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死者の国で、俺だけが生きている  作者: ななせゆう


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第十九話 同じ顔

 階段の上から足音が近づいてくる。急ぐ様子はなく、一段ずつ確かめるような歩き方だった。レオンは剣を抜き、エリシアも階段の正面へ立つ。フィンは状況が飲み込めていないらしく二人の顔を見比べていたが、やがて黙って短剣へ手を掛けた。


「そこまで読んだのね」


 もう一度、女の声がした。


 聞き覚えがある。ヴァルネの倉庫で、エリシアと同じ顔をしていた女の声だ。


「リネア」


 エリシアが名前を呼んだ。


 蝋燭の光が階段を下りてくる足を照らし、続いて黒い外套が見えた。最後に暗闇から現れた顔を見て、フィンが小さく息を呑むような仕草をする。


「……増えた?」


 白い髪。赤い瞳。エリシアと同じ顔だった。


「何が?」


 リネアが首を傾げる。


「いや、何でエリシアが二人いるんだよ」


「私が聞きたい」


 レオンが答えると、リネアは僅かに笑った。


「初対面の人もいるのね」


「フィン。配達人」


「どうも。状況についていけてない配達人です」


「リネアよ」


「それだけ?」


「それ以上必要?」


 フィンがレオンを見る。


「エリシアと同じ顔をした知り合いがいるなら先に教えてほしかったんだけど」


「説明すると長いんだよ」


「旅仲間として結構大事な情報じゃない?」


「俺も全部分かってるわけじゃない」


 レオンは話しながらも剣を下ろさなかった。ヴァルネでは、リネアが滅鐘教団と同じ現象を利用してマルタを追い詰めているところを見ている。敵だと断定するには分からないことが多すぎるが、無警戒でいられる相手でもなかった。


 リネアはその剣を一度見ただけで、それ以上気にした様子もなく石室へ入ってきた。エリシアと向かい合うと、同じ顔が二つ並ぶ。髪の長さも瞳の色も、目元の形までほとんど違わない。それなのに立ち方だけはまるで別人で、エリシアが無駄なく重心を置いているのに対し、リネアはどこか芝居がかった軽さで片足へ体重を預けている。


 壁際の男が二人を見た。


「勇者エリシア。リネア様」


 フィンの眉が上がる。


「見分けつくんだ」


「どうやって?」


 レオンが男へ尋ねたが、返事はなかった。男は二人の顔ではなく、もっと別のものを見ているような目をしている。


 リネアは小さく笑うと、自分の頬へ指を当てた。


「紛らわしい?」


「かなり」


「じゃあ戻すわ」


 白かった髪から色が抜けるのではなく、影が染み込むように黒く変わっていった。赤い瞳も灰色へ沈み、頬の輪郭が僅かに変わる。最後に左頬へ古い傷が浮かび上がると、ヴァルネで一瞬だけ見た女の姿になった。


 フィンが数秒黙ったあと、レオンへ顔を寄せる。


「今の、普通?」


「俺に聞くな」


「この旅、普通じゃないもの多すぎない?」


「それは同意する」


 軽口を返しながらも、レオンはリネアから視線を外さなかった。


「上にいたクラリスは?」


「いるわよ。驚かせただけ」


「途中で声が切れた」


「私の顔を見て固まったの。百年以上同じ三日間にいる人へ、同じ勇者を続けて二人見せたんだから仕方ないでしょう」


 リネアはそう言ってから、机も紙もない地下室を見回した。その目が壁一面の傷へ移った時だけ、笑みが消える。


「まだ続けてたのね」


「知ってたのか?」


「私が頼んだから」


 レオンは壁へ目を向けた。指先を骨まで削りながら、百二十一年間、同じ記録を石へ刻み続けてきた男がいる。


「これを?」


「紙は燃えるし、書庫は改竄できる。死者の記憶だって永遠じゃない。当時は、残せる方法を全部使うしかないと思ったの」


「本人がここに残りたいと思ってたかも分からないらしいぞ」


 リネアの表情が止まった。


「……そう」


「知らなかった?」


「覚えているのは、引き受けると言ったことだけ。でも、人は百年以上同じ決断をし続けるとは限らないわね」


 いつもの余裕のある話し方だったが、その言葉だけは軽く聞こえなかった。リネアは男へ目を向けたものの、謝罪も慰めも口にしない。それが今さら意味を持たないと分かっているようだった。


「それより」


 レオンは一段低い場所から彼女を見る。


「今日、ここへ来たのは初めてか?」


「今日?」


「クラリスが、俺たちより前にエリシアと同じ姿の奴を見たって言ってた」


 リネアの顔から完全に笑みが消えた。


「いつ?」


「クラリスは『先ほど』としか言わない。あの人の時間感覚じゃ当てにならないけど、扉と床には新しい跡があった」


「私じゃない」


 返事が早かった。


「本当に?」


「あなたたちがここへ来るのを見て、後から入った。文書庫へ入ったのも久しぶりよ」


 エリシアがリネアを見る。


「じゃあ、誰?」


「分からない」


「私の姿だった」


「聞いてる」


 リネアは考えるように視線を落とした。その反応に、レオンは違和感を覚える。少なくとも驚いたふりをしているようには見えない。むしろ、起きてほしくなかったことが起きた人間の顔に近かった。


「心当たりは?」


「ないと言ったら?」


「信用しない」


「正直ね」


「ヴァルネで散々やってくれたからな」


 リネアは僅かに口元を上げたが、今度は笑わなかった。


「なら、今は信用しなくていい。ただ、クラリスが見たものが本当にエリシアと同じ姿で、それを私ではないと見分けたなら……少し困ったことになってる」


「少し?」


「かなり」


「何が?」


「まだ分からない」


「またそれかよ」


「分からないものを分かったふりするよりいいでしょう?」


 それには反論しづらかった。


 エリシアは二人の会話には加わらず、壁際の男を見ていた。


「続きを」


 男が顔を上げる。


「黒月三十日、夜の記録ですね」


「うん」


 リネアが僅かに眉を動かした。


「そこまで聞くの?」


「聞く」


「今さら止めても聞くでしょうね」


 エリシアは答えなかった。


 男は先ほど中断したところから、変わらない調子で読み上げ始めた。


「黒月三十日、夜。勇者エリシア、文書庫を退館。同日深夜、王城より緊急記録が到着。勇者エリシアの死亡を確認」


 分かっていた内容なのに、改めて聞くとレオンの視線は隣へ向いた。エリシアは自分の死亡記録を聞いても顔を変えない。ただ剣を握っている指が、ほんの僅かに強くなっている。


「死因」


 エリシアが尋ねる。


 男の右目が彼女へ向いた。


「胸部から腹部に達する刺創。心臓および主要血管を損傷。死亡時刻、推定黒月三十日深夜」


 レオンは鐘の道を思い出した。五度目の鐘で、エリシアの胸から腹へ浮かび上がった黒い傷。あれと一致する。


 エリシア自身も同じことを考えたらしく、無意識に胸元へ手を当てていた。


「凶器は?」


「記録されています」


 男は一度目を閉じ、それから淡々と続けた。


「勇者エリシア所有の長剣。刀身形状および魔力痕が創傷と一致」


 石室が静かになった。


 レオンはエリシアの腰を見る。


 今も彼女が持っている剣。


「……その剣?」


 フィンが声を潜めた。


 エリシアは答えない。


 代わりにリネアが言った。


「同じものよ」


 レオンはリネアを見る。


「何で知ってる?」


「その剣は当時からエリシアが使ってたから。少なくとも、私が最後に見た時までは」


「最後に見たのはいつ?」


「文書庫を出る前」


 つまり、死亡する数時間前。


「自分の剣で殺されたってことか」


 レオンが口にすると、リネアは首を横へ振った。


「そこから先を勝手に決めない方がいい。凶器がエリシアの剣だったことと、誰が握っていたかは別の話よ」


「じゃあ誰が?」


「知らない」


「その夜のこと、覚えてないのか?」


「私はここに残った。エリシアは先に出たから」


 エリシアがリネアを見る。


「どうして私は先に出たの?」


 その質問に、リネアは初めて答えるまで時間を置いた。


「呼ばれたから」


「誰に?」


「王城から使者が来た」


「用件は?」


「それは聞いてない」


「一緒に行かなかった?」


「行こうとした。でも、あなたが残れって言った」


 エリシアは目を伏せた。記憶を探しているのだろうが、何も見つからないらしい。


「何て言った?」


 リネアはしばらく彼女を見つめていた。


「『記録を終わらせて』」


「それだけ?」


「それだけ」


 嘘をついているかどうかは、レオンには判断できなかった。ただ、リネアの声からいつもの芝居がかった柔らかさが消えているのは分かった。


 壁際の男へ、レオンは再び目を向ける。


「遺体を見つけたのは?」


「記録されています」


「誰?」


 男の口が開く。


 だが、声は出なかった。


 数秒そのまま固まったあと、頭を僅かに傾ける。


「確認者氏名、記録禁止」


「またか」


「遺体が見つかった場所は?」


「王城地下、封鎖区画」


「何の区画?」


「記録禁止」


「何でも消してるな……」


 フィンが低く呟いた。


 レオンも同じ気分だった。知りたい場所に近づくほど、名前や理由だけが綺麗に抜け落ちている。偶然ではなく、誰かが意図的に空白を作っている。


 その時、リネアが壁へ近づいた。


「待って」


「何?」


「この辺、前はなかった」


 彼女が指したのは、男が座っていた場所から少し離れた石壁だった。無数の古い文字に混じり、そこだけ色の違う傷がある。周囲の刻み目は黒ずみ、乾いた血や埃が入り込んでいるのに、その数行だけ石の内側が白く露出していた。


 新しい。


「最近刻まれた?」


 フィンが蝋燭を近づける。


 文字は乱れている。壁際の男が刻んだ整った記録とは明らかに違い、爪か何かで急いで引っ掻いたような線だった。


 レオンは身を屈め、読める部分を追った。


『白い髪』

『赤い目』

『勇者ではない』


 その下は削れすぎて判別できない。


「クラリスが見た奴のことか?」


「かもしれない」


 リネアの声が低くなった。


 さらに下へ光を向けると、もう一行あった。


『記録を探している』


 そして最後。


『鐘を知っている』


 レオンの背中に冷たいものが走った。


「鐘……」


 旧街道で聞いた、あの音が頭の奥に蘇る。


 リネアも文字を見たまま動かない。


「これ、誰が書いた?」


 レオンが壁際の男へ尋ねる。


「記録にありません」


「自分じゃない?」


「私の筆記ではありません」


「じゃあ、ここに誰か入ったんだ」


 最近。


 エリシアと同じ姿をした何者かが。


 百年以上封じられていた第三保管室へ入り、地下まで降り、何かを探していた。


「何を探してるんだ?」


 フィンが尋ねる。


 誰も答えられなかった。


 レオンは新しい傷の周囲をもう一度見る。文字の横に、何か小さな図形が刻まれていることに気づいた。


 円。


 その中に鐘のような形。


 だが、滅鐘教団の逆さ鐘とも、街道の石柱にあった古い印とも少し違う。


 三つの印を知っているからこそ、似ているのに違うことが分かる。


「リネア、これ知ってる?」


 彼女は答えなかった。


 灰色の目が、印を見たまま固まっている。


「知ってるんだろ?」


「……見たことはある」


「どこで?」


 リネアはゆっくりエリシアを見た。


「魔王城」


 エリシアの表情が僅かに変わる。


「魔王の印?」


「違う」


「じゃあ何?」


「私たちが魔王を倒した後、城の一番下で見つけたもの」


 レオンは眉を寄せた。


「そこに何があった?」


 リネアは答えようとしたが、その瞬間、壁際の男が突然立ち上がった。鎖が激しく床を叩き、これまで感情らしいものをほとんど見せなかった顔が恐怖に歪む。


「記録してはいけない」


「何?」


「それは記録してはいけない!」


 男は鎖が食い込むのも構わず後ろへ下がり、壁へ身体を押しつけた。


「名前を残すな。形を残すな。見つかる。見つかる――」


「落ち着け」


 レオンが近づきかけたところで、エリシアが腕を伸ばして止めた。


 男の残った右目は、誰も見ていなかった。


 レオンたちの後ろ。


 地下へ続く階段を見ている。


「来る」


 掠れた声だった。


 フィンが振り返る。


「誰が?」


 男の唇が震える。


「勇者様が」


 誰も言葉を返せなかった。


 エリシアはここにいる。


 リネアもいる。


 それなのに男は階段の上を見つめ、同じ言葉をもう一度口にした。


「勇者様が、また来る」


 次の瞬間、階段の上にある暗闇から、靴底が石を踏む音が聞こえた。

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