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 そして、それから半年ほどたった後のことです。

 ファラルア夫妻が帰って来ました。

 顔色も悪く、とてもやつれて果てて見えました。

 馬の蹄が鳴る音。それに反応する人々。どんな知らせがあるのだろと屋敷に集まってきました。

 旦那様の手に握られているのは、王都で配られていた新聞のようです。旦那様はそれが皆の手に渡るように配りました。

 子どもも大人も興味津々です。

 ファラルア夫人も旦那様のお側にいます。

 旦那様が言いました。


「遅くなって、すまなかった」


 旦那様のお言葉に、人々は耳を傾けます。


「王と直接話をするというのは、噓であった。実はこの半年間で、我々は王の暗殺を企てていた。王のいない国を作るために」


 ざわりとさざ波のように人々の声が響いています。リリア様もファラルア夫人も執事も、このことは知りませんでした。執事の首筋に、冷たい汗が一粒流れます。


「王はきちんと殺したのだ。王都の者たちからの抵抗を押しのけて、な。しかし、どこからともなくやって来た王子を名乗る者が、王の座に着いた」


 隣に立つリリア様の喉元から、ひゅうと空気の抜けるような音が洩れました。リリア様は無意識のうちに、執事の手を握りました。執事は、握り返します。

 賢い執事だけが薄々感じていた予感を振り払うことは出来ませんでした。


「その新聞に写真が載っている。……我々はそいつの手助けをした者を、罰することに決めたのだ。次の満月の日、問答無用で石の牢獄の前にて処刑とする。これは我々で決めたことである」


 石の牢獄は、ここファラルアの領地と他四つの領地の中心に位置するところにある牢獄です。ここに入った者は、生きて出られることはないとされています。


 ああ、どうか。どうか。違いますように。


 リリア様は新聞を、ぺらりと捲りました。


 大きく載っている白黒の写真。

 ただ、わかりやすいように瞳が澄んだ紫色に塗られていました。






──シュードさん






 リリア様の小さな声が、執事の耳の中に滑り込みました。

 人々の、ぴんと張り詰めるような雰囲気が漂います。

 執事の影で細い指を組んで、祈るリリア様。

 それを裂く者がおりました。

 シュードさんの馬を盗んだ男が言いました。 



「この屋敷で匿ってた男じゃないか」




 背筋がぶわりと粟立ちました。

 旦那様がその男に近づいて、どういうことなのか訊ねます。


「へい、旦那様。この男は、リリアンヌ様のお屋敷で一週間ほど過ごされました」


「リリアンヌ、レオンハルト。これは一体どういうことだ」


「違うの、お父様! その男が彼の馬を盗んだのよ、それからシュードさんは屋敷に辿り着いて……」


「馬を……? どいうことだ」


「旦那様。俺はいち早く勘付いて、移動できないように馬を盗んでおいたのですよ」


「……貴方が馬を盗まなければっ」


 この状況で不利なのはリリア様です。

 このまま事が進んでゆけば、リリア様は自分が罪を被ってしまうでしょう。誰にも迷惑をかけたくない、お優しい心の持ち主ですから。


 リリア様は、執事の正義で、執事の全てです。



「旦那様。私は彼が王子だと言うことに気付いておりました」



 リリア様をお守りすることは、執事にとって当然のことでしょう。


「レオ!」



「旦那様。私が王子様のために荷を用意し、馬を用意しました」


 リリア様がご無事であれば、執事はどうってことないのです。掴まったとしても。

 ただ、心残りなのはリリア様の周りの邪魔な存在を排除していないことでした。

 そう思った執事は、仕込んでおいたナイフで男の喉を切り裂きました。
































 石の牢獄は、とても冷たいところでした。

 執事の他にも、数人の者たちがここにいます。シュードさんが王子だと言うことを知らずにいた者たちでしょう。

 一番の罪人は、執事です。王子に加担し、さらに人まで殺してしまったのですから。

 ここにいる誰もが絶望を表した顔をしていましたが、執事はにっこり微笑んでいました。

 なぜならリリア様が毎日会いに来てくれるからです。

 黒い髪を弄って、眉を寄せて、瞳に澄んだ雫を溜めて、唇を震わせるのです。

 日に日に弱々しくなっていくリリア様に、執事は自分がいなくなった後のことを考えます。

 この先の未来を歩み、人々を導くであろうリリア様。優しく、朗らかで、強い心を持ち、剣術にも長けているリリア様。この方に足りないのは、なんなのでしょうか。

 きっと、誰かを切り捨てる判断でしょう。

 犠牲がなければ、人は前に進むことはできません。

 他人を捨てて自らの命を守る者。自分を捨てて子どもに全てを託す者。たくさんの人が何かしらの犠牲を経て、望むべき道に進むのです。

 執事は、リリア様の犠牲になることを望みました。







 月が満ちる前の晩のことでした。


 リリア様は細い手を、鉄格子の向こうの執事へ伸ばしました。執事がその手をしっかりと取ると、リリア様は口を開きます。


「レオ、私は貴方を、あ──」


 執事は可愛らしいリリア様の唇を、指でそっと塞ぎました。


「リリア様、私が死ぬときに、いけませんよ。私は謀反者ですからね」


「……」


 艶々の黒い髪に触れると、執事の寒気は吹き飛びます。

 青い瞳に見つめられると、執事は元気になります。

 甘い香りを吸い込むと、執事は癒されていきます。

 こぼれる透き通った涙に、執事は綺麗になった気がします。

 にっこりと笑顔を向けられると、執事の心は弾みます。





「貴女の手で死ぬことが出来れば、私は楽園にいけるでしょう」 
























 月が満ちました。くらげのようなお月さまが、煌々と執事を含めた数人を照らしています。背に触れるレンガはとても冷たく、まるで暗い海に沈んでいるようです、

 銃を持った、雇われ兵たちが揃って歩いてきました。

 その後ろで旦那様や、王様を暗殺しようと企てた人々がこちらを鋭く睨んでおります。

 リリア様だけが、暗闇に咲く一輪の花のように佇んでいました。執事は死にゆく様をリリア様に見守ってもらえる喜びと、汚く死にゆく姿を見られることがなんだか恥ずかしくなりました。執事の夢が一つ叶うので、羞恥を飲み込みました。


「王子に加担した不届き者たち。お前たちを、処する」


 旦那様の一言で、兵たちが一斉に銃を構えました。

 執事は一度、リリア様を視界に収めると目を瞑りました。

 銃弾が頭を撃ち抜くのを、あとは待つばかりです。

 こつり。靴音が響きました。






「待ちなさい」








 執事が目を開くと、黒髪をふわりと揺らすリリア様が目の前に立っていました。

 旦那様の焦る様子も見えました。




「お父様、少しばかりのお時間を、お許しください。レオに──執事に主としての最期の言葉を」




 リリア様は旦那様と兵たちに会釈をすると、執事の方へ顔を向けました。いつもの愛らしい笑みでした。手を縛られていなければ、抱きついてしまいたいほど可愛らしい。




「レオ、よく聞きなさい」




 凜とした美しい声音です。


 リリア様の後ろでは夜空が広がり、煌々と光る満月がとても眩しくありました。

 膝をつき、執事の頰を撫でました。

 澄んだ空の色の瞳に、執事の顔が映っています。







「私は貴方のような裏切り者を許さない。貴方が地獄に落ちても、どこにいようとも私は貴方を果てまで追いかけるわ」





 そうして、手に隠し持っていたナイフを私の心臓に一刺ししました。執事の身体は大きく跳ねました。熱く漏れ出す赤い液体に、リリア様は汚れていきます。

 笑顔を崩すことなく、さらに奥深くまでナイフを押し込みました。


 あふれだすのは、たくさんの記憶。


 リリア様が初めて私の名を呼んだ記憶。


 リリア様が私を抱き締めてくれた記憶。


 甘い香りに、可愛らしい姿。青空の下で、手を取り合って駆け抜けた愛おしく、狂おしい日々。


 ああ、リリア様。


 貴女の黒い髪を。


 貴女の青い瞳を。


 貴女のとろける輪郭を。


 貴女の甘い声を。


 貴女の花のような香りを。


 貴女の優しさを。


 貴女の強い心を。


 貴女の弱い心を。




 愛しています。


 愛しています。


 愛しています。


 愛しています。


 愛しています。


 愛しています。




 私の愛は届いていましたか?












 リリア様の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ、私の頰に落ちました。

 何度もナイフを振り上げては、心臓に落ちる愛の形。


 愛してる。


 愛してる。


 愛してる。


 愛してる。


 愛してる。


 愛してる。










「レオ! 貴方は私の執事(もの)よ!」






 なんと幸せなことだったでしょう。

 なんと幸せなことだったでしょう。

 貴女の腕の中で、息絶えることができるだなんて。

 リリア様に仕えることが出来て、私は幸せでした。

 私の正義で、私の全て。

 私は、貴女を愛しています。










「貴方を永遠に忘れることなどない! また出会ったときは、一生貴方に噛みついてやるわ!」














 なんて、嬉しい






 愛の言葉。







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