第28話 死んだはずの男
旧市街東部へ向かう道は、瓦礫と放置車両で塞がれていた。
雄馬は崩れた歩道を進みながら、ノエルとの通信を試みていた。
「ノエル、聞こえるか」
『……聞こえています。周辺の空間歪曲反応が増加しています。移動には注意してください』
「近くに裂界種はいるか?」
『複数の反応を検知。ただし、個体数と正確な位置は特定できません』
「分かった」
通信は途切れがちだったが、最低限の情報は得られる。
雄馬は小鳥遊から渡された地図を確認し、倒壊したビルの間を抜けた。
やがて、道路の先に小さな広場が見えた。
避難誘導に使われていたらしい場所だ。簡易フェンスが倒れ、救助用の車両が横転している。広場の奥には、数人の民間人が壊れたバスの陰に身を潜めていた。
その前に、裂界種が立っている。
体長は二メートルほど。先ほどの個体より小さいが、両腕が異様に長く、先端には鋭い刃のような器官が伸びていた。足元の空間が歪み、怪物の輪郭が時折二重に見える。
雄馬は、まず避難民の位置を確認した。
距離は二十メートルほど。怪物が正面を向いているため、接近すればすぐに気づかれるだろう。
「ノエル。あの個体の動きを分析できるか?」
『空間歪曲反応を確認しました。短距離の位相移動を行う可能性があります。通常の速度だけで接近すると、攻撃を受ける危険があります』
「短距離の転移か。面倒だな」
雄馬は、道路脇に転がっていた金属片を拾った。
怪物から少し離れた場所へ投げる。
金属片が路面に当たり、甲高い音を立てた。
裂界種が即座に反応した。頭部を音の方向へ向け、次の瞬間、空間が揺らいだ。
怪物の姿が消える。
金属片の落ちた場所に、裂界種が現れた。
「やはり、短距離移動か」
移動距離は五メートルほど。発動直前には、足元に円形の歪みが生じていた。
雄馬は次元刃を起動せず、位相装甲だけを展開した。
今は、敵の能力を見極めることが優先だ。
彼は別の金属片を拾い、今度は怪物の背後へ投げた。裂界種が反応し、再び空間を跳び越える。
移動した瞬間、怪物の輪郭が一瞬だけ不安定になった。
その隙を、雄馬は見逃さなかった。
地面を蹴り、怪物の横へ回り込む。裂界種が振り返るより早く、彼は位相装甲で前脚の一撃を受け流した。
次元刃が閃く。
怪物の長い腕が、根元から切り落とされた。
裂界種は奇妙な声を上げ、残った腕で雄馬を薙ぎ払おうとする。彼は一歩下がり、攻撃の軌道を見切った。
「もう終わりだ」
刃が、怪物の胸部を斜めに切り裂いた。
裂界種の身体が崩れ、紫色の粒子となって消えていく。
雄馬はすぐに避難民のもとへ向かった。
「全員、怪我は?」
「一人、腕を……」
年配の男性が、隣に座り込んでいる若い女性を指した。女性の腕には血がにじんでいるが、命に関わる傷ではなさそうだった。
「救助隊が来るまで、ここから動くな。音を立てずに待っていろ」
「あなたは……?」
「通りすがりだ」
雄馬はそれだけ答え、周囲を警戒した。
遠くから、車両の音が近づいてくる。小鳥遊たちが追いついてきたのだろう。
彼は再び装甲を解除した。
その瞬間、視界の端に小さな警告が表示された。
――旧式識別信号を検出。
雄馬は眉をひそめた。
「何だ、これは……」
『雄馬。あなたの装備が、地上の旧式識別システムと接続したようです』
「俺は何もしていないぞ」
『エグザリアが周辺の通信網を自動走査した可能性があります。識別情報が、近隣の管理局端末へ送信された形跡があります』
「……まずいな」
彼は端末を操作しようとしたが、すでに送信は終わっていた。
六年前の探索者登録情報。神代雄馬。元Aランク。アルカディア・クラン所属。
そして、現在の登録状態――死亡扱い。
古いデータが、現代の管理局システムへ流れ込んだのだ。
雄馬は舌打ちした。
自分の正体を知られたくないわけではない。ただ、相手が管理局である以上、こちらの情報を先に渡すのは避けたかった。
小鳥遊が、救助隊員たちと共に到着した。
「無事ですか?負傷者は?」
「一人、腕に怪我がある。応急処置を頼む」
「分かりました!」
隊員たちが負傷者のもとへ向かう。
小鳥遊は雄馬を見て、ほっとしたように息を吐いた。
「あなた、本当に一人で……。無茶をしすぎです」
「間に合ったからいいだろう」
「結果的に助かったとしても、毎回こんなことをしていたら、いつか取り返しのつかないことになります」
「気をつけるよ」
言葉ほど反省していない様子に、小鳥遊は困った顔をした。
そのとき、彼女の端末が鳴った。
画面を確認した小鳥遊の表情が変わる。
「……管理局から、正式な照会が来ました」
「何だって?」
「あなたの識別情報が、旧式端末から送信されたそうです。管理局は、神代雄馬という人物の生存確認を求めています」
雄馬は黙っていた。
小鳥遊は続けた。
「記録上、あなたは六年前に極地任務へ派遣された後、連絡が途絶えています。その後、死亡扱いになったようです」
「死亡扱いにしたのは、いつだ?」
「正式な日付は、まだ確認できません。ただ、管理局の内部記録では、あなたはすでに存在しない人物として処理されているそうです」
「そうか」
雄馬は空を見上げた。
六年間、彼は南極で生き延びた。
その間、地上の人間たちは彼を忘れ、死んだものとして扱った。捜索もしなければ、帰還の可能性を検討することもなかった。
彼にとっては、想像していたとおりの結果だった。
ただ、実際に突きつけられると、胸の奥に冷たいものが残る。
「管理局は、俺をどうするつもりだ?」
「詳しいことは分かりません。ただ、身柄の確保と事情聴取を検討しているようです」
「事情聴取、ね」
雄馬は笑わなかった。
彼を犯罪者として裁いた組織が、今さら何を聞くというのか。
南極へ送った理由を説明するつもりなのか。それとも、エグザリアを手に入れるために、再び彼を利用するつもりなのか。
どちらにせよ、簡単に従う気はなかった。
その頃、東京の特異災害対策本部では、古い識別情報の照合結果が幹部の端末へ送られていた。
報告書を読んだ職員は、何度も画面を見直した。
「……そんなはずはない」
彼は上司へ連絡を入れた。
「緊急報告です。神代雄馬の生存を確認しました」
数秒の沈黙。
そして、受話器の向こうから低い声が返ってきた。
「もう一度言え」
「神代雄馬です。六年前に極地任務へ派遣され、死亡扱いとなった元Aランク探索者。現在、日本国内で活動していることが確認されました」
電話の向こうで、誰かが息を呑んだ。
やがて、冷静な声が告げた。
「……天城本部長へ報告しろ。情報は外部に漏らすな」
報告書は、すぐに上層部へ送られた。
その画面に表示された名前を見て、天城厳は長い沈黙の後、椅子から立ち上がった。
「生きていたのか、神代……」
彼の表情に浮かんだのは、驚きだけではなかった。
恐れ。そして、計算。
六年前、南極へ送られた男が帰ってきた。
しかも、異常領域の中で裂界種を撃破する、未知の能力を持って。
天城は窓の外を見た。
「……最悪のタイミングだ」
そして、部下へ命じた。
「対象の位置を特定しろ。何としても、こちらの管理下に置くんだ」
死んだはずの男の帰還は、国家の中枢を揺るがし始めていた。




