第七話 勇者の影・中編
倉庫の中は、外から想像したより広かった。
エリシアの後ろから足を踏み入れると、湿った木材と川の水が混ざったような匂いが鼻へ入ってくる。高い天井には太い梁が渡され、割れた窓から月の光が斜めに差し込んでいた。
昔は荷物の保管に使われていたらしく、壁際には壊れた樽や箱が積まれている。
その中央に、マルタが立っていた。
「マルタさん!」
呼ぶと、こちらへ顔を向ける。
「レオン……?」
無事だ。
少なくとも、まだ灰にはなっていない。
レオンは思わず息を吐きかけた。
しかし、マルタの正面にいる者を見て、その呼吸が止まった。
白い髪。
赤い瞳。
黒い外套。
腰に剣。
隣にいるエリシアと、同じ顔だった。
「……は?」
レオンは思わずエリシアを見る。
いる。
いつものエリシアが、すぐ隣に立っている。
もう一度、正面を見る。
やはり同じ顔をした少女がいる。
「いや、ちょっと待て」
頭が追いつかない。
「二人いるんだけど」
「見れば分かる」
「お前は落ち着きすぎだろ!」
だが、エリシアも完全に平静ではなかった。
赤い瞳が僅かに見開かれている。
その視線は、マルタではなく自分と同じ顔の少女へ向けられていた。
「……リネア」
名前が落ちた。
白髪の少女が微笑む。
「久しぶりね、エリシア」
知っている。
レオンは二人を交互に見る。
「知り合いなのか?」
返事はない。
リネアと呼ばれた少女は、エリシアではなくレオンへ目を向けた。
その瞬間、妙な感覚がした。
顔は同じなのに、まるで別人だった。
エリシアの視線は静かで、何を考えているのか分からないことが多い。対して目の前の少女は、同じ赤い瞳なのに笑いながらこちらの反応を観察している。
「あなたがレオン?」
「……俺を知ってるのか?」
「名前だけ」
「最近、俺の知らないところで俺の名前が有名になりすぎじゃない?」
冗談めかして言ったが、内心ではまったく笑えなかった。
まただ。
自分を知る人間が増える。
そのたびに、自分だけが何も覚えていない。
「マルタさんから離れろ」
エリシアが言った。
声が低い。
リネアは肩を竦める。
「別に捕まえてないわ」
「じゃあ何をしてる?」
「話していただけ」
「嘘」
「相変わらずね」
二人のやり取りに、レオンは口を挟めなかった。
知り合いどころではない。
長く会っていなかった者同士の空気だった。
「マルタさん、大丈夫ですか?」
レオンが尋ねる。
「ああ」
マルタは返事をしたが、いつもの豪快さはなかった。
「こいつが……セラの声を聞かせた」
レオンの身体が強張る。
「セラ?」
ミアとリリの母。
マルタの娘。
死んだあと戻らなかった未帰者。
「ここまで来たら、あの子がいた」
マルタが倉庫の奥を指した。
薄暗い床。
月明かりの届かない場所。
そこに黒い影が広がっていた。
最初は柱の影だと思った。
だが光の向きと合っていない。
地下礼拝堂で見たものを思い出す。
「また……」
黒い染みの中央から、白いものが現れた。
手。
人間の手だけが、暗闇から伸びてくる。
『母さん』
女の声がした。
優しい声。
レオンは知らないはずなのに、ミアの記憶で一度聞いている。
セラの声を真似たもの。
『母さん、こっちへ来て』
マルタの顔が歪む。
「やめな」
『もう大丈夫だから』
「やめなって言ってるのが聞こえないのかい!」
白い手がさらに伸びる。
『ミアもいるよ』
レオンは息を呑んだ。
マルタの肩が震えた。
娘だけではない。
今度は、消えたばかりの孫まで使っている。
『こっちに来れば、みんな一緒――』
「ふざけるんじゃないよ」
マルタが一歩下がった。
声は震えていた。
それでも、白い手へ近づこうとはしない。
「セラはそんな言い方しない。ミアだって、私を連れていこうなんて絶対に言わない」
黒い影が揺れる。
「何十年、あの子の母親やってたと思ってるんだい」
レオンはマルタの横顔を見る。
強がっているのかもしれない。
声の主が偽物だと分かっていても、娘の声を聞けばつらいはずだ。
それでも手を取らない。
「マルタさん、こっちへ!」
レオンが手を伸ばす。
マルタが一歩こちらへ動いた。
その瞬間、白い手が大きく伸びた。
「エリシア!」
言うより早く、銀色の光が走った。
エリシアの剣が黒い影と白い腕の間を切り裂く。
金属を斬ったわけでもないのに、高い音が倉庫へ響いた。
白い手が霧のように崩れ、黒い影が急激に縮んでいく。
『――母さん』
最後に声だけが残り、消えた。
倉庫へ静けさが戻る。
水路を流れる水の音が、壁の向こうから聞こえてきた。
「……今の、斬れるのか?」
レオンが尋ねる。
「一応」
「何を斬ったんだ?」
「分からない」
「分からないのに斬ったの?」
「危なかったから」
「お前らしいな……」
レオンはマルタの腕を取り、自分たちの方へ引き寄せた。
「怪我は?」
「ないよ」
「本当に?」
「しつこいね。大丈夫だ」
いつもの調子が少し戻っていた。
安堵した、その時。
乾いた拍手が響いた。
「さすがね」
リネアだった。
「昔から、考える前に斬るところは変わらない」
エリシアの剣先が、今度はリネアへ向いた。
「黙って」
「それも変わらない」
リネアは楽しそうに笑った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
初めての小説執筆ということもあり、試行錯誤しながら書いています。
感想や気になった点などありましたら、気軽にお聞かせいただけると嬉しいです。
続きも楽しんでいただけましたら幸いです。




