第23話 ”全てを織り直す焔”
あの尺取虫みたいに這いずっていた、黒い運命の糸が暴れだす。
呼応するように、アメリアスの身体からぬらぬらと光る蛇が、お腹を喰い破って出てくる。
「王しゃま、まって。まって、置いてかないで」
淋しそうな、すがるような、悲痛な声を上げる薄紫の髪の少女。
「いま、ナオ姫しゃまを、ごっくんするから。だから、おねがぃ、まって~」
「アメリアス、違うよ。そいつは貴女のためになんかならない。淋しいなら、私達が一緒にいてあげるから。私達の事、嫌い?」
涙を流す、体中を削り取られた少女。少しづつ再生しながらも、削られ続ける少女。
でも、そこに痛みは何一つ感じていないように。ただ、この黒い蛇が。古代魔導王国の王を名乗るコイツが離れていくことに悲嘆の泣き声を上げる。
私の才能は“運命を織る才能”。運命を断ち斬る才能では、きっとない。
でも、こいつは、ダメ。
きっと、ダメ。
だから。
断頭台の斧のように。巨大な片刃の、漆黒の大剣を振り上げ。
ボトリと床に落ち、慌てて這いずって逃げようとする蛇に振り下ろす。
ズグンッ。
とんでもない轟音と共に床にできるクレーター。
黒い蛇はすり鉢状に抉れた地面の底で黒いシミへと……
――「なぜ、我なのだ。なぜ、我の代ですべてが終わる。終わりの始まりなど、遥か昔であったであろう」
その声は私の脳裏に、漆黒の蛇が放った最後の呪いの言葉として響き渡った。
同時に、大剣が床を穿った轟音の反響のように、王の魂が抱える滅亡の記憶が、全開にしたままだった黄金の瞳、『運命を織る才能』を通じて洪水のように流れ込んできた。
眼前に広がるのは、先ほどまでの朽ちたダンスホールの風景ではなくなっていた。
それは、数百年前の、魔導王国最後の数日間。
壮麗な巨城、栄華の限りを示す煌びやかな王都。
そんな中にあって、唯一漆黒の宝石のようなきらめきを宿す鉱石で作られた神殿。
伝わってくる王の記憶が、あれは”運命と復讐の女神”を祀る祭壇であると教えてくる。
な、なに?
脳裏に男性の、あの王様の声が再び聞こえる。
「真の滅びの引き金。尊き血統の娘を追放した先祖こそ、滅びの王であろう」
視界が移り変わる。宝石の輝きを秘める漆黒の空間。神殿の祭壇。
「我らが王国の栄華は2柱の神により支えられておった。一柱が魔導神。魔法の、魔導の、叡智の研鑽を言祝ぎ神髄へと至るを望む神性。なれど、かようなる神の祝福は魔導王国に限ったものにあらず。武神、戦神、剣神、芸術神……。多様な神々が多様な国々を、民を、導き。祝福していた」
祈りを捧げる、黒髪の乙女。
祝詞を奏上し終え、閉じられた眼が開かれる。
黄金の輝きが、瞳から発せられる。
「古代魔導王国の真なる栄華の源泉。それこそがもう一柱の神、”運命と復讐の女神”による祝福。それは国のためならず。ただ一つの血筋への祝福」
祭壇の上、無限に広がる精緻な織物が浮かび上がる。
“運命の織布”
かつて古代魔導王国の栄華を約束した、”古の魔”に連なる正しき血統の王族、”運命と復讐の女神”の御名の元、脈々と受け継いできた歴史の、文明の、民の運命の神髄にして、遺産。
「魔導王国の民は、文明は、例え死すともその運命は巫女の内に蓄積され、運命の織り糸を増し続けた」
はるか遠くへと続く運命の縦糸達が永遠と繋がっていた。
きっとその先にいたのが……かつての”運命と復讐の女神”の使徒にして巫女、私のご先祖様?
あるいは、ママ……なの? まさか……でも、この王は言っていた。禁忌による永遠の命を得た娘を追放した、って。
眼前。再び場面が移り変わる。
朽ちた回廊。白大理石の床を濡らす血潮。炎に包まれる王都。
急激な落下に宙へ投げ出される人々、財宝。
祈る黒髪の乙女の消えた祭壇。なぜか美しかった漆黒の宝石の神殿は消え失せ、砕かれ。野に晒され、打ち捨てられている祭壇。
金眼黒髪の乙女の代わりか、幾十もの魔導士が、野ざらしの祭壇へとマナを注ぐ。
かすかに浮かび上がる”運命の織布”の姿、透明に透ける幻影。
それは、既に致命的な損傷を負っていた。
かつて神秘の輝きを放ち、すべての民の運命を一つの『大いなる平穏と、無窮の栄華の定め』として織り上げていたはずの運命の縦糸が、焼き切られたかのように、無数の箇所で千切れ失せていた。
「魔導王国最盛期。“古の魔”の血脈を禁忌と追放し。愚かにも運命と復讐の女神への信仰を捨てた王。真なる滅びの王。冥府ダンジョンの奥底に未だ、かつての栄華を忘れられず、堕ちた都と共に彷徨う愚かなる王。怨めども、祟れども、後世たる我らに救いの糸が再びもたらされることはなかった」
衝撃。
全てが混乱の中、いくつもの破片に分かたれる大地。
闇に呑まれる王都。かすかに見えた地平の先は津波に呑まれながらも、地表を空へと掲げていた。
たぶん……この中央大陸成立の日。
世界が新たな大地の産声を言祝いだその裏側。古代魔導王国滅亡の日。
朽ち果てたダンスホール。
愛おしい二人。ルナリスがいる。紗雪がいる。
未だ剣に削がれ、魔導銃の弾丸に穿たれ、再生ままならぬアメリアスがいる。
黒い蛇が。最後の王が、絶叫していた。
「な、なぜだ! なぜ、定めを継承せぬ! 王族の責務を果たせ! 貴様に宿る魔導王国の無限の運命。そして! この仮初めの冥府。ダンジョンなんぞに呑まれた我ら末期の魂と王国の歴史。貴様が、貴様を飲み干し、一つと成せば! 栄華は蘇る。魔導王国は再び復活するのだ!!」
――すごく。不愉快な情景が脳裏に浮かんだ。
耳の長いとても、とても、美しい女の人。薄紫の髪の、ほっそりとした、触れれば折れてしまいそうに繊細な女の人。
苦しみに眉を顰め、それでも呻き一つ漏らさない美貌の女性。
正体不明の薬液が、悍ましいマナが、怨嗟の叫びをあげる亡霊が、無数の冒涜的なナニカが。
注ぎ込まれる。
魂を汚辱していく。
その全てをくすんだ茶色がかった黒髪に、薄茶色の瞳の男。
こいつ。魔導王国最後の王が妄執に取り付かれた瞳で見ていた。
不死者となった亡者たちに時の終わりなどなかった。
冥府のダンジョンの奥底。無数の年月が過ぎ、魂を穢され尽くし、それでいてなお繊細な美貌を湛えた女の人の……お腹が裂かれた。
取り上げられる一人の赤子。
薄紫色の瞳の、赤子……私と出会うまで名付けられる事すらなかった女の子。
それからも凄惨な情景は続いた。
冥府ダンジョン深層、そこに巣食う無数の魔物を喰らい、取り込み、糧とした女の子。
幼気な幼子にもまた、正体不明の薬液が、悍ましいマナが、怨嗟の叫びをあげる亡霊が、無数の冒涜的なナニカが。
注ぎ込まれる。
そして、友を、親を、愛を知らぬ娘は。まさに私達と出会ったアメリアスの姿へと成長していた。
「あぁ……あぁぁ……そうか。今こそ、理解した。我が苦しみは当然。王家の血筋に"古の魔”の穢れた血など不要。断じた始祖こそが正しかったのか! やはり、やはり! 穢れた姫、追放された巫女の娘。貴様をこの我が、魔導王国最後の王が、王族の席より『追放する』!! 穢れた貴様の血、継承されし王国の輝かしき定め、この冥府の力すらも蓄えた新たなる娘へと明け渡せ!」
うん。もう、いいよ。
「貴方は、可哀そうな人なんだね」
私は、這いずり回る黒い蛇を、見下ろした。
「誰のことも愛せず、誰からも愛されず。ただ『過去』に縋るしかできなかった。……もういいよ。私が終わらせてあげる。貴方のその空っぽな夢も、妄想も、全部」
汚いものではなく”迷子”を見るような目で、見下ろした。
「”運命を織る才能”、私の血に眠る、私の才能。今ここに虚空に浮かぶすべての定めを、私が背負いましょう、担いましょう、織り直しましょう!」
虚空の泡に浮かんでいた廃墟が、かつての魔導王国の精鋭たちの亡霊が、運命の縦糸へと解け、私に寄り集まってくる。その全てを、受け入れる。
歓喜の声を上げ、随喜の涙を流す黒き蛇。最後の王の尺取虫のような黒い運命の糸も……受け入れる。
激しい頭痛。耳の奥で喚き散らし始めた、轟々という血潮の音が途切れる。
あまりの負担に、大きな私の胸の中。心臓の拍動が……とまる。
「ナオ様!?」 「ナオ!?」
2人の悲鳴。でも、大丈夫だよ。
最後に残った鼓動、血のめぐり、肺腑の呼気。
その全てを絞り出し、”運命と復讐の女神様“に祈りを捧げる
「”復讐の百合姫”が今ここに断じる。苦悶に沈んだ王国の民よ、歴史よ、その復讐の欠片を今ここに成そう」
脳への血流も止まって、意識が完全に途絶える寸前。祝詞が完成する。
私の身体が黒と黄金の焔へと変じる。
体の全てが炎と化したのに、不思議と、まだ感覚がある。
漆黒の大剣。私の手で振り下ろされたままの大剣に、私自身が変じた焔が纏いつく。
この黒い蛇の姿となった最後の王も。滅びの最後、その初めの引き金を引いた元凶の王に恨みを抱いていたのはわかった。
でも……。
アメリアスを苦しめた。
名前も分からない、アメリアスのお母さんに……許されない冒涜を成した。
私色の焔の中で、薄紫の髪をした女性の影が見えた気がした。アメリアスのお母さん。名前も奪われた貴女、安心して。貴女の娘は、私が絶対幸せにする。貴女を辱めたこの男は、その運命の果てすら燃やし尽くしてあげる。
だから……もう、泣かないでね?
今、膨大な。まだ私に継承されていなかった、この冥府ダンジョンに囚われていた、かつての魔導王国の残滓たる運命の糸の一部が流れ込んでくる。
古代魔導王国の滅びの日からずっと、冥府ダンジョンに封じられてた文明と、歴史と、民の運命。そのほんの一部、この虚空の泡と共に浮かび上がった運命の糸が、流れ込んでくる。
恨み、導くことを放棄し、ただ己が輝かしき王として君臨する事だけを夢見た。
愚かで、夢見がちな妄執の王。
独りよがりな、新たな魔導王国の興隆を望んだ王への怒りが、燃え盛る炎をたぎらせる復讐の気炎として合流する。
『燃え尽きろ』
声を上げる身体を失った私の心の叫び。
復讐を望む数多の運命と共に。
黒き蛇と化した王が、這いずり回る黒い運命の糸が、没落の王都の欠片を宿した虚空の泡が。
黒と黄金の焔に包まれ、全て、消滅した。
諸共に、焼滅した私の意識の内側で。ルナリスのお淑やかな微笑み、紗雪の照れ笑い、アメリアスの無邪気な笑いが浮かんでる。これが守れるなら。えへへ……どんな苦しみが残ったとしても……。
私の意識は黒と金色の焔の中に溶けて、消えていった。




