第14話 氷の下からの侵入者
黒い裂け目は、壁の一部を侵食するように広がっていた。
その輪郭は一定ではない。まるで、空間そのものが破れているかのように、縁が細かく震えている。
雄馬は、次元刃を呼び出そうとした。
しかし、黒い光は指先に集まっただけで、刃の形を取らなかった。
「……何だ?」
「空間構造の変動により、エグザリアとの同期が不安定になっています。能力の使用は控えてください」
「敵が出てきそうなのに、控えろって?」
「位相装甲の展開も不安定になる可能性があります」
裂け目の奥で、何かが動いた。
次の瞬間、黒い塊が飛び出してきた。
床へ着地したそれは、四本の脚と長い尾を持つ怪物だった。全身は硬い外殻に覆われているが、関節の隙間から赤い光が漏れている。
頭部には目がない。
それでも、怪物は迷うことなく雄馬の方を向いた。
「裂界種……?」
「既知の異常領域に出現する生物との類似性があります。ただし、完全な一致ではありません」
怪物が吠えた。
音というより、空気を直接震わせる衝撃だった。雄馬は腕で顔を覆い、数歩後退する。
怪物は一気に距離を詰めた。
雄馬は横へ跳んだ。
鋭い爪が床をえぐり、黒い破片が飛び散る。続けざまに尾が振るわれ、彼の脇腹をかすめた。
装甲を展開できれば、反撃の機会を作れる。
だが、今は能力が不安定だ。
無理に使えば、さっきの試験以上に身体へ負荷がかかるかもしれない。
「ノエル。周囲の構造を表示しろ!」
「了解しました」
視界の端に、施設の立体構造が浮かび上がった。
通路の左側には、崩れかけた柱がある。右側には、古い配管が天井から伸びていた。その奥には、床面を走るエネルギー供給路が確認できる。
雄馬は、怪物の動きを観察した。
正面からの突進。爪による斬撃。尾による横薙ぎ。
攻撃は単純だが、速度と破壊力が大きい。狭い通路では、逃げ場も限られる。
ならば、通路そのものを使う。
雄馬はわざと怪物の正面へ走った。
怪物が突進する。
その直前、雄馬は横へ飛び、崩れかけた柱の陰へ滑り込んだ。
怪物の巨体が柱に衝突する。
鈍い音とともに、亀裂が走った。
柱は崩れなかったが、怪物の動きが一瞬止まる。
雄馬はその隙に配管の下をくぐり、通路の反対側へ回った。
怪物が振り向く。
今度は尾が来る。
雄馬は床に伏せた。尾が頭上を通過し、壁面の配管を叩き割った。
白い蒸気が噴き出す。
「そうか……!」
雄馬は立ち上がった。
怪物は音や動きに反応している。目がない以上、視覚以外の感覚で獲物を捉えている可能性が高い。
ならば、感覚を乱せばいい。
彼は近くの金属片を拾い、通路の奥へ投げた。
金属片が床を滑り、甲高い音を立てる。
怪物の頭部が、そちらへ向いた。
その隙に、雄馬は床の供給路へ手を伸ばした。管理者権限の一部を使い、周辺設備の状態を読み取る。
供給路には、まだエネルギーが流れていた。
彼は配管の破損箇所へ近づき、古い制御弁を探し当てた。
「ノエル、この弁を閉じたら、蒸気の流れを変えられるか?」
「可能です。ただし、局所的な圧力変動が発生します」
「それでいい」
雄馬は弁を回した。
蒸気の噴出が止まり、別の配管から高圧の蒸気が噴き出す。怪物が再び突進してきた。
雄馬は、ぎりぎりまで引きつけてから横へ跳んだ。
怪物の頭部が、蒸気の噴出口へ突っ込む。
白い蒸気が全身を覆った。
怪物が苦しげに身体を振り回す。外殻の隙間から漏れる赤い光が、不規則に明滅していた。
今だ。
雄馬は床に転がっていた金属片を拾い、怪物の脚部へ投げつけた。
わずかに体勢が崩れる。
彼はその隙に背後へ回り、次元刃を短く展開した。
完全な刃ではない。光は揺らぎ、輪郭も安定していなかった。
それでも、一瞬だけなら使える。
「これで終わりだ!」
刃が怪物の背中を走った。
硬い外殻が裂け、内部の中枢らしき部分が露出する。雄馬はすぐに刃を消し、落ちていた鉄骨を両手で持ち上げた。
怪物が振り向く。
その動きに合わせ、雄馬は鉄骨を叩きつけた。
中枢が砕けた。
怪物は大きく痙攣し、やがて動かなくなった。
雄馬は鉄骨を落とし、その場に片膝をついた。
「……はあ。今度は、力を使いすぎずに済んだな」
「能力使用時間は短く、身体への負荷は前回より軽減されています」
「周囲を使えば、何とかなる。覚えておこう」
彼は倒れた怪物へ近づいた。
外殻は異常なほど硬い。体内からは、黒い液体のようなものが流れ出していた。
その中に、何か金属の破片が混じっている。
「ノエル。これを調べてくれ」
ノエルが解析を開始する。
数秒後、青白い光が破片を包み込んだ。
「……異常な結果が出ています」
「またか。今度は何だ?」
「破片の一部に、人類製の研究装置と共通する構造が認められます」
「人間が作った装置?」
「はい。材質と構造の特徴が、PROJECT WHALERの記録にある装置と一致しています」
雄馬の表情が険しくなった。
古代施設の中に、異常領域から怪物が侵入した。
そして、その怪物の体内から、人類の研究装置の破片が見つかった。
偶然とは思えない。
「ノエル。人間がこいつを作ったのか?」
「現時点では断定できません。ただし、人類製の装置が怪物の体内に存在していた事実は確認できます」
雄馬は破片を見つめた。
PROJECT WHALERの研究者たちは、古代の力を利用しようとしていた。
もし、その過程で異常領域と怪物に干渉していたのなら。
人類は、知らないうちに封印システムを傷つけていたのかもしれない。
「……やっぱり、あの計画が関係している」
雄馬は立ち上がった。
今度こそ、記録だけではなく証拠が手に入った。
人間が掘り起こしたもの。
人間が動かしたもの。
そして、今も地球のどこかで起きている異常。
すべてをつなげる鍵は、南極の地下にある。
彼はノエルを振り返った。
「研究区画へ戻る。残っている記録を全部調べるぞ」
「了解しました。ただし、異常空間反応は消失していません。別の侵入が発生する可能性があります」
「分かっている。だから、急ぐんだ」
雄馬は、裂け目があった場所を見た。
そこには、まだ黒い痕跡が残っていた。
まるで、何者かが向こう側から爪を立て、こちらへ侵入する機会をうかがっているようだった。




