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死者の国で、俺だけが生きている  作者: ななせゆう


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第二話 死者の道・前編

 朝日がロウ村へ差し込んでも、村人たちは昨日と変わらず同じ時間を繰り返していた。


 夜の間に低く垂れ込めていた雲は東へ流れ、薄い青空が広がり始めている。屋根に溜まった朝露が軒先から一滴ずつ落ち、道の脇では小さな鳥が土をつついていた。


 その穏やかな朝の中で、パン売りの女だけが昨日と同じ十歩を往復している。


 少し離れた場所では、子供が石につまずいて転び、笑い、立ち上がって元の位置へ戻っていた。


 昨夜、傷だらけの姿で自分を追い回した者たちとは思えない。


「……やっぱり夢じゃなかったな」


 レオンが呟くと、すぐ近くから「うん」と返事があった。


 エリシアは小屋の壁際に座っていた。


 夜からほとんど姿勢が変わっていない。


「お前、寝てないの?」


「寝てない」


「平気なのか?」


「うん」


「便利だな……」


 レオンの方はほとんど眠れなかった。


 目を閉じるたび、裂けた顔や伸びてきた手が浮かぶ。そのうえ、死者に触れた時に見た記憶まで、夢とも現実ともつかない形で何度も頭の中へ戻ってきた。


 窓辺へ立ち、パン売りの女をもう一度見る。


 昨夜裂けていた頬は元へ戻っている。


 子供の額から骨が覗いていることもない。


 ただ、よく見ると完全に健康な人間の姿ではなかった。


 女の肌は青白く、首元には古い黒ずんだ傷がある。井戸の老婆も、目の周囲に深い痕を残していた。


「昨日、こいつらの姿が変わったのって……俺の見間違いじゃないんだよな?」


「違う」


「じゃあ、夜になったら本当の姿になるってこと?」


 エリシアは少し考えた。


「本当の姿、とは違うと思う」


「じゃあ何なんだ?」


「鐘で傷が出てきた」


「傷が?」


「うん」


 レオンは昨夜の鐘を思い出した。


 鳴るたびに村人たちの姿が崩れ、行動も変わっていった。


 そして六度目の鐘で、すべてが元へ戻った。


「この世界の死者って、みんなああなるの?」


「ならない」


 予想していたよりはっきりした答えだった。


「じゃあ、ロウがおかしい?」


「たぶん」


「その鐘も?」


「普通じゃない」


 レオンは胸へ手を当てた。


 今も鼓動がある。


 エリシアが昨夜、自分へ触れて驚いたもの。


「なあ。この世界に、生きてる人間って――」


「行こう」


 エリシアが立ち上がった。


 レオンは眉を寄せる。


「今、絶対話そらしただろ」


「日が高くなる前に村を出たい」


「どこへ行くんだ?」


「ヴァルネ」


「町?」


「街。歩いて一日くらい」


 一日。


 レオンは自分の革靴を見る。


 目を覚ました時から履いていた古い靴は、昨夜走り回ったせいですでに泥だらけだった。


「他に選択肢ある?」


「ロウに残る」


「行こう」


 迷う理由はなかった。



          ◇



 村を出る前に、レオンは昨夜使った火かき棒を拾った。


「それ持っていくの?」


「一応な」


「弱いよ」


「知ってる」


「重いし、使い方も知らない」


「そこまでまとめて言う?」


 エリシアは特に悪びれた様子もなく歩き始めた。


 レオンも後を追う。


「剣があれば、もうちょっとマシなんだけどな」


「剣、使えるの?」


「……使えない」


「じゃあ同じ」


「正論で殴るなよ」


 村の中央を通る。


 パン売りの女が、昨日と同じ場所にいた。


「パンはいかがですか? 焼きたてですよ」


 レオンは足を止めた。


 昨日の夜、この女は自分を見て「あったかい」と言った。


 そして追ってきた。


 それなのに今は、レオンの顔すら覚えていないようだった。


「昨日のこと、覚えてないのか?」


「パンはいかがですか?」


「俺を追いかけてきただろ」


「焼きたてですよ」


 女は同じ表情のまま言葉を繰り返す。


 レオンはしばらくその顔を見ていた。


 昨日は恐怖しか感じなかった。


 今見ると、印象が少し違う。


「……かわいそうだな」


「何が?」


 エリシアが振り返る。


「ずっとこれを続けてるんだろ? この人だけじゃなくて、みんな」


 井戸の老婆。


 転び続ける子供。


 北を指し続ける老人。


 本人たちが苦しいのかは分からない。


 けれど、レオンには終わることのない同じ一日へ閉じ込められているように見えた。


「この人たち、元には戻らないの?」


 エリシアはすぐには答えなかった。


「分からない」


 いつもの短い返事。


 ただ、その声は少しだけ重く聞こえた。


 レオンはそれ以上聞かず、歩き始めた。


 村の北側へ来ると、昨日の老人が同じ柵のそばに立っていた。


「北だ」


 腕の先には、森へ続く細い道がある。


 昨日は壊れた言葉にしか聞こえなかった。


 今は、少なくとも方向だけは合っていたらしい。


「……一応、教えてくれてたんだな」


「何が?」


「こっちの話」


 二人はロウ村を後にした。



          ◇



 森へ入ると、空気の匂いが変わった。


 村に漂っていた甘い腐臭が薄れ、代わりに湿った土と木の葉の匂いが強くなる。


 朝露を含んだ草が革靴の側面を濡らし、枝から落ちた水滴が時折肩へ落ちてくる。頭上では細かな葉が風に擦れ、木々の隙間を何羽かの鳥が飛び交っていた。


 レオンはそのうちの一羽を目で追った。


「鳥、普通にいるんだな」


「いるよ」


「何か、ロウにいた時はこの世界全部が死んでるような気がしてた」


 道の脇には白い小さな花が咲いている。


 苔も生えている。


 倒木の根元を小さな虫が動いていた。


 森自体は、レオンの知っている森とそれほど変わらない。


「人間はあんななのに、森は普通なんだな」


 エリシアは答えなかった。


 レオンも今回は追及しなかった。


 答えたくないのか、知らないのか。


 まだ区別できない。


 しばらく歩くと、木々の間から柔らかい光が差し始めた。


 森の出口が近い。


 外へ出ると、視界が一気に開けた。


 緩やかな草原の中を、一本の街道が北へ続いている。遠くには低い山並みが霞み、風が吹くたび道端の草が波のように揺れていた。


 レオンは深く息を吸う。


 腐臭がない。


 それだけで少し安心できた。


 ただ、歩き続けているうちに身体が熱くなり、額には汗が浮かび始めた。


 隣のエリシアを見る。


 様子はほとんど変わっていない。


「お前、疲れないの?」


「まだ」


「暑くない?」


「別に」


「腹減らない?」


「今は」


「何か俺だけ不便じゃない?」


 エリシアがレオンを見る。


「生きてるから」


「それ、何にでも使える答えだな」


「でも本当」


 言い返そうとして、やめた。


 歩けば疲れる。


 暑ければ汗をかく。


 食べなければ腹が減る。


 日本にいた頃なら当たり前だった身体の反応が、この世界では妙に目立って感じられた。


 しばらく歩いているうちに、別の疑問が浮かんだ。


「……俺が死んだら、どうなるんだ?」


 エリシアの歩く速度が少し落ちた。


「分からない」


「普通に死者になる?」


「分からない」


「何で?」


 エリシアは前を向いたまま答えた。


「あなたみたいな人、知らないから」


 レオンは黙った。


 死ねば、この世界の人々と同じように動き続けるのか。


 それとも、そのまま終わるのか。


「……死なないようにするしかないな」


「うん」


「簡単に言うなあ」


 苦笑したところで、道の向こうに人影が見えた。


 大きな荷物を背負った男が、杖をつきながらこちらへ歩いてくる。


 レオンの身体が無意識に強張った。


「人が来る」


「死者」


「見ただけで分かる?」


「うん」


 近づいてくるにつれ、男の姿がはっきり見えてきた。


 四十代くらい。


 日に焼けた顔に短い髭があり、厚手の旅装を身につけている。


 遠目には普通の旅人にしか見えなかった。


 ただ、右耳が半分欠けており、首筋には深い傷が走っている。


 それでも、ロウ村の者たちとはまるで違った。


 道に石があれば避ける。


 足元のぬかるみを見れば歩幅を変える。


 こちらを見た時には、きちんと視線も合った。


「おはよう」


 男の方から声をかけてきた。


「あ……おはようございます」


「ヴァルネへ行くのか?」


「はい」


「この先、昨日の雨で道が少し崩れてる。東側へ寄った方が歩きやすいぞ」


「ありがとうございます」


「いいってことよ」


 男が笑った。


 会話が続いている。


 たったそれだけのことが、レオンには妙に新鮮だった。


「あの、一つ聞いてもいいですか?」


「何だ?」


「ロウ村のこと、知ってます?」


 男の笑顔が少し消えた。


「ロウか。まだ人が残ってるのか?」


「いました。夜に鐘が鳴るんですけど、それも知ってます?」


「噂ならな。昔から妙な場所だ。夜は近づくなって言われてる」


「死者でも危ない?」


「危ないかどうかは知らんが、気味の悪い場所に好き好んで行く奴はいない」


 レオンは少し驚いた。


「死者でも怖いものってあるんですね」


 男は笑った。


「当たり前だろ。死んだからって、怖いもんが全部なくなるわけじゃない」


 その言葉が妙に残った。


 昨日まで、死者というだけで自分とは別の存在だと思っていた。


 けれど目の前の男は、普通に笑い、嫌な場所を避け、旅をしている。


「じゃあ、気をつけてな」


「ありがとうございます」


 男が二人の横を通り過ぎる。


 ちょうどその時、草原を渡ってきた風の向きが変わった。


 男の足が止まった。


「……ん?」


 レオンも振り返る。


「どうしました?」


 男は鼻を僅かに動かした。


 さっきまでとは違う目で、レオンを見る。


「何だ、この匂い……」


「匂い?」


 長く歩いたので汗の臭いなら十分ある。


 だが、男はもっと別の何かを探しているようだった。


「昔、よく嗅いだ気がするんだが……」


 一歩近づく。


 レオンの胸が勝手に騒がしくなる。


 その間へ、エリシアが自然に入った。


「何?」


「いや……」


 男はエリシアを見る。


 それでも、視線が何度かレオンへ戻る。


「もしかして、生き――」


 エリシアの手が腰の剣へ触れた。


 男の言葉が止まる。


「……いや。そんなわけないか」


 自分で打ち消すように笑い、男は杖を持ち直した。


「変なこと言って悪かったな」


 そのまま歩き去っていく。


 レオンは姿が小さくなるまで、その背中を見送った。


「……気づきかけた?」


「うん」


「何で?」


「近かったから」


「近いと分かるの?」


「死者による。匂い、体温、呼吸、心臓の音……感じやすいものは違う」


 レオンは自分の胸を見る。


 まだ鼓動は速い。


 身体も汗ばんでいる。


「それ、ほとんど隠せないだろ」


「だから近づきすぎない方がいい」


「そういう大事なこと、先に言ってくれよ」


「今言った」


「遅いんだよ」


 エリシアは何が問題なのか分からないように首を傾げた。


 ロウから出れば、少しは安心できると思っていた。


 どうやら、この世界では生きているというだけで別の危険を抱えることになるらしい。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


初めての小説執筆ということもあり、試行錯誤しながら書いています。

感想や気になった点などありましたら、気軽にお聞かせいただけると嬉しいです。


続きも楽しんでいただけましたら幸いです。


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