第七話 勇者の影・前編
「探そう」
そう言ったものの、夜のヴァルネはレオンが思っていたよりずっと広かった。
青鹿亭の扉を出ると、昼間まで灰色だった石造りの街は、等間隔に灯された街灯の黄色い光に染まっていた。大通りにはまだ食堂や酒場の明かりが残り、開け放たれた窓から笑い声が漏れている。煙突から立ち上る煙は暗い空へ溶け、屋根の向こうには薄い雲の間から欠けた月が覗いていた。
どこかにマルタがいる。
そう考えて周囲を見ても、行き交う死者たちの中から一人を探し出すのは簡単ではない。
「どこから探す?」
レオンが尋ねると、エリシアは青鹿亭の裏手へ目を向けた。
「リリは、裏から出たって言ってた」
「じゃあ、まずそこか」
二人は建物の脇を通り、見慣れ始めた細い路地へ入った。
昼間に地下への入口を見つけた場所だ。
建物同士の間は狭く、頭上に見える夜空も細い。窓から漏れる灯りが石壁へ四角く落ち、地面を流れる浅い水路には月と灯火が歪んで映っていた。
レオンは足元を見ながら歩く。
「足跡……は無理か」
昼間より人の出入りが増えたせいで、泥の痕はほとんど残っていない。何人もの靴跡が重なり、どれがマルタのものなのか区別できなかった。
「匂いとか追えない?」
エリシアがレオンを見る。
「俺は犬じゃないぞ」
「そう」
「本気で聞いたのか?」
「少し」
「俺に何を期待してるんだよ……」
返事をしながら路地の奥へ進んだところで、足元に小さな光が見えた。
レオンは足を止める。
「待って」
石畳の隙間に、赤いものが落ちている。
拾い上げると、小指の爪ほどの小さなガラス玉だった。穴が開いており、細い糸を通して使うものらしい。
「これ……見覚えあるな」
記憶を探る。
青鹿亭。
カウンター。
食器を拭くマルタ。
その手首。
「マルタさんが着けてたやつじゃないか?」
細い紐へ、赤い珠をいくつも通した飾りを腕に巻いていた。
はっきり意識して見ていたわけではない。それでも、毎日のように動かす腕についていた赤い色だけは目に残っている。
エリシアが珠を受け取り、灯りへ翳した。
「割れてない」
「落とした?」
「たぶん」
レオンは周囲を見る。
偶然かもしれない。
けれど、マルタが消えた直後に、その持ち物らしいものが進行方向へ落ちている。
「先を見よう」
再び歩き始める。
路地を出ると、道は三つに分かれていた。
右にはまだ人通りの多い市場。
左は住宅地。
正面には下り坂が続き、その先に古い地区の屋根が重なっている。
「これだけじゃ方向が――」
言いかけて、レオンはしゃがみ込んだ。
正面へ続く坂の端。
排水溝のそばに、もう一粒。
赤い珠が落ちていた。
「偶然じゃないな」
「うん」
二つ目は、分岐の直後。
まるで進む方向を示すように落とされている。
マルタはただ連れ去られたわけではない。
「自分で落としてる?」
「たぶん」
「じゃあ意識はあるんだ」
少しだけ希望が湧いた。
同時に疑問も生まれる。
「でも、何で逃げなかった?」
リリの話では、マルタは相手を見て『勇者様』と呼んだという。
エリシアと同じ白い髪の女。
知っている相手だったのか。
それとも、逃げられない理由があったのか。
「行こう」
二人は坂を下った。
◇
中心街から離れるにつれ、ヴァルネの景色は少しずつ変わっていった。
大通りに並んでいた三階建ての石造りの店は減り、代わりに古い木造の家や倉庫が増えていく。閉じられた店先には空の木箱が積まれ、壁を這う蔦が窓枠まで伸びていた。
道も狭くなり、石畳の隙間には草が生えている。
それでも完全に人がいないわけではない。
軒下では老人が椅子に座って煙管を咥え、窓の向こうからは食器の触れ合う音が聞こえる。路地を横切った灰色の猫が二人を見ると、しばらく立ち止まったあと尻尾を立てて暗がりへ消えていった。
「猫も普通にいるんだな」
「いるよ」
「前から思ってたけど、人間だけがこうなってるの、やっぱり変じゃないか?」
エリシアは前を向いたまま答えなかった。
その沈黙も、もう少しずつ慣れてきた。
レオンは三つ目の赤い珠を拾う。
今度は交差点の角だった。
「完全に道案内だな」
手のひらには三粒。
マルタは自分がどこへ連れていかれるのか分からないまま、それでも誰かが追えるように痕跡を残している。
「結構冷静だな、マルタさん」
「強いから」
「知ってるの?」
「昨日見た」
「それだけ?」
「十分」
「お前の人物評価、基準が独特だな」
四つ目。
五つ目。
珠を追うたび、街の灯りは少なくなっていった。
やがて二人は、街の東側を流れる古い水路へ出た。
幅はそれほど広くないが、黒い水がゆっくり流れている。岸には低い石壁が築かれ、その向こうには使われなくなった倉庫が何棟も並んでいた。
水面では月の光が波に崩れ、風が吹くたび岸辺に生えた草が擦れ合う。
大通りの喧騒はもうほとんど聞こえない。
「ここ……人いないな」
「夜は使われてないみたい」
エリシアが答える。
レオンは無意識に火かき棒を握り直した。
未だに武器らしい武器はこれしかない。
「そろそろ本気で剣欲しいな」
「使えないのに?」
「今日はそれ言うなよ」
六つ目の珠は、水路沿いの道へ落ちていた。
その先には半分崩れた石橋がある。
二人が橋の下を通り抜けた時、声が聞こえた。
女の声。
「――違う」
レオンは足を止めた。
「マルタさん?」
エリシアも聞こえたらしい。
二人は視線を合わせ、声の方向へ進む。
水路沿いに建つ古い倉庫の一つ。
扉が僅かに開いていた。
隙間から、白っぽい光が漏れている。
レオンの胸が速くなる。
エリシアが剣へ手をかけた。
「私が先」
「分かった」
今度は素直に従った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
初めての小説執筆ということもあり、試行錯誤しながら書いています。
感想や気になった点などありましたら、気軽にお聞かせいただけると嬉しいです。
続きも楽しんでいただけましたら幸いです。




