20.入り婿と持て余す暇
「もうっ、我慢の限界なんですっ!」
ロンドルフ公爵邸の奥まった一画の長閑な庭に響いた声はあまりにも大きかった。
美しい声で囀ずっていた小鳥は慌てて飛び立ち、のんびりと草を食んでいた馬は一斉に動きを止めて警戒態勢になってしまった。
驚かすつもりなど毛頭なかった声の主、馬を囲う柵に腰掛けたユクシャは申し訳なく思いながらも声量を落としてもう一度、繰り返す。
「我慢できないんですって、分かります?分かってもらえますよね!?」
叫び声が続かないことで馬は再びのんびりと草を食む。その内、小鳥も戻ってくるだろう。
しかし、ユクシャの声は直ぐ傍に居る者に聞かせるにしては未だ大きい。
だというのに、隣で訴えられているオータは柵に背中を預けて、一見悪人顔に、にやにや笑いを浮かべている。
「うんうん、そうですよねー」
他人事のような口調が恨めしい、と柵に腰掛けたユクシャは思わず睨みたくなった。
それは、オータには関係の無い他人事なのだろうが、もうちょっと親身になってくれてもいいのに。
風邪を引いて周囲を騒がせてから、数えて三日。
ユクシャは授業と宿題、ロンドルフ公爵親子との交流といった最近の日常に戻っていなかった――正確には戻ることを許されていないのだ。
疲労すること禁止令が未だに解除されない。往診した医者からも完治の太鼓判が押されているにも関わらず、カナリーが元の生活に戻るのを肯定してくれないから。寝室については既に共用の寝室に戻っているというのにもか変わらず、だ。
そんな訳でユクシャは何もしない日々が続いている。これがまた実に疲れる。暇過ぎて、疲れる。
読書等で大人しくしているのにも限度があって、しかもそれとなく使用人が見張っているのだから苛々と心的負荷は溜まる一方で。
「もう何をすれば、いいのか。っていうか、これが何時まで続くんでしょう」
自身が原因だと甘んじていたが、とうとう限界に達した。ユクシャの訴えは切実な響きがあった。
「…もう、本当に無理です…」
「ユクシャ様。そう言わずに頑張れー」
がっくりと項垂れるユクシャの肩をオータがぽんっと軽く叩く。
慰めには慰めなのだろう。積もり積もったものを彼相手に吐き出しに来たユクシャが言える筋ではないが、やっぱりオータからはどうでもよさが窺える軽い対応。
「うー、関係無いと思って」
今度は思わず睨んだユクシャにくつくつと喉の奥で笑うオータ。
「実際、関係ない話ですからねー」
そうは言うオータであるが、ユクシャに対して同情は禁じ得ない。
ロンドルフ公爵親子の対処は何故ああも極端になるのか。理由が分かってはも、理解に苦しむ。――とはいえ、使用人風情が主に口出し出来ないオータに出来るのは仕事の手を止めて突撃してきたユクシャに付き合う事と、見張りの使用人を追い払う事くらい。
ユクシャからは見えない角度で微かに顎を杓って、使用人に帰るように促す。
相手も心得たもので、幼馴染みの使用人が苦笑を残して去って行くのを眺めるオータに、何も気付かないユクシャは絡む。
「聞いてます!?ほっんとに大変なんですよ!」
「聞いてますよ。なーんにも出来ないって話ですよね?」
「そう!そうなんです!!」
鬱憤のせいでも酔っ払いの絡みそのものに見えてしまう。
如何に大変か、その一点に尽きる同じ内容のひっくり返しもっくり返しで意味を為さないながらも、全てを出し切ったユクシャは肩から大きな息を吐き出した。
「ありがとうございました」
御礼は愚痴に付き合ってくれたからと、後一つ――。
「あ?へ?」
聞いてるように見せ掛けて聞いていなかったオータは即座に反応出来なかった。
気を悪くした様子もないユクシャはすっきりとした、にこやかな顔で自身の言葉足らずを補足する。
「ロイニです。風邪の時はありがとうございました」
「ああ、あれか」
たった今、思い出した。オータには些細な事でも、ユクシャにとっては大した事だ。
風邪の翌日も寝室は疎か寝台から出られなかったユクシャから見える窓の下の庭園にオータは許可を貰ってロイニを連れて来てくれた。
お陰でやって来た当初よりはロンドルフ公爵邸の環境に慣れてはいたが、姿を見せないユクシャに辺りを警戒する素振りを見せ始めていたロイニも落ち着きを取り戻し、他者の世話を受けたのだ。
ロイニが気掛かりだった分、ユクシャの感謝は深い。何度も御礼をしても足りないくらいに。
「俺の仕事のためだから、気にせずに」
仕事を円滑に行うためであってユクシャのためではない、と手をひらひらさせて感謝は不要だ、とはオータらしい。
ユクシャとしてはそうでも言い足りないのだか、仕方がない。それでは、この辺りで。
「そろそろお暇しますね」
切羽詰まっていたとはいえ、オータは仕事中の身なのだ。
今更、本当に今更。用件が終わったのならユクシャは退散するべきだろう。
「あれ?戻っちゃうんです?」
予想外だと目を丸くして、オータに驚かれた。
足元に途中で放り出された道具が置かれているのに。おかしい、まだ話してもいいのか。
「解決策を考えなくていいんですか?」
これまた二度目であるが、オータにとっては愚痴に付き合うくらいなんて事ない。しかし、結局が溜まっていく繰り返しになるのはユクシャの精神上良くない、と考えての言葉であった。
「解決する方法が、あるんですか!?」
状況を打開する術なんてない。敢えていうなら、熱り(ほとぼり)が冷めるのを待つのみ。
そう決めつけていたユクシャには魔法の如く効力を発揮した言葉であった。大人しくしていなければならない若夫婦の部屋に戻ろうとしていた足は止まり、期待の二文字がでかでかと表情に顔を覗かせる。
「まあ、直接言ってみるってのが一番だと思うけど…」
直談判が手っ取り早いの確かだろう。風邪が治ったと自認するユクシャにはこれ以上の我を通すのは無理だ。
ユクシャが焦ったように頭と手をこれでもかと振らなくても分かっている。分かっているから置かれているにも口ごもったのだから。
「なら、やっぱ。これでしょ」
ユクシャの耳元で囁いて伝えるのは、ちょっとした知恵。所謂、悪知恵であった。
「――っては、どうです?」
不敵に笑うオータの顔が離れていく。二、三回瞬きをした一拍遅れた後でユクシャの顔に喜色が浮かぶ。
「成る程。そっか、そうです!」
ユクシャには考え付かなかったオータの解決策。目から鱗が落ちたみたいだ。
「遊びって言えば、良いんですね!」
遊びの名目なら、多少動き回っても咎められないかもしれない。根本的な問題の解決ではないが、気を紛らわす事が出来そう。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます!」
あれもこれもオータには感謝しても感謝し足りない。感謝の言葉をなんて表していいのか、分からないくらい。
「まだ上手くいくって決まった訳じゃないでし、喜ぶのは早いですって」
謙遜しつつもオータはどこか鼻高々な様子。きらきらと輝いた眼差しを向けられれば、やはり悪い気はしない。
オータが言うように事態が思い通りに運ぶかは分からないのにユクシャは成功を信じて疑わず。善は急げとばかりに屋敷に取って変えそうとしている。
「勿論、上手くいくように何とか折を見て、実行してみます」
本当に分かっているのやら。御礼もそこそこに戻るユクシャの足取りは今にも踊り出しそうなくらいに軽い。
「ご武運を祈ってますよ~」
「はーい、頑張ってみます」
手を振って見送るオータに応じる声も明るい。
突撃してきた時の暗鬱さはすっかり成りを潜めているユクシャなのであった。




