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第6話 ”復讐の百合姫”

「銀の……ううん、ルナリス……」


 輝きの失せた真闇の空間。入口の灯りは遠く。対峙する深淵の黒き竜と、漆黒の髪を靡かせる私。


 首元に新たに生まれたチョーカーが、寒々しい、金属の感触を伝えてくる。

 守れなかった。そもそも戦えない私が出しゃばって、何の意味が。


「味わって喰らうところを、貴様のせいで。まあ良い、また、現れ出たところを嬲り喰らえばよいのだ」


 彼女と心の奥底、何か大切な物を触れ合わせた。交換した。そう思った時、突如生まれたチョーカーが。

 今は、責めさいなむように私の首を絞めつけているような錯覚。


 ……また? 現れ出る?

 この傲慢な竜は何を言っているの?


 私の黄金の瞳が輝きを強める。


「さて、貴様への罰を続けよう」


 余韻に浸るように、じっとしていた竜が再び動き出す。


 その威圧を前に、しかし、黄金の瞳を輝かせる私は


「どういう意味」

「うむ?」

「どういう意味」


 ルナリスを飲み込んで、満足でもしたのか、鷹揚に返してくる竜に心底からイラつく。


「どういう意味かって聞いてるの!!」

「何を吠えておる」

「彼女が、ルナリスが、『また現れ出る』って、どういう事」

「そのようなことも知らず、ここへ立ち入ったか。度し難い愚かな小娘よ。大方、贄の足しに……否、またもや我に殺させ、処分させようとでも企んだか。小賢しい」


 なんか一人で納得してる。


「いいから答えて」

「我は深淵龍。最古の竜の一角。闇よりもなお深き深淵を統べる竜種の一柱である」


 気前よく説明を始めた竜。最古の竜、古竜とか、古代龍。あるいはもしかすると、原初の竜。そう呼ばれる、人の英雄が国一つと命を引き換えに、退けるのがやっと。そういう存在。


「あの小娘は、我らが好む魂の色をしておってな。それも、自然と蘇るときたものよ。それゆえ、我を崇め、鎮めるため、贄として捧げられた。そうよのぅ。我にとっては須臾の間なれど、これは良く覚えておる。まだ幼き少女であったあれを、我の封印。この空間の中に連れて来た男がいた。どこぞの国の王と名乗っておったな」


 その王様の目的なんて死ぬほど興味がないけれど、どうせ暴れる此奴を鎮めるためとか、利用して戦争にとか、どうでもいい話だろう。そんな事よりも。


「幼い少女の頃から……彼女はそんなに長い間、あんたと、いたの?」


 闇に閉ざされ、何もない、空間。

 私と同じ18歳くらい見えた彼女。10年以上はたっているのかな。

 人の触れ合いもなく、娯楽もなく、ただ闇が広がる世界。

 発狂する。

 間違いなく、私なら。ううん、大抵の人なら発狂する。


「しかり。もっとも、貴様らの住まう常世と、我の住まうこの領域では、時の流れも異なる。貴様らの年月(としつき)でいか程かなど我は知らぬ。あれは我に捧げられた贄である。甘美なる魂を持って生まれた、特別な乙女。尽きぬことなき甘露の盃。しかもな、年を経るごとに芳醇なる香りを漂わせ、熟成されてゆく。酒と言ったか。人の世が生み出した、熟成を重ねる事で深みを増すという飲み物。あれと似たモノよ」


 恍惚とした声を漏らす駄竜。

 竜という種はある種超越存在として、敬意や信仰の対象となっている。

 だが。


 こいつはダメだ。

 こいつの存在を許したらだめだ。

 温厚な私でも。男以外には温厚な……あれ? 温厚ってなんだっけ、まあいいや。

 こいつを許したらだめだ、こいつは存在していたらだめだ、


「それも、適度に嬲り、絶望を与えてやればまた、良き声で鳴き、血潮と肉の味を変える千変万化の珍味」


 まだ戯言は続く。

 そして、奴の言葉と共に、私の脳裏に克明に、銀の姫が、ルナリスが、嬲られ貪られる有様が映し出される。

 感じられる。


 巨大な牙の先端をじわじわと、少しづつ深く、深く、突き立てられる。1秒ごとに死へと近づいていく恐怖、深まる痛み。全身の血が抜けた銀の姫が、竜の顎の中へと消える。

 全身を漆黒の鎖に戒められる。感覚がつながっているらしい竜の悍ましい喜悦の感情が伝わってくる。締め上げられる柔肌に、醜い興奮をたぎらせる。締め付けが限界を超え……。


 あぁ……あぁ……言葉にするのも悍ましい光景が、感覚が、まざまざと脳裏に、全身に、追体験される。


 もう、深淵なる古竜。

 駄竜の言葉など耳に入っていなかった。


 その時。

 銀の光が、一時、闇を切り裂いた。

 細く嫋やかな身体。柔らかな程よいふくらみがドレスの胸元を強調する。

 艶やかな銀の髪に虹色の輝きを纏い。

 薄いサクランボ色の唇が艶やかに湿り気を伝える。


 開かれる瞳。

 青銀色の瞳が、眼前の巨竜を闇の中に見出す。


 絶望。

 深い諦観が、銀の姫を包んだのが分かる。


 あぁ、また、ここ。幾万の責め苦を超え、幾万の死を迎え、それでもなお、終わらぬ。

 永劫の絶望。

 殺して、と。願っても、それはただひと時の苦しみにすぎず。死すらまた、次の苦しみの始まり。


「贄の姫よ、捧げものたる貴様の不義、断じて許さぬ。捧げよ。今宵はひと時たりとて安寧はないと知れ」


 振り上げられる竜の腕。闇を凝集した、禍々しい爪がその先端を銀の姫の神秘的な瞳の眼前につきつけ、今にも抉り込まんとする。


 微動だにせず、ただ、諦めと共に受け入れてしまう銀の姫、ルナリスの心が伝わってくる。

 冷たい、極寒の心。

 ただ、その中に一欠けら。


 視界いっぱいを埋め尽くす竜の姿を前に、


「あの方……は、のがれ、られ……ましたでしょうか」


 そんな、私を案じる心が、鮮烈に伝わってきた。



 首元のチョーカーが痛い程の熱を発する。

 知らない言葉が、私の口を割って漏れ出す。

 怒りと絶望に沈んでいた心が、激烈なる炎を宿す。


「復讐の百合姫が、今ここに断罪する。定めを弄び、理を愚弄した、トカゲさん。よくも私のルナリスを……私の可愛いお姫様を、泣かせたわね? ずっと、ずっと、苦しめたわね!? 絆結びし百合姫と、定め織り交わせし銀の姫。正当なる復讐の焔を今、執行する。――骨の髄まで、後悔して燃え尽きなさい」


 私の髪のような、漆黒の炎。私の瞳のような、黄金の炎。

 2色が混ざり合った焔が、私の身体の内から爆発的に広がった!


 闇よりもなお深き深淵の竜が、慄き(おののき)、飛び退る。

 黄金と黒の焔は、しかし、逃れる事を許さない。

 追う焔、逃げる深淵の竜。

 闇の空間に黄金の焔が美しい軌跡を描く。

 高速の追走劇はやがて螺旋を描き。闇の中に黄金の焔が咲き乱れる。


「小癪な! GGRuuu」


 ついに。黒と黄金の焔が竜の脚をとらえる。急激に失速する竜。

 力づくでは振りほどけぬとわかるや、その身体を闇に溶け込ませ、霧散させることで束縛を逃れる。

 が、既に失速した竜の身体は追いすがる黒と黄金の焔に次第にからめとられる。



「なに……が」


 そこでようやく、私に気が付いたらしい。茫然と、暴虐の象徴であった深淵の竜が逃げ惑うさまを、蒼銀の瞳を見開き眺めていた銀の姫の視線が私の姿をとらえる。


「ナオ……様……まさかこれは、貴女様……が」


 わずかな竜の攻撃で割とズタボロだった私。

 さらにこの黒と黄金の焔を生み出してからは、身体を内側から燃やされているような、激烈な痛みにさいなまれていた私。

 いい加減意識が吹き飛びそうで、朦朧としていたのだけれど、彼女の透き通った声は不思議とはっきりと意識に届いた。


「うん、そうみたい。ワルモノは、やっつけるから。もうちょっとだけ、待ってね」


 精一杯、苦鳴を漏らさないように、とり繕った声で語る私。


「ふざけるな! 許されぬ、このような事。矮小なる人の身が、我を害するなど、あり得ぬ! あり得てはならぬ!!」


 闇に溶けて逃げるのはあきらめたのか、体中から深淵の闇を吹き出し、焔を吸い込み。闇の中では視認できぬ、衝撃をまき散らし、焔に黄金の爆発を巻き起こしている竜が、吠え猛る。

 どんな英雄であろうと、その渦中に巻き込まれればひとたまりもなく消滅する事必定の、美しくも恐ろしい破壊の衝突。


 その趨勢はしかし、既に決していた。


 深淵の古竜、世界の頂点に連なる竜種の一角。

 その身は、一人の贄としてささげられた少女への暴虐、幾万と繰り返された死の苦痛と恐怖の蓄積を宿した、復讐の焔に焼き尽くされた。


 あとにはただ、闇よりも深い黒き宝珠、魔核が残されるばかりであった。


「……ごめん、もう限界」


 その様子を確認するとともに、黒と黄金の焔は消え去り、私の意識もまた、闇に落ちた。


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