第七話 勇者の影・後編
倉庫の空気が張りつめた。
レオンはマルタを背後へ下がらせながら、二人の少女を見る。
同じ白い髪。
同じ赤い瞳。
同じ顔。
少し離れて立っているだけなら、鏡を挟んでいると言われても信じられそうだった。
「どっちが本物なんだよ……」
思わず口から漏れた。
リネアがレオンを見る。
「本物?」
唇が笑みの形になる。
「何をもって、本物と呼ぶの?」
「そういう哲学みたいな返しが一番困るんだけど」
「顔? 名前? 記憶? それとも――」
「リネア」
エリシアが遮った。
「それ以上、話さないで」
まただ。
レオンはエリシアを見る。
自分の過去へ近づきそうになるたび、この少女は誰かの言葉を止める。
だが、今は問い詰めている場合ではない。
「リネアって、お前は何者なんだ?」
「昔、旅をしていた人」
「誰と?」
リネアの視線が、ゆっくりエリシアへ向く。
「勇者様と」
レオンもエリシアを見る。
「お前と?」
答えはなかった。
代わりに、エリシアの剣が僅かに持ち上がる。
「マルタに何をした?」
「何も」
「ここへ連れてきた」
「来るかどうか決めたのは彼女よ」
マルタが後ろから声を上げた。
「それは本当だ」
レオンは振り返った。
「自分で来たんですか?」
「ああ。怪しいのは分かってたよ」
「じゃあ、何で?」
「セラの声を聞いたからさ」
マルタは苦い顔をする。
「偽物だと思った。でも、もし少しでも本当だったらって考えちまった」
その気持ちを、レオンは責められなかった。
「だから珠を?」
「誰か馬鹿が追ってくるかもしれないと思ってね」
「馬鹿で悪かったですね」
「ちゃんと来たんだから褒めてるんだよ」
いつもの調子だった。
レオンは少し安心して、再びリネアを見る。
「じゃあ、お前はマルタさんをここへ連れてきただけ?」
「そうね」
「さっきの白い手は?」
「私に聞くの?」
「ここにいたんだから聞くだろ」
リネアは答えなかった。
その沈黙が、肯定にも否定にも聞こえる。
「滅鐘教団と関係あるのか?」
レオンが尋ねる。
リネアの赤い瞳が細くなる。
「あなた、そこまで知ったのね」
「質問に答えろよ」
「今はまだ、知らない方が楽よ」
「最近そればっかり言われるんだけど」
隣のエリシアを見る。
「特にこいつに」
「レオン」
「分かってる。今はやらない」
思わずため息が出た。
リネアが小さく笑う。
「面白い子ね」
「そういう余裕ある感じ、ちょっと腹立つな」
「あなた、昔より――」
言葉が途中で止まった。
エリシアが踏み込んだ。
石床を蹴った音は小さい。
それなのに、一瞬で二人の距離が消えた。
剣が横へ走る。
リネアは身体を沈めて避け、そのまま後方へ滑るように下がった。
「おい!」
レオンが声を上げる。
「急に始めるな!」
返事はない。
エリシアは二歩目で距離を詰め、斜め下から剣を振り上げた。
リネアが腰の剣を抜く。
刃と刃がぶつかり、乾いた音が倉庫へ響いた。
火花が一瞬だけ飛ぶ。
リネアが押し返そうとするが、エリシアの身体はほとんど動かない。逆に剣の角度を僅かに変え、相手の刃を外へ流す。
リネアの胸元が空いた。
エリシアの剣先が喉へ向かう。
「速っ……」
レオンには、ほとんど何が起こったのか見えなかった。
リネアは大きく身体を反らし、ぎりぎりで剣先を避ける。
その勢いのまま床へ片手をつき、エリシアの脚を狙って蹴りを放った。
エリシアは半歩だけ下がる。
必要な距離だけ。
動きが小さい。
派手ではないのに、一つ一つに無駄がなかった。
「昔より強くなった?」
リネアが笑う。
「しゃべらないで」
「本当に変わらない」
剣がもう一度交差する。
今度はリネアが先だった。
右から斬り込むと見せ、途中で手首を返して刃を下へ落とす。
エリシアは剣の腹で受け流す。
その瞬間、レオンにはリネアの外套の裾が不自然に揺れたように見えた。
何かが剥がれた。
違う。
顔が揺れた。
「……え?」
一瞬だけ。
白い髪が黒く見えた。
赤かった瞳が灰色へ変わる。
頬には古い傷。
年齢も、エリシアより少し上に見えた。
だが瞬きをした次の瞬間には、もう白髪と赤い瞳へ戻っていた。
「今……」
レオンが言葉を失う。
見間違いではない。
エリシアの顔をしているが、あれが本来の顔ではない。
リネアもレオンの視線に気づいたらしい。
「あら」
ほんの少しだけ笑みが消えた。
その隙を、エリシアは逃さなかった。
踏み込む。
剣先がリネアの頬を掠めた。
細い傷が走る。
血は出なかった。
代わりに、傷の周囲が水面のように揺らいだ。
白い肌の下から、一瞬だけ別の肌色が覗く。
「やっぱり」
エリシアが呟いた。
「何がやっぱりなんだよ!」
レオンだけが完全に置いていかれている。
リネアは頬へ指を当てた。
「今日はここまでね」
「逃がさない」
「追ってくる?」
リネアの口元に、また余裕のある笑みが戻る。
「レオンを置いて?」
エリシアの動きが止まった。
「また俺かよ」
「大事にされてるのね」
「そういう言い方するな」
リネアは後ろへ下がる。
割れた窓。
その向こうには夜の水路が見えている。
「待て!」
レオンが走り出す。
リネアは窓枠へ足を掛けた。
「また会いましょう、レオン」
「お前には聞きたいことが山ほどあるから逃げるな!」
「なら、探して」
身体が夜の向こうへ消えた。
レオンが窓へ辿り着いた時には、もう姿は見えなかった。
下には黒い水路。
対岸には倉庫の屋根と細い道。
月明かりの中を一羽の鳥が飛び立っただけだった。
「……速すぎるだろ」
息を吐きながら窓枠へ手をつく。
「追う?」
エリシアが隣へ来た。
「追えるの?」
「分からない」
「じゃあマルタさん優先。俺、あんな屋根走れないし」
「うん」
「ちょっとは否定してくれてもいいんだけど」
返事はなかった。
◇
倉庫を出る前に、レオンは床へ落ちた小さな光に気づいた。
「何だこれ」
木箱のそばに、銀色の破片が落ちている。
拾い上げると、指二本ほどの大きさしかない薄い金属片だった。
片側には模様が刻まれている。
円。
その中に、逆さまの鐘。
「またこの印か」
滅鐘教団。
地下礼拝堂。
ミア。
白い手。
そしてリネア。
偶然とは思えない。
レオンは金属片を裏返した。
そこにも別の印があった。
一本の剣。
その左右に、大きく広げられた翼。
「……何だ、これ」
隣にいたエリシアの表情が変わった。
「知ってる?」
彼女はすぐには答えなかった。
レオンは銀片とエリシアを交互に見る。
「今度は本当に教えてくれ。さすがに関係ありそうだろ」
「……昔使ってた印」
「誰が?」
少し間があった。
「私たち」
「私たち?」
エリシアは銀片を受け取る。
親指で剣と翼の印をなぞる。
「魔王を倒す前。旅をしていた頃に使ってた」
レオンは、倉庫の割れた窓を見る。
さっきまでそこにいた少女。
「じゃあ、リネアも?」
エリシアは答えなかった。
だが今度の沈黙は、それだけで十分だった。
「一緒に旅してたのか」
「……うん」
ようやく返ってきた。
「勇者の仲間?」
「そう」
レオンは頭を掻いた。
また一つ分かった。
そして、それ以上に分からないことが増えた。
勇者エリシアと旅をしていた女。
今はエリシアと同じ顔をしている。
その女が持っていた金属片には、勇者一行の印と、滅鐘教団の印が同時に刻まれている。
「これ、どういうことなんだ?」
「分からない」
「本当に?」
「本当に」
今回は声に迷いがなかった。
エリシア自身も知らない。
それが分かっただけでも、いつもの「話せない」よりは少しだけましだった。
「じゃあ調べるしかないな」
「何を?」
「リネアのこと。お前たちのこと。それにこの印」
レオンは銀片を受け取る。
「街に記録とか残ってないの?」
「あると思う」
「じゃあ明日調べよう」
エリシアが何か言いかける。
「嫌って言っても調べるぞ」
「嫌とは言ってない」
「珍しいな」
倉庫の外へ出る。
夜風が水路を渡ってきた。
月は先ほどより高くなり、黒い水面に細長い光の道を作っている。対岸の古い屋根の向こうにはヴァルネ中心部の塔が見え、その周囲には無数の灯りが瞬いていた。
マルタが無事だった。
それだけでも今夜は十分なはずだった。
それなのに、レオンの頭からはリネアの顔が離れなかった。
正確には、エリシアと同じ顔ではない。
一瞬だけ見えた、本当の顔らしきもの。
黒い髪。
灰色の瞳。
頬の古い傷。
あれがリネアなのだとしたら、なぜ彼女はエリシアの姿をしていたのか。
そして何より。
『久しぶりね、エリシア』
あの言葉。
まるで、魔王が倒される以前から続く何かが、今も終わっていないようだった。
青鹿亭へ戻る道すがら、レオンは手の中の銀片を何度も確かめた。
片面には、逆さまの鐘。
もう片面には、剣と翼。
二つの印は、薄い一枚の銀を挟んで背中合わせになっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
初めての小説執筆ということもあり、試行錯誤しながら書いています。
感想や気になった点などありましたら、気軽にお聞かせいただけると嬉しいです。
続きも楽しんでいただけましたら幸いです。




