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第5話 ”囚われの『銀の姫』”

 光のささない真闇。

 扉の奥はそうとしか表現できない、真っ暗な闇が広がっていたわ。


 けれど、この空気はどこか、ひどく懐かしい。不思議な感覚。

 重く、のしかかるような、濃密な闇。


 その中心に、淡い輝きを放つ、花嫁衣装のような純白のドレスを身に纏う一人の少女。

 うつむき加減に跪き、祈りを捧げる、ほんのり虹色の輝きを放つ銀の髪を伸ばした少女。

 プリンセスティアラとロングベールを戴いた髪は闇の中、床に広がるほど長い。


「貴女が、私がお世話をする人?」


 あまりに神秘的な姿に、声をかけるのもはばかられたけれど、物おじばかりしているわけにはいかないと、勇気を出してそっと声をかける。

 耳に痛い程の静寂を切り裂いた、私の小声すら大きく響く。

 突然の音に驚いたのか、顔を上げる少女。銀の長い睫毛に彩られた瞳は、やはり薄っすらと虹色の輝きを秘め、澄んだ蒼銀色をしていた。


「なぜ……ここへ」

「えと、この扉の向こうで、お世話をしなさいって言われたのだけれど」


「いけま……せん。おはやく、お戻りになって」


 伸ばされる、繊細なレースロングに包まれた手。その指先はあまりに細く、嫋やかで、そっと指を絡めたい欲求を抑えるのが大変。

 動いた拍子に、大きく広がった袖。

 目が慣れてきたのかな。薄布を幾重にも重ねたふんわりとしたドレス。

 彼女の放つうっすらとした輝きに描き出された、天使の羽衣のようなそれは、花嫁衣装というよりも。


「お肌が透けて見えてたんだ……艶っぽくて、素敵」

「あ……これ、は……捧げられた贄として……の」

「うん?」


 天上の調べのような、澄んだ耳に心地よい声。ずっと聞いていたくなる声も、しっかりと言の葉を紡ぎつつも、どこかたどたどしく、遠慮がちで。もっとしっかりと聞きたくて、彼女の下へと部屋の中をまっすぐに進んで行く。


「ダメ、こちらに……来られては」


 わあ、近づいて見たら、さらに綺麗……胸のときめきが抑えられないわ……! 私もたいがいに美少女だけれど、タイプが違いすぎるかな。

 なぜだろう、こんなにどきどきして、ほっぺたがちょっと熱くなって。

 あぁ……私、一目惚れしちゃったのかも。


「お姫様みたい。”銀の姫”、だね」


 うん、我ながら言いえて妙だわ♪ 私の銀の姫、なんちゃって。


 純白のドレスも相まって、清純無垢で怜悧な美貌。すっと通った鼻筋に、少し伏し目がちな瞳は思慮深さと、つつましやかさを強調してる。

 そんな、無垢で清楚な見た目に反し、その身を包む純白のドレスは透け感の高い薄布を無数に折り重ねて織り上げられることで、素肌のシルエットを浮き彫りにしてる。戒めるように要所に施されたリボンは、その身を縛り付けるように締め上げ、ほんのり膨らむ胸元や、太もも、細身ながら確かな女性らしさを示す特徴を強調し、フェティズムの極致に挑むかのよう。


「ね、ここじゃ暗いから、お外に出ましょう? あっちのお部屋、すごいのよ! 世界中の逸品が飾られてるの」


 あら? 暗闇に紛れてわからなかったけれど、足にすごく武骨な金属の塊が付けられているじゃない。

 せっかくの綺麗な足に傷がついたらどうするの?


「今外してあげるね」

「だ……め、お早く、逃げ……て」


 脚につながれた真っ黒の金属の塊、武骨な鎖がつながれたそれに触れようと、かがみこんだら。わ、甘い香りがする。思わずドキドキする、素敵なにおい。彼女の薫りね。


「我が贄に手を出すは何者か」


 私の黒い髪と、彼女の銀の髪が、さらさらと触れ合い、艶めかしく絡み合あった、その時。

 地の底から湧き出るような、重い声が、暗闇を震わせた。


 闇の奥、ううん、私達の真上。金の瞳で見上げた先。

 闇よりもなお深い、深淵の闇、闇の中にわだかまる漆黒の巨躯。


「くぁ……ぁあ……」


 銀の少女が、艶やかさすら孕んだ、苦悶の声を上げる。

 純白の透ける薄布を幾重にも折り重ねたドレスが、黒い闇を固めた鎖で締め上げられている。

 白皙の美貌を苦しみに悶えさせ、食い込む鎖にただでさえ白い肌が、血の気を失う。

 その鎖は、足を戒めていた黒い塊が解けて、形を変えた物だった。


「何をしているの、やめなさい!」


 きっと、私は恋してしまったんだと思う。出会って間もない、今にも溶けて消えてしまいそうにはかない、銀の姫に。

 足枷から伸びる鎖を引きはがさんと、手を伸ばす。


「我が贄よ、心移す事など認めぬ。貴様は我に仕え、我に奉仕し、我に殉じる定めなり」


 鼓膜が破れたかと思った。

 轟轟と耳を聾する(ろうする)重低音で発せられた、我欲にまみれた声。

 闇の中から深淵が姿を現す。一寸先も見えない闇のはずなのに、ソレの姿ははっきりと知覚できた。


 巨躯の古代竜

 深淵の闇を固めた、軍隊すら丸呑みできそうな圧倒的な暴力の化身。


 竜から伸びた漆黒の鎖に戒められた銀の姫が、苦しみに喘ぎながら、か細い息を堪え、私に告げる。


「お逃げ……ください。ここは、贄たる……わたくしが……逃げ、て」


 苦しみに、涙の雫を浮かべ、乱れた銀の髪を食むサクランボ色の口の端からは、締め上げられる苦しみに、細い透明な雫が零れ落ちる。


 胸の裡が熱い。

 かつてこんな気持ちになった事なんてない。

 苦しみに喘ぎながら、それでも、初めて会った私を案じて。


 私の黄金の瞳が、輝きを増し、闇を切り裂く。

 あぁ……この少女を、銀の姫を。

 苦しめるこの、深淵を凝縮したような暴虐の化身、竜から解放したい。


「黙れ、贄よ!」


 顎が開く。

 無数に並んだ、漆黒の牙。

 一本一本がまるで大剣のような、抉り、斬り裂くため鋭利に反り返る牙。

 苛立ったように威圧を強める竜の顎が、銀の姫を、貫く。


 触れれば極上の絹のような手触りを伝えるであろう、きめ細かな純白の肌に、食い込む漆黒の牙。

 苦痛を長引かせるように、ぞぶり、ぞぶり、巨躯に見合わぬ繊細な動きで、ゆっくりと、ゆっくりと、埋め込まれていく暴虐の顎。


「……ぁ……ぁぁぁ!?」


 もはや声にならない絶叫を上げる、銀の姫。

 嫋やかな喉をのけぞらせ、さらけ出し、美しい血の花へと純白のドレスを染め上げる。



 するり

 私の黒い髪と、彼女の銀の髪が、交差する。

 のけぞり、虚空へ広がった銀の髪が私の漆黒の髪と交差する。


 流れ落ちる血潮に、蒼銀の瞳から光が失われていく。

 神秘的な、虹色の輝きを秘めた瞳から、意思が失われていく。


「させない! 彼女は、私の、私と……」


 こんな闇の中で、贄だなんだと言われ、暴力の化身に貪られるなんて許せない。

 生贄? 偉そうに、貢物がなんだって!?

 この、糞でかトカゲ!

 彼女は、


「私と来るの!」


 すさまじい虚脱感。

 何が起きたのかわからない、膝の力が抜け、くずれおちそうになる。

 今までも、何度も何度も、こういう感覚はあった。身体から血の気が抜けて、貧血気味になったみたいな、ちょっと嫌な感覚。

 でも、ここまでのは初めて。命の大事な部分が抜け落ちてしまったみたいな、

 致命的な何かを失った、はっきりと、そう自覚できる。


「え……わたくし……どうして」


 銀の姫の声が聞こえる。

 先ほどまで喘鳴を漏らし、身を貫く牙に命を弄ばれていた彼女。

 とめどなく流れる血潮に、ドレスを鮮血色に染めていた彼女。

 それが、今再び、何物にも穢されぬ純白と、虹色の輝きを宿す銀の髪を靡かせ、私の隣にぺたんと、座り込んでいる。


「銀の姫?」

「ひ、め? ……?」


 きょとんと私を見つめ返す、彼女のお顔の、なんと可愛い事か。

 どうしてかわからない、どうすればいいのかわからない、致命的な喪失感に喘ぐ私の心の叫びに従って。


「んぅ!?」


 驚きの声を喉の奥から漏らす銀の姫を、無視し。


「ん……ちゅぷ」


 氷のように冷たい唇に、私の熱を流し込む。湿った水音を立て、夢中で、唇を貪る私。

 ほんのり甘い、サクランボの唇、温かな温もりを伝えてくる舌、可愛い歯列が……。


「ん、はぁ……んぅ……」


 驚きに開いた彼女の口内を、私の舌が蹂躙する。もっと、もっと貴女の全てを私に頂戴。

 ああ、たまらない陶酔感に、頭が桃色に塗り替えられる。

 湧き上がる快美な感覚。



 急激に満たされる、失われた何か。致命的な喪失感の跡に、清冽にして甘い、温もりを注がれる。


 銀と黒、絡み合う二房の髪が切られ、するすると、銀の姫と私の首に巻き付く。

 苦しさは全くない、ただ、満たされる感覚。 闇の中、2人の首元で柔らかな光がはじけ。後には首に巻き付く、お揃いのチョーカーが飾られていました。

 銀と黒、2色の繊細な金属線が緻密に編み込まれ、正面には金と蒼銀、2色の宝石が飾られた、チョーカー。


 2人の間を伝う細い橋が途切れる時。

 銀の姫を戒めていた鎖が、部屋の闇に溶けるように、粒子となって消えて行った。

 足枷もまた、消滅している。


「立って!」


 惚けたように、ほんのり頬を赤く染めたまま私を見ている彼女に手を伸ばす。反射的に伸ばされた右手をそっとつかみ、引き上げる。


「馬鹿な、我が贄を、贄を簒奪しただと! 許さぬ、許さぬぞ!」


 たけり狂う竜の、顎が上から落ちてくる。

 まだ足の感覚がないのか、よたよたと、頼りなげな銀の姫をお姫様抱っこに、抱き上げる。


「いっぱい、いっぱい、どんなお仕事だって、いろいろ頑張ったもん。これくらい! こんじょ~!!」

 火事場の馬鹿力ってあるんだね! 間一髪、牙に引っ掛けられるのはぎりぎり避け……

「げふっ……!」


 落ちてきた竜の頭、私を口の中に収めそこなったそれが、横に振られ、途方もない衝撃を背中から叩き込まれる。


「けほっ、けほっ」


 喉の奥から血の混じった咳が止まらない。心配そうに胸の中から見上げる銀の姫。

 朦朧とする視界で、元来た扉、光に向かって走り出す。

 もう腕が震えだしてる。


 でも、諦めないこと、頑張り続けること。どんなに辛くても、どんなに悲しくても。

 それだけは、誰にも負けない私の……!


「しっかり掴まって」


 刹那躊躇したあと、ギュッと細い両腕が背に回され、少しだけ、腕にかかる負担が減る。

 こんな時ばっかりは、私達の間に挟まって少し邪魔な、おっきな、このお胸が恨めしい。


 床、と思っていた地面はただの闇が固まった何かだったみたい。竜の頭は床だったところをそのままの勢いで突き抜けて、また、下から迫ってきているのが見える。


「逃さぬ」


 前方に急に現れる、竜の尻尾。周囲の闇がその場で凝縮して、身体の一部を形成したみたい。

 私の目でとらえられるはずがなかった。激しい打擲を受け、横に撥ね飛ばされる私。

 それでも、腕の中のか細い少女は抱きかかえ、床か、壁か、もはやわからない闇色の板に肩から叩きつけられる。

 お胸がふかふかで良かった。銀の姫は辛うじて、ひどい衝撃は受けていなさそう。


 冒険者って言っても、戦闘系の才能もなくて、荷物持ちで必死に皆について行っていただけの私。

 体力は多少鍛えられていても、戦う術なんて持ってない。


 体中が痛い。肩は、多分脱臼してる。泣きそう、っていうかちょっと泣いてる。

 でも、腕の中の、虹色の輝きを失っていない銀の乙女を、護りたい。そんな気持ちがあふれてこぼれそうで。


 すごい速度で下から旋回した黒い竜が、顎を開き、無数の大剣のような牙を剥き出しに迫ってくる。


 女神様……私、ここで終わりなんですか……? 

 紗雪。お家で待っている、ママが遺してくれた人形少女。


 復讐。そうだよ、女神さまがくれた称号は『復讐の百合姫』。きっと私が受けた苦痛を相手に倍返しにするとか、そういう力なんじゃないかな!!

 あの竜が憎い、私を痛めつけたあいつに復讐したい。強く強く念じる。魔法使いが言う、マナっていう、私には見えないし感じられない世界を構成する元素に必死で願う。女神さまに願う。

 才能が分からないなんてもう嘆きません。だから、お願い、確かに私に宿っているはずの『復讐』の力、今。今じゃなきゃダメなの、今! 私に力を貸して!!



 …。


 ……。



 ダメ。何も、おこらない。

 お腹の底が熱くなるとか、すごいオーラが出るとか、そんなこと何も起きない。

 私はいつもそう。

 何も成せない、何の役にも立てない。だから、すぐにお仕事もなくして……。


「あ、私、銀の姫の名前すら聞いてない……」


 一人だけ盛り上がっちゃって、私、馬鹿だなぁ。

 でもでも、こんな神秘的な女の子、放っておけなかったもん。

 後悔だけは、しない。あいつの口の中に飛び込んで、口の中で暴れてやれば、もしかしたらその間にこの子だけは逃げられるかもしれない。

 そうだよ、足枷も、身体を縛り上げる鎖も、もう外れているんだもん。


 よぉし、やったるぞー!!


 死ぬ。

 その、覚悟を、決める。


「ルナリス……わたくしの、名前……ルナリス、です。貴女様……は?」


 鈴を転がすような声が、引き延ばされたように感じる時間の中で、聞こえる。

 ルナリス、うん、すごく綺麗で可愛い名前。


「ナオ。私は、ナオだよ」


 思いっきり放り投げるけれど、我慢して、あの扉に走ってね。

 そう、言おうとした。



「ナオ……様、ありがとう……ございました。わたくし……は、大丈夫……お逃げ、くだ……さい」

「え」


 けれど、私の耳に届いたのは自分の声じゃなくて……。


 ふっと軽くなる腕の中。脱臼した肩に、むち打ちになりかけてる首と背中。腰から下の感覚もあんまりない。

 そんな状態で、引き留める術なんて、そもそもなかった。


 腕の中から零れ落ちる、柔らかな温もり。

 予想外に強い力で、突き飛ばされる私。闇の中、後ろへと、黒い髪を靡かせて大きく吹き飛ぶ小柄な私の身体。

 ふわりと広がった、虹色の輝きを纏う銀の髪が広がって、闇の中に咲く一輪の花のよう。

 離れていく、目の前に迫った顎の中へ、飛び出して。


 儚げな笑みをこぼす、美貌の少女。


 ガキリ

 閉ざされる、竜の(あぎと)


 闇を照らしていた、虹色に輝く銀の輝きが。


 消えた。


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