第8話 プロジェクト・ホエーラー
研究区画へ続く通路は、人間が作ったものだった。
それまでの黒い金属と幾何学的な壁面とは違う。錆びた鋼材、剥がれた塗装、天井から垂れ下がるケーブル。床には凍結した水が薄く広がり、壁の隅には古い工具が散乱していた。
人類が建設した施設。
しかも、かなり長い間放置されている。
「ここは古代文明の区画じゃないな」
「はい。人類側の増設区域です。施設構造と使用材料から、古代構造物とは明確に区別できます」
「どこの国が作った?」
「記録上の名称はPROJECT WHALER。米国主導の極地研究計画です」
「捕鯨計画、か」
雄馬は、通路の先にある扉を見た。
白い塗装は剥げ、中央には英語で研究区画と書かれている。その下には、何度も塗りつぶされたらしい紋章の跡があった。
扉を押すと、低い軋みとともに開いた。
室内には、机と端末が並んでいた。
椅子は倒れ、書類は床に散らばっている。壁際には大型の冷却装置が並び、その一部は配管が裂けていた。
人間の気配はない。
だが、雄馬は違和感を覚えた。
廃墟のはずなのに、机の上に置かれた端末の一つだけが、薄い光を放っている。
「ノエル、起動できるか?」
「人類側の端末です。接続を試みます」
数秒後、画面に英語の文字が浮かんだ。
次いで、古い映像記録が再生される。
白衣を着た男性が映っていた。疲れた顔をした中年の研究者だ。背後には、巨大な掘削装置と、岩盤のような黒い壁が見える。
『記録番号WH-071。地下構造物の追加調査について報告する』
映像の男は、カメラを見ずに話し続けた。
『掘削チームは、当初の想定よりも深い位置で人工的な空洞を発見した。壁面は既知の金属材料ではなく、測定器の結果も安定しない。熱を加えても反応せず、衝撃を与えると、加えた力とは異なる方向に振動が伝わる』
男が画面の外へ視線を向ける。
『問題は、これが単なる遺跡ではないことだ。内部には稼働中の機構が存在する。誰が、何のために作ったのかは分からない。しかし、我々が発見したのは、建造物ではなく、何らかの巨大な装置なのかもしれない』
映像が乱れた。
別の記録へ切り替わる。
今度は、複数の研究者が黒い構造物を囲んでいた。測定器の針が激しく揺れ、画面の端には赤い警告表示が出ている。
『エネルギー反応を確認。出力は、これまでの異常領域から回収したエネルギーに酷似している』
別の声が答えた。
『ならば利用できるはずだ。施設全体を動かせれば、異常領域の発生を制御できるかもしれない』
『逆だ。制御できないものを起動すれば、何が起きるか分からない』
『だからこそ研究するんだ。国家予算を投入している理由を忘れるな』
映像はそこで途切れた。
雄馬は無言で画面を見つめた。
異常領域を利用するために、古代施設を掘り当てた人間たち。
彼らは未知の力を前にしても、手を引こうとはしなかったらしい。
「ノエル。記録にあるエネルギー反応は、さっきの防衛機構と同じか?」
「完全な一致ではありません。しかし、共通する特徴があります」
「人類側は、この力を利用しようとしたんだな」
「そのように推測できます」
雄馬は、床に散らばった書類を拾い上げた。
大半は凍結や劣化で読めなかったが、一枚だけ日付と人名が残っていた。
六年前。
その文字を見た瞬間、彼の指が止まった。
日付は、雄馬が参加した探索任務の直前だった。
「……おい、ノエル。これを見ろ」
端末に記録を読み込ませる。
ノエルは数秒間沈黙した。
「記録の日付と、あなたの過去の探索任務の日付に関連性があります。追加照合を行います」
「やっぱり、無関係じゃないのか」
「現時点では断定できません」
「断定できない、か」
雄馬は苦く笑った。
これまで何度、同じ言葉を聞かされてきたことか。
証拠がない。記録がない。確認できない。
その結果、彼は罪人にされた。
だが、今度は違う。目の前に記録がある。調べるべき場所もある。
「続きを再生しろ」
「了解しました」
映像の最後に、短いファイルが表示された。
タイトルは、最終観測記録。
再生すると、暗い研究室が映った。
机に向かっているのは、一人の研究員だった。顔はやつれ、目の下には濃い隈がある。彼は何度も背後を振り返りながら、低い声で話し始めた。
『これを見ている者がいるなら、計画はすでに失敗している可能性が高い』
研究員は息を整えた。
『地下構造物は、我々が考えていたようなエネルギー源ではない。あれは何かを封じている。あるいは、何かから地球を隠している』
彼の声が震えた。
『上層部は聞く耳を持たない。起動実験を中止させなければならない。だが、管理区画は封鎖され、私たちは――』
映像の奥で、何かが動いた。
研究員が振り向く。
『来るな。まだ、起動していないはずだ……』
映像が乱れ、ノイズに覆われた。
最後に、研究員の顔が画面いっぱいに映った。
雄馬は息を呑んだ。
見覚えがある。
名前は知らない。会ったことがあるのかどうかも分からない。
それでも、顔だけは記憶の奥に引っかかっていた。
「ノエル。こいつは誰だ?」
ノエルが顔写真とデータを照合する。
「人物照合を実行。該当候補を確認しました」
「名前は?」
「研究員、エドワード・ハリス。六年前、地下研究区画で消息を絶っています」
雄馬は、画面を凝視した。
六年前に失踪した研究員。
そして、自分が冤罪を着せられた探索任務。
点と点が、少しずつつながり始めていた。
だが、答えはまだ見えない。
画面の隅に、未確認のファイルが一つ残っていた。
そこには、たった一行だけ記されていた。
――観測対象、地球外反応。




