畳へと降り立ち、埃のついた外套の裾を払った。

 御者台のブルーノに向き直る。


「荷台は狭かったが、行程の計算は正確だった」

「そりゃどうも。おかげで余計な仕事が増えたぜ」

「明朝、局で会う。挨拶の文面は、3行で足りる。長くするな」

「わかってるよ。頭を下げて終わりだ」


 ユリアンは次にラースを見た。


「ラース。野帳の端の書き添えも、局で見せなさい」

「はい、必ず」

「では、明日」


 ユリアンは背筋を伸ばしたまま、官庁街へ続く通りを歩き去っていった。

 再び動き出した馬車の2頭は、王都でも足取りが変わらない。

 ブリッツはのんびりと、シュネッケはせっかちに、前の荷車を追い抜きたがった。


   *


 馬車は噴水のある市場の広場に入った。

 露店が店じまいを始める一方で、屋台からは炭火の煙と肉の焼ける匂いが立ち上っている。

 ブルーノが手綱を引いて馬車を止めた。


 すぐ先の露店に、手描きの王都の絵図が吊るされていた。

 北門から広場までの距離が、実際の半分ほどに縮められている。

 署名は、どこにもない。


「飯にするぞ。今夜は部屋に着いても何もねえからな」

「賛成! アタシが見てくるわ。何が食べたい?」


 ホルストが荷台から飛び降りながら振り返った。


 マルタが荷台の縁を叩く。


「肉だ肉。腹にたまるやつにしてくれ」


 イルゼが小さく手を挙げた。


「汁が垂れないものが望ましいです」


 ブルーノが腰の革袋ごと放り投げた。


「手早く食えるやつなら何でもいい。足りるだけ使え」

「任せて頂戴。みんな動かないで待っててね」


 ホルストは屋台の間を縫い、数分で戻ってきた。

 紙包みの中身は、人数分の丸い黒パンに、炭火で焼いた太い腸詰めをそのまま挟んだものだった。


 隊は噴水の石段に並んで腰を下ろした。

 黒パンの表面は硬く、噛み切ると、腸詰めの薄い皮がぷつりと裂けて、熱い脂が溢れ出す。

 粗い粒塩が、肉の甘みを引き締めていた。


 ヴァルターが短く呟いた。


「肉の火入れが見事です」

「塩もいいわね。焼き加減も強火で手早い。王都の屋台も、まだ捨てたもんじゃないわ」


 ラースは自分の腸詰めから、香辛料のついていない中ほどの肉を指でちぎり、外側の皮を剥いて手のひらに載せた。

 フロッケは鼻先をひくひくさせ、ラースの手のひらから丁寧に肉を吸い取って噛んだ。


 前足を揃え、ラースの膝に鼻先を預けて丸くなる。

 隣でマルタが、熱い肉汁に指を濡らしながらパンを頬張っていた。


「あちっ……油が垂れるな、これ」

「傾けるからですよ。水平を保ってください」

「パンの傾斜を測ってどうするんだ」

「服に落ちたら、洗うのはマルタさんです」


 イルゼは、パンを両手できっちり水平に支えて、端から小さく齧っている。

 ブルーノが空になった包み紙を丸め、膝を叩いて立ち上がった。


「よし……明日の予行演習だ。いいか、地図局の連中に対する最初の言葉だぞ」

「はいはい、聞いてあげるわよ」

「行くぞ。『おう、久しいな。北部の現場図を持って帰ってやったぞ。しっかり拝みやがれ』」


 間髪を容れず、隊員たちの声が飛んだ。


「笑顔よ。もっと柔らかく笑うの」

「短くしろ。喧嘩を売りにいくんじゃないんだ」

「魔法の話はしないでください。また報告書が増えます」

「『帰還いたしました』。一言で十分です」


 ホルスト、マルタ、イルゼ、ヴァルターの順に突っ込まれ、ブルーノが腕を組み直した。


「お前ら、手厳しいな。じゃあ、こうか。『お疲れ様です。北部の現場図を持って帰還いたしました』……これでどうだ?」

「語尾が小さくて情けねえぞ」

「声が裏返っています」


 ブルーノが頭を抱えて呻いた。


「言いたい放題だな、おい! ラース、お前はどう思う」

「えっ、俺ですか……」

「お前が一番まともな耳を持ってるはずだ。今の挨拶で通ると思うか」

「ええと……最初の『おう、久しいな』よりは、ずっと怒られないと思います」

「ほら見ろ、ラースもこう言ってるぞ!」

「褒められてねえよ、隊長」


 マルタの乾いた声に、石段の上で小さな笑いが漏れた。


   *


 広場を出た馬車は、官庁街の奥の一画に入った。

 王立地図局の本館は、3階建ての白亜の石造りで、窓はすべて真っ暗だった。


 馬車は正面玄関に向かわず、脇の小道を裏手へ回った。

 そこに、木造混じりの古い2階建てが建っている。

 塗りの剥げた外壁、傾いた雨樋、錆びついた蝶番。


 測量室と、小さな厩舎と、馬車の車庫だった。

 33日間、人の出入りがなかった場所の、冷えた埃の匂いがする。


 車庫の扉を押したマルタが、声を上げた。


「うわ、相変わらず蜘蛛の巣だらけだな」

「文句言う暇があったら馬車を押せ。ブリッツ、シュネッケ、奥へ入れ」


 マルタは扉の蝶番を見て、声を落とした。


「蝶番に油を差したほうがいいです」

「馬の世話は私がやりましょう。水も汲んできます」

「アタシは詰所の換気をしておくわね。埃を吸ったら喉をやられちゃうわ」


 手分けして馬車を車庫へ押し込み、馬たちを厩へ入れた。

 桶に干し草と井戸の水を張ると、馬たちは鼻を突っ込んで落ち着いた。


 ブルーノが腰の鍵束から黒ずんだ鉄の鍵を取り出し、建物の戸口に差し込んだ。

 固いきしみを立てて、鍵が回る。

 ラースが携帯用の魔導灯の側面の摘みを回すと、柔らかな橙色の光が、埃の浮いた土間と狭い階段を照らし出した。


 1階の詰所の机には、出発の朝に広げたままの、ブルーノの昔の暫定版の写しが丸まって置かれている。

 棚には古いインク壺と、予備の測量棒の束。


 33日間が、そのまま残っていた。


「……ただいま戻りました」


 イルゼが、誰もいない土間に向かって言った。


「誰に言ってんだ」

「建物です」


 ブルーノが階段の手すりに手を置いた。


「部屋割りは前と同じだ。上の空き部屋を使え」

「おやすみ、みんな。明日は早いわよ」

「あたしは道具箱を部屋に上げてから寝る」


 隊員たちが荷物を抱えて階段を上がっていった。

 最後に戸締まりをしようと入り口へ戻ったラースは、扉の隙間に挟まった1枚の紙片に気づいた。

 白い上質紙が、細長く四つ折りにされている。


 ラースがそれを抜き取り、魔導灯の明かりに透かした。


「隊長、これ……」

「ん? なんだその紙は」

「扉の隙間に挟まっていました。何か書いてあります」

「読んでみろ」

「『明朝、現場図の原本と写しを、すべて持って来い』」


 ラースが読み上げた。

 インクで書かれた硬い筆跡だった。


「……差出人は誰だ」

「名前はありません。この1行だけです」

「写しも、全部……ですか」

「ああ。見る気で待ってやがるってことだ。……ちっ。兄貴の報告書のほうが、俺たちより先に着いてたか」


 ブルーノが紙片を受け取り、裏を返した。

 裏は白紙だった。

 ラースは肩にかけた革筒の重みを確かめ、もう一度抱え直した。


 薄暗い土間に、橙色の魔導灯の光が揺れていた。


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