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帝国の華 外伝 戦場の英雄、黒鷹――ヴィクトリア・フォン・アイゼンベルクの記録  作者: 帝国の華


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第五記録 戦略術式適性測定



 第三演習場は、学院敷地の北端にあった。


 第二演習場よりも広い。


 石壁は低く、外縁には鉄柱が等間隔に立っている。

 地面は踏み固められた土で、中央には白線が引かれていた。


 前方二百歩。


 木製の標的群。

 鉄板を重ねた装甲標的。

 模擬砲台。

 通信塔模型。

 防護幕測定用の黒い杭。


 それらが、仮想敵部隊として配置されていた。


 空は曇っていた。


 風は弱い。


 音がよく通る日だった。


「第一学年候補生、整列」


 教官の声が、演習場に広がった。


 候補生たちは、白線の後方に並ぶ。


 貴族候補生。

 平民候補生。

 許可された上級候補生。

 教官団。

 記録官。

 医務班。


 全員ではない。


 観閲許可を受けた者だけが、ここにいる。


 第三演習場の入口には、警備兵が立っていた。

 入退場記録用の台帳も置かれている。


 この日の演習は、通常課程の一部として告知されていた。


 前半は、軍用術式銃の運用確認。


 後半は、国家戦略級術者指定を受けた候補生の制限出力測定。


 候補生たちは、その言葉の重さを正確には知らなかった。


 国家戦略級術者。


 帝国軍の記録上、戦場の局地的勝敗ではなく、作戦区域そのものの条件を変え得る術者へ与えられる指定。


 それは称号ではない。


 配置区分だった。


 そして今日、候補生たちは、その指定を受けた者がどのように測定され、封鎖され、記録されるのかを観閲するよう命じられていた。


 ヴィクトリア・フォン・アイゼンベルク。


 十四歳。


 新入候補生総代。

 候補生監督補佐。

 個別戦闘適性、上級候補生基準超過。

 指定区分、国家戦略級術者。


 候補生たちは、その名をすでに知っていた。


 だが、指定の意味までは知らなかった。


 教官が歩く。


「本観閲は、称賛のために行うものではない」


 演習場の空気が締まる。


「帝国軍における術式運用の階層を理解するためのものだ。術式適性の有無は、任官可否を決めない。だが、術式適性の規模は、作戦運用を変える」


 教官は、銃架に並ぶ黒い術式銃を示した。


「軍用術式銃は、個人術式の代替ではない。分隊火力を一定化するための装備である。撃てる者だけが前へ出るのではない。撃てる形を維持する者が、部隊を残す」


 銃架には、黒い術式銃が並んでいた。


 短い銃身。

 刻印された導式線。

 銀色の式素弾倉。

 安全栓。

 照準具。


 候補生が一人ずつ呼ばれる。


 貴族候補生は、扱いが綺麗だった。


 姿勢が正しく、照準も速い。

 弾倉交換も滑らかだった。


 ただ、遮蔽物からの再照準に少し遅れが出た。


 平民候補生は、銃そのものへの慣れが早かった。


 構えはやや粗い。

 だが、伏せ姿勢への移行が速い。

 装填手順も実務的だった。


 ただ、報告の声が少し大きい。


 教官は淡々と記録させる。


 命中。

 再装填。

 射線維持。

 隊列復帰。

 報告。


 悪い演習ではない。


 候補生たちは優秀だった。


 標的が倒れるたびに、乾いた木音がした。

 誰も歓声を上げない。


 帝国軍では、当てることは褒められることではない。


 当てて、戻って、次の命令を待つ。


 それが士官候補生の基礎だった。


「前半演習、終了」


 教官が告げる。


 術式銃が回収される。


 候補生たちは、装備を確認し、白線の後方で待機した。


 ここから先が、本来の観閲だった。


 演習場の外縁から、封鎖班が入ってくる。


 黒い腕章。

 測定杭。

 接地導線。

 厚い遮断幕。

 医務担架。

 追加記録板。


 候補生たちの空気が変わった。


 術式銃演習では使われない器材だった。


「総員、観閲線後方へ」


 教官の声が低くなる。


 候補生たちは、一歩ではなく三歩下がった。


 白線の前に、赤い観閲線が引かれる。


「以後、許可なく観閲線を越えるな」


 上級候補生の一人が、記録官の手元を見た。


 用紙が替えられていた。


 通常演習記録ではない。


 戦略術式観閲記録。


 その表題だけで、白線の後方は静かになった。


 術式測定官が、黒い測定盤を持って前へ出る。

 その後ろに、医務班が続いた。


 教官は名簿を開いた。


「ヴィクトリア・フォン・アイゼンベルク候補生」


「はい」


 ヴィクトリアが列から出る。


 十四歳。


 黒い候補生制服。

 銀縁の高襟。

 白い手袋。


 左手の手袋の下には、前日の処置跡がある。


 彼女は赤い観閲線の手前で停止した。


「前へ」


「承知しました」


 ヴィクトリアだけが、線を越える。


 候補生たちは、誰も動かなかった。


 前日の個別戦闘適性演習で、彼女の身体能力は見ている。


 速かった。

 正確だった。

 強かった。


 だが、今日の器材は身体能力を測るためのものではない。


 教官が観閲者へ向き直る。


「これより、国家戦略級術者指定を受けた候補生の制限出力測定を実施する」


 声は大きくなかった。


 それでも、全員に届いた。


「観閲者は、この測定を戦闘披露として見るな。これは戦場投入前に必要な封鎖、測定、医務確認、記録処理を理解するためのものだ」


 誰も返事をしない。


 候補生たちは、ただ姿勢を正した。


 術式測定官が、測定盤を確認する。


「本測定は、戦略術式適性測定である。測定対象、ヴィクトリア・フォン・アイゼンベルク候補生。系統、アイゼンベルク雷系統。指定区分、国家戦略級術者。観閲者は線を越えるな。記録官、測定開始時刻を記入」


 紙の音がした。


 軍用術式銃を握っていた候補生たちの手は、今は空いていた。


 その空いた手が、少しだけ固くなる。


 封鎖班が、標的群の前に遮断幕を張る。


 一枚。


 二枚。


 測定杭が地面に打ち込まれる。

 接地導線が、標的群の外周を囲む。

 医務班が、演習場の横に待機する。


 術式測定官が確認する。


「遮断幕二枚。測定杭六。接地導線、閉鎖。規定通り」


 ヴィクトリアは、前方の標的群を見た。


 次に、遮断幕を見る。


 それから、接地導線の位置を見る。


「遮断幕が二枚では足りません」


 測定官が止まった。


 その場の空気が、わずかに硬くなる。


「規定では二枚だ」


 ヴィクトリアは視線を動かさない。


「では、一割未満で実施します」


 測定官は、数秒だけ黙った。


 候補生たちの誰かが、息を止めた。


 一割。


 その言葉が、白線の後方へ届いた。


 軍用術式銃で標的を倒していた候補生たちが、前方の標的群を見る。


 鉄板装甲。

 模擬砲台。

 通信塔模型。

 防護幕測定杭。


 それを前にして、十四歳の候補生が、一割未満と言った。


 測定官は、教官へ視線を向ける。


 教官は首を横に振らない。


「測定条件を変更。出力、一割未満。遮断幕二枚。測定杭六。接地導線、閉鎖」


 記録官が書き直す。


 ヴィクトリアは右手の手袋を一度だけ整えた。


 左手は動かさない。


「測定対象、位置へ」


「はい」


 ヴィクトリアは指定位置へ進む。


 足音が、土の上で短く鳴った。


 前方二百歩。


 仮想敵部隊。


 術式測定官が声を落とす。


「アイゼンベルク雷系統。紫電。測定開始」


 その名が、初めて演習場に置かれた。


 ヴィクトリアは構えなかった。


 大きく腕を振り上げることもない。

 詠唱もない。

 叫びもない。


 ただ、右手の指先が少しだけ開いた。


 空気が、薄く鳴る。


 最初に光が走った。


 音は遅れた。


 紫がかった白い線が、標的群の上を横切る。


 遮断幕の表面に、細い亀裂が入った。

 測定杭の一つが黒く焦げる。

 鉄板装甲の縁が、白く欠けた。


 次の瞬間、模擬砲台の輪郭が崩れた。


 爆発ではない。


 焼き切られた。


 通信塔模型の支柱が、一本ずつ落ちる。

 木製標的は倒れる前に、表面だけ黒く変わった。


 風が遅れて届く。


 砂が低く流れた。


 候補生たちは、動かなかった。


 軍用術式銃で倒した標的と、同じものではない。


 同じ標的群だった。


 だが、結果が違った。


 隊列で撃ち、弾倉を交換し、遮蔽物を使い、命令を待って倒すものを。


 ヴィクトリアは、一人で戦場条件ごと変えた。


 しかも。


 一割未満。


 観閲線の後方で、平民候補生の一人が、空の手を見下ろした。


 貴族候補生は、顎を引いた。


 上級候補生は、測定官の記録盤だけを見ていた。


 教官は声を出さない。


 測定官が、遮断幕を確認する。


「遮断幕一枚目、損耗。二枚目、亀裂。測定杭一、損傷。接地導線、残存」


 記録官が書く。


「標的群」


 測定官が前方を見る。


 少しだけ間が空いた。


「仮想敵部隊、機能喪失」


 その言葉で、候補生たちの背筋が動いた。


 機能喪失。


 撃破ではない。

 破壊でもない。


 軍務の言葉だった。


「測定対象、応答」


 ヴィクトリアは姿勢を崩さない。


「問題ありません」


 早い。


 また、早かった。


 医務班の一人が、前へ出かける。


 教官が目だけで止めた。


 測定官が問う。


「出力申告」


「一割未満」


「具体値」


「基準出力八分相当」


 記録官の筆が止まった。


 八分相当。


 一割ですらなかった。


「再測定を行う」


 測定官が言った。


 教官が口を開く前に、ヴィクトリアが答えた。


「遮断幕を増やしてください」


「規定外だ」


「二枚では次が保ちません」


 測定官は、遮断幕の亀裂を見た。


 次に、ヴィクトリアを見た。


 十四歳の候補生が、演習場の安全限界を申告している。


 誇示ではない。


 安全管理だった。


「本測定は一回で終了する」


 教官が決定した。


 測定官は反論しなかった。


「医務確認」


「任務に支障はありません」


 ヴィクトリアの答えは、また早かった。


 教官は数秒だけ沈黙する。


「医務確認」


「承知しました」


 ヴィクトリアは敬礼した。


 その時、左手の指が一拍だけ遅れた。


 前日よりも短い遅れだった。


 だが、記録官は見ていた。


 医務班も見ていた。


 候補生たちの一部も、見ていた。


 ヴィクトリアは見なかった。


 医務確認区画は、演習場脇の白い天幕だった。


 机。

 金属盆。

 測定器。

 冷たい水差し。

 術式反応紙。


 軍医は、ヴィクトリアの右手を見た。


 指先に、薄い赤みがある。


 左手の手袋も外させた。


 包帯の一部が、黒く変色していた。


「痛む箇所は」


「ありません」


 軍医は、返事をしなかった。


 術式反応紙を、ヴィクトリアの指先へ近づける。


 紙の端が、薄く紫に滲んだ。


「神経負荷反応」


「任務に支障はありません」


「痛みではなく、反応です」


「支障はありません」


 同じ答えだった。


 軍医は、測定器の針を見る。


 針は一度だけ跳ね、すぐに戻った。


「出力を抑えた理由は」


「遮断幕が保ちません」


「身体への負荷ではなく?」


 ヴィクトリアは答えなかった。


 天幕の外で、測定杭を外す金属音がする。


 軍医は記録欄へ書いた。


 紫電測定。

 申告出力、基準出力八分相当。

 標的群、機能喪失。

 遮断幕、損耗。

 神経負荷反応、軽微。

 左手包帯、変色。

 疼痛申告なし。


 筆先が止まる。


 軍医は、もう一行を書いた。


 自己申告、信頼不能。


 ヴィクトリアは、それを見ていなかった。


「アイゼンベルク候補生」


「はい」


「痛みを支障で判断しないでください」


 ヴィクトリアは、軍医を見た。


 初めて、少しだけ間が空いた。


「軍務では、支障で判断します」


「医務では違います」


 沈黙。


 白い天幕の布が、わずかに揺れた。


「承知しました」


 ヴィクトリアはそう答えた。


 だが、それは理解ではなく、命令への応答だった。


 その日の夕刻、学院長室へ戦略術式適性測定の記録が上がった。


 通常成績表ではない。


 最初から、別紙だった。


 帝立軍官学院、第百十二期戦略術式適性測定。

 対象、ヴィクトリア・フォン・アイゼンベルク候補生。

 指定区分、国家戦略級術者。

 系統、アイゼンベルク雷系統。

 術式名、紫電。

 測定条件、遮断幕二枚、測定杭六、接地導線閉鎖。

 対象申告により、出力一割未満へ変更。

 申告値、基準出力八分相当。

 標的群、機能喪失。

 遮断幕一枚目、損耗。

 遮断幕二枚目、亀裂。

 測定杭一、損傷。

 術者応答、正常。

 医務所見、神経負荷反応軽微。

 疼痛申告なし。

 自己申告、信頼不能。


 学院長は、その紙を通常成績簿へ綴じなかった。


 写しが二部作られた。


 一部は学院封鎖保管。

 一部は元帥府術式運用記録室。


 閲覧区分、将官級。


 承認欄には、まだ何も書かれていなかった。


 それでも、紙は動いた。


 候補生の成績ではない。


 帝国軍の運用記録として。


 翌朝、学院の記録簿には新しい区分線が引かれた。


 黒ではない。


 深い紫の線だった。


 備考。

 当該候補生、国家戦略級術者指定済。

 通常課程外測定対象。

 出力制限下においても、標的群機能喪失を確認。

 神経負荷、継続観察。

 元帥府写し、送付済。


 第三演習場の標的群は、翌日には撤去された。


 焦げ跡は残らなかった。


 測定杭だけが一本、交換された。


 候補生たちは、その跡を見なかった。


 見る許可がなかった。


 記録だけが残った。


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