第26話 変わり果てた日本
崩れた道路を、雄馬は全力で駆けていた。
遠くから悲鳴が聞こえる。瓦礫の山を乗り越えた先には、十数人の避難民が逃げ惑っていた。その後方で、黒い巨体が建物の壁を破壊しながら進んでいる。
体高は三メートルを超えているだろう。四本の脚は昆虫のように節くれ立ち、背中から伸びた複数の突起が不規則に揺れていた。頭部らしき部分には目がなく、縦に裂けた口の奥から紫色の光が漏れている。
裂界種。
異常領域から出現する怪物だ。
南極の地下施設で見た防衛機構とは違う。あれは侵入者を排除するための機械だったが、こちらは生物に似た何かだった。
「全員、建物の陰へ走れ!」
雄馬は声を張り上げた。
避難民の一人が振り返った。若い男だった。彼は雄馬の黒い装甲を見て、一瞬だけ動きを止めた。
「何をしている!早く逃げろ!」
怒鳴られた男は我に返り、ほかの人々を誘導し始めた。
雄馬は足を止めずに怪物へ接近した。
裂界種がこちらを向いた。顔のない頭部が、何かを探るように揺れる。次の瞬間、怪物の背中から伸びた突起が一斉に開いた。
空気が震えた。
「っ!」
雄馬は横へ跳んだ。直後、先ほどまで立っていた路面が爆ぜる。見えない衝撃がアスファルトをえぐり、砕けた破片が頬をかすめた。
遠距離攻撃か。
雄馬は建物の柱を盾にして、敵の動きを観察した。
攻撃の直前、背中の突起が開く。そこから空間の歪みが発生し、圧縮された衝撃が放たれるらしい。見た目以上に厄介な相手だった。
しかも、こちらには余裕がない。
南極からの転移でエグザリアの出力は大きく低下している。位相装甲は展開できるが、長時間の戦闘は避けるべきだ。次元刃も使えるものの、出力を上げすぎれば装甲そのものが不安定になる。
それでも、目の前の人間を見捨てる理由にはならなかった。
「ノエル、聞こえるか?」
『……応答しています。通信状態は不安定です』
「敵の情報を取れるか?」
『現在の観測データから推定します。対象は異常領域由来の裂界種。空間圧縮による遠距離攻撃を使用している可能性があります。正面からの接近は危険です』
「見れば分かる」
『対象の背部に、攻撃の起点となる空間歪曲反応を検知しました。攻撃直後には反応が弱まります』
「つまり、撃たせてから近づけということか」
『その方法が、現在の出力では最も合理的です』
雄馬は息を整えた。
怪物が再び背中の突起を開く。
今度は逃げない。
攻撃が放たれる直前、雄馬は柱の陰から飛び出し、右へ大きく踏み込んだ。衝撃波が背後の壁を破壊する。爆風に押されながらも、彼は姿勢を崩さずに走り続けた。
怪物の懐へ入る。
裂界種が前脚を振り上げた。
雄馬は身を沈め、巨大な脚の下を滑り抜けた。エグザリアの位相装甲が爪の一撃をわずかに逸らす。装甲表面に青白い火花が散った。
そのまま、雄馬は怪物の側面へ回り込んだ。
次元刃を起動する。
黒い刃が空間を切り裂き、怪物の背部にある突起の付け根を断った。
裂界種が甲高い音を発した。
背中の突起が不規則に痙攣し、紫色の光が消える。雄馬は間合いを詰め、もう一度刃を振るった。
今度は脚の付け根を狙った。
怪物の巨体が傾く。
倒れ込む瞬間、裂界種は口を大きく開き、雄馬へ噛みつこうとした。彼は後ろへ跳び、刃の向きを変える。
「終わりだ」
最後の一撃が、頭部の中央を貫いた。
裂界種の身体から光が失われる。黒い外殻が崩れ、紫色の粒子となって風に散っていった。
周囲に静けさが戻った。
雄馬は、エグザリアの出力表示を確認した。戦闘による消費は小さくない。これ以上、同じ規模の敵と連続して戦うのは避けたいところだった。
「……まずは、助けた連中の様子を見るか」
彼が振り返ると、避難民たちは崩れた建物の陰からこちらを見ていた。
誰も近づこうとしない。
無理もない。目の前で怪物を倒した男は、黒い装甲を身にまとい、空間そのものを切り裂くような武器を使ったのだ。彼らにとっては、怪物と同じくらい得体の知れない存在だろう。
「怪我人はいるか?」
雄馬が尋ねると、中年の女性が恐る恐る手を挙げた。
「子供が……足を挟まれて」
「案内してくれ」
女性の案内で、雄馬は瓦礫のそばへ向かった。小学生くらいの男の子が、倒れた看板の下敷きになっていた。脚に怪我をしているが、意識はある。
「大丈夫か。今、助ける」
雄馬は看板を持ち上げ、少年を引き出した。
少年は痛みに顔を歪めながらも、雄馬の装甲を見上げた。
「お兄さん……ロボットなの?」
「違う。ちょっと変わった服を着ているだけだ」
「でも、さっきの怪物を一人で倒したよ」
「運がよかっただけだ」
少年は納得していない様子だったが、雄馬はそれ以上説明しなかった。
怪我人を避難場所まで運び終えた頃、遠くからエンジン音が近づいてきた。
道路の向こうに、装甲車と複数の軍用車両が見える。車体には、特異災害対策本部の標章が描かれていた。武装した兵士たちが降り、周囲を警戒しながらこちらへ向かってくる。
「現場を制圧する!民間人は指定区域まで移動しろ!」
隊員の一人が拡声器で叫んだ。
別の隊員は、倒れた裂界種の残骸と、雄馬の姿を交互に見ている。
「怪物を倒したのは、あの男か?」
「装備が確認できない。登録探索者なのか?」
「身元照会を急げ!」
雄馬は、軍の車両を見つめた。
六年。
彼が南極へ送られてから、六年が経過している。
目の前の兵士たちは、彼の顔を知らないかもしれない。だが、所属組織の名前は変わっていなかった。
自分を捨てた国の組織だ。
「……やれやれ。帰ってきた途端に面倒な連中と遭遇したな」
雄馬は装甲を解除した。
戦う必要がない相手まで、敵にするつもりはない。
だが、こちらの事情を聞かずに武器を向けてくるのなら、話は別だ。
兵士の一人が端末を操作し、雄馬へ視線を向けた。
「あなたの身元を確認させてもらいたい。所属クランと探索者番号を提示してください」
雄馬は答えなかった。
六年前に捨てられた名前を、今さら彼らへ差し出す気にはなれなかった。
そのとき、救助隊の車両から一人の女性が降りてきた。
短くまとめた髪。汚れた救助服。肩には医療バッグを掛けている。
女性は負傷者の状態を確認しながら、雄馬の前まで歩いてきた。
「あなたが、裂界種を倒した人ですか?」
「ああ」
「私は災害救助隊の小鳥遊美咲です。まずは救助活動への協力に感謝します」
彼女は周囲の兵士たちとは違い、雄馬の装備を見ても身構えなかった。
「お名前を伺っても?」
雄馬は少しだけ迷った。
名乗れば、面倒なことになる。
だが、もう名前を隠し続ける理由もない。
「神代雄馬だ」
小鳥遊の表情が変わった。
彼女は手元の端末を見て、もう一度雄馬の顔を見た。
「……神代、雄馬?」
その声には、驚きと戸惑いが混じっていた。
彼女が端末に表示された情報を確認するより早く、兵士の一人が叫んだ。
「待て!その名前……六年前に死亡扱いになった元Aランク探索者じゃないか!」
周囲の視線が、一斉に雄馬へ集まった。
帰還したばかりの男に、休む時間はなさそうだった。




