第六話 帰らない者たち・前編
地下礼拝堂から地上へ戻った時、太陽はすでに西へ傾き始めていた。
青鹿亭の裏路地に差し込む光は黄色みを帯び、石壁の上部だけを明るく照らしている。地下の湿った空気に長くいたせいか、地上を吹く風は思っていた以上に暖かく感じられた。
大通りへ出ると、そこには地下へ入る前と変わらないヴァルネの日常があった。
荷車が石畳の継ぎ目を越えるたびに車輪を鳴らし、露店では果物を並べた店主が客を呼び込んでいる。軒先へ吊るされた布が風にはためき、その下を二人の子供が走り抜けた。少し先では馬が水桶へ鼻先を入れ、尻尾でしつこい虫を追い払っている。
レオンは足を止め、その光景をしばらく眺めた。
「……何か変な感じだな」
「何が?」
「この街の下に、さっきの場所があること」
足元の石畳を見る。
今もその下には、逆さまの鐘を祀った礼拝堂が残っている。ほんの数メートル上では、何も知らない人々が買い物をし、仕事をし、誰かと笑っている。
地下で見つけた紙は、服の内側へ入れてあった。
七人の名前。
そして、その先に記された四人。
「まず衛兵に見せる?」
エリシアが尋ねる。
「そのつもりだけど、その前に確認したい」
「何を?」
レオンは紙の上から触れずに、その位置を確かめた。
「ミアとガレスには共通点があった。二人とも、死んだのに戻ってこなかった家族がいる」
ミアの母、セラ。
ガレスの妻、リナ。
どちらも死んだあと、この世界の他の人間のようには戻らなかった。
「もし七人全員が同じなら、あの声が適当に誰かを真似してるわけじゃないことになる」
エリシアが僅かに目を細めた。
「調べる場所、分かる?」
「俺が知るわけないだろ」
「じゃあ衛兵」
「結局そこか」
二人はヴァルネの中心部へ向かって歩き始めた。
◇
衛兵詰所は、正門からそれほど離れていない場所にあった。
街の中心部に近づくにつれ、通りを歩く人の数も増えていく。二階や三階まである石造りの建物が道の両側へ並び、上階の窓からは洗濯物や小さな鉢植えが見えた。
夕食の準備を始めた店もあるらしく、どこからか焼いた肉と香草の匂いが漂ってくる。
その匂いに腹が反応しそうになり、レオンは思わず腹を押さえた。
「……こんな時でも腹減るんだな」
「生きてるから」
「お前、絶対その答え気に入ってるだろ」
「便利だから」
「認めるんだ」
少しだけ笑った。
緊張が続いている時ほど、こういうくだらないやり取りがありがたかった。
詰所は他の建物より壁が厚く、入口の上にはヴァルネの紋章らしい鳥の意匠が彫られていた。扉の前には槍を持った衛兵が立ち、脇には何頭かの馬が繋がれている。
そのうちの一頭がレオンを見て鼻を鳴らした。
大きな黒い目。
動く耳。
鼻から吐き出される息。
一瞬だけ、レオンは足を止めた。
「どうしたの?」
「いや……」
馬の首筋には毛があり、その下には確かに温かそうな身体がある。
昨日から死者ばかりを見ていたせいか、生きている動物の何気ない仕草に妙な安心を覚えた。
「何でもない」
詰所へ入った。
◇
中には十人ほどの衛兵がいた。
壁には街の地図や巡回経路が貼られ、中央の机には書類が山のように積まれている。奥では一人の兵士が靴を脱ぎ、欠けた足の骨へ革紐を巻き直していた。
昨日、青鹿亭へ来た長身の衛兵を見つける。
「また君か」
男は書類から顔を上げ、レオンとエリシアを見た。
「今度は何を見つけた?」
「俺、そういう扱いになってます?」
「この街へ来て二日で二度目の死と地下礼拝堂を見つけたなら十分だろう」
「……確かに」
反論できなかった。
レオンは地下で見つけた紙を机へ置く。
衛兵は最初、何気なくそれを手に取った。
やがて表情が変わる。
「これはどこで?」
「青鹿亭の裏から地下へ入った先です。逆さ鐘の礼拝堂があって、その奥の部屋に置いてありました」
「誰かいたか?」
「いました。滅鐘教団を名乗ってはいなかったけど、同じ印を使ってた」
衛兵の指が紙の上を動く。
「ミアの名前もあります」
レオンが言った。
「それとガレス。まだ消えてないけど、昨日この場所で二度目の死を選ぶか迷ってた」
「ガレス……」
衛兵は名前を知っていたらしい。
「北区の鍛冶屋だ。何度か揉め事で世話になったことがある」
「揉め事?」
「酒を飲むと喧嘩する」
「思ってたより元気な人だな」
衛兵は小さく笑ったが、すぐに紙へ視線を戻した。
「この七人は、これまで確認されている二度目の死者と一致している」
レオンの予想は当たっていた。
「じゃあ、下の四人は?」
「分からない」
「まだ消えてない?」
「少なくとも報告はない」
衛兵が別の兵士を呼び、紙を見せる。
二人は短く話したあと、奥の棚から分厚い帳簿を何冊か運んできた。
「何の記録です?」
「死亡届だ」
「死亡届?」
「正確には、死後確認記録だな」
衛兵は帳簿を机へ置く。
かなり古い。
革張りの表紙は角が擦れ、紙も茶色く変色している。開くと、細かな文字と日付が何列にも並んでいた。
「人が死んだら記録するんですか?」
「街の中ならな。死亡日、死亡場所、死因。それから、死後に再び動き始めたことを確認した日」
レオンは帳簿を覗き込む。
奇妙だった。
日本の死亡届と似ている部分がある。
だが、この世界では死んだ日で記録が終わらない。
その横に「帰還確認」という欄がある。
「……帰還?」
「死後に起き上がったことを確認した、という意味だ」
ほとんどの名前には日付が書かれていた。
死んだ翌日。
同じ日。
数日後。
その中に、何も書かれていない欄がある。
「空欄があります」
「ああ」
衛兵は別の帳簿を引き寄せた。
表紙には別の文字が書かれている。
『未帰届』
レオンはその文字をゆっくり読んだ。
「みき……?」
「未帰者。死んだあと、戻ってこなかった者だ」
聞いた瞬間、セラとリナのことが浮かんだ。
「そんな呼び方があるくらい、珍しくない?」
「珍しい。だが、なくはない」
帳簿を開く。
死んだ人間の名前。
年齢。
死亡場所。
家族。
最後に身体が確認された場所。
その後、どれだけ探しても死者として姿を現さなかった者たち。
「セラを探してください」
レオンが言う。
「ミアの母親です」
衛兵が索引を確認する。
しばらくして、指が止まった。
「セラ・イルヴェン。十四年前」
レオンは記録を見る。
病死。
自宅。
死亡を家族が確認。
翌朝、遺体消失。
帰還確認なし。
未帰届提出。
「やっぱり……」
「他にいるか?」
「リナ。ガレスの奥さん」
今度も見つかった。
死亡は三十年前。
事故死。
死後、帰還なし。
そして未帰届。
レオンは地下で見つけた紙の七人を順番に読み上げた。
一人目。
兄が未帰者。
二人目。
息子が未帰者。
三人目。
夫。
姉。
父。
母。
七人目がミア。
調べ終わった時、レオンは椅子の背へ身体を預けた。
「全員だ」
偶然ではなかった。
二度目の死を迎えた七人全員に、死んだあと戻ってこなかった大切な誰かがいる。
そして、その人物の声を使って近づいてくる。
「待ってください」
レオンはもう一度、地下の紙を見る。
「ガレスも同じだった。ってことは、残り四人も……」
衛兵が未帰届を調べ始める。
三人目まで確認したところで、結果は同じだった。
誰かを失っている。
死んだのに、帰ってこなかった誰かを。
そして、最後の名前。
衛兵の指が止まった。
レオンもその名前を見た。
「……マルタ?」
青鹿亭の主人。
ミアとリリの祖母。
レオンの背筋に冷たいものが走った。
「マルタにも、未帰者が?」
衛兵が別の帳簿を開く。
紙をめくる音が妙に大きく聞こえた。
「……いる」
「誰です?」
衛兵は記録へ目を落とした。
「夫だ」
レオンは立ち上がった。
「青鹿亭に戻る」
「待て、兵を――」
「待てない」
椅子が床を擦る音を残し、レオンは扉へ向かった。
エリシアも何も言わず後へ続いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
初めての小説執筆ということもあり、試行錯誤しながら書いています。
感想や気になった点などありましたら、気軽にお聞かせいただけると嬉しいです。
続きも楽しんでいただけましたら幸いです。




